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第一章
再会
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羽田空港から台北松山空港まではおよそ四時間弱。朝のフライトに乗ればお昼前には着ける。
検疫、入国審査を終え、一階で手荷物を受け取り、税関を通った後、海帆は到着ロビーへと向かった。
大きいスーツケースなどは出国前に台北の寮に送ってあるので、小さなキャリーケースとキャリーオンできるビジネスリュックだけという軽装だ。
まずは税関カウンター側の銀行で両替をして、ロビーへと向かう。
SIMカードも購入したいけど、できれば自販機じゃなくて通信サービスカウンターで購入手続きをしたい、混んでなきゃいいけど。それが終わったら地下鉄を使って台北市内へ移動して、グロンブル台湾に行こうか。出勤は明日だけどとりあえず挨拶だけでもしておきたいし。
入国してからの行動をあれこれ考え、海帆はキャリーケースをコロコロと転がす。職場のホテルに行くかどうかは台湾に着くまで迷ったが、一応旅行用ではなくビジネスライクな服装で来たので、やはりこのままホテルへ行くことにした。
そして寮に着いてからメグさんに連絡を取ろう。
母、美帆子を介してやり取りするのもいい加減面倒くさいので、メグさんとはお互いのメールアドレスを交換している。
空港まで迎えに行くと言ってくれたのを丁寧に断り、海帆は着いたら連絡しますと出国前に知らせた。
明日からの鬼のような引き継ぎ業務を考えると、本当は今日会いに行った方がいいとは思うが、新しい職場に対する興味の方が上回ってるので、休みの日に改めて伺わせてもらおうかと連絡するつもりだ。
ロビーへの出口を抜けると、柵の向こうに到着待ちの人だかりが現れ、何気なくそこに視線を向けた海帆はぎょっとして一瞬足を止めた。
人だかりの最前列に、やたら背の高い男が立っていたのだ。
男は黒い帽子を被り、サングラスに黒いマスクをつけ、これまた服も全身黒でキメていた。
なんだろう、芸能人かな。お忍びにしては目立ち過ぎだけど。
職業柄、身バレしたくない有名人との距離のとり方は身に染み付いてるので、海帆はすっと目線を流して男の存在を視界から追い出し、意識を通信サービスカウンターへと向けた。
「え、ちょっと……」
まずはSIMカード。ああ、やっぱりカウンター混んでるなぁ。
「おい、待て」
でも一回は説明を聞きたい、やっぱり。並ぶ? でも全然動いてないし。
「待てったら、おい……」
一人終わったな。並ぼうか。にしても後ろうるさい。
「おい、橘海帆……ッ」
あれ今の名前……聞き覚えが…………私の名前?
「アリエル!」
その名前を聞いた途端、海帆の脳裏に昔の記憶がありありと甦った。
人魚姫をモチーフにした海外の有名なアニメーション映画。緑色の尾を持つ赤毛の人魚姫と友達の黄色い鯛。蟹のセバスチャン。南国特有の軽快でリズミカルな音楽と歌。大好きで大好きで何度も飽きずに観ていて、いつも付き合わせていた男の子に呆れがちに言われたのだ。「これからは君の事をアリエルって呼ぶよ」と。
勢いよく振り返ったら、追いかけてきた人物とぶつかりそうになった。
到着待ちの最前列で仁王立ちしていた、あの黒ずくめの男だった。
「世海くん⁉」
名前を呼ぶと男は怯んだように顎を引いて、ゆっくりとサングラスとマスクを外した。現れたのは、信じられないほど綺麗で整った顔だった。母美帆子の携帯で見た宣材写真よりも、こちらの方が記憶にある男の子の面影に近い。
海帆の顔に自然と笑みがこぼれた。
「うわあ、世海くんだ、久しぶり! 元気にしてた?」
「……………………」
世海は答えない。というより動かない。サングラスとマスクを外しかけた手もそのままに、完全にフリーズしていた。
