12 / 58
第三章:狂気と覚悟
12:凶悪な振る舞い
しおりを挟む
ディオンの声がルシアの思考を遮った。赤い左眼が真っすぐにこちらに向けられている。
「ノルンのことで、お願いがあります」
「おまえを洗脳した女のことか」
心無い言い様に気持ちが逆巻くが、ルシアはぐっとこらえた。
「ディオン様にとっては取るに足らぬ者でしょうが、私には大切な者でした」
「あの女は大蛇だった」
「知っています。でも、あの在り様はあまりにも惨いです。どうか解放していただけないでしょうか」
「ーー知っている、だと?」
ディオンが手にしていた杯を敷布の上に置いた。黒く長い爪が魔性を示している。
「いったい何を知っている? 知っていて大蛇をかばうというのか? 何も覚えていないおまえに語る事はないが、見当違いも甚だしいな」
「あなたにとって大蛇であっても、私にとっては心許せる者だったのです。あの墓標はあまりにひどいです」
ルシアが言い募ると、ディオンは不意に右眼の装飾に手を当てる。一瞬苦痛に顔を歪めた気がしたが、すぐに冷徹な表情が戻る。
「私にできることはない。おまえと話すことは、何もない」
吐き捨てるように告げて、彼が立ち上がる。クルドが驚いたように「ディオン様?」と声をかけたが、彼は無言のまま踵を返した。慌てたように共に来た少年ーーアルヴィが、ディオンの腕をとって引き留める。
「せっかくの機会なのに、ルシア様ともっとお話しをした方が良いです。いったいどうしたのですか? こんなに突然帰るなんて、ディオン様らしくありません」
「離せ、アルヴィ。話すことなど何もない。ここが気に入ったなら、クルドと一緒にいるがいい」
「そういうことではありません」
「ーー私は気分が悪い」
取りつく島もなく立ち去ろうとするディオンの様子に、ルシアは恐れをよりも苛立ちを感じた。ノルンをないがしろにされたままでは引き下がれない。
「お待ちください! 失礼なことを申し上げいているのは承知しております。でも、どうかあの墓標だけは……」
「やめろ」
「ディオン様、どうかーー」
「そんな眼で私を見るな!」
小柄なアルヴィを弾き飛ばすほどの勢いで、ディオンがこちらを振り返った。目が合った瞬間、ざわりとルシアの全身が総毛立つ。身動きを封じるようにディオンが腕を伸ばし、ルシアの顎をつかんだ。ギリギリと顔が砕けそうなほどの力が込められている。
「その眼、その憎悪。なぜ、そんな眼で私を見る?」
「ディオン様!?」
近くでクルドの悲鳴が聞こえるが、ルシアは声も出ない。黒く長い爪が頬に食い込んで、皮膚を引き裂いている。与えられた痛みと恐怖が服従を強いる。
「おやめください! どうされたのですか?」
気を失いそうなルシアにクルドの声が聞こえるが、力が緩む気配はない。殺されると思った時、ルシアは手に握っている天界の証を思い出した。ディオンの身に向けて突き出す。
「ーー!」
途端に痛みを感じたように彼が退いた。自分の顎を握りつぶそうとしていた手が離れる。確かな効果を感じて、ルシアは輝く証を身体の前に掲げた。
「私に近づかないでください!」
後退したディオンが、眼差しを歪めてルシアの握る証を見つめる。
「天界の証か。無慈悲な光……」
ディオンが低く嗤った。
「そんなもので、私を封じられるものか」
ルシアの掲げた輝く証に、ディオンが手を伸ばす。証に触れると、ルシアの手ごと強く握りこむ。
身を守ることはできないのかと希望を見失いそうになった時、証に触れた彼の手が、じわじわと焼けただれているのが分かった。まるで火を掴んだかのように、次第に皮膚が黒く炭化していく。
彼は焼かれる手をものともせず、冷然と嗤う。
証を掴んでいない右手が、再びルシアの顔を掴んだ。
「おまえに同情している暇はない。私を憎むならそれでも良い。だがおまえを手放す気はない。よく覚えておけ」
「おやめください! ディオン様!」
再びクルドの叫ぶ声が聞こえる。アルヴィの声も重なった。
「その手をお放し下さい!」
叫ぶ二人の懇願も届かない様子で、ディオンが身を寄せる。恐ろしい気配がさらに近づいた。
唇に噛みつかれるのではないかと目を閉じた時、バサリと大きな羽音が聞こえた。ふっと自分を捕らえていた力が緩む。ルシアが咄嗟に身を引くと、数多の美しい一つ目の魔鳥が、ディオンを取り囲んで嘴を向けていた。羽が針のような鋭さで威嚇する。
「ムギン! 邪魔をするな!」
バシリと大きな力が大気を揺るがす。何らかの衝撃が放たれたのか、幾羽かがその場に落下した。ルシアは
体に力が入らず、へたりとその場に座り込む。
「ルシア様、大丈夫ですか?」
クルドがすぐに目の前に駆けつけて来る。答えることも出来ず、ルシアはただ中庭で起きている光景を見ていた。
集った魔鳥は怯むことなくディオンを囲み攻撃を続けている。その内、ある一羽が投げ出されていた天界の証を鋭い嘴で咥えた。まるでそう決めていたかのように、ふっと上空に舞い上がる。
ルシアが証を咥えた姿を追っていると、空中で旋回をしてから何かに狙いを定めたように翼を動かす。瞬間、他の魔鳥で視界を奪われているディオンをめがけて急降下をはじめた。
あっと思った時には、恐ろしい右眼を隠している装飾に魔鳥の咥えていた天界の証が衝突する。
