Oh! My リトルマーメイド

大城まこ豊

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第一章

アリエル

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 閑静な住宅街の細い路地。夕方の時間になると、辺りは薄暗くなり、気温も涼しくなってきた。
 永康街に来た時とは逆の立ち位置になって、海帆みほ世海シーハイの背中を眺めながら、彼の後をゆっくりと着いて行く。
 ホテルを出て家に帰る、と世海から告げられた時、突然の事だったので驚いたが、海帆はホッとした。
 家に帰れるということは、スキャンダル騒動の心配もなくなってきた、ということだ。
 最近は、世海の世話をすることに慣れて日常のルーティンとなっていたので、それが無くなってしまうのは少しだけ寂しいが、世海のマネージャー宇翔ユーシャンが言っていた通り、ホテルから仕事場へ通うのが不便であるならば、住み慣れた家から仕事に行くのが一番だ。
 世海が出演するドラマの撮影は佳境を迎え、これからは番宣活動も活発になっていくことだろう。
 ほぼ毎日顔を合わせていたが、これからはそんなこともできなくなるのだな、とちょっとしんみりしていたら、世海からこの後の予定を聞かれた。
「夜は、何か予定あるか?」
 特に何も決めていなかったので、そう伝えると、店を予約してあると言われた。
「どこか食べたい所があるなら、別にそこでもいいけど」
 そっぽを向いて言う世海に、そんなことない、楽しみだよと言うと、小さく頷いて嬉しそうにした。
 そして車に乗って数分、到着したのは静かな住宅地だった。
 世海は先に立って歩き出し、小さな通りや路地裏をすいすいと通り過ぎていく。
 連れていかれたのは表通りから外れた場所。
 建物の奥まった所にある門塀に、店の名前らしき小さな表札がある。
 どうやらここが目的の場所らしい。
 いわゆる、隠れ家風レストランだ。
 異国の地の、秘密めいた路地と目立たない入り口を前にして、海帆は少しどきどきした。
 世海が扉を開け、海帆を招き入れる。
 店内は歴史のありそうな古い家屋を、センスの良いレトロな内装でまとめており、暗く落とした照明が秘密めいた密会の場という雰囲気を醸し出しているのに、ドライフラワーや可愛らしい雑貨が随所に飾られていて、落ち着いて居心地のいい空間が広がっていた。
 現れたスタッフに、世海が来訪を告げると、奥の部屋へと通される。
 使い込まれた籐製の間仕切りで仕切られた、半個室のような席へと案内された。
 席について、渡された手書きのメニューを見ると、どうやら台湾創作料理のお店のようだ。
 料理の内容は任せる、と世海に言われたので、海帆はじっくりとメニューを読み、選び始めた。
 まずは、案内してくれたお店スタッフが勧めてくれたサラダ。
 それから、かぼちゃと鶏肉の煮込みと、豚肉とベビーコーンの炒め物。
 そして、世海のために、魚の香草蒸しを頼むことにした。
 注文を終えてスタッフが退出すると、海帆はガラスに囲まれた店内から見える手入れの行き届いた庭をしばらく眺めて、世海に微笑みかけた。
「すごく素敵なお店だね。世海くん、よく来るの?」
「いや、そんなに来ない。前に仕事で知り合った人に連れてきてもらって、けっこう美味かったから」
 世海は海帆のことを見つめて、言った。
「約束したしな」
「約束?」
 海帆が首をかしげると、世海は少し目を伏せて、小さく呟いた。
「お前がここに来た日。ホテルに送った時、言っただろ、今度どこか美味しいところ連れてけって」
「ああ!」
 台湾に来た初日の事か。メグさん家からの帰り、ホテルで降ろしてもらった時に言ったんだ。
「世海くん、覚えていてくれてたんだ」
「……………………」
 ぷいっと世海は横を向いてしまった。
 海帆が約束を忘れてしまっていたことが、気に食わないのだろう。
 せっかくここまで機嫌よくいてくれていたのに、また怒らせるわけにはいかない。海帆は、精一杯の笑顔を世海に向けた。
