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Episode1・ゼロス、はじめてのおつかい

お静かに、これは尾行です。15

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◆◆◆◆◆◆

 翌朝。
 東の空が朝焼けに染まる頃。
 ハウストが目を覚ますと、まだ早朝だというのにブレイラは既に起きて朝食の支度をしていた。
 昨夜の食材から朝食用に残しておいたものを調理しているのだ。
 眠っているイスラとゼロスをそのままにハウストはブレイラの側へと行く。

「おはよう、ブレイラ」
「おはようございます。もう起きたんですね。もう少し眠っていても良かったんですよ?」
「お前こそもう少し寝ていれば良かっただろ」

 ブレイラの腰を抱き寄せ、頬に口付ける。
 ブレイラはくすぐったそうにはにかんでハウストの頬にお返しの口付けをした。
 それだけでハウストの口元が自然に緩む。
 不思議なものだ。頬への口付けなど子どもの戯れのようなものなのに、それがブレイラだというだけで今まで感じたことのない多幸感を覚えるのだから。
 単純な自分に笑いたくなるが、それでも悪い気はしていない。
 そして一度の口付けだけじゃ足りなくなる。
 もう一度と唇を寄せたが、寸前でブレイラに指を立てられた。
 邪魔されて目を据わらせるもブレイラが苦笑する。

「先に顔を洗って来てください。お髭を剃るのも忘れないでくださいね、チクチクします」
「……チクチク」

 ハウストが憮然としながら顎を触った。
 たしかに寝起き特有の無精髭の感触がある。
 むっとしたハウストにブレイラは小さく笑い、ハウストの頬に口付けた。
 不意打ちの口付けにハウストが眉を上げる。

「チクチクするんじゃなかったのか?」
「無精髭のあなたも素敵です。あまりチクチクされても困りますが、いつもと趣が違ってそれはそれでかっこいいと思っていますよ」
「そうか」

 ハウストの頬が緩む。
 やはり単純な自分に笑いたくなる。でもやっぱり悪い気はしないのだ。

「では、続きは顔を洗ってからとしよう」
「ふふふ、待ってますね」

 ブレイラに見送られ、ハウストは川に向かった。
 川辺の岩に腰を下ろして顔を洗って髭を剃る。
 携帯しているナイフで無精髭を剃っていく。ブレイラが好きだというなら髭を伸ばしてもいいが、チクチクはやはり困ると言っていた。なによりブレイラの肌を傷付けてしまっては本末転倒だ。
 こうしてハウストが髭を剃っていると背後から馴染んだ気配が近づいてきた。イスラだ。
 寝起きのイスラがハウストから二人分離れた川辺に立った。
 イスラもブレイラに顔を洗ってくるように言われたのだろう。

「おはよう」

 ハウストが髭を剃りながら声をかける。
 すると「……はよ」と短い返事が返ってきた。
 前を向いたままなのでイスラがどんな顔をしているか分からないが、でもどうしてだろうか、だいたい分かる。
 ブレイラにはしっかり「おはよう」と挨拶しただろうに、今は無愛想な顔をしていることだろう。
 イスラもゼロスくらいの時はハウストにも「おはよう」と返してくれていたのだが、今はまあそういう年頃ということだ。
 ハウストの隣でイスラが川で顔を洗い、短剣で髭を剃り始めた。
 その姿にハウストは内心少し驚く。先ほどそういう年頃かと思ったばかりだが改めて実感したのだ。イスラも男なので髭が生えるのは分かるが、子どもだった時の印象が強いのである。
 ふとハウストは髭を剃りながら口を開く。

「イスラ、昨日はブレイラを守ってくれて感謝する。お前が間に合って良かった」
「当たり前だ」

 当然だといわんばかりの口調でイスラは答えたが、「でも……」と怪訝な顔になる。
 様子が変わったイスラにハウストは首を傾げた。

「でも、なんだ」
「……変だったんだ」
「変?」
「…………盗賊が、ブレイラの前で犬みたいになってた」
「………………そうか」

 ハウストはそう答えることしかできなかった。
 イスラからそっと目を逸らし、過去の出来事を思い出す。
 あれはブレイラと恋人になったばかりの頃、ブレイラとイスラを人間界の海に初めて連れて行った時のことだ。
 ブレイラに酒を飲ませた時のことはよく覚えている。そしてイスラの声を聞いた途端に一瞬で酔いが覚めたことも……。
 ブレイラは盗賊に酒を飲まされて酔ったようだがイスラの登場に一瞬で酔いが覚めたのだろう。どちらにしろイスラが間に合ってくれて良かった。
 こうして二人の間になんとも言えない空気が漂いだしたが背後からブレイラの声がする。

「ハウスト、イスラ、朝食の支度ができましたよ」

 振り返るとブレイラがゼロスと手を繋いで歩いて来ていた。
 どうやら朝食作りが終わり、ゼロスも起床したようだ。

「ちちうえ、あにうえ、おはよー!」
「ああ、おはよう」
「おはよう」

 ハウストとイスラが挨拶を返すとゼロスが嬉しそうに笑う。
 ちちうえ! あにうえ! とうろちょろするゼロスは朝から元気だ。

「ゼロス、顔を洗いなさい」
「うん! わっ、つめたーい!」

 冷たい川の水にはしゃぎながらゼロスが顔を洗う。
 パシャパシャと川の水を跳ねさせて、遊んでいるのか顔を洗っているのか分からない。
 その姿にブレイラは目を細めていたが、ふとイスラを振り返った。

「イスラ、剃り残しがありますよ」
「え、どこだ?」

 イスラが顎を触って確かめる。
 ブレイラは小さく笑うとイスラに手を差しだした。

「ここです。短剣を貸してください」
「……自分で出来る」
「私がしてあげたいのです。貸してください」
「……分かった」

 イスラがブレイラに短剣を手渡す。
 ブレイラはイスラの輪郭を指でなぞり、短剣で丁寧に髭を剃った。
 最後にまた輪郭をなぞって剃り残しがないことを確かめ、ブレイラはニコリと笑う。

「綺麗になりました。スベスベです」
「ありがとう、ブレイラ」
「また剃ってあげます。身だしなみを意識し、常に整えておきなさい。もちろんそのままでもあなたは素敵ですが、もっと素敵になりますから」
「分かった」

 イスラが心なしか嬉しそうに頷く。
 ブレイラに素敵だと言われて満更でもない様子だ。イスラは子どもの頃から事あるごとに「オレ、ステキだったか?」とブレイラに聞いていた。
 幼い頃からブレイラがハウストに素敵だと言うのを聞いていて、イスラの中で最上級の褒め言葉になっている。
 その様子にハウストは穏やかな気持ちになりながらも、僅かとはいえ嫉妬を覚えないわけではない。相手は息子とはいえ髭を生やす年齢になった男だ。

「ブレイラ、俺のも頼む」
「あなたは綺麗に剃れてます」
「…………」

 ハウストはむっと黙りこんで眉間に皺をつくる。
 そんなハウストにブレイラが小さく笑むと、眉間の皺をもみもみしたのだった。

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