魔王と囚われた王妃 ~断末魔の声が、わたしの心を狂わせる~

長月京子

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第一章:王妃レイアの記憶

5:ディオン=ラグナロク

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 クルドに自分のことを話すのは、骨の折れることだった。レイアの語ることを、彼女は頑なに否定するのだ。時には感情的に憤ることすらあった。

 ノルンを失ってからの経緯を知りたいが、クルドとの会話はどうにも噛み合わない。
 何かを語ることが全て無駄なのではないかという気がする。
 もしかするとこの不可解な状況の全てが、魔王による仕打ちなのかもしれない。

 何とか一通り語り終えると、クルドは小さな肩を落とし、絶望したかのように沈黙した。レイアはどうすることもできず、労わるように声をかける。

「ねぇ、クルド。本当はあなたも囚われの身ではないのかしら。私と同じように、魔界ガルズの王に囚われて利用されている。私と話が噛み合わないのも、魔王の差し金ではなくて?」

「違います! ディオン様はそのようなことはなさいません!」

 落胆していたのかと思いきや、クルドは再び声を荒げる。微笑んでいれば、あどけなさの残る美しい少女なのだ。魔界ガルズに囚われ気持ちが歪んでしまったのだろうか。

 聞きたいことは山のようにあるが、クルドから正しい情報が語られるとも思えない。
 再び沈黙が満ちた時、ふっと視界の端で何かが動く。レイアが目を向けると、さらりと黒衣が翻るのが視界に入った。

 ゆっくりと背の高い人影が歩み寄ってくる。

 レイアは一瞬にして心が凍る。気丈に振る舞いたいが、植え付けられた恐れに抗えない。震え出した手を隠すように、ぎゅっと力を込めて握り合わせた。

 男の歩調に合わせて、首元を飾る金の装飾が光を弾く。
 顔の右側は首輪と同じ意匠の金細工で覆われているが、魔族とは思えぬ美しい姿だった。けれどすでに隠された右眼を見たレイアには、男の美貌は何の意味も持たない。存在自体が、身の毛がよだつほどの恐怖でしかなかった。

「クルド」

 波紋を描くような、低い響き。濁りのない声にクルドが振り返る。

「ディオン様」

「もういい。おおよその事情は察した……。もともと彼女とレイアは双神ふたごの女神だ。レイアが人界に降嫁しても、心のつながりは断ち切れない。私がノルンの本性を見誤っていたことが原因だ。地底ガルズ最果てユグドラシルのために、魔王の丘オーズを放っておきすぎた」

「でも、これではあまりに」

「私も今はこの様だ。怯えるのも、仕方あるまい」

「でも、それは最果てユグドラシルのために……」

「――それは私の事情だ。今の彼女には関係ない」

 低く笑って、魔王――ディオンがレイアの前に立った。目の前から伝わる気配が恐ろしい。手を強く握りしめていても、体が震えるのを止められない。

「おまえが、私を恐れるのか」

「怖くなどありません」

 精一杯虚勢をあるが、手の先から血の気が引いている。自分の顔色が青ざめているのも想像がついた。ノルンの様に切り捨てられるのなら、それも仕方がない。

「これだけは伝えておこう……」

 魔王の声と共に、すっと黒く長い爪が、レイアの髪に触れた。思わずびくりと肩が震えてしまう。

「おまえの名は、ルシアだ」

「私は――」

 厳しく光る視線が、レイアを捉える。恐れで声が続かない。

「ルシア。私は魔に心を売り渡し、自分の欲望を叶える者。忘てれしまったのなら、また覚えなおすがいい。ディオン=ラグナロク。この地底ガルズを治める者だ」

 怖くてたまらないが、レイアは眼に力を込めて魔王を見返す。ディオンは嘲る様に口角をあげる。

「何か言っておきたいことはあるか?」

「私を、解放してください」

 震える声で訴えると、魔王――ディオンは珍しいものを眺めるよう様に首を傾ける。

魔王の丘オーズを出て、どうする?」

 レイアは覚悟を決める。今さらノルンと企てた逃亡に言い訳はできないだろう。切り捨てられても仕方がないと、自分の中にあるただ一つの矜持を口にする。

天界トロイに助けを乞います。そして、人界ヨルズの再興を目指します」

 一瞬、ディオンから邪悪な気配が放たれた気がしたが、それはすぐに引いた。

人界ヨルズの再興か」

 ディオンが可笑しそうに笑う。

「私が希望を抱くことは、おかしいですか」

「いや、その心がけを否定する気はないが、私は天界トロイと事を構える気はない。残念ながらおまえを魔王の丘オーズから出すことはできないな」

 馬鹿にされていると思ったが、レイアには唇を噛みしめることしかできない。レイアの恐れと悔しさを理解しながら、ディオンは嗤う。

「ルシア。私の魔性は優しくはない。おまえをどれほど大切に扱っていても、意に背くなら、この爪がその美しい顔を切り裂くことになる。成し遂げたいことがあるのなら、ここでは従順に過ごすことだな」

 レイアの顔をのぞき込むように、ディオンが顔を寄せる。隠されていない左眼が、しっかりとレイアの姿を捕らえていた。右眼とは異なり、美しい形をしている、血のような真紅の瞳の中で、瞳孔だけが黒い。吸い込まれそうな錯覚がする。

 もう一度ディオンがレイアの長い髪に触れる。
 身を固くすると、彼は黒く美しい衣装を翻すように、すぐに踵を返した。

「とにかく魔王の丘ここを出るなどという愚かなことは、二度と考えるな」

 それだけを吐き捨てるように伝えると、ディオンは全てに興味を失ったように部屋を出ていく。魔王の気配が失われると、途端に張りつめていたものが緩む。レイアはその場に崩れるように膝をついた。
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