じいぃっと海帆を見つめたまま動かない世海に、さすがに心配になって海帆は首をかしげる。
「……世海くんだよね? あれ、人違い? あ、それとも私の言葉聞き取りにくい? 英語の方がいいかな」
改めて英語で名乗り、会えて嬉しい旨伝えると、ようやく世海が小声で返事をした。
「…………英語でなくていい。久しぶりだな、元気だったか」
答えてくれたのが嬉しくて、海帆は笑顔で頷いた。
「元気だよ~ 家族もみんな元気。そっちは? 元気だった? メグさんから聞いたよ、俳優やってるんだって? びっくりした!」
「うん、まあ」
もごもごと小声で返事する世海を見て、あいかわらず人見知りだなーと海帆は懐かしくなった。
台湾の子供たちは人懐っこい子が多かったけど、世海は引っ込み思案な性格で、いつも母親か海帆にくっつき、人前に出たりするのが苦手な子供だった。それが俳優というきらびやかな世界で自分を表現する職業についているのだから、人間というのは分からないものだ。
まあ、今は海帆に対しても人見知りを発揮している訳だが。
思わず苦笑をすると、「なに?」と世海に聞かれた。
「ううん、変わってないなと思って。メグさんから送られた写真を見た時、あんまり綺麗だったから正直ほんとうに世海くんか分かんなかったんだけど、実際会ってみたら結構面影が残っていてなんか安心した」
「……俺のこと、覚えてた?」
「そりゃ、覚えてるよ! みんなのこともね。時々、母さんとどうしてるかね~なんて話してたよ」
「そうか」
世海はそっと目を伏せて、何かをかみしめるような表情をした。
なんとなく嬉しそうに見えるのは気のせいだろうか。
再度、目を上げて海帆を見つめた世海の顔には、少しからかうような表情があった。
「君はだいぶ変わったな」
「私? あはは、髪切っちゃったからね。世海くんは髪長い頃しか知らないから、私のこと分からなかったでしょ」
「分かったよ」
真っ直ぐに海帆を見つめて、世海は静かに言った。
「すぐに分かった」
熱量を感じられそうな視線で、頬の辺りがじんわりとあたたかくなる。思わず頬に手を当てたくなるのをなんとかこらえ、海帆は「そう? ならよかった」と言った。
「母さんから君の写真送られてきたし」
「あの写真本当に見せたんだ!」
メイク直しろくにしてなかったのになー、もう少しなんとかすればよかったと今さら後悔する。
気まずさを照れ笑いで誤魔化すと、世海は眩しいものを見るように目を細めて海帆を見下ろした。
なんだろうな、すごい顔を見てくるけどそんなに変わったかな。
自分よりも美しい男に凝視されるというのは、なんだかいたたまれなくて視線を泳がすと、周囲の人がちらちらと二人を見ているのに気がついた。
人より背が高い目立つ二人が立ち話をしている上に、片方は芸能人だ。もしかしたら世海の正体に気づいた人もいるかもしれない。
「…………車、外にあるから。早く行こう。母さんたちが待ってる」
海帆の視線を追って、周囲の状況に気づいた世海はマスクとサングラスを装着すると、早口でそう言って海帆の手からキャリーケースを奪い、そのまま歩き出した。
「あ、うん。ありがとう」
早足で歩く世海に置いて行かれないよう後を追うと、少しだけ速度を緩めてくれる。
記憶の中の男の子は自分よりも小さくて、いつも置いて行かないでと追いかけてきていたのに、再会した世海は海帆よりも背が高くなって後ろ姿が頼もしくなっていた。
随分と立派に成長したなー、と思いの外広く見える背中を見つめて、海帆はなんだか感慨深い気持ちになった。
「わざわざ迎えに来てくれてありがとう」
「別に。母さんに言われたから」
隣に並んで歩きながら改めて礼を言うと、サングラス越しにちらっと海帆を見ながら世海は小声で答えた。
世海の車は、空港を出てすぐの駐車場に止めてあった。
トランクに海帆の荷物を入れようとして、世海はハッとして聞いてきた。
「なんで荷物がこんなに少ないんだ? しばらく台湾で働くんだろ?」
今聞くのか、と海帆はおかしかった。
世海は再会してから終始落ち着き払った態度だったけど、もしかしたら彼も緊張してたのかもしれない。
「大きい荷物は先に送ってあるんだ。もうホテルの社員寮に着いてると思う」
「そうか……」
本人もバカな質問をしたと思ったのか、気まずそうにうつむきながら荷物を積み込み、トランクの扉を閉めた。
そのまま無言で運転席へと歩き出したので、海帆も助手席側に足早に向かう。
「ご両親は元気? あとおばあさんも」
車に乗り込み、シートベルトを締めながら質問すると、簡単な答えが返ってくる。
「まあ、元気だよ」
素っ気ない返事。
なんだか分厚い壁のようなものを感じる。
(あれかな、やっぱり俳優さんだから色々根掘り葉掘り聞かれるんじゃないかって警戒しているのかも)
彼らはとにかく自分のプライベートの事には敏感に反応する人種だから、会話は気をつけなければいけない。若干、仕事モードになりつつ、海帆は改めて『孫世海対応リスト』を脳内で作成した。
エンジンがかかり、二人を乗せた車はスムーズに走り出した。
沈黙が気詰まりなので、当たり障りのない会話を模索していたが、車窓を流れる景色に思わず目を奪われ、食い入るように見つめる。
子供の頃を除けば、台湾には大学生の頃、一度だけ来ている。でもそれ一回だけだし、おそらくこの辺りは訪れたこともない土地のはずなので、懐かしいなんて感覚は湧いてこないだろうと思っていたのだが、通り過ぎる風景が見たことあるような気がするのが不思議だった。
「そんなに面白いか? 大して見るものないだろ」
隣から聞こえた地元民らしいセリフに、まさか話しかけられるとは思っていなかった海帆は、振り返って微笑んだ。
世海の視線がさっと前方に戻る。
「面白いよ。知ってる景色に見えて不思議だし」
「この辺は来たことないだろ」
「うん、そうなんだけど……あ、すごいもう中心街が見えてきた。やっぱ松山空港だと近いな~」
再び海帆は窓の外へと釘付けになる。
「今回、初めて台北松山空港を使ったんだけど、やっぱり便利だね。こんなにすぐに着くなんて。こっちにして正解だったな」
「…………俺んちはもうあと十五分くらいかかる」
「そうなんだ。メグさん達に会えるのすごく楽しみ」
再び振り返って言うと、世海はしばらくこちらを見て、また前方に目線を戻した。よそ見運転。
(人の目を見て話すにしても、運転中はだめだろ)
そういえば空港での会話の時も、やたら海帆の顔を凝視していたし、そういうクセがあるのかもしれない。
あまり話しかけない方がいいかもしれない、と少々緊張気味に海帆も前を向くと、なぜか世海がまた話しかけてきた。
「そっちはどうなんだ?」
「え? なにが?」
体を固くしておそるおそる隣を伺うと、ほっとしたことに今度は前を向いたままでいてくれた。
「君の家族。元気か?」
ああ!と海帆は理解し、「元気だよ!」と返す。
「帆波覚えてる? 私の姉。今は結婚して子供が二人いるよ。あと日本に帰ってから生まれたから世海くん知らないけど、航っていう弟もいるよ」
「君は?」
「ん? なに?」
「君は? 結婚してるのか?」
突然の質問にびっくりしたが、海帆は笑顔で首を振った。
「してないよ。でもそのおかげで台湾で働けるから。結婚してたら来られなかったかも」
それを聞いて、世海はほんの少し口角を上げた。
笑顔のようなものを見られてホッとしたからか舞い上がったのか、海帆は言わなくてもいいことまで言ってしまった。
「あ、でも彼氏はいるよ。日本に置いて来ちゃったから遠距離になっちゃうけどね」
ビシリッと空気が凍りつく音が聞こえた気がして、世海の顔から表情がなくなった。
