73 / 79
スクール・フェスティバル
06_Track11.wav
しおりを挟む
宙に倒れるサクラを追ったヒナの体は、勢いあまって向こう側へと滑り落ちた。
迷いなく伸ばしたヒナの手は、サクラの服を掴んでいて——
「う、わっ!」
——落ちる。
体に襲いかかった浮遊感に、全身がぞわりと震えた。
勢いづいた体は頭から落下し、不安定に身を崩したが——力強く手を掴まれ、引っ張られたかと思うと、空中でサクラによって包み込まれていた。
ぎゅっと抱きしめられた腕のなか、ふと感じた匂いが懐かしいような……
(いや、それどころじゃなくて! おれ死ぬっ?)
とっさに目をつむって地面との衝突を覚悟したが、ぐしゃり。ということはなく。
ドスン、と。なんだか想定よりも軽い音で、全身に落下の衝撃が伝わってきた。
一瞬の時が永遠に感じる——などという錯覚はなかった。痛みもなければ、走馬灯もない。
頭にあった飛び降りのイメージから随分と掛け離れた感覚に、そろりと目を開ける。
「……無事かな?」
状況にそぐわない穏和な声が聞こえ、頭上を見上げる。
見上げる、と思ったが、正しく確認すると自分は、寝そべったサクラの胸にのし掛かった状態で頭の方に顔を向けていた。上に乗ったまま、サクラと目が合う。
「……あ、あれ……? おれ、今……落ちませんでした?」
「落ちたね。あそこから」
寝転ぶサクラの目が、天を示す。目の先を追って首を回せば、屋上から身を乗り出したハヤトの顔が。
「大丈夫かっ? いや、大丈夫なわけねぇ……んだけど? あぁ? ……ん?」
大声のあとに、ハヤトは地上の状況を理解して混乱している。こちらも混乱の最中なので何も返せない。
——落ちた。百パーセント落ちた。屋上から。
なのに……なんか無事だ。なんで?
「え……これ、まさか……夢?」
「夢ではないよ」
導き出した答えは、下敷きにした人物から否定される。
目を戻せば、サクラは瞳を合わせてクスリと笑った。
「先日、特許を取った新素材の衝撃吸収マットを購入してね。避難用だが、屋上を開放するに当たり全方に用意させたんだよ。舞い上がった君たちが万が一にでも落下しては——と、案じてね?」
唖然とした。
人生でこれほど呆気に取られたことはない。
「……えぇ? つまり? サクラ先生、知ってて飛び降り——」
「冗談のつもりだったんだが、君が押すから……綺麗に落ちたね?」
「えっ、おれ押してないですよっ?」
文句とともに起き上がろうとしたが、動けない。いまだ上体はサクラの腕にくるまれている。
「あのっ……」
「——君は、」
訴えかけた声は、サクラに遮られた。
少し強めの声音だったので、つい説教を身構えるように口を閉じてしまった。
「……私を、全く憶えていないのか?」
続いたのは、疑惑の響き。
角度的に見下すような目つきをびくびくと見返しながら、
「い、いつの話ですか……? おれ、サクラ先生と会う機会なんて、なかったはずですよ……?」
「生まれてすぐに会っているよ」
「生まれてすぐっ?」
「……君が急に、櫻屋敷への就職を希望して桜統学園を目指し出したから……私に会うためかと思ったのだが……まさか乗っ取りを企んでいたとは。親の心子知らずとは、よく言ったものだね?」
「いやいやっ、なんでおれがサクラ先生に会いたいっていう思考になるのか全然理解できないんですけど!」
「生まれたての君に、何かあったら私を頼りなさいと教えただろう?」
「そんなのっ! 覚えてるわけないじゃないですか!」
「……君はもっと賢い子だと思っていたのだけどね……」
「乳児の記憶あるやつなんてサクラ先生くらいだ!」
「……すこし静かにしてもらえるかな。近くで騒がれると……君は賑やかな声だから」
