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第十章:呪符と術者
47:蘆屋の結界
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「……なるほど」
可畏が一歩門に近づくと、ぱちりと音がした。彼が進むたびにぱちりぱちりと辺りで音が鳴る。
門の内外をわける境界へ踏み込んだ時、ふたたびばしりと閃光が走った。けれど先刻とは異なり、可畏は閃光をものともせず、さらに歩みを進める。彼の周りでばちばちと火花が弾けて、仄暗い夕闇の中に長身の影が描き出されていた。
こちらへ近づいてくる可畏から離れるように、三河屋の主人がじりじりと後ずさりする。
「もう一度聞こうか? 主人」
可畏が右手を上げると四方から蒼い炎があがった。ひらりと舞い上がった何かが、蒼い火に焼かれて燃え落ちる。葛葉の耳にじゅっと紙が燃え尽きるかすかな音が聞こえた。
「この結界は、私を締め出すためだったと?」
苛立ちを含んだ声。妖のような赤眼に酷薄な笑みが宿っている。
「入らせていただいたが、何か不都合なことでも?」
口調は穏やかだが、可畏が怒っているのがわかる。迫力に襲われて葛葉の背筋にも悪寒が走った。まっすぐに三河屋の主人へ向いていた可畏の視線がふっとそれる。
彼の赤眼はさらに背後を見ていた。
「大将閣下、ちょっとした冗談ですよ」
同時に、葛葉の背後から場違いな声がした。おどけるような軽薄さを含んだ男性の声だった。三河屋の主人に腕をつかまれていて葛葉は振り向くことができない。
ざりざりと足音が近づくと、背の高い男性が視界の端をかすめる。三河屋の主人と葛葉の横をすぎて、男は可畏の前へ進み出た。
「貴方には、私ごときの結界などなきに等しいですか」
男が指先に挟んだ呪符をひらめかせる。どうやら門内に結界を仕掛けた当人らしかった。
長い黒髪を後ろでゆるく結い、呪符をしめす仕草が優美にうつる。陰陽師という古からの術者。
顔は見えないが背の高い男だった。
「蘆屋か。なぜ優秀な術師がこんなところに?」
「さすが、閣下は私のことをご存じでしたか」
「蘆屋の一門は、帝も一目おいておられるからな」
「それは、なんとも恐れ多い」
軽薄さがにじむ口調のせいか、葛葉には現れた男性が恐縮しているようには見えない。葛葉に背中を向けているので表情はわからないが、飄々とした様子だった。可畏の迫力の前でも、笑みを浮かべているのではないかと思えた。
「それにしても、赤子の手をひねるように結界を破るのですから、私も自信がなくなります」
はぁっと男がわざとらしくため息をつく。
「やはり閣下は普通の異能者ではないようですね」
大袈裟に落胆したかと思えば、男はふふっと笑いを漏らす。
「いえ、ふつうの鬼ではないと言った方が正しいでしょうか?」
葛葉が何の例えだろうかと考えたとき、背中を向けている男が呪符をひらりと手放す。
「天、元、行」
男が早口に何かを唱えている。一枚に見えていた札は数枚の重なりだったのか、四方へわかれ中空を舞った。札は夜の闇の中で蒼く輝き、九つの光になる。
「躰、神、変」
光は瞬時に円をえがくように広がった。瞬きをする暇もない。
「神、通、力」
葛葉が九字だと悟ったときには、全てが完了していた。円の中心に可畏を据え、まるで彼を捉えるように蒼い光が地面へ落下した。着地点には九枚の呪符が張り付いて、蒼い光を放っている。
「羅刹の力を呪符に応用しています。その戒めは破れない」
蘆屋と呼ばれた男が、葛葉をふりかえる。
「あなたが羅刹の花嫁」
男の声に重なるように、びりびりとした振動があった。九枚の呪符が形づくる円の中心で可畏が仁王立ちしている。
「御門様!?」
咄嗟に呼びかけながら、彼が足止めされているのだとすぐに察した。男の呪符に囚われている。
「三河屋のご主人! 離してください!」
葛葉が掴まれた腕を振り払おうとするが、逆に強く腕をねじりあげられる。葛葉がたまらず膝をつくと、三河屋が男に声をかけた。
「蘆屋様、この後のことはお任せしてよいのですね」
三河屋の主人も、呪符が輝く目の前の光景に戸惑っている。掴まれた腕を解いて可畏の元へ駆け寄ろうと考える葛葉を見て、男は面白そうに微笑んだ。
「よくやってくれました、三河屋。おかげで目的を果たせそうです」
「では、これまでのことは不問に?」
安堵した三河屋の声をあざわらうように、男は冷然と首をかしげる。
「さぁ。それは彼が決めることです」
ちらりと男が可畏に目をやった。三河屋の主人はその態度に唖然としている。
「私の目的は花嫁を手に入れること。その後のことは預かり知りませんよ」
「それでは話が違います!」
三河屋が声を荒げると、男が耳障りだという素振りで身動きした。「うっ!」っという小さなうめき声のあと、どさりと三河屋がその場に崩れ落ちる。
「外道が。全てを不問に? まったく反吐の出る話です」
男の声には、吐き捨てるような忌々しさがこもっている。
仲間割れなのだろうか。
二人の間に何が起きたのかわからないが、つよく腕をねじり上げていた三河屋の腕が解けた。葛葉は一目散に可畏のもとへ踏みだす。
「御門様!」
駆け寄ろうとした葛葉を、男が阻んだ。
