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第十章:信じられない、信じたくない
44:再び異なる夢の中へ
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――AD(全次元)、カウントダウン。
――5。
ジュゼットの腕に抱かれて、ピクリとも動かなかったカバさんが「がはは」と笑い出した。カバさんの所在がまだぬいぐるみの中にあったことにも驚いたけれど、突然の笑い声は心臓を縮みあがらせる。
ジュゼットも小さく悲鳴をあげて、ソファから飛び上がりそうな勢いで華奢な体を上下させた。ココアの入ったマグカップを持っていたけれど、飲み干していたので幸い辺りにまき散らさずにすんだみたい。よかった。
「カバさんは、お昼寝をしていたのではないのですか?」
胸を押さえながら問いかけるジュゼットの声音に、少し非難めいた色があるのは気のせいじゃないと思う。
わたしもとても驚いた。
でも、胸の中で肥大しそうになっていた嫌な想像を遮られて、ホッとした気持ちもある。
「驚かせたんやったら謝るわ、ごめんな、姫さん。それにしても、イチローが守りたいもんか」
どうやらカバさんはわたし達の会話を聞いていたようだ。
「こんな応急処置に奔走しても、結末は変わらんからなぁ。ワシちょっと面白いこと思いついたわ」
疲労困憊しているのは嘘じゃないのかな。声はいつも通りだけど、カバさんの器であるぬいぐるみは、全く動き出す気配がない。
「何のお話をしているんですの?」
ジュゼットがわからないと顔をしかめている。わたしは次郎君と顔を見合わせた。彼もカバさんの示すことがわからないみたいで、首を横に振る。
「ワシとイチローは一蓮托生っちゅうヤツやな」
「兄貴とおまえが一蓮托生?」
ガハハと笑うカバさんに、次郎くんが剣呑な声を出した。
「まぁワシはどっちに転んでもええんやけど。面白かったらどっちでもええ」
カバさんの不可解な話運びに嫌な予感が高まる。次郎君も同じ気持ちなのかもしれない。
「魔が差したんやろなぁ。すごい疲れてるけど、あんたらに付き合うのも面白そうやから、ええもん見せたるわ」
「ええもん?」
「そうやで。失われた思い出は山のようにあるねん。イチローが望んだぶんだけな」
次郎君が息をのむような顔をする。わたしは再び肥大しはじめた不安な予感に息苦しくなった。掌に汗がにじみはじめる。
心の準備を整えるまもなく、以前コスモス畑に連れだされたように、カバさんはわたし達を夏の情景に放りだした。
眩しい! というのが、はじめの感想だった。圧倒的な陽光がじりじりと照り付けている。目が慣れるのに一呼吸必要だった。
快晴の空は青い。遠くにもこもこと膨らむ入道雲が見えた。潮の香りがする。
さっきまで体重を預けていたソファは跡形もない。室内の模様も、何もかもが、真夏の光景にのまれて蒸発してしまったように、消え失せていた。
わたしはカバさんの仕掛けた唐突な行いについて、すでに体験済みだけど、ジュゼットと次郎君は茫然と目を瞠っている。ソファの代わりに、突如現れた砂浜に座り込んだまま、言葉もないみたいだ。
いちはやく気持ちを立て直して、わたしは砂浜から立ち上がった。
辺りは賑やかで、たくさんの人が夏の海を満喫している。色鮮やかな浮き輪が、海面にいくつも浮かんでいた。家族やグループ、カップルがたむろして、楽しそうに波で遊んでいる。
夏の海なんて、久しぶりだ。ぼんやりとそんなことを思いながら、わたしは戸惑っているジュゼットに「大丈夫だよ」と声をかけた。彼女が立ち上がるのに手を貸してあげる。
次郎君はすぐに気持ちを立て直したのか、素早く立ち上げると砂をはたく仕草をしている。でもすぐに異変に気付いたのだろう、不自然に手の動きが止まった。
「これは、夢の中か?」
さすがに次郎君は飲み込みが早い。もしかすると人の夢の中に入った時も、こんな感じなのかな。
カバさんはガハハと可笑しそうに笑う。
「そうやな。でも、夢は夢でもただの夢とちゃうで」
いつかわたしに言ったセリフと同じだ。カバさんは相変わらずジュゼットの腕に抱かれている。自分で飛んだり歩いたりする様子はない。疲れているというのは、本当に嘘じゃないみたいだ。
「あんたとお嬢ちゃんの、また一味違う思い出やで」
