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File.01 闇色の秘密
壁に耳
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片城バラバラ殺人事件。
猟奇的なワードでメディアを沸かせたこの事件は、発覚と同時に犯人の死亡が確認されている。
犯人である男と連絡が取れなくなったことで身内が自宅を訪問し、室内で死亡する男を発見して警察に連絡した。
そこから警察の捜査が入り、切断された人体の一部が見つかる。防腐処理の施された手、脚、胴。全身分は見当たらなかったものの、DNA鑑定によって計四人の被害女性の存在が確認された。
鑑識と検死の結果から、四人の被害女性は男に殺されたとみて警察は捜査していた。
しかし、男もすでに死んでいる。厄介なことに、犯人の男は『四人の被害女性を殺害したバラバラ殺人事件』の被疑者であると同時に、『絞め殺された別の事件』の被害者でもあった。
後者の真犯人については、手掛かりひとつ見つかっていない。男の遺体には抵抗した跡もなく、自殺ではないかと思われたが、首に残る圧迫痕が加害者の存在を示した。
場にいた全員の死亡が確認されている。それならば、誰がどうやって最後の者を殺したのか。
ここまでの情報が、菫連木の勘とやらを刺激したために、與が派遣された。
「——ってワケなんだわ」
事件の概要を伝えた與は、ホテルの一室にいた。首絞め女がいると思しき部屋の隣室。
何故ここにいるのか、パートツー。意図せず駐車場に駐車したときとは違い、今回は與の意思で入室している。
與がホテルの中まで追いかけたものの、女はすでに同伴者とチェックイン済みでフロントを過ぎたあとだった。警察手帳を振りかざして押し入ることもできるが、人違いだったらどうなるか。
面倒事を回避すべく、與は楪を納得させることだけに重きを置いて作戦を立てた。
「……お前さ、聞いてる?」
テーブルの上でアタッシュケースを開けていた與は、細い目で振り返った。
楪は入室してから、ずっと室内をちょろちょろと探り回っていた。
「え……あ、はい。なんですか?」
「なんですかじゃねぇよ。お前、さっきから何やってんだ?」
「えっ」
楪の肩が不自然に跳ねる。挙動不審に揺れる瞳を天井に向け、楪は口ごもった。
「こういった所は初めてなので……見たことのない物もいっぱいありまして……将来のためにも知識として……?」
「あ? 何が初めてって?」
ごにょごにょと話す言葉は要領を得ない。耳を傾けるように身を屈めた與に、楪は「なんでもないです!」と大きく首を振って一歩下がった。
「私のことはいいじゃないですか。捜査官さんが邪魔するなって言うから、私は私で静かに調査してただけです」
楪は赤い頬を隠すように両手を当てる。與の不審げな目を突っぱねて、離れた一歩を戻った。
「捜査官さんこそ、何してるんです?」
與の長駆をよけて、楪が覗きこむ。アタッシュケースから取り出されたのは、手に収まる菓子箱サイズの機器とイヤフォンなど。
首をかしげる楪の横で、與はコンパクトな機器を手に、隣室に面する壁へと寄った。機器には二本のコードが繋がっている。片方はイヤフォンで、もう片方は聴診器のような丸っこい物体。聴診器で体内の音を聴くように、與は丸い方を壁に当てた。
楪がハッとする。
「それで隣の音が聴こえるんですか? もしかして、警察の秘密道具……!」
「コンクリートマイク。普通に売ってる」
「こんくりーとまいく?」
楪が抱いた謎の期待を、與は素早く砕いた。耳につけたイヤフォンに集中し、機器のダイヤルをいじって調整する。
「お前、さっき犯人の声が変だって言っただろ。隣のヤツの声を聞いて、判断できねぇ?」
「何を判断するんです?」
「深淵で視た女かどうか」
「判断も何も……さっき見かけましたよ?」
「そんなの遠目に見ただけだろ~。見間違いかもしんねぇじゃん」
「でも……」
「確証あんの? 絶対って言いきれるかぁ?」
「そこまでは……」
言い淀んだ楪に、與は唇をかすかに曲げた。想定どおりに話が進みそうだった。
與に対人間の仕事をやる気はない。逮捕に至った理由を『視たから』で説明できない以上、捕らえても法で裁けない。
百歩譲って真犯人であったとして、証拠を見つけるため、新たに『深淵を覗く』余計な手間が増える。そんな雑務をするために捜査官をしているわけじゃない。そもそも與の仮定を前提にするなら、意識を取り戻して逃げ出したはずの女が、こんなところにいるはずもなく。
與は、楪にイヤフォンの片方を差し出した。
「声で判断して『間違いない』って言うなら、隣の部屋に確認しに行ってやる。確証が得られなければ解散」
「………………」
楪の唇がキュッと山なりに結ばれた。了承の表情には見えない。
「文句あんの? 勘違いだったら、俺が迷惑を被るんだけど?」
「……わかりました」
渋面で頷くと、楪はイヤフォンを受け取った。
反対側を與がつけているのもあって、近い距離で並ぶ必要がある。二人で左右のイヤフォンを耳に、壁のそばで寄り添った。
(ふざけた状況だなぁ~?)
