魔王と囚われた王妃 ~断末魔の声が、わたしの心を狂わせる~

長月京子

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第六章:重なり焦がれる心

26:再びの会食

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 約束をした会食は、魔王の宮殿オーズの一階にある広間で行うことになった。宮殿内には美しい石卓や椅子などの調度が揃っている。中庭のように敷布の上で寛ぐような趣ではなく、厳かな気配を漂わせていた。

 ディオンが訪れるという報を受けてから、ルシアは今日までの日々を長く感じていた。
 自分が彼の訪れを心待ちにしていたのだと考えたくないが、覆す言い訳を思いつけないでいる。

「ルシア様、今日はとてもお綺麗です」

 磨き抜かれて光沢を放つ大きな石卓に、クルドが食事の準備をしている。ルシアは自分の姿を見つめた。白い生地を金の装飾で留めるいつもの姿だった。女神のような美しい衣装ではあるが、今日のために特別に着飾ったりはしていない。

 ただ結いあげた髪には地底ガルズの花が彩りを添えている。クルドが花を集め、ルシアの髪を華やかに飾ってくれたのだ。

「クルドのおかげです。髪を飾る花からとても良い香りがします。ありがとう」

「ルシア様を飾るのは、私の楽しみの一つなので。それにせっかくだからディオン様にも喜んで頂きたいですし」

「ーーディオン様に……」

 囚われの身であるのなら、主のためにそう望まねばならないだろう。美しく着飾って寵愛を得る。ルシアも当初は打算的な考えを抱いていた。人界ヨルズの再興のために魔王の機嫌をとるべきなのだと。けれど、今はまるで心に馴染まない。

 邪悪ガルドルに苛まれていないディオンからは、支配的な仕打ちを感じることはなかった。
 捕らえられたのではなく、守られている。クルドやアルヴィと過ごしていると、それを信じたくなってしまう。

 魔王の丘オーズにある理由が少しずつ形を変えて、ルシアの心に影響する。
 以前のようにディオンの訪れに恐怖を抱けない。一日を長く感じるほど、彼と会える日までを指折り数えていた。恐れや憎悪は嘘のように胸の内から失われている。

 ディオンに会える。その気持ちに暗さはなく、輝いているのだ。
 断末魔の声と共に胸に刻まれた光景。

 人界ヨルズの平和を願う言葉。寄り添っていた面影。
 人界ヨルズの王であったトールの言葉であると信じていたが、今はディオンの面影ではないのかと期待を抱いている。

 期待が高まるほど、自分が王妃レイアであったという思いも薄くなる。ノルンを偲ぶたびに呵責を感じたが、ルシアにもどうしようもなかった。

「ルシア様!」

 宮殿の石造りの広間に、聞き慣れたあどけない声が響く。

「ディオン様をお連れしましたよ!」

 アルヴィの声を聞きながら、ルシアは現れたディオンに視界を奪われた。自分と同じように金の装飾で留めた黒衣。純白を纏うルシアとは異なり、魔性を帯びたディオンには清らかさがない。けれどこちらに歩んでくる姿が、それだけで凛と力を伴っているのがわかる。素直に美しいと感じた。

「ディオン様、アルヴィ。お待ちしておりました」

 ルシアが席をたって丁寧に挨拶をすると、ディオンはクルドの用意した席を過ぎて、無言のまま目の前まで歩み寄ってくる。

「印象が変わったな」

「え? あ、きっとクルドが花で飾ってくれたからです」

 ルシアが髪を飾る花に手を添えると、ディオンが微笑んだ。

「そうじゃない。ーー自然に笑うようになった」

 言われてはじめてルシアは自分が笑顔であることに気付く。

「レイアの真似事も悪くないが、やはりおまえらしい方が愛しいな」

「え?」

(……愛しい?)

 ルシアは聞き間違いかと思ったが、顔にみるみる熱がこもっていく。ディオンが驚いたように、金細工に飾られていない左眼を大きくした。それから可笑しそうに笑う。

「わかりやすい」

「な、何のお話ですか?」

「おまえらしいという話だ。悪くない」

 ディオンが用意された席へ戻ると、傍らでクルドとアルヴィもくすくすと小さく笑っている。

「クルドまで。一体何なのですか?」

「いいえ、たしかにディオン様の仰るとおりだと思っただけです。昔からルシア様には母様とは違う親しみがあります」

「違う親しみ?」

 ルシアも席に着くと、クルドはディオンにも聞こえるように答える。

「ルシア様は叔母というよりは、年の近い姉様のようです。見た目の感じもあるのでしょうが、なんていうか、わりと顔に出やすいというか、強情で幼い面があるというか……」

「なんだか、喜べない言われようですね」

 複雑な心持ちになったが、ルシアにもクルドが娘や姪であるという感覚がない。彼女の語るように、姉妹であると言われた方が馴染む。自分がレイアであるという感覚がますます遠ざかる。

 食事を始めると、アルヴィの笑い声が響き、クルドの声が場を賑やかにする。ディオンの口数は少ないが、威圧的な様子はなく和やかな雰囲気で食卓を囲んでいる。

 ルシアは手元で果実を転がしながら、不思議な感じがしていた。懐かしく切ない。黄昏に輝くけだるげな光景を見ているような寂寥感。

(何かしら、この気持ちはーー)

 芽生えた気持ちの正体は掴みきれない。四人で繰り広げる他愛ない談笑に自然に心が緩む。ルシアが名残を惜しみたくなるほど、瞬く間に刻が過ぎた。ディオンを迎えた会食が終わりを告げる。

「ディオン様、美味しくなかったですか?」

 器を下げようとしたクルドの言い様に、ルシアは「え?」と視線を向ける。

「いや、美味かったが、どうして?」

「あまり、食べておられないようなので」

「私はもともと大食ではないからな。育ち盛りのアルヴィと一緒にされても困る」

「ですが、それにしても」

 眉を潜めるクルドに、アルヴィが無邪気に口を挟む。

「僕、わかりました! ルシア様に心を奪われていたからではないですか?」

 突然自分の名前が出てルシアは鼓動が跳ねたが、アルヴィはおかまいなしに決めつけている。ディオンは無垢な少年の言い様が可笑しかったのか、嫌悪することもなく笑っていた。

 席を立ったディオンに、ルシアは思わず声をかける。

「もうお帰りになるのですか」

 ディオンは驚いたようにルシアを見返ると、すぐに歩み寄ってきた。すっと目の前に手が差し伸べられる。

「おまえが縋るなら傍にいるが、どうする?」

 不遜な態度だったが、彼の赤い左目に悪戯めいた光が宿っていた。自分の変化を見透かされているのだと悟り、ルシアは顔が火照る。毅然と対応したいのに、紅潮する顔をどうすることも出来ない。
 開き直るような投げやりな気持ちで、差し出された手に掌を重ねた。

「縋りはしませんが、お聞きしたいことはあります」

「ーーいいだろう」

 ディオンに手を引かれた。よろめくように立ち上げると、すぐに逞しい腕に支えられる。当たり前のように馴染む仕草に、ルシアはますます恥ずかしくなる。

「では、お二人でごゆっくりと」

「僕は姉様と一緒にいますね」

 背後でクルドとアルヴィの声を聞きながら、ルシアは面白そうに笑っているディオンと広間を出た。

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