羅刹の花嫁 〜帝都、鬼神討伐異聞〜

長月京子

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第九章:古井戸の遺体

44:不自然な住まい

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「それが……」

 座卓を挟んで向かいに座る女将は、ばつが悪そうに視線をさげた。

「お恥ずかしい話ですが、私はたえが裏手のどの辺りに住んでいるのかは知らないのです。すべて主人が手配したようで」

「ご主人が?」

「はい。ですが、店の者が知っているはずなので案内させましょう」

「――それは助かります」

 抑揚のない調子で、可畏かいが謝辞を示している。言葉とは裏腹に表情が固い。葛葉くずははふたたび違和感を覚えたが、すぐに女将の呼び寄せた使用人がやってきた。

「ご案内いたします」

 女将に変わって出てきたのは、玄関で出迎えてくれた青年だった。

「開店前の忙しい時に申し訳ない」

 可畏かいが会釈すると、使用人の青年は戸惑いがちに頭をさげて歩きだす。葛葉くずはにも青年の気持ちがすこし理解できた。可畏かいは特務部の大将という地位にありながら、どんな人間に対しても敬意をはらうことを忘れない。

 肩書きや怜悧な雰囲気から、葛葉くずはもはじめは横柄で酷薄な印象を持っていた。けれど、実際の人となりには想像以上に人情味があった。

「君はたえのことを知っているのか?」

 前を歩く青年に、可畏かいは世間話をするような気やすさで声をかけた。青年は振り返って歩調をおとすと、「はい」とうなずく。可畏かいに萎縮して固くなっていた気配が、すこし柔らかくなった。

たえとは同僚です。でも、彼女が長屋へ移ってからは顔を見たことがありません」

「見舞ったことがないと?」

「はい。ご主人が近づいてはいけないと。女将さんに言われたのでご案内はしますが、ご主人に了解がないとたえに会うのは難しいと思います」

「彼女の住まいには入れなくなっているのか?」

「はい。あまりにも厳重に隔離されているので、結核ではないかと噂するものもありますが……」

「何か気になることが?」

「あ、いえ、何も」

 口を滑らせたと言いたげに、青年が狼狽えている。何か言いにくいことでもあるのだろうか。勘の鈍い葛葉くずはにも伝わってくるのだ。可畏かいが気づかないはずもない。

「君が言いにくのなら、私が当てて見せようか」

 どんなふうに探るのかと葛葉くずはが二人を見比べていると、可畏かいが意外なことを告げた。

「用意された長屋の住まいに、たえはいなかった」

 「え?」という青年と葛葉くずはの声が重なる。葛葉くずははあわてて口元を手でおさえたが、青年は驚いたように可畏かいを見ていた。

「どうやら当たりのようだな」

 可畏かいは不敵に笑っているが、青年の顔は目に見えて青くなっている。

「心配しなくても君に聞いたとは言わない。我々は君が不利になるようなことは口外しないし、そもそも私はすでに知っていた。そうだろう?」

「あ……、でも、どうして? どうしてそれを?」

「我々は彼女の本当の居場所を把握している」

 葛葉くずはは再び驚きの声をあげそうになったが、幸い口元は手でふさいでいる。どういうことかと食い入るように可畏かいを見つめていると、葛葉くずはの気迫が伝わったのかちらりと視線があった。

 青年は好奇心で目を輝かせる葛葉くずはとは裏腹に「そうだったのですか」と肩の力を抜く。

たえの具合はどうなんでしょうか?」

「君はたえが本当に病を患っていたと思っているのか?」

「では、病気というのは嘘だったんですか?」

 青年の表情にはあまり驚きの色がない。可畏かいが小さく笑った。

「君はたえの病を不自然に感じていたのか?」

「……いえ、決してそういうわけでは。ただ、その、――あまりにも突然店に顔を出さなくなったので」

「突然?」

「はい。前日までは変わらず働いていたのに、ご主人が急に病気で療養させていると……」

「そうか」

 歩みをとめた青年に、可畏かいは道案内をうながす。青年が不思議そうに首を傾けた。

たえがいないのに訪れるんですか?」

「確認したいことがあるんだ。ついでに君が知っていることも話してくれ」

「知っていることと言っても……」

 たえの住まいには立ち入りが禁じられているが、青年は様子を探るために主人の目を盗んで見舞いに行ったらしい。訪れてみると長屋はもぬけの空で、周辺一帯には誰も住んでいないようだった。

たえは読み書きのできない子どもに字を教えたりもしていたので。この辺りでは人気者で、彼女を心配して密かに見舞いへ行こうと思った者は、私以外にもいたと思います」

 可畏かい葛葉くずはが知っているたえの人柄と一致する。葛葉くずははあらためて尊敬できる女性だったのだと、嬉しくなった。

「でもご主人は誰かが入ったことに気付いたのか、たえの住まいへ続く道へ門をつくって閉鎖しました。その門まではご案内できますが、今はそこから先には進めません」

「彼女がいないことを知られたくないんだろうな。まぁ当然だが……」

 店をかまえている大通りとは違い、閑散とした様子の長屋が並んでいる。町屋で働く使用人の住まいとして生活感があったが、だんだんと空き家が目立つようになってきた。

 老朽化が進み通り全体に補修が必要な時期に、ちょうど鉄道馬車で人の流れが変わってしまった。いずれあの廃屋と同じように、この裏手の通りも廃れてしまうのだろうか。

 少し手入れをすれば活気のもどりそうな家屋である。葛葉くずはにはもったいない気がした。
 やがて青年が木材を組んで作られた門の前で歩みを止めた。忍び込もうと思えば忍び込めるような簡易的な作りに見える。葛葉くずはは思わず本音を呟いた。

「入ろうと思えば、入れそうですね」
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