「ダメですよ、お嬢さん。彼を足止めしているあいだに、あなたには一緒に来てもらう」
「わたしはどこへも行きません!」
可畏が一歩門に近づくと、ぱちりと音がした。彼が進むたびにぱちりぱちりと辺りで音が鳴る。
門の内外をわける境界へ踏み込んだ時、ふたたびばしりと閃光が走った。けれど先刻とは異なり、可畏は閃光をものともせず、さらに歩みを進める。彼の周りでばちばちと火花が弾けて、仄暗い夕闇の中に長身の影が描き出されていた。
こちらへ近づいてくる可畏から離れるように、三河屋の主人がじりじりと後ずさりする。
「もう一度聞こうか? 主人」
可畏が右手を上げると四方から蒼い炎があがった。ひらりと舞い上がった何かが、蒼い火に焼かれて燃え落ちる。葛葉の耳にじゅっと紙が燃え尽きるかすかな音が聞こえた。
「この結界は、私を締め出すためだったと?」
苛立ちを含んだ声。妖のような赤眼に酷薄な笑みが宿っている。
「入らせていただいたが、何か不都合なことでも?」
口調は穏やかだが、可畏が怒っているのがわかる。迫力に襲われて葛葉の背筋にも悪寒が走った。まっすぐに三河屋の主人へ向いていた可畏の視線がふっとそれる。
彼の赤眼はさらに背後を見ていた。
「大将閣下、ちょっとした冗談ですよ」
同時に、葛葉の背後から場違いな声がした。おどけるような軽薄さを含んだ男性の声だった。三河屋の主人に腕をつかまれていて葛葉は振り向くことができない。
ざりざりと足音が近づくと、背の高い男性が視界の端をかすめる。三河屋の主人と葛葉の横をすぎて、男は可畏の前へ進み出た。
「貴方には、私ごときの結界などなきに等しいですか」
男が指先に挟んだ呪符をひらめかせる。どうやら門内に結界を仕掛けた当人らしかった。
長い黒髪を後ろでゆるく結い、呪符をしめす仕草が優美にうつる。陰陽師という古からの術者。
顔は見えないが背の高い男だった。
「蘆屋か。なぜ優秀な術師がこんなところに?」
「さすが、閣下は私のことをご存じでしたか」
「蘆屋の一門は、帝も一目おいておられるからな」
「それは、なんとも恐れ多い」
軽薄さがにじむ口調のせいか、葛葉には現れた男性が恐縮しているようには見えない。葛葉に背中を向けているので表情はわからないが、飄々とした様子だった。可畏の迫力の前でも、笑みを浮かべているのではないかと思えた。
「それにしても、赤子の手をひねるように結界を破るのですから、私も自信がなくなります」
はぁっと男がわざとらしくため息をつく。
「やはり閣下は普通の異能者ではないようですね」
大袈裟に落胆したかと思えば、男はふふっと笑いを漏らす。
「いえ、ふつうの鬼ではないと言った方が正しいでしょうか?」
葛葉が何の例えだろうかと考えたとき、背中を向けている男が呪符をひらりと手放す。
「天、元、行」
男が早口に何かを唱えている。一枚に見えていた札は数枚の重なりだったのか、四方へわかれ中空を舞った。札は夜の闇の中で蒼く輝き、九つの光になる。
「躰、神、変」
光は瞬時に円をえがくように広がった。瞬きをする暇もない。
「神、通、力」
葛葉が九字だと悟ったときには、全てが完了していた。円の中心に可畏を据え、まるで彼を捉えるように蒼い光が地面へ落下した。着地点には九枚の呪符が張り付いて、蒼い光を放っている。
「羅刹の力を呪符に応用しています。その戒めは破れない」
蘆屋と呼ばれた男が、葛葉をふりかえる。
「あなたが羅刹の花嫁」
男の声に重なるように、びりびりとした振動があった。九枚の呪符が形づくる円の中心で可畏が仁王立ちしている。
「御門様!?」
咄嗟に呼びかけながら、彼が足止めされているのだとすぐに察した。男の呪符に囚われている。
「三河屋のご主人! 離してください!」
葛葉が掴まれた腕を振り払おうとするが、逆に強く腕をねじりあげられる。葛葉がたまらず膝をつくと、三河屋が男に声をかけた。
「蘆屋様、この後のことはお任せしてよいのですね」
三河屋の主人も、呪符が輝く目の前の光景に戸惑っている。掴まれた腕を解いて可畏の元へ駆け寄ろうと考える葛葉を見て、男は面白そうに微笑んだ。
「よくやってくれました、三河屋。おかげで目的を果たせそうです」
「では、これまでのことは不問に?」
安堵した三河屋の声をあざわらうように、男は冷然と首をかしげる。
「さぁ。それは彼が決めることです」
ちらりと男が可畏に目をやった。三河屋の主人はその態度に唖然としている。
「私の目的は花嫁を手に入れること。その後のことは預かり知りませんよ」
「それでは話が違います!」
三河屋が声を荒げると、男が耳障りだという素振りで身動きした。「うっ!」っという小さなうめき声のあと、どさりと三河屋がその場に崩れ落ちる。
「外道が。全てを不問に? まったく反吐の出る話です」
男の声には、吐き捨てるような忌々しさがこもっている。
仲間割れなのだろうか。
二人の間に何が起きたのかわからないが、つよく腕をねじり上げていた三河屋の腕が解けた。葛葉は一目散に可畏のもとへ踏みだす。
「御門様!」
駆け寄ろうとした葛葉を、男が阻んだ。
「ダメですよ、お嬢さん。彼を足止めしているあいだに、あなたには一緒に来てもらう」
「わたしはどこへも行きません!」
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