魔王と囚われた王妃 ~断末魔の声が、わたしの心を狂わせる~

長月京子

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第三章:狂気と覚悟

12:凶悪な振る舞い

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 ディオンの声がルシアの思考を遮った。赤い左眼が真っすぐにこちらに向けられている。

「ノルンのことで、お願いがあります」

「おまえを洗脳した女のことか」

 心無い言い様に気持ちが逆巻くが、ルシアはぐっとこらえた。

「ディオン様にとっては取るに足らぬ者でしょうが、私には大切な者でした」

「あの女は大蛇だった」

「知っています。でも、あの在り様はあまりにも惨いです。どうか解放していただけないでしょうか」

「ーー知っている、だと?」

 ディオンが手にしていた杯を敷布の上に置いた。黒く長い爪が魔性を示している。

「いったい何を知っている? 知っていて大蛇をかばうというのか? 何も覚えていないおまえに語る事はないが、見当違いも甚だしいな」

「あなたにとって大蛇であっても、私にとっては心許せる者だったのです。あの墓標はあまりにひどいです」

 ルシアが言い募ると、ディオンは不意に右眼の装飾に手を当てる。一瞬苦痛に顔を歪めた気がしたが、すぐに冷徹な表情が戻る。

「私にできることはない。おまえと話すことは、何もない」

 吐き捨てるように告げて、彼が立ち上がる。クルドが驚いたように「ディオン様?」と声をかけたが、彼は無言のまま踵を返した。慌てたように共に来た少年ーーアルヴィが、ディオンの腕をとって引き留める。

「せっかくの機会なのに、ルシア様ともっとお話しをした方が良いです。いったいどうしたのですか? こんなに突然帰るなんて、ディオン様らしくありません」

「離せ、アルヴィ。話すことなど何もない。ここが気に入ったなら、クルドと一緒にいるがいい」

「そういうことではありません」

「ーー私は気分が悪い」

 取りつく島もなく立ち去ろうとするディオンの様子に、ルシアは恐れをよりも苛立ちを感じた。ノルンをないがしろにされたままでは引き下がれない。

「お待ちください! 失礼なことを申し上げいているのは承知しております。でも、どうかあの墓標だけは……」

「やめろ」

「ディオン様、どうかーー」

「そんな眼で私を見るな!」

 小柄なアルヴィを弾き飛ばすほどの勢いで、ディオンがこちらを振り返った。目が合った瞬間、ざわりとルシアの全身が総毛立つ。身動きを封じるようにディオンが腕を伸ばし、ルシアの顎をつかんだ。ギリギリと顔が砕けそうなほどの力が込められている。

「その眼、その憎悪。なぜ、そんな眼で私を見る?」

「ディオン様!?」

 近くでクルドの悲鳴が聞こえるが、ルシアは声も出ない。黒く長い爪が頬に食い込んで、皮膚を引き裂いている。与えられた痛みと恐怖が服従を強いる。

「おやめください! どうされたのですか?」

 気を失いそうなルシアにクルドの声が聞こえるが、力が緩む気配はない。殺されると思った時、ルシアは手に握っている天界トロイの証を思い出した。ディオンの身に向けて突き出す。

「ーー!」

 途端に痛みを感じたように彼が退いた。自分の顎を握りつぶそうとしていた手が離れる。確かな効果を感じて、ルシアは輝く証を身体の前に掲げた。

「私に近づかないでください!」

 後退したディオンが、眼差しを歪めてルシアの握る証を見つめる。

天界トロイの証か。無慈悲な光……」

 ディオンが低く嗤った。

「そんなもので、私を封じられるものか」

 ルシアの掲げた輝く証に、ディオンが手を伸ばす。証に触れると、ルシアの手ごと強く握りこむ。
 身を守ることはできないのかと希望を見失いそうになった時、証に触れた彼の手が、じわじわと焼けただれているのが分かった。まるで火を掴んだかのように、次第に皮膚が黒く炭化していく。

 彼は焼かれる手をものともせず、冷然と嗤う。
 証を掴んでいない右手が、再びルシアの顔を掴んだ。

「おまえに同情している暇はない。私を憎むならそれでも良い。だがおまえを手放す気はない。よく覚えておけ」

「おやめください! ディオン様!」

 再びクルドの叫ぶ声が聞こえる。アルヴィの声も重なった。

「その手をお放し下さい!」

 叫ぶ二人の懇願も届かない様子で、ディオンが身を寄せる。恐ろしい気配がさらに近づいた。
 唇に噛みつかれるのではないかと目を閉じた時、バサリと大きな羽音が聞こえた。ふっと自分を捕らえていた力が緩む。ルシアが咄嗟に身を引くと、数多の美しい一つ目の魔鳥が、ディオンを取り囲んで嘴を向けていた。羽が針のような鋭さで威嚇する。

「ムギン! 邪魔をするな!」

 バシリと大きな力が大気を揺るがす。何らかの衝撃が放たれたのか、幾羽かがその場に落下した。ルシアは
体に力が入らず、へたりとその場に座り込む。

「ルシア様、大丈夫ですか?」

 クルドがすぐに目の前に駆けつけて来る。答えることも出来ず、ルシアはただ中庭で起きている光景を見ていた。

 集った魔鳥は怯むことなくディオンを囲み攻撃を続けている。その内、ある一羽が投げ出されていた天界トロイの証を鋭い嘴で咥えた。まるでそう決めていたかのように、ふっと上空に舞い上がる。

 ルシアが証を咥えた姿を追っていると、空中で旋回をしてから何かに狙いを定めたように翼を動かす。瞬間、他の魔鳥で視界を奪われているディオンをめがけて急降下をはじめた。

 あっと思った時には、恐ろしい右眼を隠している装飾に魔鳥の咥えていた天界トロイの証が衝突する。

「ーーっ!」

 ディオンが悲鳴をあげた。右眼の装飾が外れて彼の体が不安定に傾く。長い紫髪がひるがえり、そのまま膝から崩れるように倒れた。

 ルシアは露になった右眼を見ることを恐れて、咄嗟に目を逸らす。耳元でバサリと羽音がした。見ると美しい魔鳥が再び天界トロイの証を咥えている。ルシアが手を伸ばすと、するりと掌に落とした。

 ぎゃあと魔鳥が鳴く。それが合図だったかのように、中庭に集っていた無数の魔鳥が飛び去って行った。ルシアに天界トロイの証をとどけにきた魔鳥は羽ばたく気配がない。小刻みに首を動かしながら、じっとその場に残っていた。
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