なに?なに?と海帆は突然仏像のように無表情になってしまった隣の男を見つめるが、それ以降、世海はこちらに目線を送ることもなく運転に集中し始め、海帆はとりあえずほっとした。
検疫、入国審査を終え、一階で手荷物を受け取り、税関を通った後、海帆は到着ロビーへと向かった。
大きいスーツケースなどは出国前に台北の寮に送ってあるので、小さなキャリーケースとキャリーオンできるビジネスリュックだけという軽装だ。
まずは税関カウンター側の銀行で両替をして、ロビーへと向かう。
SIMカードも購入したいけど、できれば自販機じゃなくて通信サービスカウンターで購入手続きをしたい、混んでなきゃいいけど。それが終わったら地下鉄を使って台北市内へ移動して、グロンブル台湾に行こうか。出勤は明日だけどとりあえず挨拶だけでもしておきたいし。
入国してからの行動をあれこれ考え、海帆はキャリーケースをコロコロと転がす。職場のホテルに行くかどうかは台湾に着くまで迷ったが、一応旅行用ではなくビジネスライクな服装で来たので、やはりこのままホテルへ行くことにした。
そして寮に着いてからメグさんに連絡を取ろう。
母、美帆子を介してやり取りするのもいい加減面倒くさいので、メグさんとはお互いのメールアドレスを交換している。
空港まで迎えに行くと言ってくれたのを丁寧に断り、海帆は着いたら連絡しますと出国前に知らせた。
明日からの鬼のような引き継ぎ業務を考えると、本当は今日会いに行った方がいいとは思うが、新しい職場に対する興味の方が上回ってるので、休みの日に改めて伺わせてもらおうかと連絡するつもりだ。
ロビーへの出口を抜けると、柵の向こうに到着待ちの人だかりが現れ、何気なくそこに視線を向けた海帆はぎょっとして一瞬足を止めた。
人だかりの最前列に、やたら背の高い男が立っていたのだ。
男は黒い帽子を被り、サングラスに黒いマスクをつけ、これまた服も全身黒でキメていた。
なんだろう、芸能人かな。お忍びにしては目立ち過ぎだけど。
職業柄、身バレしたくない有名人との距離のとり方は身に染み付いてるので、海帆はすっと目線を流して男の存在を視界から追い出し、意識を通信サービスカウンターへと向けた。
「え、ちょっと……」
まずはSIMカード。ああ、やっぱりカウンター混んでるなぁ。
「おい、待て」
でも一回は説明を聞きたい、やっぱり。並ぶ? でも全然動いてないし。
「待てったら、おい……」
一人終わったな。並ぼうか。にしても後ろうるさい。
「おい、橘海帆……ッ」
あれ今の名前……聞き覚えが…………私の名前?
「アリエル!」
その名前を聞いた途端、海帆の脳裏に昔の記憶がありありと甦った。
人魚姫をモチーフにした海外の有名なアニメーション映画。緑色の尾を持つ赤毛の人魚姫と友達の黄色い鯛。蟹のセバスチャン。南国特有の軽快でリズミカルな音楽と歌。大好きで大好きで何度も飽きずに観ていて、いつも付き合わせていた男の子に呆れがちに言われたのだ。「これからは君の事をアリエルって呼ぶよ」と。
勢いよく振り返ったら、追いかけてきた人物とぶつかりそうになった。
到着待ちの最前列で仁王立ちしていた、あの黒ずくめの男だった。
「世海くん⁉」
名前を呼ぶと男は怯んだように顎を引いて、ゆっくりとサングラスとマスクを外した。現れたのは、信じられないほど綺麗で整った顔だった。母美帆子の携帯で見た宣材写真よりも、こちらの方が記憶にある男の子の面影に近い。
海帆の顔に自然と笑みがこぼれた。
「うわあ、世海くんだ、久しぶり! 元気にしてた?」
「……………………」
世海は答えない。というより動かない。サングラスとマスクを外しかけた手もそのままに、完全にフリーズしていた。
じいぃっと海帆を見つめたまま動かない世海に、さすがに心配になって海帆は首をかしげる。
