210 / 233
第五話(最終話) 相称の翼
第六章:二 暁の屈託
しおりを挟む
暁は速足に渡殿を戻りながら、赤の宮ーー緋桜の思いを酌んで口を閉ざしていることが正しいのかどうかを考えていた。
女王の命に背くことなど許されないが、どうしても割り切れない。
緋桜が娘を愛し、気遣う気持ちはわかる。自分が朱桜や緋桜に抱く気持ちにも、母性に通じるものがあるだろう。
だからこそ、自分は歯がゆさに苛まれているのだ。
この先の展開を思うからこそ、緋桜は娘に真実を語らない。
けれど、暁はその先途を打ち明けられたからこそ、緋桜の想いが朱桜に届かないまま見届けることを快諾できない。
朱桜にとっても、それが最善であるとは思えない。
屈託を抱えたまま、暁は闇呪の横たわる隣室の座敷に食事の支度を整えた。その旨を伝えるため朱桜達の元へ赴くと、碧宇と白虹がぼそぼそと低く何かを語り合っている。
相称の翼となった朱桜は透国の皇女と闇呪を挟むようにして向かい合い、麒角を引き抜く手立てがないかを考えているようだった。
暁が声をかけると、一斉に視線がこちらに集中する。座敷に食事の支度が整っている旨を伝えるが、朱桜は闇呪の傍を離れない。
白虹が碧宇と共にやって来て、朱塗りの高坏ごと朱桜の前に運ぼうとする。
「白虹様、そのようなことは私が」
「私に気遣いは無用ですよ」
涼しげに微笑みながら、白虹は呆気に取られる暁の前を横切っていく。暁はさらにぎょっとたじろいだ。妹皇女である玉花も自分の膳を抱えている。
「私も朱桜の姫君の隣でいただきます」
「玉花様まで」
「あら? 暁殿、そんなに驚かないで下さい。大兄は隠居生活ですっかり身の回りのことはご自分でなさる習慣がありますし、私も異界の作法に洗脳された翡翠様の影響を受けて、大兄と変わりません。風変わりとお思いでしょうが、これが普通なんです」
「あ、はぁ」
にっこりと笑う玉花にどんな返答をすべきかわからないまま、朱桜に目を向けると、相称の翼という立場には不似合いな程、膳を運んで来た白虹に恐縮している様が見て取れた。
暁は変わらない朱桜の素直さに心が緩む。
同時に、彼女の幸せを願うのは緋桜だけではないと、競り上がってきた思いが、チクリと暁の心の裏を刺した。
「暁殿」
朱桜の様子を見守っている暁の背後から、不意に囁くような声音が響く。思わずびくりと身動きしそうになるのを堪えて、暁は平常を装って振り返る。
「碧宇様、いかがなさいましたか?」
「貴殿からは、色々面白い話が聞けそうだな。少しこちらで我々の相手をしてくれないか?」
どこか揶揄うような色を含んだ調子で、碧宇が隣室を示す。白虹も朱桜の前から隣室へ戻り、暁が整えた席にゆっくりと座した。緋国では見られない灰褐色を帯びた瞳が、理知的な煌めきを宿して、暁に向けられていた。
英明な王子と聡明な皇子。二人に挟まれて、暁は掌に汗が滲んだ。自身が抱く屈託を見抜かれているのではないかと緊張が高まる。できるだけ心を鎮めるよう努めながら、暁は碧宇の希望に応えて、設けた席についた二人の側へ寄った。
暁が二人の前に座すと、碧宇が他愛ないことを語る呆気なさで、緋国の秘密を暴いた。
「朱桜の姫君ーー陛下は、赤の宮の娘だろう? なぜ女王は陛下にまでそのことを秘める?」
さすがの暁も返す言葉を失う。取り繕う術を模索していると、白虹が穏やかな声で追い打ちをかけた。
「本人に打ち明けると、何かまずいことでもあるのですか?」
完全に朱桜を女王の娘であると断定している様子の二人に、暁はうまく反応できない。表情だけは何とか普段の面を保っているが、話をはぐらかすための筋道が見えてこないのだ。
「お二方の酒の肴は、私には務まらないようです。何か趣向のあるものでもお持ちいたしましょうか」
座を離れようとすると、碧宇がはははと声をあげて笑った。
「さすが女王の御付だな。でも安心するが良い。陛下の出自は女王が自ら私に教えてくれた。今さら貴殿が口を閉ざす必要もない」
「そんなご冗談は」
「どうやら女王よりも貴殿の方が強情だな。いや、臣下としての矜持か。それは見事だが、女王も人だ。振る舞いの全てが正しいとは限らないぞ。もし貴殿に含むところがあるのなら、時には導くのも臣下の務めだ」