うるさいを婉曲的に言われた。(だったら離れますけど!)サクラの胸板を突っぱねたが、びくともしない。「痛いよ」とだけ言われた。ついで、おまけの吐息をこぼすように、
「誰にも愛されていない——と君は言ったが、それは間違っているよ」
サクラは独り言を唱えてから、両手を開いた。
解放された体をどけて、そろりと半身を起こすと、
「おい! 大丈夫か!」
ハヤトの声が聞こえた。屋上から1階まで走ってきたらしい。分厚いマットの上、傷ひとつないこちらの様子を見上げて驚いている。
「なんだ? このマット」
「浮かれたおれたちの、落下防止だってさ……」
「……はぁ?」
片眉を上げて訝るハヤトの反応には共感しかない。
隣で先に立ち上がったサクラが、
「安全性は高いが、頭から落ちた際のリスクは残るね。もうしばらくすると後夜祭が始まるが……興奮して屋上から飛び降りないようにね?」
マットの検証結果みたいなことを口にした。
状況を捉えきれていないハヤトが「あ、はい……」素直に返事を返してから、首を傾けて疑問符を浮かべている。(もっと突っこめよ。突っこみのハヤトだろ)
ハヤトから目を離し、マットの上でバランスを取りながら立ち上がる。ふらついた体をサクラに支えられ、近寄った距離に……
「——君が忘れているだけで、君を大切に思う者はいる。目の前の彼も、クラスメイトたちも……君に関わってきた、他のひとたちも」
諭す声が、そっと聞こえた。
目を向ければ、微笑をえがく顔がいつもの位置で見下ろしている。
「消えたいなんて、もう思わないね?」
念を押すような、確かめるような響き。
夕暮れの日によって桜色に染まる瞳は、約束を求めるようにこちらへと注がれている。
うまく言葉を出せず……小さく頷き返すと、サクラは普段どおりに淡く微笑んだ。
その笑顔に、聞いたばかりの独り言が思い浮かぶ。
——誰にも愛されていないと君は言ったが、それは間違っているよ。
(……落ちたとき、サクラ先生、おれのこと護ろうとしてくれた……)
その、事実が。
胸に刺さるようで、沁みるような。
不思議な思いで、長く宿敵と見据えていたはずの青年の微笑みを、無言のままに見上げていた。
迷いなく伸ばしたヒナの手は、サクラの服を掴んでいて——
「う、わっ!」
——落ちる。
体に襲いかかった浮遊感に、全身がぞわりと震えた。
勢いづいた体は頭から落下し、不安定に身を崩したが——力強く手を掴まれ、引っ張られたかと思うと、空中でサクラによって包み込まれていた。
ぎゅっと抱きしめられた腕のなか、ふと感じた匂いが懐かしいような……
(いや、それどころじゃなくて! おれ死ぬっ?)
とっさに目をつむって地面との衝突を覚悟したが、ぐしゃり。ということはなく。
ドスン、と。なんだか想定よりも軽い音で、全身に落下の衝撃が伝わってきた。
一瞬の時が永遠に感じる——などという錯覚はなかった。痛みもなければ、走馬灯もない。
頭にあった飛び降りのイメージから随分と掛け離れた感覚に、そろりと目を開ける。
「……無事かな?」
状況にそぐわない穏和な声が聞こえ、頭上を見上げる。
見上げる、と思ったが、正しく確認すると自分は、寝そべったサクラの胸にのし掛かった状態で頭の方に顔を向けていた。上に乗ったまま、サクラと目が合う。
「……あ、あれ……? おれ、今……落ちませんでした?」
「落ちたね。あそこから」
寝転ぶサクラの目が、天を示す。目の先を追って首を回せば、屋上から身を乗り出したハヤトの顔が。
「大丈夫かっ? いや、大丈夫なわけねぇ……んだけど? あぁ? ……ん?」
大声のあとに、ハヤトは地上の状況を理解して混乱している。こちらも混乱の最中なので何も返せない。
——落ちた。百パーセント落ちた。屋上から。
なのに……なんか無事だ。なんで?
「え……これ、まさか……夢?」
「夢ではないよ」
導き出した答えは、下敷きにした人物から否定される。
目を戻せば、サクラは瞳を合わせてクスリと笑った。
「先日、特許を取った新素材の衝撃吸収マットを購入してね。避難用だが、屋上を開放するに当たり全方に用意させたんだよ。舞い上がった君たちが万が一にでも落下しては——と、案じてね?」
唖然とした。
人生でこれほど呆気に取られたことはない。
「……えぇ? つまり? サクラ先生、知ってて飛び降り——」
「冗談のつもりだったんだが、君が押すから……綺麗に落ちたね?」
「えっ、おれ押してないですよっ?」
文句とともに起き上がろうとしたが、動けない。いまだ上体はサクラの腕にくるまれている。
「あのっ……」
「——君は、」
訴えかけた声は、サクラに遮られた。
少し強めの声音だったので、つい説教を身構えるように口を閉じてしまった。
「……私を、全く憶えていないのか?」
続いたのは、疑惑の響き。
角度的に見下すような目つきをびくびくと見返しながら、
「い、いつの話ですか……? おれ、サクラ先生と会う機会なんて、なかったはずですよ……?」
「生まれてすぐに会っているよ」
「生まれてすぐっ?」
「……君が急に、櫻屋敷への就職を希望して桜統学園を目指し出したから……私に会うためかと思ったのだが……まさか乗っ取りを企んでいたとは。親の心子知らずとは、よく言ったものだね?」
「いやいやっ、なんでおれがサクラ先生に会いたいっていう思考になるのか全然理解できないんですけど!」
「生まれたての君に、何かあったら私を頼りなさいと教えただろう?」
「そんなのっ! 覚えてるわけないじゃないですか!」
「……君はもっと賢い子だと思っていたのだけどね……」
「乳児の記憶あるやつなんてサクラ先生くらいだ!」
「……すこし静かにしてもらえるかな。近くで騒がれると……君は賑やかな声だから」
うるさいを婉曲的に言われた。(だったら離れますけど!)サクラの胸板を突っぱねたが、びくともしない。「痛いよ」とだけ言われた。ついで、おまけの吐息をこぼすように、
「誰にも愛されていない——と君は言ったが、それは間違っているよ」
サクラは独り言を唱えてから、両手を開いた。
解放された体をどけて、そろりと半身を起こすと、
「おい! 大丈夫か!」
ハヤトの声が聞こえた。屋上から1階まで走ってきたらしい。分厚いマットの上、傷ひとつないこちらの様子を見上げて驚いている。
「なんだ? このマット」
「浮かれたおれたちの、落下防止だってさ……」
「……はぁ?」
片眉を上げて訝るハヤトの反応には共感しかない。
隣で先に立ち上がったサクラが、
「安全性は高いが、頭から落ちた際のリスクは残るね。もうしばらくすると後夜祭が始まるが……興奮して屋上から飛び降りないようにね?」
マットの検証結果みたいなことを口にした。
状況を捉えきれていないハヤトが「あ、はい……」素直に返事を返してから、首を傾けて疑問符を浮かべている。(もっと突っこめよ。突っこみのハヤトだろ)
ハヤトから目を離し、マットの上でバランスを取りながら立ち上がる。ふらついた体をサクラに支えられ、近寄った距離に……
「——君が忘れているだけで、君を大切に思う者はいる。目の前の彼も、クラスメイトたちも……君に関わってきた、他のひとたちも」
諭す声が、そっと聞こえた。
目を向ければ、微笑をえがく顔がいつもの位置で見下ろしている。
「消えたいなんて、もう思わないね?」
念を押すような、確かめるような響き。
夕暮れの日によって桜色に染まる瞳は、約束を求めるようにこちらへと注がれている。
うまく言葉を出せず……小さく頷き返すと、サクラは普段どおりに淡く微笑んだ。
その笑顔に、聞いたばかりの独り言が思い浮かぶ。
——誰にも愛されていないと君は言ったが、それは間違っているよ。
(……落ちたとき、サクラ先生、おれのこと護ろうとしてくれた……)
その、事実が。
胸に刺さるようで、沁みるような。
不思議な思いで、長く宿敵と見据えていたはずの青年の微笑みを、無言のままに見上げていた。
90
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
フラレたばかりのダメヒロインを応援したら修羅場が発生してしまった件
遊馬友仁
青春
校内ぼっちの立花宗重は、クラス委員の上坂部葉月が幼馴染にフラれる場面を目撃してしまう。さらに、葉月の恋敵である転校生・名和リッカの思惑を知った宗重は、葉月に想いを諦めるな、と助言し、叔母のワカ姉やクラスメートの大島睦月たちの協力を得ながら、葉月と幼馴染との仲を取りもつべく行動しはじめる。
一方、宗重と葉月の行動に気付いたリッカは、「私から彼を奪えるもの奪ってみれば?」と、挑発してきた!