「……世海くんだよね? あれ、人違い? あ、それとも私の言葉聞き取りにくい? 英語の方がいいかな」
改めて英語で名乗り、会えて嬉しい旨伝えると、ようやく世海が小声で返事をした。
「…………英語でなくていい。久しぶりだな、元気だったか」
答えてくれたのが嬉しくて、海帆は笑顔で頷いた。
「元気だよ~ 家族もみんな元気。そっちは? 元気だった? メグさんから聞いたよ、俳優やってるんだって? びっくりした!」
「うん、まあ」
もごもごと小声で返事する世海を見て、あいかわらず人見知りだなーと海帆は懐かしくなった。
台湾の子供たちは人懐っこい子が多かったけど、世海は引っ込み思案な性格で、いつも母親か海帆にくっつき、人前に出たりするのが苦手な子供だった。それが俳優というきらびやかな世界で自分を表現する職業についているのだから、人間というのは分からないものだ。
まあ、今は海帆に対しても人見知りを発揮している訳だが。
思わず苦笑をすると、「なに?」と世海に聞かれた。
「ううん、変わってないなと思って。メグさんから送られた写真を見た時、あんまり綺麗だったから正直ほんとうに世海くんか分かんなかったんだけど、実際会ってみたら結構面影が残っていてなんか安心した」
「……俺のこと、覚えてた?」
「そりゃ、覚えてるよ! みんなのこともね。時々、母さんとどうしてるかね~なんて話してたよ」
「そうか」
世海はそっと目を伏せて、何かをかみしめるような表情をした。
なんとなく嬉しそうに見えるのは気のせいだろうか。
再度、目を上げて海帆を見つめた世海の顔には、少しからかうような表情があった。
「君はだいぶ変わったな」
「私? あはは、髪切っちゃったからね。世海くんは髪長い頃しか知らないから、私のこと分からなかったでしょ」
「分かったよ」
真っ直ぐに海帆を見つめて、世海は静かに言った。
「すぐに分かった」
熱量を感じられそうな視線で、頬の辺りがじんわりとあたたかくなる。思わず頬に手を当てたくなるのをなんとかこらえ、海帆は「そう? ならよかった」と言った。
「母さんから君の写真送られてきたし」
「あの写真本当に見せたんだ!」
メイク直しろくにしてなかったのになー、もう少しなんとかすればよかったと今さら後悔する。
気まずさを照れ笑いで誤魔化すと、世海は眩しいものを見るように目を細めて海帆を見下ろした。
なんだろうな、すごい顔を見てくるけどそんなに変わったかな。
自分よりも美しい男に凝視されるというのは、なんだかいたたまれなくて視線を泳がすと、周囲の人がちらちらと二人を見ているのに気がついた。
人より背が高い目立つ二人が立ち話をしている上に、片方は芸能人だ。もしかしたら世海の正体に気づいた人もいるかもしれない。
「…………車、外にあるから。早く行こう。母さんたちが待ってる」
海帆の視線を追って、周囲の状況に気づいた世海はマスクとサングラスを装着すると、早口でそう言って海帆の手からキャリーケースを奪い、そのまま歩き出した。
「あ、うん。ありがとう」
早足で歩く世海に置いて行かれないよう後を追うと、少しだけ速度を緩めてくれる。
記憶の中の男の子は自分よりも小さくて、いつも置いて行かないでと追いかけてきていたのに、再会した世海は海帆よりも背が高くなって後ろ姿が頼もしくなっていた。
随分と立派に成長したなー、と思いの外広く見える背中を見つめて、海帆はなんだか感慨深い気持ちになった。
「わざわざ迎えに来てくれてありがとう」
「別に。母さんに言われたから」
隣に並んで歩きながら改めて礼を言うと、サングラス越しにちらっと海帆を見ながら世海は小声で答えた。
世海の車は、空港を出てすぐの駐車場に止めてあった。
トランクに海帆の荷物を入れようとして、世海はハッとして聞いてきた。
「なんで荷物がこんなに少ないんだ? しばらく台湾で働くんだろ?」
今聞くのか、と海帆はおかしかった。
世海は再会してから終始落ち着き払った態度だったけど、もしかしたら彼も緊張してたのかもしれない。
「大きい荷物は先に送ってあるんだ。もうホテルの社員寮に着いてると思う」
「そうか……」
本人もバカな質問をしたと思ったのか、気まずそうにうつむきながら荷物を積み込み、トランクの扉を閉めた。
そのまま無言で運転席へと歩き出したので、海帆も助手席側に足早に向かう。
「ご両親は元気? あとおばあさんも」
車に乗り込み、シートベルトを締めながら質問すると、簡単な答えが返ってくる。
「まあ、元気だよ」
素っ気ない返事。
なんだか分厚い壁のようなものを感じる。
(あれかな、やっぱり俳優さんだから色々根掘り葉掘り聞かれるんじゃないかって警戒しているのかも)
彼らはとにかく自分のプライベートの事には敏感に反応する人種だから、会話は気をつけなければいけない。若干、仕事モードになりつつ、海帆は改めて『孫世海対応リスト』を脳内で作成した。
エンジンがかかり、二人を乗せた車はスムーズに走り出した。
沈黙が気詰まりなので、当たり障りのない会話を模索していたが、車窓を流れる景色に思わず目を奪われ、食い入るように見つめる。
子供の頃を除けば、台湾には大学生の頃、一度だけ来ている。でもそれ一回だけだし、おそらくこの辺りは訪れたこともない土地のはずなので、懐かしいなんて感覚は湧いてこないだろうと思っていたのだが、通り過ぎる風景が見たことあるような気がするのが不思議だった。
「そんなに面白いか? 大して見るものないだろ」
隣から聞こえた地元民らしいセリフに、まさか話しかけられるとは思っていなかった海帆は、振り返って微笑んだ。
世海の視線がさっと前方に戻る。
「面白いよ。知ってる景色に見えて不思議だし」
「この辺は来たことないだろ」
「うん、そうなんだけど……あ、すごいもう中心街が見えてきた。やっぱ松山空港だと近いな~」
再び海帆は窓の外へと釘付けになる。
「今回、初めて台北松山空港を使ったんだけど、やっぱり便利だね。こんなにすぐに着くなんて。こっちにして正解だったな」
「…………俺んちはもうあと十五分くらいかかる」
「そうなんだ。メグさん達に会えるのすごく楽しみ」
再び振り返って言うと、世海はしばらくこちらを見て、また前方に目線を戻した。よそ見運転。
(人の目を見て話すにしても、運転中はだめだろ)
そういえば空港での会話の時も、やたら海帆の顔を凝視していたし、そういうクセがあるのかもしれない。
あまり話しかけない方がいいかもしれない、と少々緊張気味に海帆も前を向くと、なぜか世海がまた話しかけてきた。
「そっちはどうなんだ?」
「え? なにが?」
体を固くしておそるおそる隣を伺うと、ほっとしたことに今度は前を向いたままでいてくれた。
「君の家族。元気か?」
ああ!と海帆は理解し、「元気だよ!」と返す。
「帆波覚えてる? 私の姉。今は結婚して子供が二人いるよ。あと日本に帰ってから生まれたから世海くん知らないけど、航っていう弟もいるよ」
「君は?」
「ん? なに?」
「君は? 結婚してるのか?」
突然の質問にびっくりしたが、海帆は笑顔で首を振った。
「してないよ。でもそのおかげで台湾で働けるから。結婚してたら来られなかったかも」
それを聞いて、世海はほんの少し口角を上げた。
笑顔のようなものを見られてホッとしたからか舞い上がったのか、海帆は言わなくてもいいことまで言ってしまった。
「あ、でも彼氏はいるよ。日本に置いて来ちゃったから遠距離になっちゃうけどね」
ビシリッと空気が凍りつく音が聞こえた気がして、世海の顔から表情がなくなった。
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