心中の声は出さずに、與は薄くため息を流した。
ホテルの一室で、男女が肩を寄せて隣室の音に耳を傾けている。ともすれば、隣のペアが愛を育む音声を共に聴くことになる。それはどうなのか。
與が察したときには遅く、イヤフォンからは隣室の声が届いてきていた。
《あ、ああっ……》
低めの声。男だろう。一番聞きたくない音声だった。與は眉をひそめ、こめかみに指先を当てる。肝心の女の声はない。長期戦になるのでは。
頭に響く雑音から気を逸らそうと、傍らの楪に目を落とした。楪は生真面目な顔で傾聴している。そんな顔で聴く音声ではないと思う。
いくら殺人犯を捕まえるためとしても、出会ったばかりの男と二人きりでホテルに入る神経を疑う。やはり少し抜けたところのある女だと與は思う。
——飢えれば喰らいたくなるじゃろう?
與は緋乃縁の言葉を思い出し、楪の外見を上から下まで改めた。
昨夜は髪をおろしていた。今は高い位置でかっちりと束ねられている。
染髪の名残がない黒髪。モノトーンに近い、黒が多くを占める地味な服装。
ありえない。
この距離でいても全く何も思わない。色気というものが微塵もない。食指が動かないとは、まさにこれ……
などと與が考えていたところ、楪が顔を上げた。
バチっとぶつかった視線。まっすぐな瞳が與の不純な思考を貫いたような錯覚から、與は小さくたじろいだ。
しかし、楪は気づくことなく真剣な顔で口を開いていた。
「あの、捜査官さん」
「ハイ」
生真面目な空気に釣られた與の返事には、一瞬だけ楪も訝しげな眉を作った。だが、そんなことはどうでもいいらしく、気が急くようすで壁向こうを目で示した。
「男の人の変な声がするんですが」
「あぁ、ま~……そういう場所だから?」
與の答えは聞いていない。楪は深刻な顔で耳を澄ませている。
「なんだか怯えてませんか? バタバタと動き回ってる音も……」
音声を脳から遮断していた與は、瞬時に意識をイヤフォンへと戻した。楪の指摘を踏まえて聞けば、男の声は恐怖におののく響きにも捉えられた。物音も大きく混ざる。ベッドの上で鳴る音ではない。室内を逃げ回るかのような——。
楪の顔が、すっと青ざめた。
「まさか、また殺そうと……?」
——何故、その可能性を考慮しなかったのか。
楪の震える呟きに重なって、與は壁から弾けるように離れていた。
「捜査官さんっ?」
驚く楪を顧みることなく、與は廊下に飛び出していた。與が目を向けると、隣室のドアも同じくして開いたようで、半裸の男が服と荷物を抱えて転がり出てきた。
「あぁっ、うぁぁぁ」
半裸の男は言葉にならない声で與の方へと逃げてくる。尋ねることも案じることもなく、與は男の横をすり抜けて隣室へと移った。
人か、人非ざるモノか。
答えが待っていた。
猟奇的なワードでメディアを沸かせたこの事件は、発覚と同時に犯人の死亡が確認されている。
犯人である男と連絡が取れなくなったことで身内が自宅を訪問し、室内で死亡する男を発見して警察に連絡した。
そこから警察の捜査が入り、切断された人体の一部が見つかる。防腐処理の施された手、脚、胴。全身分は見当たらなかったものの、DNA鑑定によって計四人の被害女性の存在が確認された。
鑑識と検死の結果から、四人の被害女性は男に殺されたとみて警察は捜査していた。
しかし、男もすでに死んでいる。厄介なことに、犯人の男は『四人の被害女性を殺害したバラバラ殺人事件』の被疑者であると同時に、『絞め殺された別の事件』の被害者でもあった。
後者の真犯人については、手掛かりひとつ見つかっていない。男の遺体には抵抗した跡もなく、自殺ではないかと思われたが、首に残る圧迫痕が加害者の存在を示した。
場にいた全員の死亡が確認されている。それならば、誰がどうやって最後の者を殺したのか。
