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第三章:帝と妖
15:九尾の妖狐
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二人は御座所の隣に設けられた麒麟の間へと案内された。まるで山頂に築かれた御殿のように、麒麟の間からは雲海がみえる。どういうカラクリになっているのかは可畏にもわからない。
帝はあまたの妖を使役できる稀有な能力者である。千里眼も帝が夢見を行うわけではなく、彼が使役した九尾の妖狐――玉藻を介して視ているのだ。
「とりあえず、無事に可畏との出会いを果たした彼女に、羅刹の花嫁について説明すべきだな」
麒麟の間へ入ると、帝は徽章がならぶ上着を脱いで、くつろいだ様子をみせる。
帝の結界内にあり、真の御座所をもつ豊礼殿も和洋折衷な殿舎で、外見は和風建築のようだが内装は洋風を模している。外界から遮断された結界内には、帝と玉藻、可畏と葛葉、そして夜叉の五人しかいない。夜叉いがいの四人が、ルネサンス様式の美しい椅子をひき、長い卓につくと、帝の式鬼が接待のために茶器を用意した。
葛葉もはじめのような極度の緊張からは開放されたようだ。進められるがまま珈琲をすすっている。彼女の背後から上体だけ見せている夜叉が、皿に守られた茶菓子を見て目を輝かせていた。
可畏は帝の式鬼に、夜叉が望むだけの茶菓子を出すようにうながす。嬉々として茶菓子をほおばる夜叉をみて、葛葉が「鬼なのに」とおかしそうに笑った。
「では、葛葉」
帝に呼ばれて、葛葉がびくりと背筋をのばす。
「はい」
「まず君に説明しよう。羅刹の花嫁とは、ここにいる玉藻が夢見――いわゆる千里眼で示した存在だ」
「あの、天子様。玉藻様はいったいどういうお方なのでしょうか?」
「彼女は私が使役している妖だ」
帝が玉藻の正体を明かすと、葛葉がたじろいだのがわかる。彼女の顔を隠す長い前髪が邪魔だが、それでも表情が伝わってきた。
葛葉も特務科で学んでいるなら、異能と異形、そして妖についての知識はそなえている。
世間では妖と異形がわけて考えられることは少ないが、異能者の立場から見ると両者には決定的な違いがあった。妖は古来から人に紛れて生きてきた妖怪や魑魅魍魎の類である。中には人に害をなす者もあり、そういった妖は討伐の対象になるが、よほどの大妖でない限り調伏するのはたやすい。仮に玉藻のような大妖であっても、帝のような強力な能力者があれば人に仇なす存在となることはない。
妖と人には共存の希望がみえる。
一方で、異形は調伏できない。人を屠るだけの化け物である。遭遇したら異能の炎で焼くしか倒す術がないのだ。
結果として、妖は屍を残さないが異形は遺体が残る。
妖にも人の想念や怨念を糧として誕生する者があるが、数多くの異形を討伐してきた可畏には、異形という存在の不自然さがぬぐえない。
古来より存在する妖とは異なる、もっと人為的な作為をもった発生源があるのではないかと感じはじめていた。
「異形への脅威は高まる一方で、今のところ特務部の討伐以外の打開策がない。これには政府も頭を抱えている。我が国は開国をして海外諸国との関係を築いているが、このままでは国際問題に発展するだろう。遠くない将来に、この島国は異形のはびこる危険な地域として封鎖される。望まぬ鎖国の時代に逆戻りだ」
帝の説明を聞いて、葛葉は想像以上に事態が逼迫していることに気づいたようだ。緊張した声が問いかえす。
「そのような情勢と、千里眼で示された羅刹の花嫁にどのような関係があるのですか?」
「際限なく発生する異形には、羅刹という鬼が関わっている」
「羅刹?」
「そう、羅刹は妖というよりは神に近く異能者の手にも負えない強大な鬼神だ」
葛葉がぶるっと身ぶるいする。
「まさか、わたしがその鬼神の生贄になるとか、そういうお話でしょうか?」
「葛葉、それは違う」
彼女の怯える心が手にとるようにわかってしまい、可畏は咄嗟に否定していた。帝の隣にかけている玉藻がくすりと笑みをもらす。
「ここからは妾が説明しよう。妾が視たのは、折れた羅刹の角じゃ」
「角ですか?」
「そうじゃ。鬼の角が人の手に渡ったとなると厄介きわまりない」
「でも鬼神の角を折るなんて、不可能なのでは?」
玉藻はうなずいた。
「問題はそこじゃ。それを可能にした者がある。鬼神を堕したとなると、敵は相当な力の持ち主であろう」
「羅刹の角を折ったのは、人間なのですか?」
「陛下と可畏は、特務華族の中に紛れていると考えておる」
「特務華族の中に? ではもしかして軍にも?」
こちらを見る葛葉に、可畏は首肯した。
「可能性は否定できない」
「そんな……、あ、でも、それでわたしがどのように役立つのでしょうか?」
「「羅刹の花嫁」というのは、そなたの異能の名じゃ。可畏の異能が「羅刹の業火」と言われていることと同じ」
「わたしの異能? でも、わたしは大した力もありませんが」
「まだ知らぬだけじゃ。いや、そなたはもう感じておっただろう。自分が他のものとは異なると言うことを」
「それは」
葛葉の指先が、目元をかくす長い前髪にふれた。幼い頃からの数奇な体験の意味。
彼女には痛いほど自覚があるだろう。人と目を合わせることが禁忌なのだと思いこむほどに、幼い彼女の世界は特殊な体験で完成されていたのだ。
玉藻が赤い唇で囁くように告げる。
「可畏の炎は解放の攻撃だが、そなたの力は封印の守り。そなたの異能はいずれ羅刹の封印を叶える。強い鬼ほどそなたには抗えまい。鬼も一途な妖であるからな」
玉藻が葛葉から可畏へと目を向ける。まるで憐れむような眼差しだった。
九尾の妖狐がもつ千里眼。可畏には彼女が何を視ているのかわからない。だが、わからない方が良いのだろう。どんな助言を受けても、自分の役目が覆ることはないのだ。
「葛葉。羅刹の花嫁がどういうものであるか、理解したか?」
可畏が問うと、彼女は困惑気味に頷いた。
「意味は理解したと思います。でも、わたしがどのように御門様のお役に立てるのかわかりません」
「「羅刹の花嫁」は切り札のようなものだが、その能力の利用価値ははかりしれない」
「あ……」
「おまえが羅刹を堕した者の手に奪われると、異形による被害はさらに甚大なものになるだろう。だから、おまえは私の傍にあるだけで価値がある」
「もしかして、御門様との婚約は、わたしを敵から守るための政略結婚ですか?」
「……まぁ、そうだな」
曖昧に頷くと、葛葉は目に見えてがっかりと肩を落とした。
「それでは御門様にとって、わたしはただの足手まといですね」
「自分を卑下するのはやめろ。おまえは重要な切り札だ。羅刹の消息にたどり着いた時には働いてもらう。角を折られた荒ぶる鬼神が相手だぞ。羅刹の封印はおまえにしかできない。自分が特別な人間だと言う自覚をもて」
「は、はい!」
焚き付けると、葛葉は立ち上がりそうな勢いで返事をする。
可畏はにやにやとこちらを見ている帝に向き直った。
「陛下が花嫁を隠していた理由は、なんとなく察しがつきました。隠していても、彼女には幼い頃から災難が降りかかった。相当な存在感なのでしょうね。そして、やはり帝の知るところで、彼女をめぐって怪しい動きがあったのですか?」
可畏にも心当たりがあるが、まだ口にするのは憚られた。
帝の千里眼をもってしても正体に辿り着けないのだ。甘くみるべき相手ではない。
「そうだな。敵を欺くには味方からだと言うだろう。花嫁は絶対に守らねばならなかったからね。倉橋侯爵は全面的に協力してくれた。彼らにきつく当たらないでくれよ、可畏」
「わかりました」
可畏は茶菓子を平らげておかわりを要求している夜叉と、それを宥めている葛葉を見た。彼女に聞かれないように、声を落としてさりげなく玉藻にたしかめる。
「幼い葛葉を守っていた彼女の祖母は、もしかして……」
おそらく葛葉を守るための妖だろう。可畏の予想を裏付けるように、玉藻が低くささやく。
「そう、妾の同胞の尾崎じゃ。火災から行方が掴めぬ」
正体はどうであれ、祖母を見つけ出すという葛葉の目的が失われることはないようだ。できれば再会を果たしてほしいが、敵は羅刹を手中におさめるほどの相手である。
ながく花嫁を守っていた妖狐の安否にも暗雲が立ちこめている。
(葛葉が悲しむようなことにならなければいいが……)
帝はあまたの妖を使役できる稀有な能力者である。千里眼も帝が夢見を行うわけではなく、彼が使役した九尾の妖狐――玉藻を介して視ているのだ。
「とりあえず、無事に可畏との出会いを果たした彼女に、羅刹の花嫁について説明すべきだな」
麒麟の間へ入ると、帝は徽章がならぶ上着を脱いで、くつろいだ様子をみせる。
帝の結界内にあり、真の御座所をもつ豊礼殿も和洋折衷な殿舎で、外見は和風建築のようだが内装は洋風を模している。外界から遮断された結界内には、帝と玉藻、可畏と葛葉、そして夜叉の五人しかいない。夜叉いがいの四人が、ルネサンス様式の美しい椅子をひき、長い卓につくと、帝の式鬼が接待のために茶器を用意した。
葛葉もはじめのような極度の緊張からは開放されたようだ。進められるがまま珈琲をすすっている。彼女の背後から上体だけ見せている夜叉が、皿に守られた茶菓子を見て目を輝かせていた。
可畏は帝の式鬼に、夜叉が望むだけの茶菓子を出すようにうながす。嬉々として茶菓子をほおばる夜叉をみて、葛葉が「鬼なのに」とおかしそうに笑った。
「では、葛葉」
帝に呼ばれて、葛葉がびくりと背筋をのばす。
「はい」
「まず君に説明しよう。羅刹の花嫁とは、ここにいる玉藻が夢見――いわゆる千里眼で示した存在だ」
「あの、天子様。玉藻様はいったいどういうお方なのでしょうか?」
「彼女は私が使役している妖だ」
帝が玉藻の正体を明かすと、葛葉がたじろいだのがわかる。彼女の顔を隠す長い前髪が邪魔だが、それでも表情が伝わってきた。
葛葉も特務科で学んでいるなら、異能と異形、そして妖についての知識はそなえている。
世間では妖と異形がわけて考えられることは少ないが、異能者の立場から見ると両者には決定的な違いがあった。妖は古来から人に紛れて生きてきた妖怪や魑魅魍魎の類である。中には人に害をなす者もあり、そういった妖は討伐の対象になるが、よほどの大妖でない限り調伏するのはたやすい。仮に玉藻のような大妖であっても、帝のような強力な能力者があれば人に仇なす存在となることはない。
妖と人には共存の希望がみえる。
一方で、異形は調伏できない。人を屠るだけの化け物である。遭遇したら異能の炎で焼くしか倒す術がないのだ。
結果として、妖は屍を残さないが異形は遺体が残る。
妖にも人の想念や怨念を糧として誕生する者があるが、数多くの異形を討伐してきた可畏には、異形という存在の不自然さがぬぐえない。
古来より存在する妖とは異なる、もっと人為的な作為をもった発生源があるのではないかと感じはじめていた。
「異形への脅威は高まる一方で、今のところ特務部の討伐以外の打開策がない。これには政府も頭を抱えている。我が国は開国をして海外諸国との関係を築いているが、このままでは国際問題に発展するだろう。遠くない将来に、この島国は異形のはびこる危険な地域として封鎖される。望まぬ鎖国の時代に逆戻りだ」
帝の説明を聞いて、葛葉は想像以上に事態が逼迫していることに気づいたようだ。緊張した声が問いかえす。
「そのような情勢と、千里眼で示された羅刹の花嫁にどのような関係があるのですか?」
「際限なく発生する異形には、羅刹という鬼が関わっている」
「羅刹?」
「そう、羅刹は妖というよりは神に近く異能者の手にも負えない強大な鬼神だ」
葛葉がぶるっと身ぶるいする。
「まさか、わたしがその鬼神の生贄になるとか、そういうお話でしょうか?」
「葛葉、それは違う」
彼女の怯える心が手にとるようにわかってしまい、可畏は咄嗟に否定していた。帝の隣にかけている玉藻がくすりと笑みをもらす。
「ここからは妾が説明しよう。妾が視たのは、折れた羅刹の角じゃ」
「角ですか?」
「そうじゃ。鬼の角が人の手に渡ったとなると厄介きわまりない」
「でも鬼神の角を折るなんて、不可能なのでは?」
玉藻はうなずいた。
