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Bal masqué

Chap.4 Sec.2

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 美食会と呼ばれた社交の夜、帰ってすぐに、ルネは屋敷の主人あるじもとへと向かっていた。時刻は遅いが、貴族の生活において深夜は活動時間である。
 とはいえ、奥方の病態が悪くなる一方である現在、屋敷は早めに眠りにつく日々が続いている。実際に眠るのは奥方だけで、主人も使用人も粛々と動いてはいるが、屋敷の明かりは暗く落とされている。


「何事もなく済んで……何よりだ」

 ルネの報告を受けた主人は、ほっと息をついた。最初にタレラン氏の不在を聞いたときから、表情はやわらかであった。直前で「やはり欠席させるべきだ」と言い出した父であったので、万事うまくいったことに、心から安心したことだろう。ちなみに、出席を主張したのは娘である彼女だった。断るべき相手ではないことを、彼女も理解している。

 無事に終わった。表向きは、そうなのだろう。
 ——ただ、ルネには気掛かりなことがあった。小犬のたわむれなどではなく(そんなものは、おおむねどうでもよく)、彼女の小さな主張でもなく、夫人から託されていた物が、常に意識にあった。

「こちらを……直接お渡しするよう、タレラン夫人からお言葉を頂きました」
「うむ……?」

 書斎のテーブルに向かって腰掛ける主人は、ルネが差し出した手紙を受け取った。封蝋ふうろうの施されたそれをペーパーナイフで切り開ける。本来は主人がすることではない。家令かれいであるゲランが主に取り扱っていて、最近ではルネも管理に携わっているため、開封の許可を得ている。だが、この手紙をと命じられた以上、主人への確認なく開封することはできない。封蝋を溶かして開けてみるには、時間がなかった。

 文字をなぞる主人の眉間に、ゆっくりとしわが刻まれる。あごひげを整えるようにでる姿を、ルネは無言で見ていた。ひげに触れる動作は、彼が困ったときにする癖だった。
 読み終わった主人は、ルネへと尋ねた。

「……あの子は、よほど素晴らしい振るまいをしたのだろうか?」
「料理をすべて召し上がられ、タレラン夫人がたいへん喜ばれておりました」
「なるほど……ご子息とも仲睦なかむつまじいようすだったらしく……ぜひ婚姻の話を進めたいと……」

 主人の困惑は、ルネにも理解できた。いくらなんでも展開が早すぎる。タレラン家ほどの令息なら、相手はいくらでもいるだろうに、何故こうも彼女に固執するのか。まるでこの機会をのがせば、一生において世継ぎが得られないかのような。

「……困ったね」

 ぽそりとこぼす主人は、傍らに置かれていたホットワインヴァン・ショーを手に取り、口をつけた。シナモン、ジンジャー、クローブ。甘くスパイシーな三種のアロマが飽和し、辺りにただよっている。蜂蜜の入ったそれは嗜好品しこうひんというよりも、主人の健康を配慮して、ゲランが使用人に用意させたものだろう。
 ひとくち飲んで、カップを戻す。悩める主人の顔に、ルネは以前から疑問を抱えていた。この婚姻話は、親からすれば喜ばしいもののはずであるが、どうしてか主人の表情はれない。娘を手放したくない過保護な親心にしては……。

「……ルネ君」
「はい」
「婚姻について、どう思うか……娘には、それとなくいてくれたのだろうか?」
「はい、先日お嬢様にお尋ねしたときには、彼との婚姻は望まれないとおっしゃっておりました」
「うむ、そうだろうね。となると、こちらから断りを入れねばならないか……。妻のこともあって、事業には今しばらく波風を立たせたくないのだが……まぁ、致し方ない」
「………………」
「本人に何も言わぬわけにもいかないから、私も娘に話すつもりだが……そこに、君も立ち会ってくれるかね?」

 ——何故?
 その理由を、ルネは訊ける立場ではない。

「もちろんでございます」
「うむ」

 顎ひげを撫で続ける主人のそばに控えながら、ルネは馬車での彼女との応酬おうしゅうかえりみていた。

——タレラン様が、あなたの言うように、ほんとうにわたしを想ってくれているなら。それが一瞬の愛であっても、そちらのほうを、わたしは望むわ。

 あの発言は、いただけない。
 タレラン家との婚姻は、ルネにとって面倒な事態となる。婚姻の果てに世継ぎを作られ、最悪の場合を根こそぎ奪われるかたちになっては……元も子もない。
 ——早く、すべてをそろえなくては。

 やるべきことを脳内で整理しながら、彼女のことを考える。以前は婚姻を拒絶していたが、先ほどの会話が引っ掛かる。

(懸念材料は、潰しておくか……)

——だから、ルネも、わたしに冷たいの。

 かごの中のちょうは、愛を欲しているらしい。
 惜しみなく与えてやれば、大人しくするだろう——。
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