ここまでの情報が、菫連木の勘とやらを刺激したために、與が派遣された。
「——ってワケなんだわ」
事件の概要を伝えた與は、ホテルの一室にいた。首絞め女がいると思しき部屋の隣室。
何故ここにいるのか、パートツー。意図せず駐車場に駐車したときとは違い、今回は與の意思で入室している。
與がホテルの中まで追いかけたものの、女はすでに同伴者とチェックイン済みでフロントを過ぎたあとだった。警察手帳を振りかざして押し入ることもできるが、人違いだったらどうなるか。
面倒事を回避すべく、與は楪を納得させることだけに重きを置いて作戦を立てた。
「……お前さ、聞いてる?」
テーブルの上でアタッシュケースを開けていた與は、細い目で振り返った。
楪は入室してから、ずっと室内をちょろちょろと探り回っていた。
「え……あ、はい。なんですか?」
「なんですかじゃねぇよ。お前、さっきから何やってんだ?」
「えっ」
楪の肩が不自然に跳ねる。挙動不審に揺れる瞳を天井に向け、楪は口ごもった。
「こういった所は初めてなので……見たことのない物もいっぱいありまして……将来のためにも知識として……?」
「あ? 何が初めてって?」
ごにょごにょと話す言葉は要領を得ない。耳を傾けるように身を屈めた與に、楪は「なんでもないです!」と大きく首を振って一歩下がった。
「私のことはいいじゃないですか。捜査官さんが邪魔するなって言うから、私は私で静かに調査してただけです」
楪は赤い頬を隠すように両手を当てる。與の不審げな目を突っぱねて、離れた一歩を戻った。
「捜査官さんこそ、何してるんです?」
與の長駆をよけて、楪が覗きこむ。アタッシュケースから取り出されたのは、手に収まる菓子箱サイズの機器とイヤフォンなど。
首をかしげる楪の横で、與はコンパクトな機器を手に、隣室に面する壁へと寄った。機器には二本のコードが繋がっている。片方はイヤフォンで、もう片方は聴診器のような丸っこい物体。聴診器で体内の音を聴くように、與は丸い方を壁に当てた。
楪がハッとする。
「それで隣の音が聴こえるんですか? もしかして、警察の秘密道具……!」
「コンクリートマイク。普通に売ってる」
「こんくりーとまいく?」
楪が抱いた謎の期待を、與は素早く砕いた。耳につけたイヤフォンに集中し、機器のダイヤルをいじって調整する。
「お前、さっき犯人の声が変だって言っただろ。隣のヤツの声を聞いて、判断できねぇ?」
「何を判断するんです?」
「深淵で視た女かどうか」
「判断も何も……さっき見かけましたよ?」
「そんなの遠目に見ただけだろ~。見間違いかもしんねぇじゃん」
「でも……」
「確証あんの? 絶対って言いきれるかぁ?」
「そこまでは……」
言い淀んだ楪に、與は唇をかすかに曲げた。想定どおりに話が進みそうだった。
與に対人間の仕事をやる気はない。逮捕に至った理由を『視たから』で説明できない以上、捕らえても法で裁けない。
百歩譲って真犯人であったとして、証拠を見つけるため、新たに『深淵を覗く』余計な手間が増える。そんな雑務をするために捜査官をしているわけじゃない。そもそも與の仮定を前提にするなら、意識を取り戻して逃げ出したはずの女が、こんなところにいるはずもなく。
與は、楪にイヤフォンの片方を差し出した。
「声で判断して『間違いない』って言うなら、隣の部屋に確認しに行ってやる。確証が得られなければ解散」
「………………」
楪の唇がキュッと山なりに結ばれた。了承の表情には見えない。
「文句あんの? 勘違いだったら、俺が迷惑を被るんだけど?」
「……わかりました」
渋面で頷くと、楪はイヤフォンを受け取った。
反対側を與がつけているのもあって、近い距離で並ぶ必要がある。二人で左右のイヤフォンを耳に、壁のそばで寄り添った。
(ふざけた状況だなぁ~?)
