完結【日月の歌語りⅡ】日輪と徒花

あかつき雨垂

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 ホラスがはじめて父の仕事を見たのは、八歳の時だった。
 塔から連れ出されてきた囚人が衛兵に引き立てられ、集まった観衆の中を歩いてくる。広場にしつらえられた処刑台の上に父が立っていて、その手には、見慣れた剣が握られていた。自宅の書斎の壁に掛けられている、幅広の重たい剣だ。
 処刑台の後ろには王のための観覧席が作られていた。そこに、ハロルド王とエメライン王妃が並んで座っていた。王妃は具合が悪そうで、彼女の後ろにある石灰岩の壁とおなじような顔色をしていた。反対に、王は血色の良い顔にうっすらと余裕の笑みを浮かべて、皆を見下ろしている。
 ハロルドが王位を継いで六年が経っていた。その前の王だったエリク三世の在位はたったの九年。三十四歳の若さで、原因不明の病で死んだ。その病とは、おそらく誰かの悪意──あるいは野望からにじみ出る毒だったのだろう。
「人を陥れる者は、自らその結果に苦しむことになる」と父は言った。
 それが誰をさした言葉なのかは決して言わなかったが、成長してから、ハロルドのことだとわかった。王が兄であるエリクを誅殺したということは、多くの人にとっては公然の秘密だった。それが問題にならなかったのは、ハロルドが政敵を次々と処刑し、己の力を見せつけたからだ。
 今日もまた、彼の敵が一人、この世から居なくなる。
 ほんの数ヶ月前まで、王とともに狩りやカード遊びをしていた男だ。爵位を持ち、何人もの家来と兵隊、広大な土地と立派な城と、家族を抱えている。だが、たったひとつの噂が王にまで届いてしまったせいで、その全てを失うことになった。
 陽神デイナが王を選ぶ。そして王の行うことはすべて、陽神デイナが王を通して地上にもたらしている神の意志なのだ。だから、何人なんぴとたりとも、王に異論を唱えてはならない。それは神を疑うのと同じだからだ。
 罪人が処刑台の上に立ち、目隠しをかけられる。ここで気を失う者も少なくはない。そんなときのために、父はある水薬を持っていた。飲むと現実に分厚い幕が掛かったようになり、恐怖を感じにくくなるのだという。だが、彼には必要ないようだった。
 役人が、囚人の名前と罪状を読み上げる。反逆罪。棺に打ち込む釘ののように、無慈悲で揺るがぬ、その宣告。
「最期に、何か言いたいことは?」
 役人の問いかけに、彼は目隠しをしたままの顔を王に向け、見えないはずの目で、かつて友だった男をじっと見つめた。言葉はなかった。王の顔にかすかな皺が寄ったのをみて、父が囚人の身体の向きを変えさせた。
 太鼓の音が鳴り響く。
 父に促され、男は処刑台に膝をついた。身体を倒し、木の断頭台に頭を乗せ、うつ伏せに横たわる。ホラスはどうにかして、観衆たちの身体の隙間から様子をうかがおうとするけれど、混み合っていて、断頭台の上までは見えない。
 父が剣を振り上げる。そして、太鼓の音が止んだ。
 剣が空を裂くヒュッという音。それから、肉と骨とを一息に断つ時の、あの名状しがたい音。群衆の低いどよめきの中、重たいものが転がり、それがどこかにぶつかった音がした。首級くびが首受けに落ちたのだろう。
 父の助手が首級を持ち上げ、王と観衆に、それを見せる。
 目隠しが取り去られた死者の顔。そこにあらわれていた表情に、観衆は自分の見たいものを見た。それは恐怖や、矜持や、怒り、そして哀しみだった。
 ホラスはただ、力を失った顔に『死』そのものを見ていた。
 
 十年以上の時を経て、この白茨塔ホワイトソーンに囚人として戻ってくるとは、なんという皮肉だろうとホラスは思った。
 白茨塔ホワイトソーンは、市壁の東北に位置している。かつては王族の居城のひとつだったが、いつからか囚人を留め置くための牢獄となった。
 ホラスはここに連行されてすぐに、地下へと連れて行かれた。
 罪状に関しては何の説明も受けなかったし、聞く気もなかった。要人の拷問に、暗殺。そして審問官でありながら魔術とかかわった罪。思い当たる節がおおすぎて、かえって要らぬことを言いかねない。
 地下になにがあるのか知らない振りをすることは出来なかった。白茨塔ホワイトソーンの地下室は、処刑場とはまた別の父の仕事場であり、ホラスにとっては家業を学ぶ教室でもあった。
 重たい扉の向こうにあるのは、窓のない円形の部屋だ。
 そこには囚人を吊るすための鉤と、きれいに並べられた拷問具がある。拷問部屋の天井には小さな穴が空いていて、その穴が塔全体を貫いて最上階まで伸びている。この部屋から聞こえる苦悶の声を反響させながら、牢獄全体に行き渡らせるための仕掛けだ。曾祖父の代の改築で付け加えられたと、一族の日誌には書き残されていた。そんなことを、妙に冷静な自分の一部が思い出している。
 ホラスを連行する衛兵が戸を叩き、中にいる者に声をかけた。
「囚人をお連れしました」
 衛兵は返事を待たずに扉を開け、ホラスを中に押し込むと、後ろ手にかけられた手枷を壁の金輪にくくりつけた。
「ご苦労」は言い、ホラスを見て同情めいた笑みを浮かべた。「今回は、『担当があなたでよかった』とは言えないだろうね」
 ホラスは眉をひそめた。
「テニエス──どうして、こんなところに」
 そして彼の傍らには、あの眼帯の男がいた。石像のように立ち尽くし、ホラスを見下ろしている。
「まさか、あなたが?」
「真相にたどり着かずにいてくれたら、と思わずにはいられなかったよ」テニエスは肩をすくめた。「今回ばかりは、記憶を消して放免、というわけにはいかないんだ」
 何気なく口にされた言葉に、ホラスは鳩尾を殴られたような衝撃を受けた。
 記憶を消す。
「何故……あなたがそれを知っている?」
 テニエスは人の良さそうな笑みを浮かべた。「何故って、それが僕の仕事だからさ。ずっと前からね」
 ホラスは頭の中に、何度も繰り返し唱えてきた名前を並べた。
 マンロー、ノースモア、コルボーン、オーツ、ソザートン、リッチフィート、ダウリング、ホーウッド。マギーを殺した十二人のうち、名前が分かっているのはこの八人。そして、今までに特徴しか明らかになっていなかった四人のうちの二人は──。
「隻眼の男と、王都から来た男」ホラスは呟いた。「あなたが……?」
 テニエスは控えめな笑みを浮かべた。「正直なところ、君がここまで真実に迫るとは思っていなかった。見事だ、ホラス」
 こんなに容易く認められるのは、正しくない気がした。血反吐にまみれて──あるいは死の床で懺悔しながら認めるのに相応しい罪だ。それなのに、テニエスの笑みは、知り合った頃と同じくらい穏やかだった。
「あなたが、マーガレットを殺した……!」
「あれから何度も繰り返すことになる失敗の、最初の一例だった」テニエスは言った。「わたしは若く、経験不足だった。とても見苦しくて、苦痛に満ちた失敗だったよ。君は記憶を失ったことを感謝すべきだ」
 衝撃に麻痺していた心が、徐々に怒りという感情を取り戻しはじめる。
「感謝だと!」殴りかかろうと腕を引くが、両腕ともかたく戒められていて、動かせない。「なにが感謝だ、この人殺しめ!」
「学問の進歩に、犠牲はつきものだ。わたしは人殺しなんかじゃないさ。博士だよ。当時も、そして今もね。陽神学の中でも、鉱物に宿る特性を専門にしているのは話したことがなかったとは思うが……まあ、人体に詳しくないのは君にもお見通しだっただろう。だが『人手不足』はいつだっていい口実になる」
 テニエスは机の上から、小さな瓶を持ち上げた。中には、あの蠍の魔道具フアラヒの残骸が閉じ込められていた。
「これもまた、鉱物の特性を知り尽くした者にしか作れないものだ。記憶を司る黄銅石カルコパイライトに、紅玉ルビーが動力源。非情に興味深い。これを作った魔術師と、是非話がしてみたいね」
 テニエスは、瓶を机の上に置いた。
「神の創造物には、その御心に叶う本質がある。つまり、すべてのものにこの世に存在する意味があるんだ。銀は魔力を退け、金は増幅する、といったようにね。だが金属の中でも、貴金とうがねの特性は本当に素晴らしい。あれこそ、陽神デイナの威光とご意志を世に示すものだよ」
「マギーに何をした?」ホラスは唸るように言った。「他の魔女たちや、エミリアに何をしたんだ!」
 よく聞いてくれた、とでも言うように、テニエスは微笑んだ。
「それだよ。そこでなんだ」
 テニエスは机の上から別の小瓶を取り上げ、ホラスの前で揺すって見せた。親指ほどの大きさの瓶の中で、不思議な金色の液体が揺れた。
柔らかい石アマルガム」テニエスは言った。「聞いたことは?」
 ホラスは何も言わず、テニエスをにらみつけた。
「錬金術に明るくなければ、まず知らないだろうね。物質の本質を変化させる石だが、魔法じゃない。賢者の石とも呼ばれているが、わたしとしては、より専門的なアマルガムという単語を使いたい」
 テニエスは、ホラスに見えるように、次々と瓶を並べた。どの瓶の中にも、色とりどりの液体が入っている。
「これは、黄銅石カルコパイライト──数時間分の記憶を失う。君が飲んだのもこれさ。石が体内に入り、記憶を吸い取る。塊となって排泄されれば、記憶は二度と取り戻せないというわけだ。体験済みだろう?」
 テニエスは得意げに語った。
「そして、これは尖晶石スピネル──飲むと意識がすっきりして、思考力が高まる。これはなんだかわかるかい? 珊瑚だ。生命力を高めてくれる」
 次から次へと、テニエスは自らの功績を並べ立てていった。この男は検屍に関しては無能かも知れないが、この分野での研究に関しては、神がかり的な成果を上げているようだ。それは間違いなかった。
 全てを紹介し終えると、テニエスは手を叩いて、両手を拡げた。
「これらが、柔らかい石アマルガム──すなわち、水銀と他の金属との合金だ!」
 ホラスの背筋に、嫌な悪寒が走った。
「理解したという顔をしているね、ホラス。そうなんだよ」最初に見せた、金色の液体の瓶を示す。「これは、貴金とうがねと水銀を合わせてつくった柔らかい石アマルガムなんだ」
 エリザベスが矯正院の地下で見たという実験の様子を思い出す。椅子に縛り付けられた魔女は、何らかの液体を飲まされていた。
 それが、これだ。
 こいつが、やったんだ。
「その液体で、魔女の抜け殻を作っているんだな」ホラスは言った。「エミリアにも同じことをしたのか? お前らの仲間の娘なんだぞ!」
 テニエスは首を振った。
「考え違いをして貰っては困る。燃え尽きてしまった君の従姉よりは成功に近いが、あの抜け殻たちは……わたしが目指したものじゃないんだ。とは言え、魔女の治療法としては、何の不足もない」
 冷静さの手綱を放さぬように、歯を食いしばる。この男が、何故こうもべらべらと全容を話して聞かせているのか、その理由にまでたどり着かなければならない。
「だがエミリアは、もっと至高の存在になった」テニエスは言った。「彼女のなかで、太陽と月の結婚が成ったんだ」
「生きているのか!?」ホラスは声を上げた。
「その通り! 陽神デイナに祝福あれ!」
「生きている……エミリアが……」
 だが、少しも安堵出来なかった。
 脳裏に蘇ったのは、焼けただれたオフィーリアの体内だ。
「言っておくが、ニコラスは知らないよ。疑ってはいるかも知れないが、それを口に出す勇気はない。ああいう人間を仲間に引き入れると、計画はそこから綻ぶことになるんだ。二十年前の魔女狩りの時もそうだった。あいつが怖じ気づいたせいで、他の連中も騒ぎ出してしまってね。だから、わざわざ記憶を消さなければならなかったんだ。良い教訓になったよ。娘のビアトリスのほうが、よほど理解がある。彼女が家を出るエミリアの計画を報せてくれなかったら、これほどまでの成功を遂げることは出来なかったんだからね」
 そこでビアトリスがかかわってくるのか。
「ウィッカムはどうだ? 彼もお前のやっていることをしているのか?」
 テニエスは冗談はよせと言いたげに手を振った。
「彼がエミリアや、その他の魔女たちを連れてきてくれたんだ。しかし……こう言っては悪いが、ウィッカムは、ただの運び屋さ。魔女を見つけてくる腕は買うが、質が良くない。実は柔らかい石アマルガムにも相性があってね。意志が弱い者は、石のもつ力に負けてしまうんだ。そうすると、君の言う『抜け殻』になる」
「ウィッカムが魔女を捕えて、お前が壊す。そういうことか」
「人聞きの悪いことを言うのはやめてくれないか? 我々は彼女たちを治療しているんだから。まあ、ウィッカムにはそんな使命感はないだろうけどね。彼は自分の借金を返したいだけだよ。破産寸前なんだ。哀れな奴さ」
「ウィッカムが人さらいをしていることを知って、ビアトリスが彼にエミリアを売ったんだな」
「言葉に気をつけたまえよ、きみ」テニエスは本気で気分を害したようだった。「エミリアだって、姉の結婚の障害になるのは本意ではないだろう。すべて丸く収まったんだよ。わからないか?」
 下衆野郎め。どいつもこいつも。
「誰ひとり欠けても、エミリアとの出会いはなかった。まさに奇跡だ! 彼女は最高だ。神に愛された娘だよ!」
 この男は狂っている。
 なにより悪いのは、彼の周りの人間もテニエス自身も、そうは思っていないということだ。
 頭がぐらついて、吐き気がした。この男の狂気に向き合い続けたら、いずれは堪えることが出来なくなるだろう。
「これで、すべての謎が解けたかな?」
 ホラスはテニエスをねめつけた。「それで、俺から何を聞き出そうとしているんだ」
「協力的な囚人は大好きさ」
 テニエスは笑って、並べられた拷問器具の中から、ひとつ取り上げて見せた。
「拷問の手口は分かっているんだろう? あいにく、洗いざらいしゃべらせる柔らかい石アマルガムの製法は、まだ見つけていなくてね──イェゴル。滑車を」テニエスが指示すると、イェゴルと呼ばれた隻眼の男が動き出した。彼はホラスを軽々と持ち上げ、天井の滑車からぶら下がる鉤に、手枷を掛けた。無理な格好で吊るされているせいで、肩が外れそうなほどの激痛に襲われる。
 拷問の手口は、はじめる前に、まず拷問器具を見せるところから始まる。それがどんな風に人体を傷つけ、苦痛をもたらすのかを説明した後で、質問をする。質問に答えなければ、それを使う。
 テニエスが持ち上げたのは、無数の棘の生えた二本の横木をネジで締め上げるための器具──その名も『膝砕き』だ。
「説明は無用だろうね」テニエスは申し訳なさそうに笑った。「こいつは痛そうだ」
 彼は膝砕きをイェゴルに手渡すと、木の椅子に腰掛けて、ホラスを見上げた。
「では、君が匿っているアシュモールの魔女について聞かせて貰おう。全てをね」
 ここまで仰々しい拷問を行う理由は何だろうかとずっと考えていた。審問官として、マタルを匿ったのは確かに許される罪ではないが、それでも、わざわざ拷問までするような案件だとは思えない。この部屋は、国を揺るがす叛乱の指導者や王族の暗殺者、謀反人のための部屋だ。
「マタルくんのことはもう知っているんだよ。君たちが審問庁の地下室で、あの魔法を使うところも見た」
「見ていたのか……!?」
 ホラスの顔を見て、テニエスが微笑んだ。
「気づかなかったのかい? あれは君たちをおびき寄せるために仕掛けたものだったのさ。ちょうど、我々のことを嗅ぎ回っていた魔女を……処理したばかりだったから、使えると思ってね」テニエスはため息をついた。「死霊術というものは──本当におぞましい。だが、君が惹かれる理由はわかるよ。あの力はあまりにも底知れない」
 イェゴルがホラスの長靴を脱がせ、爪先から膝砕きを差し込んだ。ネジを回すと、キイキイと音を立てながら横木が閉まってくる。膝頭に棘が食い込むのを感じた。
「そいつで膝を砕かれれば、もう前のようには歩けない。関節は、一度壊れたら元には戻らないからね」テニエスは哀しげに首を振った。「だから、彼について全てを話してくれ。これは君のためでもあるんだ」
「何故──マタルのことを?」
 すると、テニエスは驚いたように椅子の上でのけぞった。
