深淵のバラッド —あやかし捜査官 朝美楪の怪異事件ファイル—

藤香いつき

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File.01 闇色の秘密

ひとあらざる

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 女がいた。
 光度を落とした暗めの部屋。中央で佇む女は茫然ぼうぜんとしていて、反応を見せることなく静止していた。あたえから見えたのは横顔だった。うつむく角度のため、長い髪に表情が半分ほど隠されていた。
 
(人間じゃん……)
 
 うんざりと息をつく。與のをもって注視したが、やはり女は人間であると見える。他人に取りいたカゲが見せる、揺らぎやブレがない。取り憑きの場合、別人だったり獣だったりと二重のカゲが揺らぐものだ。
 とはいえ、女には首絞めの容疑が掛かっている。與も記憶にある女だと認めた。こんなところにいる理由は知らない。殺人を犯したのなら、普通は恐慌をきたすものだが……殺害の興奮冷めやらぬままに男との逢瀬を望んだのなら、狂ったサイコキラーではないかと邪推していた。
 
「あ~、お邪魔してすみませんねぇ? 乱闘の音が聞こえたもんで。軽く話を聞かせてもらっても?」
 
 面倒くせぇなと思いつつも、與は警察手帳を取り出して身分を表明し、室内へと足を入れた。
 女は薄い下着のようなワンピースで、武器を所持しているようすはない。與の入室に構うことなく、女は少しうつむいた顔のまま、ただ自身のてのひらを不思議そうに眺めていた。
 
(抵抗なしか。公妨で逮捕も無理。どうすっかな……)
 
 與は指先で耳後ろをき、くしゃくしゃと髪を乱しながら距離を詰めていく。策は浮かんでいない。逃げ出した男とのトラブルを理由に警察へと引っぱれるか。
 思考の隙間で、與は女が眺める掌を目に入れた。ゆずりはの言うように、男に危害を加えようとして抵抗され、怪我けがでもしたのだろうか。明らかな跡があればトラブルの証拠になる。
 
 與の目論見もくろみは外れた。女の掌に怪我はなかった。弱々しい照明を拾って浮かびあがる掌は、白々として傷ひとつない。
 ただ、光を受けた皮膚はどこか妙な艶を帯びていた。生身の肌なら、もっと湿った温かみのある質感になるはずだ。なのにそれは、乾いた革細工めいて照明を弾いている。與の眉間にわずかな皺が寄った。
 
「……?」
 
 ふと、奇妙な感覚があった。與が見下ろした掌に怪我はなかったが、何かがおかしい。間違い探しのようなちぐはぐ感。これは、何か。
 女の顔を見る。女の目は、あどけなく手を眺めている。そのまま、瞬きひとつなく、瞳孔も固定されたまま。生きた眼にあるはずの細かな揺らぎがない。不自然なほど静止した瞳だった。
 視線を辿って再度見れば、女の指はぴくぴくと痙攣けいれんを繰り返していた。まるで、腕に力を入れてみるが上手に動かせないかのような、不自然な動きをしていて……
 気づく。女の手首が、あらぬ方向にねじ曲がっている。本来の腕の向きから一周したかのように、ねじ上げられた皮膚が手首にしわを作っていた。
 ——折れている。
 與が認識した、その一刹那に、
 
「捜査官さん?」
 
 廊下から、楪が顔を出していた。
 すっかりと存在を忘れていた楪の登場に、與の意識が背後へと向く。顔も振り返っていた。
 
「お前はあっち行ってろよ」

 ぞんざいな與の口ぶりに、室内へと足を踏み入れた楪は、眉を少しばかりり上げたが、
 
「捜査官さん、下っ!」
 
 大きく開かれた瞳で、悲鳴のような警告を発した。楪の叫び声が、脳をたたく警鐘に変わる。與は視線を床へ落とした。
 何かがうごめいた——と、理解するより先に、與は床から飛び退いていた。一歩、逃れようとした與の足へ伸びた灰白色かいはくしょくカゲが、生き物のように絡みついた。
 足をすくわれ、バランスを奪われた與の身体が宙に浮く。一瞬の無重力の感覚。すぐさま背中を打つ衝撃が全身を駆け抜けた。
 息が詰まる衝撃に耐えて見上げた與の目前には、女の顔があった。白く浮きあがる肌に、裂けるような唇で笑う顔——いや、実際に唇は端が薄く裂けた。
 與の腹にまたがった女は、両手で体重を掛けるように與の首を絞めつける。ねじ曲がった手と、正常な手。與の耳許みみもとで、両の手がゴキゴキッと嫌な音を立てる。
 
 女の背後に広がる世界は、血の膜を張ったように赤く、。まるで現実という皮膚がめくれあがり、肉の内側を晒したかのようだ。
 
 女自身の腕さえも耐えきれないほどの異常な力が掛かる。
 床に叩きつけられたときの音が耳に残るなか、與は自分の首が折れる重い音を聞いた。
 
 
 
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