「ありがとう、世海くん。すごく嬉しい。こんなに素敵なところに連れてきてくれると思ってなかったから、びっくりしたよ」
「……………………忘れてたくせに」
 恨みがましい言い方にもめげず、海帆は言いつのる。
「そりゃあ、あれから何か月もたったし、その間にも色々あったでしょ。そっちの方が印象強くなっちゃって。ほとんど毎日会ってるうちに楽しくなってたから、忘れちゃったんだよね。あの時は、世海くんは俳優さんだから、あんまり会うこともできないんだろうなって思ってたし」
 ついでに言うと、むちゃくちゃ壁を作られてるとも思っていた。
 まさか買い物に付き合ってくれるようになるとは、想像もしていなかった。
 本当に、あの再会の日が遠い過去の事のようだ。
「俺の世話ばっかりさせられて、うんざりしてたんじゃないのか?」
 まだ不機嫌そうな声だが、横を向いていた顔が戻ってきたので、海帆は世海の顔を真正面から見つめ返す。
「そんなこと思ってないよ、ずっと楽しかった。心配することの方が多かったけど、嫌だと感じたことはなかったよ」
 本心からの言葉だ。世海にもそれは伝わったのだろう。険のある表情が和らいで、口元がゆるんできた。
 ほっとしたところで、注文した料理が届き始めたので、しばらくはお店スタッフからのサービスに身を任せることにする。
 前菜は三種類で、自家製メンマと野菜のマリネ、そしてキャベツのキムチ合えだった。
 塩味や酸味が効いた軽やかな味わいで、食欲が増してくる。
 供された食事は全て美しく盛り付けされていて、味もとても上品で美味しかった。
 海帆は、特にかぼちゃと鶏肉の煮込みが気に入った。土鍋で煮込んであり、とても優しい味付けだったので、ほっとする気安さがあって、体が芯から温まる感じがする。
「これ美味しい。冬にもいいかも」
「なら冬にも来るか?」
 世海からの提案に、一瞬だけ言葉が詰まってしまった。
 今日の世海は、なんだかやたら能動的な気がする。普段は、あまり喋らず、海帆が話しかけたら相槌を打つか、短く返事をするかだけなのに。
 本人は特に意識しているつもりはないらしく、魚の香草蒸しに意欲的に箸をつけている。
「また、そんな大きな事を言って。この前みたいなことになったらどうするの」
「なんとかするさ。実際、なんとかなったから今日ここに来てるんだろ」
 休みを取るために、仕事を詰めすぎて倒れた日の事を引き合いに出すと、世海は何でもないことのように肩をすくめただけだった。
 何て答えようかと悩む海帆に、世海は話しかける。
「もうすぐ、今のドラマの制作発表があるんだけど、もし興味あったら来るか?」
 え、と顔を上げると、世海の無表情がこちらを見ていた。
「ドラマの制作発表って、一般人が見に行けるの?」
「来れるさ、関係者が招待すれば。普通だったら、出演する俳優のファンクラブとかテレビ局のファンクラブに所属してる人が、応募して抽選っていうのが一般的だけど」
 海帆の疑問に、世海が説明をしてくれる。
 なんだか、珍しい展開だ。
 海帆は、慎重に言葉を選んで、意見を言う。
「誘ってくれて嬉しいけど、まずメグさん達を招待した方がいいんじゃない? きっと喜ぶと思うよ」
「母さんが言ったんだよ。ホテル住まいで、お前に迷惑をかけているから、ちゃんと仕事をしているところを見てもらえって」
 そうなのか。迷惑なんて、ちっとも思っていなかったが。
 こう言われてしまうと、海帆もこのお誘いについて、よく考えなければならない。
 興味がないわけではない。
 考えてみれば、出退勤時の世海は毎日のように見てきたが、仕事中の姿はまだ目にしたことがない。写真と映像だけである。
 仕事モードになった、俳優エリック・スンというのは、生で見るとどんな感じなのだろうか。
「来る?」
 世海が短く聞いてくる。
 その無表情を見て、海帆はまた昔のことを思い出した。
 世海は、緊張すると表情が無くなる子だったのだ。
「うん、行く。なんだか面白そう」
 海帆の答えを聞いて、世海はほうと息を吐いた。
「詳細が決まったら、連絡する」
「わかった」
 楽しみにしてると微笑みかけると、世海は少しだけ口の端を上げた。

「いらっしゃいませ……うおおおお! ミホさん! 久しぶりだね! 会えて嬉しい!」
「トシさん、お久しぶり。お邪魔します」
 店に入ってきた海帆の姿をみて、俊宏ジュンホンは満面の笑みで手招きをした。
「邪魔だなんて、とんでもないよ! さ、座って。こっち座って。ここは、いつもエリックが座る席なんだけど、座っちゃって! もう来てくれないのかと心配していたんだよ!」
「…………俺もいるぞ」
 海帆のすぐ後ろにいる世海のことは、完全に見えない振りをして、俊宏はいそいそと注文票を渡してくる。
「なに飲む? なんでもあるよ。無かったら買ってくるし! 食事もなんでも作るけど、作れなかったら買ってくるよ!」
「ありがとうございます。食事はしてきちゃったんで……あ、でも蘿蔔糕ローポーガオがある、ちょっと食べたいかも」
「お目が高いね! うちの店のは、すごく美味しいよ! ……お前は? なんか食うの?」
「とりあえずビール。車だからノンアルで」
「自分で取れよ。ついでに、ミホさんの分も」
「ああ、私も自分で取るよ」
「いいからいいから、座って。はいどうぞ」
 世海が持ってきた瓶ビールを奪い取り、俊宏は笑顔で海帆に渡してきた。
「ありがとう」
 お礼を言って受け取る海帆の向かい側に、どっかりと世海が席につく。
「ところで今日は二人でどうしたの? どこか行ったの?」
 俊宏の質問に海帆が答える前に、世海が口を開く。
「こいつの買い物に付き合って永康街に行ってきた。日本への土産物で」
「永康街か! いいなあ、俺も行きたかった。楽しかった?」
「はい。噂通り凄く賑わってたけど、のんびり歩けて楽しかった。食べ物も美味しかったし」
 そいつぁ、よかった! 俊宏は機嫌良さそうに言って、厨房へと向かった。
 その後ろ姿を見送りながら、海帆は世海に話しかける。
「トシさんと仲が良いよね。高校からの付き合いだっけ?」
「うん」
 世海は頷いただけだったが、さすがにそれだけではいけないと思ったのか、何か言おうと口を開きかけた時、俊宏が料理を運んで戻ってきた。
「うん、だけじゃ会話が続かないだろ。こういう時は、俺との仲良しエピソードとか、俺に助けられた話しとかするもんだ」
「ねえよ、そんなもん」
 仲のいい友人同士特有の軽口の言い合いを、海帆は微笑ましく見守る。
 そしてテーブルに置かれた料理を見て、ちょっとだけ固まった。
「あれ、こんなに……」
「サービス! この前来てくれた時、結局食べれなかったでしょ。だから今日はその分、食べて行って」
 サービスにするには、皿の量が少しばかり多いような気がするが。
 助けを求めるように向かい側を見ると、世海は目を伏せている。
 前回、海帆がこの店に来た時の、気まずいやり取りを思い出しているのかもしれない。
 海帆は苦笑しつつ、お礼を言った。
「ありがとうございます。じゃあ、遠慮なく。いただきます」
 海帆は殊更に明るく言って、箸を持った。
「ほら世海くんも。食べよ」
「……………………うん」
 促されて、世海もようやく箸を持つ。
 もちもちした蘿蔔糕を食べながら、海帆は俊宏に話しかけた。
「トシさんと世海くんは、高校からの友達なんですよね」
「そうそう」
「どんな高校生だったんですか? 結構ヤンチャしてたとか?」
 からかい半分で聞くと、俊宏はやめてよーと手を振って否定した。
「俺達は真面目な優等生だったよ。なあ、エリック」
「俺は真面目だった。お前は違う」
「ひどくない?」
 海帆はくすくす笑って、二人の掛け合いを楽しむ。
 そこからは料理を摘まみながら、男同士の青春時代のバカ話しを聞き、海帆は大いに笑って、酒席を楽しんだ。
 沈みかけた世海の気分も、懐かしい思出話で浮上したようだ。
 調子良く話を広げる俊宏にツッコミを入れながら、時々笑顔も見せた。
 少し呑んで帰るつもりだったのが、話し上手な俊宏のトークや、甘辛い料理の味付けに合う台湾ビールのあっさりした飲み口も手伝って、閉店近くまで居座ってしまった。
 引き留める俊宏にまた来店することを約束し、海帆と世海は帰路につく。
 食べきれずに包んでもらった料理と、本日の購入品を抱え、海帆は寮の前で車から降りながら、満たされた溜息をついた。
 充実した休日を過ごすことができ、心も胃袋も満足だった。
「世海くん、今日はありがとう。これ、本当に貰っちゃっていいの?」
「うん。俺はどうせ、食べきれないから」
 後部座席に置いた荷物を渡しながら、世海は言う。
 海帆は寮の前で荷物を持ちながら、改めて世海に向き合った。
「今日は凄く楽しかった。本当にありがとう」
「うん」
「チェックアウトの日は教えてね。荷物まとめるの手伝うから」
「うん」
 相変わらずの返事だ。でも海帆はもう慣れた。
 じゃあねと言って、寮の入り口へと向かう。
 扉に手をかけた時、後ろから声がかかった。
「アリエル」
 取っ手を握る手が固まり、海帆の動きが止まる。
 ゆっくりと振り返ると、世海は真っ直ぐに海帆のことを見つめていた。
 その手には、小さな紙袋が握られていた。
「これ」
 世海は持っていた紙袋を、海帆に差し出す。
「これ? なに?」
 呆然として紙袋を見つめる海帆の手を取って、世海は持っていた袋をそっと渡した。
「やるよ」
「私に?」
 頷いた世海は、小さな声で言った。
「お前、今日は自分の分は何も買ってないだろう。だから、やる」
 世海は紙袋を押し付け、海帆を見つめて囁いた。
晩安ワンアン。アリエル」
 そう言って、海帆の手を離し、車へと戻っていく。
 海帆は発車して走り去る車を、ずっと見つめていた。
 しばらくして、ゆっくりと紙袋の中身を確認する。
 中には数種類の台湾特有のお菓子と、永康街で海帆が可愛いと言った雑貨がいくつか入っていた。
 いつの間に、買っていたのだろう。
 そのうちの一つ、赤毛の人魚と黄色い魚のコースターを手に取り、海帆は誰にともなく呟いた。
「やっぱり、これは使えないな」
 そして小さく、晩安、と囁き、寮の扉を開いて中へと入っていった。
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