心中の声は出さずに、與は薄くため息を流した。
ホテルの一室で、男女が肩を寄せて隣室の音に耳を傾けている。ともすれば、隣のペアが愛を育む音声を共に聴くことになる。それはどうなのか。
與が察したときには遅く、イヤフォンからは隣室の声が届いてきていた。
《あ、ああっ……》
低めの声。男だろう。一番聞きたくない音声だった。與は眉をひそめ、こめかみに指先を当てる。肝心の女の声はない。長期戦になるのでは。
頭に響く雑音から気を逸らそうと、傍らの楪に目を落とした。楪は生真面目な顔で傾聴している。そんな顔で聴く音声ではないと思う。
いくら殺人犯を捕まえるためとしても、出会ったばかりの男と二人きりでホテルに入る神経を疑う。やはり少し抜けたところのある女だと與は思う。
——飢えれば喰らいたくなるじゃろう?
與は緋乃縁の言葉を思い出し、楪の外見を上から下まで改めた。
昨夜は髪をおろしていた。今は高い位置でかっちりと束ねられている。
染髪の名残がない黒髪。モノトーンに近い、黒が多くを占める地味な服装。
ありえない。
この距離でいても全く何も思わない。色気というものが微塵もない。食指が動かないとは、まさにこれ……
などと與が考えていたところ、楪が顔を上げた。
バチっとぶつかった視線。まっすぐな瞳が與の不純な思考を貫いたような錯覚から、與は小さくたじろいだ。
しかし、楪は気づくことなく真剣な顔で口を開いていた。
「あの、捜査官さん」
「ハイ」
生真面目な空気に釣られた與の返事には、一瞬だけ楪も訝しげな眉を作った。だが、そんなことはどうでもいいらしく、気が急くようすで壁向こうを目で示した。
「男の人の変な声がするんですが」
「あぁ、ま~……そういう場所だから?」
與の答えは聞いていない。楪は深刻な顔で耳を澄ませている。
「なんだか怯えてませんか? バタバタと動き回ってる音も……」
音声を脳から遮断していた與は、瞬時に意識をイヤフォンへと戻した。楪の指摘を踏まえて聞けば、男の声は恐怖におののく響きにも捉えられた。物音も大きく混ざる。ベッドの上で鳴る音ではない。室内を逃げ回るかのような——。
楪の顔が、すっと青ざめた。
「まさか、また殺そうと……?」
——何故、その可能性を考慮しなかったのか。
楪の震える呟きに重なって、與は壁から弾けるように離れていた。
「捜査官さんっ?」
驚く楪を顧みることなく、與は廊下に飛び出していた。與が目を向けると、隣室のドアも同じくして開いたようで、半裸の男が服と荷物を抱えて転がり出てきた。
「あぁっ、うぁぁぁ」
半裸の男は言葉にならない声で與の方へと逃げてくる。尋ねることも案じることもなく、與は男の横をすり抜けて隣室へと移った。
人か、人非ざるモノか。
答えが待っていた。
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