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第四章:瞳子さんと一郎さんの事情
18:真夏の光景の変容
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――11D、消息不明、継続。
――D(次元)一部消失、確認。
――D(次元)崩壊開始、確認。
――AD(全次元)、カウントダウン開始。
――10。
じわじわとセミの鳴き声が聞こえる。蒸し暑い夏の午後。背負ったリュックで背中が群れる。
足元に目を向けると、白い運動靴が目にはいる。何の面白みもない学校指定の白いソックス。
ああ、とわたしは気づく。また同じ夢を見ている。
繰り返し見る、後味の悪い夢。
大通りで一棟のビルが改装工事をしている。高く組みあげられた足場と、粉塵を巻き散らさないように張られたネット。
「ん?」
何かが違う。わたしは辺りを見回した。
さっきまでのけたたましいセミの鳴き声が消えていた。
耳の痛くなるような静寂。
通りを歩く人は不自然に動きを止めている。
静止画のように動かない光景。
無音で停止した世界。
「お嬢ちゃんにつながってるんか」
「え?」
突然、背後から声がして、弾かれたように後ろを見た。
誰もいない。
「おるおる、下におるで」
導かれるままに視線をさげると、アスファルトの上にぬいぐるみが落ちていた。
見覚えのある、ピンクのカバのぬいぐるみ。どこで見たのだったかな。
愛嬌のある笑顔が、今は不気味に見える。
「どこに何をあてはめたか、わからんようになってきたわ」
ぬいぐるみはまっすぐにこちらを見ていた。愛嬌のある笑顔は縫い付けられているはずなのに、声に合わせて口元が動いているように感じる。
目元もニヤニヤと動いている。
ピンクのカバには不似合いなはずの方言。なぜか耳に馴染む。
ぬいぐるみがしゃべっている異質さが希薄だった。
「あんたらは夢やったら何でもありやろ」
わたしの気持ちを言い当てるように、ぬいぐるみが笑う。
「夢、だよね」
ほっと安堵した。どうやら良く見る悪夢とも違うみたいだ。わたしの身代わりになる男の子の惨状を見ることもない。良かった。
「あんたも、ぎょうさん泣いてたなぁ」
「え?」
「自分の腕がもげたわけちゃうのに、何が哀しいんや」
このカバのぬいぐるみは、わたしが繰り返し見る夢を知っているのだろうか。そういう前提の夢?
「あんたも思ったんか? この世界は絶望でできているとか何とか……」
「この世界が絶望でできてる?」
さすがにそこまで哀しいことは思ったことがないな。
「哀しいことや落ち込むことがあっても、良い事もあるよ?」
「さよか。ふつうはそうやろな」
わたしはしゃべるカバのぬいぐるみを抱き上げた。全体的にふっくらしているけれど、お腹の膨らみが不自然に見える。
思わず、ふよふよとお腹を揉んだ。カバのぬいぐるみがぎゃははと笑う。
「やめてんか! こそばいやろ!」
「あ、ごめんね。お腹の中に何か入っているのかなって」
「入ってるで」
「何が入っているの?」
「そんなん言われへんわ!」
「大切なモノ?」
「そうやな。大切やろな」
「やろなって、自分のものじゃないの?」
「ワシのもんや。今はな」
「ふう~ん」
ぬいぐるみと話しているのもおかしいけれど、夢の中では何でもありだ。でも、ふと一郎さんの言葉を思い出す。夢は無限にある別次元の一つ。一時的につながって、見ることが許される世界。そう考えると、こんな不可思議な世界に住んでいる人は大変だな。
「ワシから見たら、あんたらの世界も変やけどな」
「え? そうなの?」
「変やわ。でも面白いわ。とりあえずワシは行くで。お嬢ちゃん、ほんだらな」
急にがくりと足場を失う。
落ちる! と思った瞬間、私は目覚めた。
何か変な夢を見たと思ったけれど、目覚めるとよく覚えていなかった。いつもの悪夢だった気もする。でも、涙で顔が濡れることもなく、寝汗もかいていない。
昨夜、瞳子さんと別れてから再びベッドに横になって、いつのまにか寝入ってしまったみたいだ。午睡の影響は残っているようで、中途半端に目が覚めてしまう。
カーテンの隙間から漏れる光もなく、まだ夜は明けていない。
そっと壁の時計に目を向けると、蛍光の針は五時前を示していた。
(まだ早いな)
それに今日は日曜日だ。学院祭の準備に顔を出す予定だけど、こんなに早起きする必要はない。
(二度寝もできそうにないし)
ゴロゴロと何度か寝返りをうってから、あきらめて身を起こす。
カーディガンを羽織って、リビングルームへ移動した。
室内の隅で、オブジェのような形をした白いフロアランプが、ゆるく灯っている。ソファセットの一角に誰かが座っていた。
(一郎さんも起きてる?)
彼はわたしに気付かない様子で、目元を手で覆っている。ルームウェアに薄い上着を羽織ったラフな様子。けだるげな様子に見えたけれど、声をかけようかと思った時に、ぎくりとした。
(な、泣いてる?)
