深淵のバラッド —あやかし捜査官 朝美楪の怪異事件ファイル—

藤香いつき

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File.01 闇色の秘密

なくしもの

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 あたえのそれは唐突だった。
 
「なぁ、あいつ遅くねぇ?」
 
 ふいに気づいたような問いは、菫連木すみれぎからの小言に辟易へきえきしてひらめいたものだった。珈琲を飲み干して空いた與の口が、自然と菫連木の気をらそうとしていた。
 投げられた問いを受けて、菫連木が苦笑いする。
 
緋乃縁ひのふちさんが遅いのは、毎度さんだろ?」
「そっちじゃねぇって。俺が言ってんのは女のほう。朝美あさみ ゆずりは。……あいつ、逃げたんじゃね~?」
「あのな、ただの市民が逃げるはずないだろう? 警察から逃げるのは、心にやましいことがある人間だけだ」

 與の視線は、菫連木を越えてドアに向いている。探るような與の目に、菫連木は笑いながら湯呑ゆのみを手で包んだ。
 
「女性ってのは、化粧直しやらなんやら、時間が掛かるものなんさ」
「………………」
 
 無言の與。菫連木が茶をすする。

「おっと? 今のはセクハラになるんかな……?」
 
 菫連木の独り言を無視して、與は腰を上げていた。
 ドアへと歩いていく與に、菫連木が多少の困惑を見せる。引き止めようとした菫連木は、りガラスのドアに映った人影に気づいた。
 
「あっ、ほらな? ちゃんと戻って……」
 
 すらりとした長い人影。菫連木が引っ掛かりを覚えたときには、スライドドアが開いて向こうの正体が判明していた。
 
「出迎えとは仰々しいのぅ?」
 
 時代がかった口調でうっすらとむ。背の高い影は期待した彼女ではなく、黒髪の青年だった。
 対面した與が小さく舌打ちして、その名を口にする。
 
「緋乃縁」

 妖艶な笑みを見せる青年——緋乃縁 椿つばきは、與の鋭い目を受けても鷹揚おうようとしていた。
 
「ほう、は何やら不機嫌じゃのぅ……寝不足かえ?」
「昨日の雑務を押し付けられて、寝る隙がなかったんだわ。うちの年寄りは役に立たねぇからな~?」
 
 二人の間でパチリと弾ける火花が見えた。菫連木が席を立って間に入る。
 
「おはよう、緋乃縁さん。早速で悪いんだけど、例の気になる子を見てもらえますか。今に戻ってくるから……」
 
 場を取り繕おうと明るく声を張る菫連木に、緋乃縁は目を移した。
 
「例の子?」
「電話で説明した子ですよ。適性があるならスカウトしたいと思ってまして、ここの捜査官に——」

 菫連木の発言に反応したのは、與だった。
 
「はあっ? 捜査官?」

 與の眉が上がる。菫連木はきょとりとした。
 
「なんで與さんが驚くんだ?」
「あの女、捜査官にするつもりで呼んだのか?」
「そりゃそうだろ? 他にどんな理由があるって言うんだい?」
「………………」
 
 黙りこくった與に、菫連木が首をひねる。(何も考えずに彼女を連れてきたんだろうか。やはり睡眠が足りていないんだろうか)などと案じている。
 與と菫連木の会話を興味なげに聞いていた緋乃縁が、「あぁ」思いついたように声をこぼした。
 
「その娘ならば、今しがた見かけたのぅ」
「ん? 緋乃縁さん、朝美さんと会ったんですか?」
「ひとつくくりにした、長い髪のお嬢さんじゃろう?」
「おぉ、そうそう、その子だ。與さんの眼にも気づいたんですよ。捜査官にどうだろ? 與さんのサポートに」
「なるほどのぅ……護りのカゲることじゃ、適性はあるやも知れん」
「まもりのカゲ……ってのは?」

 菫連木の復唱には応えず、緋乃縁は、ひやりと冷たい視線を與に流した。
 
「しかし、あの娘の帯同は、鬼まじりには苦行ではないかえ? 飢えればらいたくなる——じゃろう?」
 
 笑みはなかった。緋乃縁は能面のような顔で指摘しただけだった。
 しかし、挑発と捉えた與の目は鋭く光った。
 
「あぁ?」
「ちょっ、與さん落ち着……」

 焦った菫連木が與の肩を押さえようとした。その手を払い、與は浅く唇端をゆがめる。
 
「誰が誰を喰うって? ……あんたに言われたくねぇなあ? そのへんの女を見境なく食い散らかしてきた、あんたにだけは」

 声にはあざけりがにじんでいた。
 緋乃縁は幼子おさなごを見下ろすように、ゆうるりと笑い返した。
 
ほふった数で語るならば、おぬしには敵わんよ——」
 
 與が怒り狂うことを、菫連木は予想して、二人のあいだに割り込んでいた。
 ただ、その予想は大きく外れる。手を出すかと思えた與は動くことなく、怒りを抑え込むようすもなく——無の反応だった。静的な瞳はどこかうつろで、伏せるように長く、一度だけ閉じられて開かれた。
 神妙な沈黙が降りる。菫連木が何か言おうとしたが、緋乃縁が先に言葉を発した。会話の流れも空気も忘れたように、とぼけた声色で。
 
「はてさて、この鼎談ていだんに意味はあるのじゃろうか? くだんの娘は、エレベータに乗って逃げていったが?」
「……へ?」
 
 抜けた声の菫連木とは違い、與の理解は早かった。(ほら見ろ、逃げた)訴えの声は出さなかったが、
 
「なんで外部のヤツがエレベータを使えんだ? カードキーもねぇだろ……」
 
 話の途中で、與の推理力が流星のように冴え返る。推理力というよりは経験則か。
 
「緋乃縁、警察手帳は?」
「……はて、見当たらんのぅ?」
 
 與が捜査室を飛び出したのと、菫連木がこめかみを押さえてうなったのは、同時だった。
 
「緋乃縁さん……ストラップ、また千切ったの? 警察手帳はもう絶対に落とさないって、約束しましたよね?」
「ふむ。じゃからの、日頃から大切に内ポケットへと仕舞っておるよ」
「いやいや、ならどうして無いのよ」
「エレベータで使ったあと、仕舞う前にあの娘とぶつかって、転んでしまったからのぅ……」
「あなたが人とぶつかったくらいで転びますか」
 
 菫連木は、気の遠くなるような思いで立っていた。
 警察手帳の遺失はただでさえ大問題なのに……緋乃縁が手帳をなくすのは、これで二度目だった。
 
 
 
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