宗重の前では、態度を豹変させる転校生の真意は、はたして―――!?
※本作は、2024年に投稿した『負けヒロインに花束を』を大幅にリニューアルした作品です。
むっつり金持ち高校生、巨乳美少女たちに囲まれて学園ハーレム
ピコサイクス
青春
顔は普通、性格も地味。
けれど実は金持ちな高校一年生――俺、朝倉健斗。
学校では埋もれキャラのはずなのに、なぜか周りは巨乳美女ばかり!?
大学生の家庭教師、年上メイド、同級生ギャルに清楚系美少女……。
真面目な御曹司を演じつつ、内心はむっつりスケベ。
クラスで1番の美少女のことが好きなのに、なぜかクラスで3番目に可愛い子に絡まれる
グミ食べたい
青春
高校一年生の高居宙は、クラスで一番の美少女・一ノ瀬雫に一目惚れし、片想い中。
彼女と仲良くなりたい一心で高校生活を送っていた……はずだった。
だが、なぜか隣の席の女子、三間坂雪が頻繁に絡んでくる。
容姿は良いが、距離感が近く、からかってくる厄介な存在――のはずだった。
「一ノ瀬さんのこと、好きなんでしょ? 手伝ってあげる」
そう言って始まったのは、恋の応援か、それとも別の何かか。
これは、一ノ瀬雫への恋をきっかけに始まる、
高居宙と三間坂雪の、少し騒がしくて少し甘い学園ラブコメディ。
隣に住んでいる後輩の『彼女』面がガチすぎて、オレの知ってるラブコメとはかなり違う気がする
夕姫
青春
【『白石夏帆』こいつには何を言っても無駄なようだ……】
主人公の神原秋人は、高校二年生。特別なことなど何もない、静かな一人暮らしを愛する少年だった。東京の私立高校に通い、誰とも深く関わらずただ平凡に過ごす日々。
そんな彼の日常は、ある春の日、突如現れた隣人によって塗り替えられる。後輩の白石夏帆。そしてとんでもないことを言い出したのだ。
「え?私たち、付き合ってますよね?」
なぜ?どうして?全く身に覚えのない主張に秋人は混乱し激しく否定する。だが、夏帆はまるで聞いていないかのように、秋人に猛烈に迫ってくる。何を言っても、どんな態度をとっても、その鋼のような意思は揺るがない。
「付き合っている」という謎の確信を持つ夏帆と、彼女に振り回されながらも憎めない(?)と思ってしまう秋人。これは、一人の後輩による一方的な「好き」が、平凡な先輩の日常を侵略する、予測不能な押しかけラブコメディ。
失恋中なのに隣の幼馴染が僕をかまってきてウザいんですけど?
さいとう みさき
青春
雄太(ゆうた)は勇気を振り絞ってその思いを彼女に告げる。
しかしあっさりと玉砕。
クールビューティーで知られる彼女は皆が憧れる存在だった。
しかしそんな雄太が落ち込んでいる所を、幼馴染たちが寄ってたかってからかってくる。
そんな幼馴染の三大女神と呼ばれる彼女たちに今日も翻弄される雄太だったのだが……
病み上がりなんで、こんなのです。
プロット無し、山なし、谷なし、落ちもなしです。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる