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雨雲の手も及ばない地平線の向こうで、大気が揺らぐ。
地物は歓呼の歌を唱い、それを待ちわびている。冷たい夜を焼き滅ぼすものが、もう間もなくやってくる。
いま、荒野が目覚め、色彩を取り戻そうとしていた。
神殿の奥から伸びていた長い階段を中腹まで登ったところで、ホラスはその光景を見つめた。償いをするにはもってこいの時間だ。
失神したハミシュの手当をしてから、ホラスは一人でここに来た。
不思議なことに、階段を一段上がるたび、感情らしい感情は消えてゆくように感じた。恐怖も、執着も、怒りも。そうして、心の中に残ったのは、マタルにもう一度会いたいという思いだけだった。
岩棚の上まで来ると、二つの巨石が門柱のようにそびえ立っていた。その向こう側にはまた階段があった。仰ぎ見る限り、そこより上には何もない。あれが、最後の階段だ。
巨石の根元には、見慣れた男が座っていた。自然が生み出した驚異とも言うべき巨大な石の門に力なくもたれた彼は、あまりに場違いで、あまりにちっぽけに見えた。
審問官の仕着せを着た彼は、ホラスを見ると眉根を寄せた。
「サムウェル殿?」
「アンガス・ギラン」ホラスは言った。
「あなたは……死んだと思っていた」
ホラスは肩をすくめた。「俺もそう思った」
「やはり……君は悪運が強い」そう言って、彼は笑った。
まるで、ここが聖法官の屋敷で、二人は仕事の都合で顔を合わせただけだとでも言うように。
「我々が、民心の燈火とならねば」彼は言った。「覚えていますか。卿の口癖だった」
「ああ」ホラスは言った。
「これは、あの方の悲願だった。あの方ほど、ダイラを心から愛した者はいない。王でさえ──」彼が咳き込むと、胸のあたりから嫌な音がした。「ハロルド王でさえ、あの人の熱意には敵わない」
ホラスはギランの傍に膝をつき。彼の仕着せの胸を開いた。白いシャツが、どす黒い血に染まっていた。彼はホラスの顔を見上げると、仕方ないと言いたげに小さく肩をすくめ、痛みに顔をしかめた。
「あの方がいたからこそ、今のあなたがある」ギランは言った。
ホラスは答えなかった。
「あの人は、わたしのことなど見ていなかった。この計画を共有した後でさえ、彼はいつだってあなたを見ていたんですよ、ホラス。わたしのほうがずっと昔から、彼に尽くしていたというのに。いつか、あなたが本当の息子のようになると信じていた。昔の仲間を七人も殺して、彼を裏切り続けたあなたのことを」ギランは口を歪めた。「最後の瞬間までね」
その言葉を、否定するつもりはなかった。
「あなたのことが嫌いだった。心の底から嫌いだった」
「ああ、知っている」ホラスは言った。
ギランは苦々しい笑みを浮かべて、ホラスの手を取った。
「あの竜を殺したくないなら、方法はひとつです」
血まみれの手がホラスの手に押しつけたのは、金色の液体が入った小瓶だった。
「これを呑ませるんです。そして、彼をあなたの僕にするといい。それで、いままでと何一つ変わらない。むしろ、もっと良くなる。民心の燈火となるんです。あなたがた二人が」
「マタルは、俺の僕じゃない。誰の僕にもならない」
どうとでも、と言うように、ギランは笑った。
「そうするよりほかに、あなたがた二人が生き延びる道はない」
彼が思う以上に、その言葉は的を射ていた。陽神の依り代として生贄になるということは、自分が死ぬ代わりにマタルを生かすと言うことだ。
マタルは、俺を恨むだろう。
だが、彼との約束を破るつもりはなかった。
「エミリアは?」
ギランはため息をついた。ゴボゴボという音がして、二人とも、終わりが訪れることを知った。かれは口を開けて言葉を繰り出そうとしたが、代わりに、どろりとした血が溢れた。
彼は声にならない声を上げると、視線だけで彼女を示し、微笑んだ。あの申し訳なさそうな表情で。
「じきに、残りの者たちがやってくる」ホラスは言った。「それまで存えるとは思わないが」
ギランは逸らした顔を苦々しく歪めた。これまでも、あの申し訳なさそうな微笑みの影で、そんな表情を噛み殺していたのだろう。
眼差しだけで、彼は言った。
さよならだ、我が兄弟。
「もう出会わないことを祈ろう」ホラスはいい、彼を置き去りにして進んだ。
最後の階段の、最初の一段に足をかける。
生か、死か。一段上るごとに、胸の中で唱えた。
俺の中に、迷いがあるだろうか。
生きるか、死ぬか。
生かすか、殺すか。
迷いなど、あるわけがない。
そうして最後の段まで上りきると、そこには別の砂漠が広がっていた。この世の果てまで続く砂漠──夢に見た通りの場所だ。だが、雨を吸い込んだ砂漠は、夢の中とは様相を変えていた。砂丘はへしゃげ、ところどころに沼地のような水たまりが出来ている。頭上で渦を巻く雨雲は、雷を宿した天蓋のように空を覆っている。
そして、マタルがいた。
崩れかけた石柱に囲まれた巨大な祭壇。その中心で、竜が翼を拡げてこちらを見下ろしていた。辺りには、死んだ審問官たちが横たわっている。まるで供物のように。
これこそ、生贄を待ちわびる神の威容だった。
ホラスは祭壇の前で膝を折り、傅いた。左手の中に柔らかい石を握りしめたまま。
興奮したように、竜が唸る。間近で聞く竜の鳴き声に、骨という骨が震えた。
俺のことを、もう覚えてはいないだろうか。そこにもう、『マタル』は居ないのだろうか。
すらりと伸びた長い首に、怖ろしくも凜々しい面構え。しっとりと濡れた鱗は、白銀から黒まで、光の加減で色を変える。幾筋もの稲妻が、弾けるような音を立てて体表に踊っていた。元の姿とは似ても似つかぬ形相に変わっているというのに、なぜだかとても、彼らしい。
彼は──やはり、美しかった。凄絶なまでに。
彼がこの世から消えなければならない理由は、数え切れないほどある。
対して、彼をこの世に生かす理由はひとつしかなかった。たったひとつの、身勝手な理由しか。
「マタル──」
ゆっくりと立ち上がる。そしておずおずと一歩を踏み出したとき、竜の足下に誰かがいるのが見えた。
──エミリア。
尼僧の服は裂け、見えている肌は傷だらけだ。髪は乱れ、力なく横たわっている。だが、生きていた。呼吸のたびに上下する胸がはっきりと見える。彼女は生きている。竜が彼女を生かしたのだ。
あらためて、竜を見上げた。
よく見ると、美しい鱗に覆われた身体の至る所に傷があった。火傷のように爛れたものから、血が流れ出る裂傷まで──エミリアや審問官たちが、彼に負わせた傷だ。
「それでも、彼女を助けたのか?」
呟くと、竜は深く轟くような声を上げた。
ホラスは、竜の瞳を覗き込んだ。
琥珀色の目。マタルの目だ。
彼に向かって手を伸ばした。そして竜が、ゆっくりと首をしならせ、ホラスの顔に、鼻先を近づける──。
「マタル……」ホラスは言った。
その瞬間、首が千切れるほどの絶叫が、顔面にたたきつけられた。
爆音の衝撃をもろに受け、ホラスは仰向けに倒れた。その拍子に、手の中から柔らかい石が転がり落ち、ぬかるむ砂の中に沈んだ。
「な──!?」
半身を起こして辺りを見回すと、のたうつマタルの首に深々と矢が刺さっているのが見えた。矢の先端には空になった硝子の筒。そこに何が入っていたのかは考えるまでもない。
振り向くと、石柱の根元に、ギランが立っていた。血まみれの身体を柱にもたせかけ、口からは滂沱と血を流している。
手の中には弩──そして、ホラスの目の前で、彼は新たな矢を装填した。先端には、太い針のついた硝子の筒。中には金色の液体が波打っている。マタルに柔らかい石を注入するための矢だ。
「ギラン! やめろ!!」
だが、そんな言葉が届くはずはなかった。
マタルは絶叫しながら翼をばたつかせ、泥濘んだ砂漠の上で激しくもがきはじめた。石の祭壇や柱を破壊しながら身悶える彼の身体から、炎のような金色の光が立ち上る。雷鳴が轟き、そこいら中に雷が落ちる。そして、彼の周囲に散らばった審問官たちの死体に青白い光が宿り、震えはじめた。
だめだ──だめだ。そんな!
震える亡骸が、糸で吊られた人形のように立ち上がり、マタルの周りに集まりはじめた。ここは祭壇であり、墓でもあるという、リコヴの言葉が脳裏に蘇る。みるみるうちに、祭壇を取り囲む砂の下からも、さらなる死者が蘇ってくる。まるで、わずかな雨によって蘇る砂漠の緑さながらに。
これが、マタルの死霊術。
こじ開ける力が、暴走しているのだ。
その混乱を目にしながら、ギランが震える手で矢を装填し、弩を掲げた。
「ホラス!」
クヴァルドの声だ。
「ホラス! いま行くから、持ちこたえろ!」
まだ遠い。とてもではないが、間に合わない。ギランを止めることは出来ない。
あと一撃で、マタルが柔らかい石に喰われてしまうのに。
その時、まったく唐突に──まったく自然に、ホラスはギランに向かって駆け出した。
見慣れた顔が驚きに目を見開く。
そして、ギランが引き金を引いた。
ホラスに向かって。
一瞬後、衝撃が腹に走り、次いで痛みがやって来た。さらに痛み。そして、焼けるような苦痛が。
「あ……ぐ……!」
ホラスはその場に片膝をついた。
「ホラス!」
ラーニヤが叫び、炎の鞭で亡者たちをなぎ倒した。
咆哮しながら駆け上がってきたクヴァルドが、剣でギランの首を一閃する。驚きに見開かれたままの顔が宙に浮かび、階段を転がり落ちてゆく。
「ホラス──クソッ!」
亡者は、次から次へと砂の中から湧き上がっては、クヴァルドたちに襲いかかった。ラーニヤも応戦するが、その姿は瞬く間に覆い隠されてしまった。
「ホラス!!」ラーニヤが叫ぶ。
ホラスは、腹に突き刺さった矢から、金色の柔らかい石が自分の中に注ぎ込まれるのをしっかりと見届けた。
「これで、どうだ」
食いしばった歯の間から吐き出す。己の血が、肉が、骨が、燃えるように熱い。
「陽神よ、これでどうだ!」
目を閉じる。
そして、暗闇の中に、金色の雫が満ちた。
地物は歓呼の歌を唱い、それを待ちわびている。冷たい夜を焼き滅ぼすものが、もう間もなくやってくる。
いま、荒野が目覚め、色彩を取り戻そうとしていた。
神殿の奥から伸びていた長い階段を中腹まで登ったところで、ホラスはその光景を見つめた。償いをするにはもってこいの時間だ。
失神したハミシュの手当をしてから、ホラスは一人でここに来た。
不思議なことに、階段を一段上がるたび、感情らしい感情は消えてゆくように感じた。恐怖も、執着も、怒りも。そうして、心の中に残ったのは、マタルにもう一度会いたいという思いだけだった。
岩棚の上まで来ると、二つの巨石が門柱のようにそびえ立っていた。その向こう側にはまた階段があった。仰ぎ見る限り、そこより上には何もない。あれが、最後の階段だ。
巨石の根元には、見慣れた男が座っていた。自然が生み出した驚異とも言うべき巨大な石の門に力なくもたれた彼は、あまりに場違いで、あまりにちっぽけに見えた。
審問官の仕着せを着た彼は、ホラスを見ると眉根を寄せた。
「サムウェル殿?」
「アンガス・ギラン」ホラスは言った。
「あなたは……死んだと思っていた」
ホラスは肩をすくめた。「俺もそう思った」
「やはり……君は悪運が強い」そう言って、彼は笑った。
まるで、ここが聖法官の屋敷で、二人は仕事の都合で顔を合わせただけだとでも言うように。
「我々が、民心の燈火とならねば」彼は言った。「覚えていますか。卿の口癖だった」
「ああ」ホラスは言った。
「これは、あの方の悲願だった。あの方ほど、ダイラを心から愛した者はいない。王でさえ──」彼が咳き込むと、胸のあたりから嫌な音がした。「ハロルド王でさえ、あの人の熱意には敵わない」
ホラスはギランの傍に膝をつき。彼の仕着せの胸を開いた。白いシャツが、どす黒い血に染まっていた。彼はホラスの顔を見上げると、仕方ないと言いたげに小さく肩をすくめ、痛みに顔をしかめた。
「あの方がいたからこそ、今のあなたがある」ギランは言った。
ホラスは答えなかった。
「あの人は、わたしのことなど見ていなかった。この計画を共有した後でさえ、彼はいつだってあなたを見ていたんですよ、ホラス。わたしのほうがずっと昔から、彼に尽くしていたというのに。いつか、あなたが本当の息子のようになると信じていた。昔の仲間を七人も殺して、彼を裏切り続けたあなたのことを」ギランは口を歪めた。「最後の瞬間までね」
その言葉を、否定するつもりはなかった。
「あなたのことが嫌いだった。心の底から嫌いだった」
「ああ、知っている」ホラスは言った。
ギランは苦々しい笑みを浮かべて、ホラスの手を取った。
「あの竜を殺したくないなら、方法はひとつです」
血まみれの手がホラスの手に押しつけたのは、金色の液体が入った小瓶だった。
「これを呑ませるんです。そして、彼をあなたの僕にするといい。それで、いままでと何一つ変わらない。むしろ、もっと良くなる。民心の燈火となるんです。あなたがた二人が」
「マタルは、俺の僕じゃない。誰の僕にもならない」
どうとでも、と言うように、ギランは笑った。
「そうするよりほかに、あなたがた二人が生き延びる道はない」
彼が思う以上に、その言葉は的を射ていた。陽神の依り代として生贄になるということは、自分が死ぬ代わりにマタルを生かすと言うことだ。
マタルは、俺を恨むだろう。
だが、彼との約束を破るつもりはなかった。
「エミリアは?」
ギランはため息をついた。ゴボゴボという音がして、二人とも、終わりが訪れることを知った。かれは口を開けて言葉を繰り出そうとしたが、代わりに、どろりとした血が溢れた。
彼は声にならない声を上げると、視線だけで彼女を示し、微笑んだ。あの申し訳なさそうな表情で。
「じきに、残りの者たちがやってくる」ホラスは言った。「それまで存えるとは思わないが」
ギランは逸らした顔を苦々しく歪めた。これまでも、あの申し訳なさそうな微笑みの影で、そんな表情を噛み殺していたのだろう。
眼差しだけで、彼は言った。
さよならだ、我が兄弟。
「もう出会わないことを祈ろう」ホラスはいい、彼を置き去りにして進んだ。
最後の階段の、最初の一段に足をかける。
生か、死か。一段上るごとに、胸の中で唱えた。
俺の中に、迷いがあるだろうか。
生きるか、死ぬか。
生かすか、殺すか。
迷いなど、あるわけがない。
そうして最後の段まで上りきると、そこには別の砂漠が広がっていた。この世の果てまで続く砂漠──夢に見た通りの場所だ。だが、雨を吸い込んだ砂漠は、夢の中とは様相を変えていた。砂丘はへしゃげ、ところどころに沼地のような水たまりが出来ている。頭上で渦を巻く雨雲は、雷を宿した天蓋のように空を覆っている。
そして、マタルがいた。
崩れかけた石柱に囲まれた巨大な祭壇。その中心で、竜が翼を拡げてこちらを見下ろしていた。辺りには、死んだ審問官たちが横たわっている。まるで供物のように。
これこそ、生贄を待ちわびる神の威容だった。
ホラスは祭壇の前で膝を折り、傅いた。左手の中に柔らかい石を握りしめたまま。
興奮したように、竜が唸る。間近で聞く竜の鳴き声に、骨という骨が震えた。
俺のことを、もう覚えてはいないだろうか。そこにもう、『マタル』は居ないのだろうか。
すらりと伸びた長い首に、怖ろしくも凜々しい面構え。しっとりと濡れた鱗は、白銀から黒まで、光の加減で色を変える。幾筋もの稲妻が、弾けるような音を立てて体表に踊っていた。元の姿とは似ても似つかぬ形相に変わっているというのに、なぜだかとても、彼らしい。
彼は──やはり、美しかった。凄絶なまでに。
彼がこの世から消えなければならない理由は、数え切れないほどある。
対して、彼をこの世に生かす理由はひとつしかなかった。たったひとつの、身勝手な理由しか。
「マタル──」
ゆっくりと立ち上がる。そしておずおずと一歩を踏み出したとき、竜の足下に誰かがいるのが見えた。
──エミリア。
尼僧の服は裂け、見えている肌は傷だらけだ。髪は乱れ、力なく横たわっている。だが、生きていた。呼吸のたびに上下する胸がはっきりと見える。彼女は生きている。竜が彼女を生かしたのだ。
あらためて、竜を見上げた。
よく見ると、美しい鱗に覆われた身体の至る所に傷があった。火傷のように爛れたものから、血が流れ出る裂傷まで──エミリアや審問官たちが、彼に負わせた傷だ。
「それでも、彼女を助けたのか?」
呟くと、竜は深く轟くような声を上げた。
ホラスは、竜の瞳を覗き込んだ。
琥珀色の目。マタルの目だ。
彼に向かって手を伸ばした。そして竜が、ゆっくりと首をしならせ、ホラスの顔に、鼻先を近づける──。
「マタル……」ホラスは言った。
その瞬間、首が千切れるほどの絶叫が、顔面にたたきつけられた。
爆音の衝撃をもろに受け、ホラスは仰向けに倒れた。その拍子に、手の中から柔らかい石が転がり落ち、ぬかるむ砂の中に沈んだ。
「な──!?」
半身を起こして辺りを見回すと、のたうつマタルの首に深々と矢が刺さっているのが見えた。矢の先端には空になった硝子の筒。そこに何が入っていたのかは考えるまでもない。
振り向くと、石柱の根元に、ギランが立っていた。血まみれの身体を柱にもたせかけ、口からは滂沱と血を流している。
手の中には弩──そして、ホラスの目の前で、彼は新たな矢を装填した。先端には、太い針のついた硝子の筒。中には金色の液体が波打っている。マタルに柔らかい石を注入するための矢だ。
「ギラン! やめろ!!」
だが、そんな言葉が届くはずはなかった。
マタルは絶叫しながら翼をばたつかせ、泥濘んだ砂漠の上で激しくもがきはじめた。石の祭壇や柱を破壊しながら身悶える彼の身体から、炎のような金色の光が立ち上る。雷鳴が轟き、そこいら中に雷が落ちる。そして、彼の周囲に散らばった審問官たちの死体に青白い光が宿り、震えはじめた。
だめだ──だめだ。そんな!
震える亡骸が、糸で吊られた人形のように立ち上がり、マタルの周りに集まりはじめた。ここは祭壇であり、墓でもあるという、リコヴの言葉が脳裏に蘇る。みるみるうちに、祭壇を取り囲む砂の下からも、さらなる死者が蘇ってくる。まるで、わずかな雨によって蘇る砂漠の緑さながらに。
これが、マタルの死霊術。
こじ開ける力が、暴走しているのだ。
その混乱を目にしながら、ギランが震える手で矢を装填し、弩を掲げた。
「ホラス!」
クヴァルドの声だ。
「ホラス! いま行くから、持ちこたえろ!」
まだ遠い。とてもではないが、間に合わない。ギランを止めることは出来ない。
あと一撃で、マタルが柔らかい石に喰われてしまうのに。
その時、まったく唐突に──まったく自然に、ホラスはギランに向かって駆け出した。
見慣れた顔が驚きに目を見開く。
そして、ギランが引き金を引いた。
ホラスに向かって。
一瞬後、衝撃が腹に走り、次いで痛みがやって来た。さらに痛み。そして、焼けるような苦痛が。
「あ……ぐ……!」
ホラスはその場に片膝をついた。
「ホラス!」
ラーニヤが叫び、炎の鞭で亡者たちをなぎ倒した。
咆哮しながら駆け上がってきたクヴァルドが、剣でギランの首を一閃する。驚きに見開かれたままの顔が宙に浮かび、階段を転がり落ちてゆく。
「ホラス──クソッ!」
亡者は、次から次へと砂の中から湧き上がっては、クヴァルドたちに襲いかかった。ラーニヤも応戦するが、その姿は瞬く間に覆い隠されてしまった。
「ホラス!!」ラーニヤが叫ぶ。
ホラスは、腹に突き刺さった矢から、金色の柔らかい石が自分の中に注ぎ込まれるのをしっかりと見届けた。
「これで、どうだ」
食いしばった歯の間から吐き出す。己の血が、肉が、骨が、燃えるように熱い。
「陽神よ、これでどうだ!」
目を閉じる。
そして、暗闇の中に、金色の雫が満ちた。
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