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第十二章 破られた盟約

2:暗示

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 ミアがびくりとして、自分の体を抱くように腕を回して首を竦めた。怖がっているが、内容は気になるらしい。

「ドラクル司祭の亡くなった娘――マグダリアと言いますが、実は彼女の墓所を掘り返してみました」

「ええー!?」

 ミアが悲鳴を上げたが、シルファは少し眉を動かしただけだった。セラフィがそこまでするのなら、何か思うことがあったのだろう。

「報告に加えてくるところを見ると、なかったのか?」

「はい。柩の中は空でした」

 ミアが「ぎゃー」と騒ぐ。シルファは笑いながらセラフィを見た。

「それじゃあ、司祭の娘は生きている可能性がある?」

「否定はできませんね。今、調査中ですが」

「わかった。ありがとう、セラフィ」

 司祭のドラクルには、やはり何か裏がある。アラディアにまで繋がるかどうかはわからないが、リディア出身であることの意味は大きい。

「この世界には、ゾンビとか出るの?」

「ゾンビ?」

「墓所から死者が蘇って人を襲ったりするの?」

 ミアは自分を抱きしめるように腕を回したまま、シルファを見ている。怖いけれど聞きたいという素直な欲望に従っているようだ。シルファは彼女の好奇心に少し釘をさしておくことにした。

「なるほど、それがゾンビか。結論から言うとある」

「ええー!?」

 ミアが傍らに立っていたセラフィに飛びついた。

「でもまぁ、死者を蘇らせても碌なことがない。狂っているから、ミアの言うように人を襲ったりもするだろうな」

「じゃあ、ドラクル司祭の娘って、ゾンビだったり?」

「可能性はある」

「ええ!?」

 はっきり言って可能性はない。作り話である。ただ、少しでもミアの好奇心に蓋ができれば良いと考えただけだった。怖いもの知らずの勢いで、ドラクル司祭に関わられても困る。

「そんなのが現れたらどうするの?」

「――そうだな。戦うしかない」

 ミアのいうゾンビをうまく思い描けないので、シルファは適当なことを言っておいた。

「ゾンビってもう死んでるから不死身じゃないの?」

 なるほど、そういう考え方なのかと、シルファは可笑しくなった。ミアは大真面目な顔をしている。

「影の一族が何とかするだろ。ミアはとにかく逃げれば良いよ」

 シルファはミアの思い描くゾンビを想像しながら、しばらくゾンビ対策について適当な事を言い続けた。



 聖女よ、血を捧げよ
 汝、為すべき使命を全うせよ


 
 夕食後はすぐ休むように言われたが、午前中に休んでいたせいか全く眠たくならない。ミアは新しく用意された部屋で就寝の準備だけ整えて、寝台の上で絵本を開いていた。

 独りにされても、シルファが安全だというので、そこは疑っていない。

 夕食の席で一番苦手とするオカルトな話題が出て、必要以上にゾンビの撃退方法についてを聞いてしまった。ミアはつまらない話題に喰いつきすぎた自覚があるが、怖いのだから仕方がない。

 結局、何のためにドラクル司祭を調べているのか分からないが、人々に慕われる優し気な司祭の印象が覆ることはない。

 娘を亡くして過去に辛い思いをしたのだろう。そう考えると、いつも微笑んいる司祭を思って、少し切なくなるほどである。

(――そういえば、もう教会に行ってもルミエに会えないんだな)

 ミアは絵本を閉じて、寝台に横になる。目を閉じて、今日の出来事を振り返った。
 ドミニオとの再会。淡く緑に発光していた聖糖。やがてルミエの行方が気になって、突き動かされたかのように教会へ走った。

 なぜ、あれほどの焦燥が生まれたのだろう。自分を慕ってくれた幼い気配に、弟のことを重ねていたのだろうか。落ち着いて考えると、不自然なくらい不安になっていたが、誰かを案じるとはそういうことかもしれない。

 自分の気持ちなのに思い通りに扱えない。取り乱すとは、そういうことだろうか。
 心の手綱を捌けなくなる。

(この世界に召喚されて、帰れないって大騒ぎした時もそうだったな)

 泣いても仕方がないのに、涙が止まらなかった。

(あの時は、シルファが……)

 自分に差し出された彼の手と、約束。それがミアの悲嘆を少し緩めてくれた。

(でも、今日は……)

 教会の聖堂へ入ると、嘘のように気持ちが落ち着いた。
 ルミエを見つけたわけでもないのに、まるで大切な目的を果たしたように、不安が拭われたのだ。

(聖堂には、気持ちを落ち着ける雰囲気があるのかも)

 だから人々も安らぎを求めて立ち寄るのかもしれない。
 夕闇に沈む聖堂。厳かな静寂。暗闇に沈んでいても、恐ろしくはなかった。

 司祭が自分を見つけるまで、ただ立ち尽くしていた。
 立ち尽くして、聞いていた。

 聖壇から響いた、美しい声。
 不安を遠ざける声。



 聖女よ、血を捧げよ
 汝、為すべき使命を全うせよ



(ああ、そういえば――)

 こんなに大切なことを、なぜ、今まで忘れていたのだろう。
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