「え?」
聞き返すわたしの目の前で、わたしは再び、もう一人のわたしに出会った。
――5。
ジュゼットの腕に抱かれて、ピクリとも動かなかったカバさんが「がはは」と笑い出した。カバさんの所在がまだぬいぐるみの中にあったことにも驚いたけれど、突然の笑い声は心臓を縮みあがらせる。
ジュゼットも小さく悲鳴をあげて、ソファから飛び上がりそうな勢いで華奢な体を上下させた。ココアの入ったマグカップを持っていたけれど、飲み干していたので幸い辺りにまき散らさずにすんだみたい。よかった。
「カバさんは、お昼寝をしていたのではないのですか?」
胸を押さえながら問いかけるジュゼットの声音に、少し非難めいた色があるのは気のせいじゃないと思う。
わたしもとても驚いた。
でも、胸の中で肥大しそうになっていた嫌な想像を遮られて、ホッとした気持ちもある。
「驚かせたんやったら謝るわ、ごめんな、姫さん。それにしても、イチローが守りたいもんか」
どうやらカバさんはわたし達の会話を聞いていたようだ。
「こんな応急処置に奔走しても、結末は変わらんからなぁ。ワシちょっと面白いこと思いついたわ」
疲労困憊しているのは嘘じゃないのかな。声はいつも通りだけど、カバさんの器であるぬいぐるみは、全く動き出す気配がない。
「何のお話をしているんですの?」
ジュゼットがわからないと顔をしかめている。わたしは次郎君と顔を見合わせた。彼もカバさんの示すことがわからないみたいで、首を横に振る。
「ワシとイチローは一蓮托生っちゅうヤツやな」
「兄貴とおまえが一蓮托生?」
ガハハと笑うカバさんに、次郎くんが剣呑な声を出した。
「まぁワシはどっちに転んでもええんやけど。面白かったらどっちでもええ」
カバさんの不可解な話運びに嫌な予感が高まる。次郎君も同じ気持ちなのかもしれない。
「魔が差したんやろなぁ。すごい疲れてるけど、あんたらに付き合うのも面白そうやから、ええもん見せたるわ」
「ええもん?」
「そうやで。失われた思い出は山のようにあるねん。イチローが望んだぶんだけな」
次郎君が息をのむような顔をする。わたしは再び肥大しはじめた不安な予感に息苦しくなった。掌に汗がにじみはじめる。
心の準備を整えるまもなく、以前コスモス畑に連れだされたように、カバさんはわたし達を夏の情景に放りだした。
眩しい! というのが、はじめの感想だった。圧倒的な陽光がじりじりと照り付けている。目が慣れるのに一呼吸必要だった。
快晴の空は青い。遠くにもこもこと膨らむ入道雲が見えた。潮の香りがする。
さっきまで体重を預けていたソファは跡形もない。室内の模様も、何もかもが、真夏の光景にのまれて蒸発してしまったように、消え失せていた。
わたしはカバさんの仕掛けた唐突な行いについて、すでに体験済みだけど、ジュゼットと次郎君は茫然と目を瞠っている。ソファの代わりに、突如現れた砂浜に座り込んだまま、言葉もないみたいだ。
いちはやく気持ちを立て直して、わたしは砂浜から立ち上がった。
辺りは賑やかで、たくさんの人が夏の海を満喫している。色鮮やかな浮き輪が、海面にいくつも浮かんでいた。家族やグループ、カップルがたむろして、楽しそうに波で遊んでいる。
夏の海なんて、久しぶりだ。ぼんやりとそんなことを思いながら、わたしは戸惑っているジュゼットに「大丈夫だよ」と声をかけた。彼女が立ち上がるのに手を貸してあげる。
次郎君はすぐに気持ちを立て直したのか、素早く立ち上げると砂をはたく仕草をしている。でもすぐに異変に気付いたのだろう、不自然に手の動きが止まった。
「これは、夢の中か?」
さすがに次郎君は飲み込みが早い。もしかすると人の夢の中に入った時も、こんな感じなのかな。
カバさんはガハハと可笑しそうに笑う。
「そうやな。でも、夢は夢でもただの夢とちゃうで」
いつかわたしに言ったセリフと同じだ。カバさんは相変わらずジュゼットの腕に抱かれている。自分で飛んだり歩いたりする様子はない。疲れているというのは、本当に嘘じゃないみたいだ。
「あんたとお嬢ちゃんの、また一味違う思い出やで」
「え?」
聞き返すわたしの目の前で、わたしは再び、もう一人のわたしに出会った。
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