隻腕の王と男装の麗人~抱きしめて~

秋野 林檎 

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広間を出た後、プリシラは王宮の一室に置かせてもらっていた、荷物を取りに向かっていたのだが、途中で雨に気がつき、だんだんと歩みは遅くなり、とうとう足は止まってしまった。
「荷物を取りに行くのには、一旦庭に出ないといけないのに…。」

いや、雨だけがプリシラの足を止めたのではなかった。

しばらく空をぼんやりと見ていたプリシラが、溜め息混じりに出した言葉は、
「…あんな男が…私より大事だったなんて…。」

先程の主のいない玉座に言い放った勢いはもうなく、プリシラは大きな溜め息をつくと、壁にもたれ窓ガラスに映る自分へと視線をやると、ハッとしたように、窓ガラスの自分を瞬きもせず見つめ、まるで怯えるかのように黒い髪に手をやり、黒い瞳を揺らしながら

「…お…母様…」

そう口にしたのは自分なのに、その言葉を聞きたくなかったようにプリシラは顔を歪め、母親と同じ黒い髪と黒い瞳の女の姿を、忌み嫌うように眼を瞑った。
だが、苦しい思いは少しも楽にはならず、寧ろ記憶の中で見たあの姿…一枚の絵のような男女の抱きあう姿が浮かび…プリシアは慌ててその姿を消すように、頭を振り唇を噛んだ。

 頭の中を、取り留めの無いことばかりが、浮かんでは消えていった。

 「もう勘弁してよ…」

 小さな声で言ったつもりだったが、その声は静かな廊下に響き、プリシラは頭を抱えると、(もう嫌!)と今度は心の中で叫び、両手で顔を覆うと、顎の線まで切った黒い髪がパラパラと顔を覆った両手に、ベールのように落ちてきた。
だが一枚の絵のような男女の抱きあう姿が、また脳裏に浮かび、プリシラは顔を覆ったまま篭もった声で「もう…」と口にした時だった。


ガシャン!!

何かが倒れる音と、小さな叫び声が、後ろの部屋から聞こえ、プリシラの脳裏から…一枚の絵のように抱きあう……母とバクルー王の姿が……消えた。

プリシラはハッとしたように顔を上げると…
「…今のは…子供の叫び声?」
と口にした途端、体は音がした部屋に、ノックもなしに飛び込み、声は大きく叫んでいた。

「どうしました!」

だがその部屋には、子供どころか、人影もなく…ただ、なにやら、ごちゃごちゃと箱が…、木が…、金槌が…、一面に散らばっていて…

思っていた状況と違い過ぎ、気が抜けたような声がプリシラの口から漏れた。
「…なに?この部屋?」

気が抜けたプリシラの声だったが、むしろその声に安心したかように、ゆっくりした深い呼吸が聞こえ、 大きな箱の中から、少年が顔を出すと
「よかった…ルイスじゃなかった。」と言ってうつむき加減で、箱の淵に両手を置いて

「あの…」と小さな声で少年はなにか言おうとしたが、言葉が見つからなかったのか口を噤み、泣きそうな顔でプリシラを見ると、また口を開こうとしたが、言葉よりも涙が零れそうだった。

プリシラは少年の頭を軽く撫で、腰を下ろし、目線を少年に合わせると

 「なにしてるの?こんなところで…と言うか、この部屋はなに?」

プリシラのその問いに、少年はパァっと満面の笑みを浮かべ、小さな声だったが、だがちょっと得意げに…「ひみつきち」と胸を張った。だが、次の瞬間「あっ!」と声をあげると慌てて

「だ、だ、から、ひみつにして!」

プリシラは、可笑しくてたまらなかった。
あっさり秘密基地だと言ったこともだが、なによりもそれを慌てて、秘密にしてと頼むところが…もう可笑しくて、そしてなんだか愛おしくて、プリシアはこの少年の可愛らしさに、思わず微笑むと

「いいわよ。でも基地?というより…箱が山積みになっているだけのように見えるんだけど…」

 「…うん…、うまくいかないんだ。」

 少年は、下を向き元気なくそう答えた。
プリシラは、床に置かれた金槌を手に取ると…う~んと唸って、金槌を少年に渡すと微笑みながら

「この金槌は、あなたには重すぎだわね。待ってて私の金槌なら少しはマシかも知れないわ。」

 少年は、プリシラの申し出に眼を輝かせ
「ほ、ほんとに?!ありがとう。おにいちゃん。」

 少年のその一言で、プリシラの微笑みは…力を無くしたようになり…
「えっ~とね。こんな姿だけど、一応女なのよ。」

 少年は…あっと小さな声をあげると、
 「ご、ごめんなさい。」と泣く寸前のように、顔を歪めた。

プリシラは、少年の前にひざまづき
「怒ってるんじゃないのよ。わざと男に見えるようにしているんだもの。ただ…うん、そう…ただ、君にはお姉さんと呼んでもらいたいなぁと思っちゃって…」

と言って、自分の両頬を両手でパチンと叩くと
「ごめん!変な事を言って…私はプリシラ。君は…?」

 「エミリオ。えっと、もうすぐ7歳になるんだ。」と言って先程の泣きそうな顔から、ようやく笑顔を見せた。

プリシラは、エミリオの笑顔を見て、安心したように微笑むと
「庭の向こうの部屋に、金槌を置いてるの。取ってくるわ。」

そう言って扉を開けたが、まだ後ろにいるエミリオのほうに体を向けると、真剣な顔で…でも瞳はいたずらっぽく笑って
「エミリオ、合図は扉をコン・コン・コン・コン・コンと五回叩くからね。その時は私だから…」

 「なんだか…それって」
とエミリオは小さな声で言ったが、すぐに大きな声で

「なんだか…それって!!ひみつぽっくて、かっこいい。」と真っ赤な顔で、興奮気味に叫んだ。

プリシラは、笑いを堪え
「そんな大きな声で叫んだら、秘密基地がばれちゃうよ。」

エミリオは慌てて両手で、口を押さえた。
その様子がまた可笑しくて、プリシラのほうが大きな声で笑ってしまい、プリシラも慌てて両手で、口を押さえると、エミリオと眼を合わせ…頷きあったが、眼は…お互いまだ笑っていた。


プリシラは、大きく息を吐いて、まだ笑ってしまいそうな口元を引き締めると、エミリオに軽く手を上げ、扉を開け周りをきょろきょろと見渡し、外へと足を踏み出したときだった。

プリシラの背中に、エミリオの小さな声が…「おねえさん、きをつけて」と聞こえ…
(おねえさんだって)とプリシラは、引き締めたばかりの口元を緩めると、エミリオへと振り返ると微笑んだ。
それは、優しさに溢れた笑みだった。



エミリオは、ドキドキしていた。
 秘密基地のことを笑わずに、聞いてくれたうえに、手伝ってくれるという、そんな大人がいたことに…それも女官長のように、ちょっと恐い女性ではなく、母のように、大人しい女性でもない。

 不思議な女性に、エミリオは同志を見つけたようで、嬉しくてたまらなかった。
 両手で持った金槌を見ながら、

 「おねえさん、はやくこないかなぁ」と言って、大きな箱の前に座ると、これから始まることを想像して、また笑みを浮かべていた。

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