「ーーっ!」
ディオンが悲鳴をあげた。右眼の装飾が外れて彼の体が不安定に傾く。長い紫髪がひるがえり、そのまま膝から崩れるように倒れた。
ルシアは露になった右眼を見ることを恐れて、咄嗟に目を逸らす。耳元でバサリと羽音がした。見ると美しい魔鳥が再び天界の証を咥えている。ルシアが手を伸ばすと、するりと掌に落とした。
ぎゃあと魔鳥が鳴く。それが合図だったかのように、中庭に集っていた無数の魔鳥が飛び去って行った。ルシアに天界の証をとどけにきた魔鳥は羽ばたく気配がない。小刻みに首を動かしながら、じっとその場に残っていた。
「ノルンのことで、お願いがあります」
「おまえを洗脳した女のことか」
心無い言い様に気持ちが逆巻くが、ルシアはぐっとこらえた。
「ディオン様にとっては取るに足らぬ者でしょうが、私には大切な者でした」
「あの女は大蛇だった」
「知っています。でも、あの在り様はあまりにも惨いです。どうか解放していただけないでしょうか」
「ーー知っている、だと?」
ディオンが手にしていた杯を敷布の上に置いた。黒く長い爪が魔性を示している。
「いったい何を知っている? 知っていて大蛇をかばうというのか? 何も覚えていないおまえに語る事はないが、見当違いも甚だしいな」
「あなたにとって大蛇であっても、私にとっては心許せる者だったのです。あの墓標はあまりにひどいです」
ルシアが言い募ると、ディオンは不意に右眼の装飾に手を当てる。一瞬苦痛に顔を歪めた気がしたが、すぐに冷徹な表情が戻る。
「私にできることはない。おまえと話すことは、何もない」
吐き捨てるように告げて、彼が立ち上がる。クルドが驚いたように「ディオン様?」と声をかけたが、彼は無言のまま踵を返した。慌てたように共に来た少年ーーアルヴィが、ディオンの腕をとって引き留める。
「せっかくの機会なのに、ルシア様ともっとお話しをした方が良いです。いったいどうしたのですか? こんなに突然帰るなんて、ディオン様らしくありません」
「離せ、アルヴィ。話すことなど何もない。ここが気に入ったなら、クルドと一緒にいるがいい」
「そういうことではありません」
「ーー私は気分が悪い」
取りつく島もなく立ち去ろうとするディオンの様子に、ルシアは恐れをよりも苛立ちを感じた。ノルンをないがしろにされたままでは引き下がれない。
「お待ちください! 失礼なことを申し上げいているのは承知しております。でも、どうかあの墓標だけは……」
「やめろ」
「ディオン様、どうかーー」
「そんな眼で私を見るな!」
小柄なアルヴィを弾き飛ばすほどの勢いで、ディオンがこちらを振り返った。目が合った瞬間、ざわりとルシアの全身が総毛立つ。身動きを封じるようにディオンが腕を伸ばし、ルシアの顎をつかんだ。ギリギリと顔が砕けそうなほどの力が込められている。
「その眼、その憎悪。なぜ、そんな眼で私を見る?」
「ディオン様!?」
近くでクルドの悲鳴が聞こえるが、ルシアは声も出ない。黒く長い爪が頬に食い込んで、皮膚を引き裂いている。与えられた痛みと恐怖が服従を強いる。
「おやめください! どうされたのですか?」
気を失いそうなルシアにクルドの声が聞こえるが、力が緩む気配はない。殺されると思った時、ルシアは手に握っている天界の証を思い出した。ディオンの身に向けて突き出す。
「ーー!」
途端に痛みを感じたように彼が退いた。自分の顎を握りつぶそうとしていた手が離れる。確かな効果を感じて、ルシアは輝く証を身体の前に掲げた。
「私に近づかないでください!」
後退したディオンが、眼差しを歪めてルシアの握る証を見つめる。
「天界の証か。無慈悲な光……」
ディオンが低く嗤った。
「そんなもので、私を封じられるものか」
ルシアの掲げた輝く証に、ディオンが手を伸ばす。証に触れると、ルシアの手ごと強く握りこむ。
身を守ることはできないのかと希望を見失いそうになった時、証に触れた彼の手が、じわじわと焼けただれているのが分かった。まるで火を掴んだかのように、次第に皮膚が黒く炭化していく。
彼は焼かれる手をものともせず、冷然と嗤う。
証を掴んでいない右手が、再びルシアの顔を掴んだ。
「おまえに同情している暇はない。私を憎むならそれでも良い。だがおまえを手放す気はない。よく覚えておけ」
「おやめください! ディオン様!」
再びクルドの叫ぶ声が聞こえる。アルヴィの声も重なった。
「その手をお放し下さい!」
叫ぶ二人の懇願も届かない様子で、ディオンが身を寄せる。恐ろしい気配がさらに近づいた。
唇に噛みつかれるのではないかと目を閉じた時、バサリと大きな羽音が聞こえた。ふっと自分を捕らえていた力が緩む。ルシアが咄嗟に身を引くと、数多の美しい一つ目の魔鳥が、ディオンを取り囲んで嘴を向けていた。羽が針のような鋭さで威嚇する。
「ムギン! 邪魔をするな!」
バシリと大きな力が大気を揺るがす。何らかの衝撃が放たれたのか、幾羽かがその場に落下した。ルシアは
体に力が入らず、へたりとその場に座り込む。
「ルシア様、大丈夫ですか?」
クルドがすぐに目の前に駆けつけて来る。答えることも出来ず、ルシアはただ中庭で起きている光景を見ていた。