「彼に魔神が取り憑いていることは知っているんだろう? アシュモールの言葉では、ジン、だったかな?」
「ああ」
魔神ジンの力を使うと言うことは、魔神ジンと契約するってことなんだ。そしてその契約を果たさないと、どうなるか……」テニエスはそこで言葉を切って、ホラスの反応を伺った。だが、何も言い返さずにいると、彼はようやく言った。「神から与えられた力は、やがて腐る。力が腐ると、〈呪い〉という状態となる。これはすなわち──その者が、竜に変異すると言うことだ」
 そんな、まさか──。
 驚きと痛みが、同時にホラスを襲った。「あああ!」
「イェゴル、イェゴル……やめなさい。まだ話は終わってないぞ」
 テニエスが諫めると、膝の締め付けが止まった。痛みは残っているが、そんなことはどうでもいい。
「マタルが……竜……!?」
「最後の竜は、千年以上も昔に死んだ。だが、いま再び、この世に現れようとしているんだよ! タラスク、それにオルフェシュやスライグの再来だ!」テニエスは興奮を隠そうともしていない。「竜たちは神々の怒りの権化としてかつての地上を支配し、人間は抗う術をもたなかった。彼らは神々が最も猛威を振るっていた時代の存在だ。抗えるはずがない」
 テニエスの口調には、『しかし』という期待が籠もっていた。彼は立ち上がると、イェゴルの眼帯をめくった。傷、あるいは空っぽの眼窩があるのだろうと思っていたその場所には、金に縁取られた藍色の石がおさまっていた。
「これは藍晶石カイヤナイト。服従の石だ。イェゴルはデーモンだが、この義眼のおかげで、わたしの言うことを何でも聞く召使いになった」テニエスは言った。「だがエミリアは、わたしの柔らかい石アマルガムによってさらなる高みに達したんだ。さっきわたしが言った『太陽と月の結婚』というのはすなわち──結合したという意味だ。錬金術の言葉だよ。なかなか洒落た言い回しだと思わないか? エミリアは、太陽と月の愛子まなごというわけだ」
 ふらふらと彷徨うテニエスの言葉について行くのは一苦労だった。
「つまり、お前はそのを──」
「生まれ出ずるべき竜に同じことをしたら、どうなると思う?」
 想像した瞬間、心臓が息絶えるかと思った。
「まさか……マタルを操るつもりなのか……?」
「君の『マタル』は、竜になった瞬間に食い尽くされてしまうさ。意識など残るまい」テニエスは些事とばかりにホラスの言葉を一蹴した。「思い描いてみてくれ。強大な竜が、我らが国王と、このダイラを守護するんだ。しかも陽神デイナの名において!」
 彼は満面の笑みで両手を拡げ、その素晴らしさを表現しようとしていた。
「これぞ、神の祝福じゃないか!」
 臓物が絶望のタールに沈み、息をするのもおぼつかなくなりそうだった。
 マタルが竜になる? 彼が苦しんでいたのは、そのせいだったのか? どうして俺には話してくれなかった? 何故気づけなかったんだ?
「君をここに連れてきたのは、そういうわけさ。あともう一息なんだ」テニエスは言った。
 ホラスはテニエスを睨めつけた。
「どういうことだ……」
「君を助けるためなら、彼は崖っぷちからだって飛び降りるだろう。せいぜい派手に暴れさせるさ。魔力を使えば使うほど、彼は竜へと近づいてゆく」
 駄目だ。そんなことは。
 どれ程強く思っても、抵抗する術はなかった。
 テニエスがホラスの下にやってきて、吟味するように見上げる。その目には、渇仰かつぎょう以外の感情はなかった。それは怖ろしい眼差しだった。
「そのために、君にはもっと苦しんで貰わないと」
 テニエスが頷くと、イェゴルが拷問具のネジを締めた。手を緩めることなく、躊躇もなく、黙々とねじを締める。悲鳴を堪えることなど出来なかった。舌を噛みきって終わりにできないよう、テニエスが口をこじ開けるための口輪を噛ませたからだ。
 痛みで気を失うことも許されぬうちに、あっという間に膝が砕ける音がした。
 そして、苦痛が幕を開けた。
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