キスをする5秒前~kiss.kiss.kiss~

秋野 林檎 

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1章 葉月と樹

樹・・・唇を噛む。

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何度も寝返りをうつその度に、眼が覚め、とうとう俺は眠ることを諦めるとベランダへと出た。

冷たい夜風に、思わず身を縮みこませたが、手すりにつかまると、大きく体を逸らせて、縮みこんだ心と体を冷たい夜風に曝け出したら、今日あったすべての出来事が、冷たい風と一緒に、一気に頭の中を駆け抜けるような気がして、その映像を追いかけるように目を瞑った。



理香さんと別れたあと俺は、広間に戻ることなく、運転手に葉月ちゃん達を乗せて帰るように伝えると、途中で拾ったタクシーに乗って養父の家へと向かった。それは昨夜、養父からの俺を心配する言葉があったからだった。

『母は私を呼ぶつもりはないらしい。私も相当嫌われたものだ。だから、本家には一緒には行けないが、樹…せめて明日は、ここに戻って来い。』

そう言って、ウィスキーが入ったグラスを、何度も手の中で転がしながら
『……今度こそ力になりたいから、話を聞かせてくれ。』

おそらく、久住本家に行ったら、俺が新たな悩みを、抱えて来ると予想しての言葉だったのだろうか。だが昨夜、帰ってきた俺の顔を見た養父は、黙って俺の肩を叩くと、

『お前の部屋はそのままだ。』と言って、それ以上はなにも言わなかった。

ありがたかった。落ち込んでいるというよりも、考えが纏らず、早く一人になりたいというのが、本心だったからだ。

いろいろあり過ぎた一日が、10年前に止まったままだと思っていた俺の人生を、動かしたように思える。

動き出した人生か…俺のこの先の人生の道しるべが、今…眼を開くと見えるだろうか。正直、見るのが恐くもある。だが前に進みたい。

俺はしっかり眼を開き、前を見据えた。

由梨奈の病気の件は、女性である理香さんにまず相談しよう。病気によって、久住家からあるいは桐谷家から、理不尽な扱いを受けることもあるかもしれない、だが弁護士の理香さんなら、その辺も力になってくれるはずだ。

これで由梨奈が、久住家から心も体も解放されたら、辛くて、悲しくてたまらないだけだったの恋が…幸せだった恋の思い出に変わって行ける。

そうやって、俺の中で10年前の恋が終わったら…
すべてが終わったら…

だがそうなったら…

ジョセィーヌさんとも、理香さんとも……葉月ちゃんとも…

「…もう会えなくなる。」


ズキン・・・
口にしたら、胸が大きく音をたてた気がした。

「いや…もともと、俺と葉月ちゃんは一緒にはいられないんだ。」

ズキン・・・
【諸刃の剣】

そう、諸刃の剣だから。

もし今回、葉月ちゃんが俺の恋人と言う設定で、葉月ちゃんの出生を語ったとしたら、婆様のやり方に不満を持つ親戚、会社の重鎮は…おそらくすべて俺についていただろう。ウッドフォード国は小国だが、豊かな地下資源と温暖な気候に恵まれた国で、その国王の娘とならば、周りはその恩恵に授かろうとする下心を持つ輩ばかりだろうが…数の点で俺が優位に立てば、久住は変われる。
だが裏を返せば、婆様や葉月ちゃんの父親と反目しあう王家の人間が、葉月ちゃんを利用しようと、動く可能性もあるということでもある。

確かに葉月ちゃんの秘密は、俺がこの久住と決別できるほどのものだが、その秘密で刃になった葉月ちゃんも無事では済まない。どちらにしろ、葉月ちゃんは物のように利用され、扱われて、あの笑顔を無くしてしまうと言うことだ。

そんなこと…俺には耐えられない。

だから、俺は葉月ちゃんから離れるべきなんだ。そう…離れるべきなんだ。

わかっているのに、そうしなくてはならないとわかっているのに…

どうして、この手は葉月ちゃんを離したくないと思うんだろうか?

どうして、この眼は葉月ちゃんをずっと見ていたいと思うのだろうか?

どうして、俺の心は悲鳴を上げるんだ!
手すりを掴んだ手に力が入り、きつく瞑った瞼の裏に浮かんだのは…

『メチャメチャ、カッコいいです!いつものジョセフィーヌさんも大好きだけど、この姿のジョセフィーヌさんも大好きです!!』

ジョセフィーヌさんを見てそう言う葉月ちゃんに… なんだか、面白くなかった。


『久住さんが、私を女性として見るわけないじゃないですか。21になっても、子供っぽい私なんかと…ぜんぜん合わないですよ。』

俺とは…合わない。その言葉だけで、葉月ちゃんに俺は顔を見せられないほど、車内の窓に映った顔は歪んでいた。

そして…

秋継に圧し掛かられた葉月ちゃんの髪は大きく乱れ、ハイヒールが遠くに散乱し、そして俺が選んだピンクのワンピースの裾が膝の上まで…捲くれていたその姿に、俺は冷静さを失くしていた。あのまま止められなければ…秋継を殴っていただろう。


俺は…

俺は…

葉月ちゃんに……惹かれていたんだ。


ふわふわとした茶色い髪に…
大きな眼を縁取る黒く長い睫に…
珍しいへーゼル色の瞳に…
そして、あの笑顔に…俺は惹かれていたんだ。


だが、好きだと気が付いた人は、いつも手の届かない人…か。


ベランダから見える灯りの中で、一番煌く花見中央駅の灯り。
見えるはずはないのに、その辺りに住んでいる葉月ちゃんを探そうとする俺の眼に…堪らず唇を噛んだ。





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