「問題はそこじゃ。それを可能にした者がある。鬼神を堕したとなると、敵は相当な力の持ち主であろう」
「羅刹の角を折ったのは、人間なのですか?」
「陛下と可畏は、特務華族の中に紛れていると考えておる」
「特務華族の中に? ではもしかして軍にも?」
こちらを見る葛葉に、可畏は首肯した。
「可能性は否定できない」
「そんな……、あ、でも、それでわたしがどのように役立つのでしょうか?」
「「羅刹の花嫁」というのは、そなたの異能の名じゃ。可畏の異能が「羅刹の業火」と言われていることと同じ」
「わたしの異能? でも、わたしは大した力もありませんが」
「まだ知らぬだけじゃ。いや、そなたはもう感じておっただろう。自分が他のものとは異なると言うことを」
「それは」
葛葉の指先が、目元をかくす長い前髪にふれた。幼い頃からの数奇な体験の意味。
彼女には痛いほど自覚があるだろう。人と目を合わせることが禁忌なのだと思いこむほどに、幼い彼女の世界は特殊な体験で完成されていたのだ。
玉藻が赤い唇で囁くように告げる。
「可畏の炎は解放の攻撃だが、そなたの力は封印の守り。そなたの異能はいずれ羅刹の封印を叶える。強い鬼ほどそなたには抗えまい。鬼も一途な妖であるからな」
玉藻が葛葉から可畏へと目を向ける。まるで憐れむような眼差しだった。
九尾の妖狐がもつ千里眼。可畏には彼女が何を視ているのかわからない。だが、わからない方が良いのだろう。どんな助言を受けても、自分の役目が覆ることはないのだ。
「葛葉。羅刹の花嫁がどういうものであるか、理解したか?」
可畏が問うと、彼女は困惑気味に頷いた。
「意味は理解したと思います。でも、わたしがどのように御門様のお役に立てるのかわかりません」
「「羅刹の花嫁」は切り札のようなものだが、その能力の利用価値ははかりしれない」
「あ……」
「おまえが羅刹を堕した者の手に奪われると、異形による被害はさらに甚大なものになるだろう。だから、おまえは私の傍にあるだけで価値がある」
「もしかして、御門様との婚約は、わたしを敵から守るための政略結婚ですか?」
「……まぁ、そうだな」
曖昧に頷くと、葛葉は目に見えてがっかりと肩を落とした。
「それでは御門様にとって、わたしはただの足手まといですね」
「自分を卑下するのはやめろ。おまえは重要な切り札だ。羅刹の消息にたどり着いた時には働いてもらう。角を折られた荒ぶる鬼神が相手だぞ。羅刹の封印はおまえにしかできない。自分が特別な人間だと言う自覚をもて」
「は、はい!」
焚き付けると、葛葉は立ち上がりそうな勢いで返事をする。
可畏はにやにやとこちらを見ている帝に向き直った。
「陛下が花嫁を隠していた理由は、なんとなく察しがつきました。隠していても、彼女には幼い頃から災難が降りかかった。相当な存在感なのでしょうね。そして、やはり帝の知るところで、彼女をめぐって怪しい動きがあったのですか?」
可畏にも心当たりがあるが、まだ口にするのは憚られた。
帝の千里眼をもってしても正体に辿り着けないのだ。甘くみるべき相手ではない。
「そうだな。敵を欺くには味方からだと言うだろう。花嫁は絶対に守らねばならなかったからね。倉橋侯爵は全面的に協力してくれた。彼らにきつく当たらないでくれよ、可畏」
「わかりました」
可畏は茶菓子を平らげておかわりを要求している夜叉と、それを宥めている葛葉を見た。彼女に聞かれないように、声を落としてさりげなく玉藻にたしかめる。
「幼い葛葉を守っていた彼女の祖母は、もしかして……」
おそらく葛葉を守るための妖だろう。可畏の予想を裏付けるように、玉藻が低くささやく。
「そう、妾の同胞の尾崎じゃ。火災から行方が掴めぬ」
正体はどうであれ、祖母を見つけ出すという葛葉の目的が失われることはないようだ。できれば再会を果たしてほしいが、敵は羅刹を手中におさめるほどの相手である。
ながく花嫁を守っていた妖狐の安否にも暗雲が立ちこめている。
(葛葉が悲しむようなことにならなければいいが……)
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