まさかと戸惑っていると、一郎さんに気配がつたわってしまったのか、こちらを向いた彼とばっちりと目が合ってしまう。
「あやめちゃん」
――D(次元)一部消失、確認。
――D(次元)崩壊開始、確認。
――AD(全次元)、カウントダウン開始。
――10。
じわじわとセミの鳴き声が聞こえる。蒸し暑い夏の午後。背負ったリュックで背中が群れる。
足元に目を向けると、白い運動靴が目にはいる。何の面白みもない学校指定の白いソックス。
ああ、とわたしは気づく。また同じ夢を見ている。
繰り返し見る、後味の悪い夢。
大通りで一棟のビルが改装工事をしている。高く組みあげられた足場と、粉塵を巻き散らさないように張られたネット。
「ん?」
何かが違う。わたしは辺りを見回した。
さっきまでのけたたましいセミの鳴き声が消えていた。
耳の痛くなるような静寂。
通りを歩く人は不自然に動きを止めている。
静止画のように動かない光景。
無音で停止した世界。
「お嬢ちゃんにつながってるんか」
「え?」
突然、背後から声がして、弾かれたように後ろを見た。
誰もいない。
「おるおる、下におるで」
導かれるままに視線をさげると、アスファルトの上にぬいぐるみが落ちていた。
見覚えのある、ピンクのカバのぬいぐるみ。どこで見たのだったかな。
愛嬌のある笑顔が、今は不気味に見える。
「どこに何をあてはめたか、わからんようになってきたわ」
ぬいぐるみはまっすぐにこちらを見ていた。愛嬌のある笑顔は縫い付けられているはずなのに、声に合わせて口元が動いているように感じる。
目元もニヤニヤと動いている。
ピンクのカバには不似合いなはずの方言。なぜか耳に馴染む。
ぬいぐるみがしゃべっている異質さが希薄だった。
「あんたらは夢やったら何でもありやろ」
わたしの気持ちを言い当てるように、ぬいぐるみが笑う。
「夢、だよね」
ほっと安堵した。どうやら良く見る悪夢とも違うみたいだ。わたしの身代わりになる男の子の惨状を見ることもない。良かった。
「あんたも、ぎょうさん泣いてたなぁ」
「え?」
「自分の腕がもげたわけちゃうのに、何が哀しいんや」
このカバのぬいぐるみは、わたしが繰り返し見る夢を知っているのだろうか。そういう前提の夢?
「あんたも思ったんか? この世界は絶望でできているとか何とか……」
「この世界が絶望でできてる?」
さすがにそこまで哀しいことは思ったことがないな。
「哀しいことや落ち込むことがあっても、良い事もあるよ?」
「さよか。ふつうはそうやろな」
わたしはしゃべるカバのぬいぐるみを抱き上げた。全体的にふっくらしているけれど、お腹の膨らみが不自然に見える。
思わず、ふよふよとお腹を揉んだ。カバのぬいぐるみがぎゃははと笑う。
「やめてんか! こそばいやろ!」
「あ、ごめんね。お腹の中に何か入っているのかなって」
「入ってるで」
「何が入っているの?」
「そんなん言われへんわ!」
「大切なモノ?」
「そうやな。大切やろな」
「やろなって、自分のものじゃないの?」
「ワシのもんや。今はな」
「ふう~ん」
ぬいぐるみと話しているのもおかしいけれど、夢の中では何でもありだ。でも、ふと一郎さんの言葉を思い出す。夢は無限にある別次元の一つ。一時的につながって、見ることが許される世界。そう考えると、こんな不可思議な世界に住んでいる人は大変だな。
「ワシから見たら、あんたらの世界も変やけどな」
「え? そうなの?」
「変やわ。でも面白いわ。とりあえずワシは行くで。お嬢ちゃん、ほんだらな」
急にがくりと足場を失う。
落ちる! と思った瞬間、私は目覚めた。
何か変な夢を見たと思ったけれど、目覚めるとよく覚えていなかった。いつもの悪夢だった気もする。でも、涙で顔が濡れることもなく、寝汗もかいていない。
昨夜、瞳子さんと別れてから再びベッドに横になって、いつのまにか寝入ってしまったみたいだ。午睡の影響は残っているようで、中途半端に目が覚めてしまう。
カーテンの隙間から漏れる光もなく、まだ夜は明けていない。
そっと壁の時計に目を向けると、蛍光の針は五時前を示していた。
(まだ早いな)
それに今日は日曜日だ。学院祭の準備に顔を出す予定だけど、こんなに早起きする必要はない。
(二度寝もできそうにないし)
ゴロゴロと何度か寝返りをうってから、あきらめて身を起こす。
カーディガンを羽織って、リビングルームへ移動した。
室内の隅で、オブジェのような形をした白いフロアランプが、ゆるく灯っている。ソファセットの一角に誰かが座っていた。
(一郎さんも起きてる?)
彼はわたしに気付かない様子で、目元を手で覆っている。ルームウェアに薄い上着を羽織ったラフな様子。けだるげな様子に見えたけれど、声をかけようかと思った時に、ぎくりとした。
(な、泣いてる?)
まさかと戸惑っていると、一郎さんに気配がつたわってしまったのか、こちらを向いた彼とばっちりと目が合ってしまう。
「あやめちゃん」
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