集った魔鳥は怯むことなくディオンを囲み攻撃を続けている。その内、ある一羽が投げ出されていた天界の証を鋭い嘴で咥えた。まるでそう決めていたかのように、ふっと上空に舞い上がる。
ルシアが証を咥えた姿を追っていると、空中で旋回をしてから何かに狙いを定めたように翼を動かす。瞬間、他の魔鳥で視界を奪われているディオンをめがけて急降下をはじめた。
あっと思った時には、恐ろしい右眼を隠している装飾に魔鳥の咥えていた天界の証が衝突する。
「ーーっ!」
ディオンが悲鳴をあげた。右眼の装飾が外れて彼の体が不安定に傾く。長い紫髪がひるがえり、そのまま膝から崩れるように倒れた。
ルシアは露になった右眼を見ることを恐れて、咄嗟に目を逸らす。耳元でバサリと羽音がした。見ると美しい魔鳥が再び天界の証を咥えている。ルシアが手を伸ばすと、するりと掌に落とした。
ぎゃあと魔鳥が鳴く。それが合図だったかのように、中庭に集っていた無数の魔鳥が飛び去って行った。ルシアに天界の証をとどけにきた魔鳥は羽ばたく気配がない。小刻みに首を動かしながら、じっとその場に残っていた。
0
あなたにおすすめの小説
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
行き場を失った恋の終わらせ方
当麻月菜
恋愛
「君との婚約を白紙に戻してほしい」
自分の全てだったアイザックから別れを切り出されたエステルは、どうしてもこの恋を終わらすことができなかった。
避け続ける彼を求めて、復縁を願って、あの日聞けなかった答えを得るために、エステルは王城の夜会に出席する。
しかしやっと再会できた、そこには見たくない現実が待っていて……
恋の終わりを見届ける貴族青年と、行き場を失った恋の中をさ迷う令嬢の終わりと始まりの物語。
※他のサイトにも重複投稿しています。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
『影の夫人とガラスの花嫁』
柴田はつみ
恋愛
公爵カルロスの後妻として嫁いだシャルロットは、
結婚初日から気づいていた。
夫は優しい。
礼儀正しく、決して冷たくはない。
けれど──どこか遠い。
夜会で向けられる微笑みの奥には、
亡き前妻エリザベラの影が静かに揺れていた。
社交界は囁く。
「公爵さまは、今も前妻を想っているのだわ」
「後妻は所詮、影の夫人よ」
その言葉に胸が痛む。
けれどシャルロットは自分に言い聞かせた。
──これは政略婚。
愛を求めてはいけない、と。
そんなある日、彼女はカルロスの書斎で
“あり得ない手紙”を見つけてしまう。
『愛しいカルロスへ。
私は必ずあなたのもとへ戻るわ。
エリザベラ』
……前妻は、本当に死んだのだろうか?
噂、沈黙、誤解、そして夫の隠す真実。
揺れ動く心のまま、シャルロットは
“ガラスの花嫁”のように繊細にひび割れていく。
しかし、前妻の影が完全に姿を現したとき、
カルロスの静かな愛がようやく溢れ出す。
「影なんて、最初からいない。
見ていたのは……ずっと君だけだった」
消えた指輪、隠された手紙、閉ざされた書庫──
すべての謎が解けたとき、
影に怯えていた花嫁は光を手に入れる。
切なく、美しく、そして必ず幸せになる後妻ロマンス。
愛に触れたとき、ガラスは光へと変わる
〈完結〉【書籍化・取り下げ予定】「他に愛するひとがいる」と言った旦那様が溺愛してくるのですが、そういうのは不要です
ごろごろみかん。
恋愛
「私には、他に愛するひとがいます」
「では、契約結婚といたしましょう」
そうして今の夫と結婚したシドローネ。
夫は、シドローネより四つも年下の若き騎士だ。
彼には愛するひとがいる。
それを理解した上で政略結婚を結んだはずだったのだが、だんだん夫の様子が変わり始めて……?
好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】
皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」
「っ――――!!」
「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」
クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。
******
・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢
さら
恋愛
名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。
しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。
王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。
戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。
一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる