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オペラ座の幻影
Chap.5 Sec.3
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ラウルの歌声は素晴らしかった。反響のないリビングでも美しい声の広がりをみせた。
ただ、ぼんやりとしているうちに終わってしまって、詳細を語れるほど頭に入ってこなかった。
父はすでに屋敷に帰っている。離れたところにいたルネが、何か思い立ったようにこちらの長ソファへと近寄った。
「お嬢様、御髪が乱れております」
長い指先が、首筋に落ちた髪を掬いあげる。くすぐったさに身を震わせると、ルネが小さく笑った気がした。
素早く直していく指先はとても器用だ。細く長いルネの指は、昔からなんだって要領よくこなしていく。
わたしに触れるときだって、
「——ルネ?」
余計な思考に、低く澄んだ声が割りいった。呼び声に顔を上げると、フィリップと話していたはずのラウルがこちらを見て驚きの表情を浮かべていた。てっきりわたしを見たのかと思ったが、その目はわたしではなく背後へと、
「ルネ、ですよね? なんという偶然でしょう」
弾けるように顔をほころばせて、ラウルはルネに足を寄せた。知り合いだろうかとルネを振りあおぐが、彼は身に覚えのない顔をしている。
「ああ、覚えていませんか? そうですよね、私もあれから成長しましたから……ラウルよりも、ルーのほうが思い出しやすいでしょうか?」
「……まさか、あの泣いてばかりの」
「——ええ、泣き虫ルーですね」
にこりと穏やかに笑うラウルに、ルネが珍しく呆気に取られたような表情をした。
顔見知りらしい二人の会話に、フィリップが眉を上げて、
「どういう関係だ?」
「フィリップ様、私とルネ——彼は、同じ施設の出身でございます」
「〈黄金のろば〉の?」
「ええ」
黄金のろば。久しぶりに聞いた。ルネが14歳までいたという寄宿学校だ。
口にしたフィリップは怪訝な顔をしてルネに尋ねた。
「あんた、あそこ出身なのか?」
「はい、さようでございます」
「……なんでだ?」
「……ご質問の意図が分かりかねますが……?」
「——いや、いい。取り消す」
手を払ったフィリップはルネから目を外し、わたしに一瞥を流した。
「……あんた、女だよな?」
「その問いはとっても失礼なのだけれど?」
「……だよな」
よく分からない呟きをして、考えるように首をかしげている。わたしをまじまじと見つめる目は、(女だよな?)疑いをわずかに含んでいて不快なのだが、怒る気力がない。沢山のひとと交流したのもあって疲れていた。ここ数日、夜もうまく眠れていない。
フィリップの疑念の横で、ルネとラウルが控えめな声量で話している。
「君がオペラ歌手とは信じられないが……素晴らしいことだな、おめでとう」
「ありがとうございます」
「マキァヴェリ家の養子に?」
「ええ、主人であったタレラン様の口添えで……」
「そうか、君はこちらにお世話になっていたのか」
「ルネもあちらにお仕えだったのですね?」
「ああ」
「可愛らしいお嬢さんですね?」
「いや、なかなか頑固で厄介だ」
「おや」
……聞こえてる。全部もれなく聞こえてる。下からじとりとした目を送るが、ルネはすんと澄ました横顔で受け流す。
ため息をついてテーブルの上にあった紅茶に手を伸ばした。わたしひとりが座っていたのだが、フィリップも隣に腰を下ろし、近い距離で囁くように、
「あんたの使用人、ひょっとして女なのか?」
「……はい?」
「どう見ても男だけど……そう見せてるだけで、変装を解くと普通の女なのか?」
「……ごめんなさい、ちょっと何言ってるか分からない」
シンプルに謝罪すると、フィリップの目が(なんでだよ、分かれよ)と言いたげに力を込めてきたが、さっぱり分からない。とりあえず手にしていた紅茶を口に含んだ。
「使用人は〈黄金のろば〉出身なんだろ?」
「……そうらしいわね」
「本来はあんたに近い存在を貰うべきだろ? なんで男なんか取ってんだ?」
「……ごめんなさい、本当に何を言ってるのか分からないのだけど……?」
「……あんた、〈黄金のろば〉がなんの施設か知らないな?」
「使用人のための寄宿学校と聞いたわ」
「それは表向きだ。内実を知らないのか」
「知らないわ……有名なの?」
「……いや、有名じゃないか。むしろ秘匿されてる。俺も詳しくは知らないし、推測でしかないけど……」
こそこそとした会話に、フィリップの距離が近まる。耳に掛かる吐息がこそばゆいなと思っていたせいか、話の重みに気づかなかった。
——貴族が、自分たちの子の身代わりになれる子供を作ってる場所じゃないのか。
ただ、ぼんやりとしているうちに終わってしまって、詳細を語れるほど頭に入ってこなかった。
父はすでに屋敷に帰っている。離れたところにいたルネが、何か思い立ったようにこちらの長ソファへと近寄った。
「お嬢様、御髪が乱れております」
長い指先が、首筋に落ちた髪を掬いあげる。くすぐったさに身を震わせると、ルネが小さく笑った気がした。
素早く直していく指先はとても器用だ。細く長いルネの指は、昔からなんだって要領よくこなしていく。
わたしに触れるときだって、
「——ルネ?」
余計な思考に、低く澄んだ声が割りいった。呼び声に顔を上げると、フィリップと話していたはずのラウルがこちらを見て驚きの表情を浮かべていた。てっきりわたしを見たのかと思ったが、その目はわたしではなく背後へと、
「ルネ、ですよね? なんという偶然でしょう」
弾けるように顔をほころばせて、ラウルはルネに足を寄せた。知り合いだろうかとルネを振りあおぐが、彼は身に覚えのない顔をしている。
「ああ、覚えていませんか? そうですよね、私もあれから成長しましたから……ラウルよりも、ルーのほうが思い出しやすいでしょうか?」
「……まさか、あの泣いてばかりの」
「——ええ、泣き虫ルーですね」
にこりと穏やかに笑うラウルに、ルネが珍しく呆気に取られたような表情をした。
顔見知りらしい二人の会話に、フィリップが眉を上げて、
「どういう関係だ?」
「フィリップ様、私とルネ——彼は、同じ施設の出身でございます」
「〈黄金のろば〉の?」
「ええ」
黄金のろば。久しぶりに聞いた。ルネが14歳までいたという寄宿学校だ。
口にしたフィリップは怪訝な顔をしてルネに尋ねた。
「あんた、あそこ出身なのか?」
「はい、さようでございます」
「……なんでだ?」
「……ご質問の意図が分かりかねますが……?」
「——いや、いい。取り消す」
手を払ったフィリップはルネから目を外し、わたしに一瞥を流した。
「……あんた、女だよな?」
「その問いはとっても失礼なのだけれど?」
「……だよな」
よく分からない呟きをして、考えるように首をかしげている。わたしをまじまじと見つめる目は、(女だよな?)疑いをわずかに含んでいて不快なのだが、怒る気力がない。沢山のひとと交流したのもあって疲れていた。ここ数日、夜もうまく眠れていない。
フィリップの疑念の横で、ルネとラウルが控えめな声量で話している。
「君がオペラ歌手とは信じられないが……素晴らしいことだな、おめでとう」
「ありがとうございます」
「マキァヴェリ家の養子に?」
「ええ、主人であったタレラン様の口添えで……」
「そうか、君はこちらにお世話になっていたのか」
「ルネもあちらにお仕えだったのですね?」
「ああ」
「可愛らしいお嬢さんですね?」
「いや、なかなか頑固で厄介だ」
「おや」
……聞こえてる。全部もれなく聞こえてる。下からじとりとした目を送るが、ルネはすんと澄ました横顔で受け流す。
ため息をついてテーブルの上にあった紅茶に手を伸ばした。わたしひとりが座っていたのだが、フィリップも隣に腰を下ろし、近い距離で囁くように、
「あんたの使用人、ひょっとして女なのか?」
「……はい?」
「どう見ても男だけど……そう見せてるだけで、変装を解くと普通の女なのか?」
「……ごめんなさい、ちょっと何言ってるか分からない」
シンプルに謝罪すると、フィリップの目が(なんでだよ、分かれよ)と言いたげに力を込めてきたが、さっぱり分からない。とりあえず手にしていた紅茶を口に含んだ。
「使用人は〈黄金のろば〉出身なんだろ?」
「……そうらしいわね」
「本来はあんたに近い存在を貰うべきだろ? なんで男なんか取ってんだ?」
「……ごめんなさい、本当に何を言ってるのか分からないのだけど……?」
「……あんた、〈黄金のろば〉がなんの施設か知らないな?」
「使用人のための寄宿学校と聞いたわ」
「それは表向きだ。内実を知らないのか」
「知らないわ……有名なの?」
「……いや、有名じゃないか。むしろ秘匿されてる。俺も詳しくは知らないし、推測でしかないけど……」
こそこそとした会話に、フィリップの距離が近まる。耳に掛かる吐息がこそばゆいなと思っていたせいか、話の重みに気づかなかった。
——貴族が、自分たちの子の身代わりになれる子供を作ってる場所じゃないのか。
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