羅刹の花嫁 〜帝都、鬼神討伐異聞〜

長月京子

文字の大きさ
47 / 77
第十章:呪符と術者

47:蘆屋の結界

しおりを挟む
「……なるほど」

 可畏かいが一歩門に近づくと、ぱちりと音がした。彼が進むたびにぱちりぱちりと辺りで音が鳴る。

 門の内外をわける境界へ踏み込んだ時、ふたたびばしりと閃光が走った。けれど先刻とは異なり、可畏かいは閃光をものともせず、さらに歩みを進める。彼の周りでばちばちと火花が弾けて、仄暗い夕闇の中に長身の影が描き出されていた。

 こちらへ近づいてくる可畏かいから離れるように、三河屋みかわやの主人がじりじりと後ずさりする。

「もう一度聞こうか? 主人」

 可畏かいが右手を上げると四方から蒼い炎があがった。ひらりと舞い上がった何かが、蒼い火に焼かれて燃え落ちる。葛葉くずはの耳にじゅっと紙が燃え尽きるかすかな音が聞こえた。

「この結界は、私を締め出すためだったと?」

 苛立ちを含んだ声。あやかしのような赤眼に酷薄な笑みが宿っている。

「入らせていただいたが、何か不都合なことでも?」

 口調は穏やかだが、可畏かいが怒っているのがわかる。迫力に襲われて葛葉くずはの背筋にも悪寒が走った。まっすぐに三河屋みかわやの主人へ向いていた可畏かいの視線がふっとそれる。
 彼の赤眼はさらに背後を見ていた。

「大将閣下、ちょっとした冗談ですよ」

 同時に、葛葉くずはの背後から場違いな声がした。おどけるような軽薄さを含んだ男性の声だった。三河屋みかわやの主人に腕をつかまれていて葛葉くずはは振り向くことができない。

 ざりざりと足音が近づくと、背の高い男性が視界の端をかすめる。三河屋みかわやの主人と葛葉くずはの横をすぎて、男は可畏かいの前へ進み出た。

「貴方には、私ごときの結界などなきに等しいですか」

 男が指先に挟んだ呪符をひらめかせる。どうやら門内に結界を仕掛けた当人らしかった。
 長い黒髪を後ろでゆるく結い、呪符をしめす仕草が優美にうつる。陰陽師という古からの術者。
 顔は見えないが背の高い男だった。

蘆屋あしやか。なぜ優秀な術師がこんなところに?」

「さすが、閣下は私のことをご存じでしたか」

蘆屋あしやの一門は、帝も一目おいておられるからな」

「それは、なんとも恐れ多い」

 軽薄さがにじむ口調のせいか、葛葉くずはには現れた男性が恐縮しているようには見えない。葛葉くずはに背中を向けているので表情はわからないが、飄々とした様子だった。可畏かいの迫力の前でも、笑みを浮かべているのではないかと思えた。

「それにしても、赤子の手をひねるように結界を破るのですから、私も自信がなくなります」

 はぁっと男がわざとらしくため息をつく。

「やはり閣下は普通の異能者ではないようですね」

 大袈裟に落胆したかと思えば、男はふふっと笑いを漏らす。

「いえ、ふつうの鬼ではないと言った方が正しいでしょうか?」

 葛葉くずはが何の例えだろうかと考えたとき、背中を向けている男が呪符をひらりと手放す。

てんげんぎょう

 男が早口に何かを唱えている。一枚に見えていた札は数枚の重なりだったのか、四方へわかれ中空を舞った。札は夜の闇の中で蒼く輝き、九つの光になる。

たいしんぺん

 光は瞬時に円をえがくように広がった。瞬きをする暇もない。

じんつうりき

 葛葉くずはが九字だと悟ったときには、全てが完了していた。円の中心に可畏かいを据え、まるで彼を捉えるように蒼い光が地面へ落下した。着地点には九枚の呪符が張り付いて、蒼い光を放っている。

羅刹らせつの力を呪符に応用しています。その戒めは破れない」

 蘆屋あしやと呼ばれた男が、葛葉くずはをふりかえる。

「あなたが羅刹らせつの花嫁」 

 男の声に重なるように、びりびりとした振動があった。九枚の呪符が形づくる円の中心で可畏かいが仁王立ちしている。

御門みかど様!?」

 咄嗟に呼びかけながら、彼が足止めされているのだとすぐに察した。男の呪符に囚われている。

三河屋みかわやのご主人! 離してください!」

 葛葉くずはが掴まれた腕を振り払おうとするが、逆に強く腕をねじりあげられる。葛葉くずはがたまらず膝をつくと、三河屋みかわやが男に声をかけた。

蘆屋あしや様、この後のことはお任せしてよいのですね」

 三河屋みかわやの主人も、呪符が輝く目の前の光景に戸惑っている。掴まれた腕を解いて可畏かいの元へ駆け寄ろうと考える葛葉くずはを見て、男は面白そうに微笑んだ。

「よくやってくれました、三河屋みかわや。おかげで目的を果たせそうです」

「では、これまでのことは不問に?」

 安堵した三河屋みかわやの声をあざわらうように、男は冷然と首をかしげる。

「さぁ。それは彼が決めることです」

 ちらりと男が可畏かいに目をやった。三河屋みかわやの主人はその態度に唖然としている。

「私の目的は花嫁を手に入れること。その後のことは預かり知りませんよ」

「それでは話が違います!」

 三河屋みかわやが声を荒げると、男が耳障りだという素振りで身動きした。「うっ!」っという小さなうめき声のあと、どさりと三河屋みかわやがその場に崩れ落ちる。

「外道が。全てを不問に? まったく反吐の出る話です」

 男の声には、吐き捨てるような忌々しさがこもっている。
 仲間割れなのだろうか。
 二人の間に何が起きたのかわからないが、つよく腕をねじり上げていた三河屋みかわやの腕が解けた。葛葉くずはは一目散に可畏かいのもとへ踏みだす。

御門みかど様!」

 駆け寄ろうとした葛葉くずはを、男が阻んだ。

「ダメですよ、お嬢さん。彼を足止めしているあいだに、あなたには一緒に来てもらう」

「わたしはどこへも行きません!」
しおりを挟む
感想 7

あなたにおすすめの小説

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

皇太后(おかあ)様におまかせ!〜皇帝陛下の純愛探し〜

菰野るり
キャラ文芸
皇帝陛下はお年頃。 まわりは縁談を持ってくるが、どんな美人にもなびかない。 なんでも、3年前に一度だけ出逢った忘れられない女性がいるのだとか。手がかりはなし。そんな中、皇太后は自ら街に出て息子の嫁探しをすることに! この物語の皇太后の名は雲泪(ユンレイ)、皇帝の名は堯舜(ヤオシュン)です。つまり【後宮物語〜身代わり宮女は皇帝陛下に溺愛されます⁉︎〜】の続編です。しかし、こちらから読んでも楽しめます‼︎どちらから読んでも違う感覚で楽しめる⁉︎こちらはポジティブなラブコメです。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

後宮の偽花妃 国を追われた巫女見習いは宦官になる

gari@七柚カリン
キャラ文芸
旧題:国を追われた巫女見習いは、隣国の後宮で二重に花開く ☆4月上旬に書籍発売です。たくさんの応援をありがとうございました!☆ 植物を慈しむ巫女見習いの凛月には、二つの秘密がある。それは、『植物の心がわかること』『見目が変化すること』。  そんな凛月は、次期巫女を侮辱した罪を着せられ国外追放されてしまう。  心機一転、紹介状を手に向かったのは隣国の都。そこで偶然知り合ったのは、高官の峰風だった。  峰風の取次ぎで紹介先の人物との対面を果たすが、提案されたのは後宮内での二つの仕事。ある時は引きこもり後宮妃(欣怡)として巫女の務めを果たし、またある時は、少年宦官(子墨)として庭園管理の仕事をする、忙しくも楽しい二重生活が始まった。  仕事中に秘密の能力を活かし活躍したことで、子墨は女嫌いの峰風の助手に抜擢される。女であること・巫女であることを隠しつつ助手の仕事に邁進するが、これがきっかけとなり、宮廷内の様々な騒動に巻き込まれていく。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

後宮なりきり夫婦録

石田空
キャラ文芸
「月鈴、ちょっと嫁に来るか?」 「はあ……?」 雲仙国では、皇帝が三代続いて謎の昏睡状態に陥る事態が続いていた。 あまりにも不可解なために、新しい皇帝を立てる訳にもいかない国は、急遽皇帝の「影武者」として跡継ぎ騒動を防ぐために寺院に入れられていた皇子の空燕を呼び戻すことに決める。 空燕の国の声に応える条件は、同じく寺院で方士修行をしていた方士の月鈴を妃として後宮に入れること。 かくしてふたりは片や皇帝の影武者として、片や皇帝の偽りの愛妃として、後宮と言う名の魔窟に潜入捜査をすることとなった。 影武者夫婦は、後宮内で起こる事件の謎を解けるのか。そしてふたりの想いの行方はいったい。 サイトより転載になります。

呪われた少女の秘された寵愛婚―盈月―

くろのあずさ
キャラ文芸
異常存在(マレビト)と呼ばれる人にあらざる者たちが境界が曖昧な世界。甚大な被害を被る人々の平和と安寧を守るため、軍は組織されたのだと噂されていた。 「無駄とはなんだ。お前があまりにも妻としての自覚が足らないから、思い出させてやっているのだろう」 「それは……しょうがありません」 だって私は―― 「どんな姿でも関係ない。私の妻はお前だけだ」 相応しくない。私は彼のそばにいるべきではないのに――。 「私も……あなた様の、旦那様のそばにいたいです」 この身で願ってもかまわないの? 呪われた少女の孤独は秘された寵愛婚の中で溶かされる 2025.12.6 盈月(えいげつ)……新月から満月に向かって次第に円くなっていく間の月

今さらやり直しは出来ません

mock
恋愛
3年付き合った斉藤翔平からプロポーズを受けれるかもと心弾ませた小泉彩だったが、当日仕事でどうしても行けないと断りのメールが入り意気消沈してしまう。 落胆しつつ帰る道中、送り主である彼が見知らぬ女性と歩く姿を目撃し、いてもたってもいられず後を追うと二人はさっきまで自身が待っていたホテルへと入っていく。 そんなある日、夢に出てきた高木健人との再会を果たした彩の運命は少しずつ変わっていき……

処理中です...