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第六章:鬼火と異形
29:隠されていた罪
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「え?……、でも彼女には」
千代は親がいないと言っていたのだ。黙々とカレーを食べる彼女を見ながら葛葉は逡巡する。
まだ幼いために、彼女の話はたどたどしくて要領を得ない。根気よく理解したつもりだったが、うまく聞き出せていなかったのだろうか。
「あの、千代ちゃん」
葛葉はふたたび彼女の隣にすわって声をかける。
「お母さんが迎えに来たみたいなんだけど……」
「おかあさん」
千代がにっと笑顔になったのをみて、葛葉は隊員と顔を見合わせた。母親を否定するような素振りでもない。
「会わせてみれば、どういう関係なのかわかるのでは?」
「そうですね」
特務隊の屋敷を訪れるような不審者がいるとも思えない。おかしな素振りがあれば、隊員にすぐに取り押さえれるだろう。
葛葉は千代の横について、隊員に案内されて入ってきた女をみた。
顔色が悪いというのが第一印象だった。 長い髪を無造作に後ろで結っている。健康状態の悪そうな、痩せた体躯。着物越しにでもよくわかる。しっかりとした着付だったが、とってつけた印象があった。
千代には女のような栄養失調の兆しはない。何か病を患っているのかもしれない。
「ここに、いたのね」
女は再会を喜んで千代に駆け寄ることもなく、広間の敷居を踏んだまま佇んでいる。
「みつけた」
(ーーみつけた)
ざわりと葛葉の背筋が凍りつく。その声に既視感があった。
「ここに、いた」
女は千代ではなく、じっと葛葉を凝視したままだった。感情のない目が、葛葉の恐れを刺激する。
じっと自分を見つめる目。
いけないと、心の裏が警鐘を鳴らす。
不吉な予兆を感じたように、体がこわばって震えだした。
目を見てはいけない。何か良くないことが起きる。
良くないこと。
「お姉ちゃん」
女と対峙したまま、身動きができない葛葉の袖をくいくいと千代がひっぱる。ハッと呪縛から解かれたように、葛葉は千代の顔を見た。
「お迎えがきたよ」
ぞっと競り上がる戦慄。じっと自分を見つめる童女の目が笑っていた。
とてつもない既視感に襲われて、葛葉はぐっと目を閉じた。
「みつけた」
女の声に、重なる情景がある。
(みつけた)
脳裏に蘇る声。止まっていた時を取り戻すかのように、流れだす記憶。
ススキ野原に囲まれた小さな家。時折、集落の友だちがやってきた。彼らと野原を駆け回って遊ぶことは、日常茶飯事であり、珍しくもなかった。
(あの時の子……)
いつも集落の友だちと共にいた童女。葛葉にとっては、他の友だちと何も変わらない存在だった。
だから彼女が一人で葛葉の家を訪れてきた時も、何も警戒はしなかったのだ。
(黒目がちの瞳。二つに結った髪)
じっとこちらを見つめる瞳が、印象的だった友だち。祖母が不在の家の前で、二人きりで石けりをしてあそんでいた。
(お迎えがきたよ)
空が黄昏に染まりはじめた頃だった。一緒にあそんでいた童女が葛葉をみて笑いながら、そう言った。
いつのまにか、一人の女がそこにいた。
(ここに、いたのね)
女の声には抑揚がなかった。顔色の悪い痩せた女だった。
(みつけた)
肉のない筋だらけの腕が、幼い葛葉を捕らえようとのびてきた。幽鬼のように色のない顔。何を見ているのかわからない瞳。
捕まってはいけないという危機感だけが、葛葉を突き動かした。
そして。
「葛葉殿!」
隊員の声が記憶をたどっていた葛葉の意識を引きもどす。
千代の母親を名乗った女と目があった。記憶の中と女と同じ、無機質な眼。
「みつけた」
葛葉につかみかかろうとする細い腕が、目前に迫っている。
「あ……」
すぐに隊員が女を羽交い締めにして動きを封じる。その場に引き倒された女が、甲高い悲鳴を発した。
まるで断末魔のような金切声。
その声がすべての答えだった。
(あの時と、同じ)
隊員に取り押さえられてもがく女を見ながら、葛葉は別の情景を見ていた。
隠されていた自分の罪が、胸の内で暴かれていく。
火に焼かれながら、悲鳴をあげていた人影。
葛葉は思わず耳を塞いでしまう。
(そうだ、わたしは)
あの日。ススキ野原にある小さな家の前で。
(わたしは、人を殺した……)
異形でも妖でもなかった、一人の女を。
千代は親がいないと言っていたのだ。黙々とカレーを食べる彼女を見ながら葛葉は逡巡する。
まだ幼いために、彼女の話はたどたどしくて要領を得ない。根気よく理解したつもりだったが、うまく聞き出せていなかったのだろうか。
「あの、千代ちゃん」
葛葉はふたたび彼女の隣にすわって声をかける。
「お母さんが迎えに来たみたいなんだけど……」
「おかあさん」
千代がにっと笑顔になったのをみて、葛葉は隊員と顔を見合わせた。母親を否定するような素振りでもない。
「会わせてみれば、どういう関係なのかわかるのでは?」
「そうですね」
特務隊の屋敷を訪れるような不審者がいるとも思えない。おかしな素振りがあれば、隊員にすぐに取り押さえれるだろう。
葛葉は千代の横について、隊員に案内されて入ってきた女をみた。
顔色が悪いというのが第一印象だった。 長い髪を無造作に後ろで結っている。健康状態の悪そうな、痩せた体躯。着物越しにでもよくわかる。しっかりとした着付だったが、とってつけた印象があった。
千代には女のような栄養失調の兆しはない。何か病を患っているのかもしれない。
「ここに、いたのね」
女は再会を喜んで千代に駆け寄ることもなく、広間の敷居を踏んだまま佇んでいる。
「みつけた」
(ーーみつけた)
ざわりと葛葉の背筋が凍りつく。その声に既視感があった。
「ここに、いた」
女は千代ではなく、じっと葛葉を凝視したままだった。感情のない目が、葛葉の恐れを刺激する。
じっと自分を見つめる目。
いけないと、心の裏が警鐘を鳴らす。
不吉な予兆を感じたように、体がこわばって震えだした。
目を見てはいけない。何か良くないことが起きる。
良くないこと。
「お姉ちゃん」
女と対峙したまま、身動きができない葛葉の袖をくいくいと千代がひっぱる。ハッと呪縛から解かれたように、葛葉は千代の顔を見た。
「お迎えがきたよ」
ぞっと競り上がる戦慄。じっと自分を見つめる童女の目が笑っていた。
とてつもない既視感に襲われて、葛葉はぐっと目を閉じた。
「みつけた」
女の声に、重なる情景がある。
(みつけた)
脳裏に蘇る声。止まっていた時を取り戻すかのように、流れだす記憶。
ススキ野原に囲まれた小さな家。時折、集落の友だちがやってきた。彼らと野原を駆け回って遊ぶことは、日常茶飯事であり、珍しくもなかった。
(あの時の子……)
いつも集落の友だちと共にいた童女。葛葉にとっては、他の友だちと何も変わらない存在だった。
だから彼女が一人で葛葉の家を訪れてきた時も、何も警戒はしなかったのだ。
(黒目がちの瞳。二つに結った髪)
じっとこちらを見つめる瞳が、印象的だった友だち。祖母が不在の家の前で、二人きりで石けりをしてあそんでいた。
(お迎えがきたよ)
空が黄昏に染まりはじめた頃だった。一緒にあそんでいた童女が葛葉をみて笑いながら、そう言った。
いつのまにか、一人の女がそこにいた。
(ここに、いたのね)
女の声には抑揚がなかった。顔色の悪い痩せた女だった。
(みつけた)
肉のない筋だらけの腕が、幼い葛葉を捕らえようとのびてきた。幽鬼のように色のない顔。何を見ているのかわからない瞳。
捕まってはいけないという危機感だけが、葛葉を突き動かした。
そして。
「葛葉殿!」
隊員の声が記憶をたどっていた葛葉の意識を引きもどす。
千代の母親を名乗った女と目があった。記憶の中と女と同じ、無機質な眼。
「みつけた」
葛葉につかみかかろうとする細い腕が、目前に迫っている。
「あ……」
すぐに隊員が女を羽交い締めにして動きを封じる。その場に引き倒された女が、甲高い悲鳴を発した。
まるで断末魔のような金切声。
その声がすべての答えだった。
(あの時と、同じ)
隊員に取り押さえられてもがく女を見ながら、葛葉は別の情景を見ていた。
隠されていた自分の罪が、胸の内で暴かれていく。
火に焼かれながら、悲鳴をあげていた人影。
葛葉は思わず耳を塞いでしまう。
(そうだ、わたしは)
あの日。ススキ野原にある小さな家の前で。
(わたしは、人を殺した……)
異形でも妖でもなかった、一人の女を。
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