あまりにも全てを見透かした碧宇の言い様に、暁はふっと諦めにも似た気の緩みを感じた。この王子に自分ごとき者が、何かを誤魔化せるはずがない。思わずほぅっと嘆息が漏れた。
「碧宇の王子は、噂に違わぬお方ですね」
「それは誉め言葉か?」
やりとりを眺めていた白虹が白銀の袖で口元を抑えて、くすりと笑っている。
暁は二人を前に降参する。これも何かの縁ではないかと言う思いが、言い訳としてではなく胸の内に滲み出していた。
「私が申し上げるのも恐れ多いですが、女王はいまさら陛下に親子の名乗りをあげても意味がないとお考えです。悪戯に陛下のお気持ちを煩わせるような必要はないと」
「陛下が女王の想いを迷惑に感じるとは思えませんが……」
白虹がここからでは窺うことのできない隣室にちらりと視線を移す。暁は黙ってうなずく事しかできない。白虹が少し物憂げに目を伏せた。
「女王には女王の考えがあるのでしょうが、私はすこし寂しい気がしますね。陛下ならきっとお喜びになるでしょう」
「そうだな。出自が緋国の汚点ではないと知るだけでも、救われる気持ちがあるだろう。それに後々暴かれないとも限らん」
暁はハッとした。たしかに陛下なら、これから出自の真実に触れることがあるのかもしれない。すでに緋国で愛称も与えられなかった哀れな姫君ではなく、相称の翼なのだ。表舞台に在り続ける身であれば、詮索する者もあるだろう。
後々になって、真実が耳に入ればどうなるのか。きっと朱桜は悔やむに違いない。
暁が碧宇を見ると、彼は再び全てを察したかのような、意味ありげな微笑を浮かべた。
「赤の宮は毅然とした女王だ。だからといって完璧ではない。女王が貴殿に見せた弱さ。それを補うのも臣下の務めだ」
「宮の弱さ」
「私には、そんなふうにも見えるが」
白虹の視線を感じてそちらを向くと、彼も静かに頷いた。
これから訪れる女王の破滅を王子も皇子も知らない。誰も知らない。緋桜が心に秘めた、静の予言。かけがえのない約束。彼女はずっと見つめ続け、覚悟をもって歩んできたのだ。全てを打ち明けられた時、暁は緋桜の強さを噛み締めた。
その緋桜の、弱さ。暁には見えていなかった。
たしかにそうだ。女王が先途のことを考えなかったはずはない。目先の哀しみに囚われて、見落としている。あるいは目を背けている。きっと、最期の時に自分のために悲嘆にくれる朱桜を見たくはないのだろう。娘の泣き顔を見ながら、去りたくはないのだろう。
「私は、臣下として務めを果たすべきですね」
もう暁に迷いはなかった。陛下ーー朱桜にどのように伝えるべきなのか。それだけを考えていた。
女王の命に背くことなど許されないが、どうしても割り切れない。
緋桜が娘を愛し、気遣う気持ちはわかる。自分が朱桜や緋桜に抱く気持ちにも、母性に通じるものがあるだろう。
だからこそ、自分は歯がゆさに苛まれているのだ。
この先の展開を思うからこそ、緋桜は娘に真実を語らない。
けれど、暁はその先途を打ち明けられたからこそ、緋桜の想いが朱桜に届かないまま見届けることを快諾できない。
朱桜にとっても、それが最善であるとは思えない。
屈託を抱えたまま、暁は闇呪の横たわる隣室の座敷に食事の支度を整えた。その旨を伝えるため朱桜達の元へ赴くと、碧宇と白虹がぼそぼそと低く何かを語り合っている。
相称の翼となった朱桜は透国の皇女と闇呪を挟むようにして向かい合い、麒角を引き抜く手立てがないかを考えているようだった。
暁が声をかけると、一斉に視線がこちらに集中する。座敷に食事の支度が整っている旨を伝えるが、朱桜は闇呪の傍を離れない。
白虹が碧宇と共にやって来て、朱塗りの高坏ごと朱桜の前に運ぼうとする。
「白虹様、そのようなことは私が」
「私に気遣いは無用ですよ」
涼しげに微笑みながら、白虹は呆気に取られる暁の前を横切っていく。暁はさらにぎょっとたじろいだ。妹皇女である玉花も自分の膳を抱えている。
「私も朱桜の姫君の隣でいただきます」
「玉花様まで」
「あら? 暁殿、そんなに驚かないで下さい。大兄は隠居生活ですっかり身の回りのことはご自分でなさる習慣がありますし、私も異界の作法に洗脳された翡翠様の影響を受けて、大兄と変わりません。風変わりとお思いでしょうが、これが普通なんです」
「あ、はぁ」
にっこりと笑う玉花にどんな返答をすべきかわからないまま、朱桜に目を向けると、相称の翼という立場には不似合いな程、膳を運んで来た白虹に恐縮している様が見て取れた。
暁は変わらない朱桜の素直さに心が緩む。
同時に、彼女の幸せを願うのは緋桜だけではないと、競り上がってきた思いが、チクリと暁の心の裏を刺した。
「暁殿」
朱桜の様子を見守っている暁の背後から、不意に囁くような声音が響く。思わずびくりと身動きしそうになるのを堪えて、暁は平常を装って振り返る。
「碧宇様、いかがなさいましたか?」
「貴殿からは、色々面白い話が聞けそうだな。少しこちらで我々の相手をしてくれないか?」
どこか揶揄うような色を含んだ調子で、碧宇が隣室を示す。白虹も朱桜の前から隣室へ戻り、暁が整えた席にゆっくりと座した。緋国では見られない灰褐色を帯びた瞳が、理知的な煌めきを宿して、暁に向けられていた。
英明な王子と聡明な皇子。二人に挟まれて、暁は掌に汗が滲んだ。自身が抱く屈託を見抜かれているのではないかと緊張が高まる。できるだけ心を鎮めるよう努めながら、暁は碧宇の希望に応えて、設けた席についた二人の側へ寄った。
暁が二人の前に座すと、碧宇が他愛ないことを語る呆気なさで、緋国の秘密を暴いた。
「朱桜の姫君ーー陛下は、赤の宮の娘だろう? なぜ女王は陛下にまでそのことを秘める?」
さすがの暁も返す言葉を失う。取り繕う術を模索していると、白虹が穏やかな声で追い打ちをかけた。
「本人に打ち明けると、何かまずいことでもあるのですか?」
完全に朱桜を女王の娘であると断定している様子の二人に、暁はうまく反応できない。表情だけは何とか普段の面を保っているが、話をはぐらかすための筋道が見えてこないのだ。
「お二方の酒の肴は、私には務まらないようです。何か趣向のあるものでもお持ちいたしましょうか」
座を離れようとすると、碧宇がはははと声をあげて笑った。
「さすが女王の御付だな。でも安心するが良い。陛下の出自は女王が自ら私に教えてくれた。今さら貴殿が口を閉ざす必要もない」
「そんなご冗談は」
「どうやら女王よりも貴殿の方が強情だな。いや、臣下としての矜持か。それは見事だが、女王も人だ。振る舞いの全てが正しいとは限らないぞ。もし貴殿に含むところがあるのなら、時には導くのも臣下の務めだ」
あまりにも全てを見透かした碧宇の言い様に、暁はふっと諦めにも似た気の緩みを感じた。この王子に自分ごとき者が、何かを誤魔化せるはずがない。思わずほぅっと嘆息が漏れた。
「碧宇の王子は、噂に違わぬお方ですね」
「それは誉め言葉か?」
やりとりを眺めていた白虹が白銀の袖で口元を抑えて、くすりと笑っている。
暁は二人を前に降参する。これも何かの縁ではないかと言う思いが、言い訳としてではなく胸の内に滲み出していた。
「私が申し上げるのも恐れ多いですが、女王はいまさら陛下に親子の名乗りをあげても意味がないとお考えです。悪戯に陛下のお気持ちを煩わせるような必要はないと」
「陛下が女王の想いを迷惑に感じるとは思えませんが……」
白虹がここからでは窺うことのできない隣室にちらりと視線を移す。暁は黙ってうなずく事しかできない。白虹が少し物憂げに目を伏せた。
「女王には女王の考えがあるのでしょうが、私はすこし寂しい気がしますね。陛下ならきっとお喜びになるでしょう」
「そうだな。出自が緋国の汚点ではないと知るだけでも、救われる気持ちがあるだろう。それに後々暴かれないとも限らん」
暁はハッとした。たしかに陛下なら、これから出自の真実に触れることがあるのかもしれない。すでに緋国で愛称も与えられなかった哀れな姫君ではなく、相称の翼なのだ。表舞台に在り続ける身であれば、詮索する者もあるだろう。
後々になって、真実が耳に入ればどうなるのか。きっと朱桜は悔やむに違いない。
暁が碧宇を見ると、彼は再び全てを察したかのような、意味ありげな微笑を浮かべた。
「赤の宮は毅然とした女王だ。だからといって完璧ではない。女王が貴殿に見せた弱さ。それを補うのも臣下の務めだ」
「宮の弱さ」
「私には、そんなふうにも見えるが」
白虹の視線を感じてそちらを向くと、彼も静かに頷いた。
これから訪れる女王の破滅を王子も皇子も知らない。誰も知らない。緋桜が心に秘めた、静の予言。かけがえのない約束。彼女はずっと見つめ続け、覚悟をもって歩んできたのだ。全てを打ち明けられた時、暁は緋桜の強さを噛み締めた。
その緋桜の、弱さ。暁には見えていなかった。
たしかにそうだ。女王が先途のことを考えなかったはずはない。目先の哀しみに囚われて、見落としている。あるいは目を背けている。きっと、最期の時に自分のために悲嘆にくれる朱桜を見たくはないのだろう。娘の泣き顔を見ながら、去りたくはないのだろう。
「私は、臣下として務めを果たすべきですね」
もう暁に迷いはなかった。陛下ーー朱桜にどのように伝えるべきなのか。それだけを考えていた。
0
あなたにおすすめの小説
冷酷総長は、彼女を手中に収めて溺愛の檻から逃さない
彩空百々花
恋愛
誰もが恐れ、羨み、その瞳に映ることだけを渇望するほどに高貴で気高い、今世紀最強の見目麗しき完璧な神様。
酔いしれるほどに麗しく美しい女たちの愛に溺れ続けていた神様は、ある日突然。
「今日からこの女がおれの最愛のひと、ね」
そんなことを、言い出した。
ダブル シークレットベビー ~御曹司の献身~
菱沼あゆ
恋愛
念願のランプのショップを開いた鞠宮あかり。
だが、開店早々、植え込みに猫とおばあさんを避けた車が突っ込んでくる。
車に乗っていたイケメン、木南青葉はインテリアや雑貨などを輸入している会社の社長で、あかりの店に出入りするようになるが。
あかりには実は、年の離れた弟ということになっている息子がいて――。
訳あり冷徹社長はただの優男でした
あさの紅茶
恋愛
独身喪女の私に、突然お姉ちゃんが子供(2歳)を押し付けてきた
いや、待て
育児放棄にも程があるでしょう
音信不通の姉
泣き出す子供
父親は誰だよ
怒り心頭の中、なしくずし的に子育てをすることになった私、橋本美咲(23歳)
これはもう、人生詰んだと思った
**********
この作品は他のサイトにも掲載しています
予知姫と年下婚約者
チャーコ
恋愛
未来予知の夢、予知夢を視る女の子のお話です。下がってしまった未来予知の的中率を上げる為、五歳年下の美少年と婚約します。
本編と特別編の間に、番外編の別視点を入れました。また「予知姫と年下婚約者 小話集」も閑話として投稿しました。そちらをお読みいただきますと、他の視点からお話がわかると思いますので、どうぞよろしくお願いします。
※他サイトにも掲載しています。
※表紙絵はあっきコタロウさんに描いていただきました。
優しすぎる王太子に妃は現れない
七宮叶歌
恋愛
『優しすぎる王太子』リュシアンは国民から慕われる一方、貴族からは優柔不断と見られていた。
没落しかけた伯爵家の令嬢エレナは、家を救うため王太子妃選定会に挑み、彼の心を射止めようと決意する。
だが、選定会の裏には思わぬ陰謀が渦巻いていた。翻弄されながらも、エレナは自分の想いを貫けるのか。
国が繁栄する時、青い鳥が現れる――そんな伝承のあるフェラデル国で、優しすぎる王太子と没落令嬢の行く末を、青い鳥は見守っている。
12年目の恋物語
真矢すみれ
恋愛
生まれつき心臓の悪い少女陽菜(はるな)と、12年間同じクラス、隣の家に住む幼なじみの男の子叶太(かなた)は学校公認カップルと呼ばれるほどに仲が良く、同じ時間を過ごしていた。
だけど、陽菜はある日、叶太が自分の身体に責任を感じて、ずっと一緒にいてくれるのだと知り、叶太から離れることを決意をする。
すれ違う想い。陽菜を好きな先輩の出現。二人を見守り、何とか想いが通じるようにと奔走する友人たち。
2人が結ばれるまでの物語。
第一部「12年目の恋物語」完結
第二部「13年目のやさしい願い」完結
第三部「14年目の永遠の誓い」←順次公開中
※ベリーズカフェと小説家になろうにも公開しています。
お前が欲しくて堪らない〜年下御曹司との政略結婚
ラヴ KAZU
恋愛
忌まわしい過去から抜けられず、恋愛に臆病になっているアラフォー葉村美鈴。
五歳の時の初恋相手との結婚を願っている若き御曹司戸倉慶。
ある日美鈴の父親の会社の借金を支払う代わりに美鈴との政略結婚を申し出た慶。
年下御曹司との政略結婚に幸せを感じることが出来ず、諦めていたが、信じられない慶の愛情に困惑する美鈴。
慶に惹かれる気持ちと過去のトラウマから男性を拒否してしまう身体。
二人の恋の行方は……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる