Betrayed Heroes -裏切られし勇者の末裔は腐敗世界を破壊し叛く-

砂糖かえで

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火に渦巻くは歴史の咎

ep.45 お前はいったい何者なんだ

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 夜になって大浴場で湯に浸かるセンリ。不思議なもので彼にとって温泉という文化は心によく馴染む。古くからの友人と接しているような心地良さ。

「…………」

 虫の声と風の音が瞑想を促す。センリは静かに目を閉じて呼吸を整えた。まぶたの裏、暗闇の向こうに魔術の源である魔素の流れが見える。

 光の筋が子供のように跳ね回って何らかの模様を描く。それは古くから伝わる占いの一種で、道に迷った旅人の手引きとして使われていた。

「善人の仮面、の逆位置……か」

 善人は真実の意、仮面は偽りの意。つまり模様が示すところは真実の偽り。さらに逆位置によってそれが反転するという実に意味不明な結果となった。

「……所詮は占いか」

 センリは鼻で笑ったあとに目を開けて髪をかき上げた。

 そのまま1人でゆったりしていると、それをぶち壊すかのようにあの女が現れた。

「――どーんっ!」

 ペタペタと素足で石畳を走る音からの飛び込み音。前方で大きな水飛沫が上がり、その余波がセンリのもとまで届いた。

「ふーっ。こっちは空いておるなあ。のう、主よ」

 肩まで湯に浸かったクロハが金色の長い髪をかき乱した。

「何が空いてるだ。向こうに帰れ」
「よいではないかー、よいではないかー」

 水面から顔を出したまま泳いで向かってくるクロハ。目の前までやってくると急に立ち上がって腰に手を当てた。

「我をとくと見よ」

 闇夜に浮かぶクロハの裸体。自信満々だけあって肉付きが良く肢体のバランスが取れている。垂涎もののそれを見てセンリはふっと笑った。

「自分の身体に自信があるのは結構だが、それに自惚れて手入れを怠っているようだな」

 センリが下のほうへ視線を向けたことに気づいて、

「――っ!」

 クロハは慌ててしゃがみ込んだ。

「こっ、これは、たまたま忘れていただけじゃ……」

 珍しく恥ずかしそうに赤面して目をさまよわせるクロハ。普段は攻勢を気取っていても不意を突かれると弱いたちのようだ。

「……のう。そばでくつろいでもよいか。主の邪魔はせぬ」
「…………」
「その無言は肯定と捉えてよいみたいじゃな。くふふっ」

 悪戯っぽく笑ってセンリの隣にやってきたクロハ。距離感は分かっているようで肩にもたれかかりたい気持ちを押し殺して少し間を取っていた。

「あまり空を見上げる機会がなかったせいであろうか、前に見た時よりも星々が美しく見える。……きっとこの中に主の先祖が住んでいたという世界もあるのであろう」
「……あいつから聞いたのか」
「うむ。エスカから聞いた。主の血筋について詳しく」
「ならその末路も知ったわけか」
「……うぬ。あまりにも惨い。言えた義理ではないが、人とはここまで残忍になれるのかと衝撃を受けたぞ……」

 過去に大きな罪を犯したクロハでさえ言葉にするのをためらうほどの血塗られた歴史。

「何もかも奪われて追い出された俺たちは噂を広める塵どものせいで職にも就けず家も借りられず行く先々で差別を受け、流浪の民となった」
「だが勇者の一族は比類なき圧倒的な力を持っていたと聞く。それなら力でねじ伏せてしまえば良かったのではないかえ?」
「俺ならそうしていた。が、先祖はそうはしなかった。その力はあくまでも正当防衛にしか使わなかったと聞いている。馬鹿な連中だ」

 先祖を貶しながらもその顔は同情の色を浮かべていた。

「もしかしたらその馬鹿が付くほどに優しい者たちだったのかもしれぬ。だから生まれ育ったわけでもないこの世界を救ってくれた」
「…………」

 流浪の旅で勇者の一族は文字通り散り散りになった。日頃から歴史書を漁っていたセンリですら他の末裔の消息は一向に掴めていない。

「そこで甘やかしたツケが今になって巡ってきているというわけか。勘弁してもらいたいものだな」
「エスカは主がその力をこの世界のために貸してくれていると言っておった。それは勇者の一族の末裔としての責務かえ?」
「俺にこの腐敗しきった世界を救う気はない。押しつけられた不条理をただ破壊しつくすだけだ」
「……再生には破壊が付き物、と言いたいわけじゃな」

 自身の国が破壊の真っ只中という境遇のクロハにとっては他人事ではなかった。

「どこへゆく?」

 無言で立ち上がったセンリに声をかけるクロハ。そこで目がいった。彼の身体は歴戦の戦士のように傷だらけであることを。傷が治る前に次の傷を負っていることが窺える。

 それは闘いの証か、それとも迫害の痕か。

「部屋に戻る」振り返ったセンリ。
「そ、そうか……」
「なんだ? その顔は」
「な、なんでもない。我も女湯へ戻ろうぞ」

 さすがのクロハもそのことには踏み込んではいけない気がして一度たりとも言及したことはなかった。

 ###

「あっ! センリさん」

 部屋へ戻る途中でエスカと出くわした。

「お湯上りですか?」

 そう言う彼女は今から大浴場へ向かうつもりのようだ。

「今日アルテに会ったか?」
「はい、さきほど。ですが、なんだか思い詰めたお顔をされていたので声をかけることはできませんでした」
「そうか」
「次にお見かけした時はそれとなく聞いてみたいと思います。もしかしたら湯の場にいらっしゃるかもしれませんし。……あの、センリさんはクロハさんをお見かけしませんでしたか? お部屋のほうにいらっしゃらなかったので」
「やつなら湯にのぼせてる頃合いだ」

 センリは言いながら横を通りすぎていく。エスカはポカンとした顔でその背を見送っていた。

 自分専用の部屋に入って内鍵を閉める。これで誰からの干渉も受けない。

「……ふう」

 窓を開けて夜風に当たる。生温い温度と高い湿度。今夜も寝苦しくなりそうだ。

 温泉というものは本当に体の毒気を抜いてくれる。いつもなら苛立つ場面でも水面のように穏やかでいられる。

 眼下に広がる暖色の明かりを見て明日は1人で街を散策しようと考えたセンリ。寝る前に持ち込んだ本を読んでくつろいだ。

「……お前はいったい何者なんだ」

 冒険家アレクサンダー・フィンボルト。素性は一切不明。彼の著書、特に冒険譚は人気を博していて長年にわたり刊行されているが、絶版本も存在している。その中には勇者や七賢者にまつわる話が数多く登場していた。

 普通の読者ならまず気づかないだろうが、そこにはわずかな違和感があった。というのは読み手が勇者の一族であることを想定しているかのような語り口調であることだ。

 街の古書堂で彼の本を手に取ったその日から、センリは読んでいないものを見つけるたびに収集していた。
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