【日月の歌語りⅣ】天地の譚詩

あかつき雨垂

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  昔むかしのその昔 
  この地に在りし天地あまつちと 
  青人草あおひとぐさの面影の 
  その光陰こういんの物語 
  去る日月の歌語り




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 エイル 
 
 マリシュナ号の入港は、いつも歓声に包まれる。朗々と響き渡る鐘の音が群衆を引き寄せ、港はちょっとしたお祭りの様相になる。新たな仲間と富とを期待する人びとの表情は明るい。 
 今日は、その歓声が辛かった。 
 大勢の亡命者をエイルに運べたのは喜ばしいことだ。だが今度の帰還で、幸運の女神マリシュナの名を冠するこの船がもたらす凶報はあまりにも多い。 
「ガル」フーヴァルが傍らに立ち、ゲラードの背中を強く叩いた。「笑え」 
 ゲラードはフーヴァルを見た。彼は力強い笑みを浮かべていた。 
「辛気くささってのは伝染すんだよ。お前の顔が暗いのを見たら、何か悪いことが起こったと勘ぐられる」 
 悪いことは、実際に起こった。悪いことばかりが。 
 だが、フーヴァルの言うとおりだ。いたずらに民の不安を煽るべきではない。 
「何があったかは、隠しようがねえ。三日もすりゃ知れ渡る」フーヴァルは言いながら、甲板に集まった亡命者たちに微笑みかけた。「ヘラヘラしろとは言わねえ。だが、泣きそうなツラは隠しとけ」 
 ゲラードは頷いた。『泣きそうな面』を隠すことが上達するまでに、彼はどれだけの喪失を味わったのだろうかと思いながら。 
「わかった」 
「頼むぜ、お前は思ってることが顔に出やすいからな」 
 そう囁く声が優しいので、ぐらつきそうな心をもう一度戒めなくてはならなかった。 
 
 フーヴァルとゲラードは今回の航海の顛末を報告するべく、休息も取らず城へと向かった。 
 帰還を祝い、マリシュナ号の乗組員たち全員で港の酒場に繰り出して旅の疲れを労うのが慣習となっていた。フーヴァルとゲラードだけは、王に報告を終えてからそのお祭り騒ぎに合流するのが恒例だ。けれど、今日の宴はしめやかだろう。 
 セベロ・ミラネスを救えなかったこと。マタルとホラスが行方知れずになったこと。教会の陰謀にハミシュの弟が関わっていたという事実。そして、パルヴァに現れた不気味な予兆。 
 ホラスの魔道具フアラヒが聞かせてくれた、エヴラルドの会話を思い出す。 
 エイルを滅ぼし、お前の神に奉じるがいい──。 
 エヴラルドが対話していた何者か──あれは精霊なのか?──は、そう命じた。 
 エイルはカルタニアの敵となった。敵。いや、獲物と言うべきか。 
 ヴェルギルを喪ったクヴァルドが、どれほどの重圧の中で生きているのか、ゲラードは見てきた。彼はそれこそ『泣きそうな面』をチラリとも窺わせずに王の責務に励んだ。わけもなく偉ぶり、贅を凝らした生活を送ることを役目と考える王も居る。威厳を皆に知らしめるためにいたずらに戦を仕掛け、意に染まぬ者を処刑する王も居る。国内外で、クヴァルドは王としてヴェルギルに見劣りするという声があるのも知っている。だがクヴァルドは王だ。血筋でもなく、立派な容貌でもなく、純粋に己の成したことによって真の尊敬を勝ち得る、希有な王なのだった。 
 そんな彼に、また新たな凶報を届けるのだと思うと、足取りが重くなる。 
 城門を潜り、「よくお戻りに!」という労いの言葉に頷きながら城内に入る。 
 船の帰還の報せは、なによりも優先されて王の耳に届く。謁見の手はずは、すでに整えられていた。 
「執務室へどうぞ」 
 執事の表情は朗らかで、今回の航海も上首尾に終わったと信じているらしいことが窺える。城内は心なしか明るく、どこか華やいだ雰囲気さえ漂っている。 
 いつの間にか姿を現していたカレフも、ゲラードの頭の上で興奮気味に羽毛を膨らませていた。 
「どいつもこいつも、やけにうわついてやがる」フーヴァルはゲラードにだけ聞こえる声で言った。 
「そうだな」まさに、その言葉がしっくりくる。 
「あーあ。気が重いぜ……」 
 フーヴァルの声は暗かった。彼らの上機嫌をぶち壊しにする事を知っているせいだ。 
 だが、船が無事に帰還しただけで、これほど城の雰囲気が変わるだろうか? 
 不思議に思いながらも、頭の中は、これからひとつずつ説明していかなければならない『よくない報せ』でいっぱいだった。だから、執事が開けてくれた扉を潜り、執務室に足を踏み入れた瞬間にフーヴァルがあげた悲鳴のような声を聞いても、すぐに状況を理解することができなかった。 
 執務室の机に、ふたりの男が居る。ひとりはきちんと椅子に腰掛け──もう一人は、机に寄りかかっている。椅子についているほうは、紛れもなくフィラン王だ。だが、もう一人の方は──。 
「よく戻ったな、ふたりとも」 
 彼はそう言い、二脚の杯に酒瓶デキャンタからワインを注いだ。 
 色白の肌、長い黒髪、菫色の瞳、優雅な身のこなし──結論はひとつしかないのに、頭が混乱して、そこまでたどり着けない。 
 一方フーヴァルは、それよりもっと簡単な結論に飛びついた。 
「また幽霊かよ!?」 
 すると、は弾けるように笑った。傍らに居るクヴァルドまで、控えめではあるが笑みを浮かべていた。彼があんなふうに微笑むのを見るのは、何年ぶりだろう。 
 ゲラードはようやく理解した。 
「シルリク陛下」よろめきながら片膝を突く。「お戻りになったのですか」 
 ヴェルギルは言った。 
「かしこまるのはやめてくれ。せっかくの再会だ」そして、ワインを注いだ杯を二人に差し出した。「それとフーヴァル、気を失う前にそこの椅子に掛けたまえ」 
 
 報告の中で、唯一『良い報せ』と言えそうなのは、ホラスとマタルが再会できたというものだけだった。だがそれさえも、マタルの記憶が失われたこと、今は二人とも行方が知れないことで覆されてしまった。 
 ホラスの諜報がもたらしたエヴラルド──エヴラールに関する報せによって、一同の表情はさらに曇った。 
「次期教王が、ハミシュの弟とは」 
「まだ教王になると決まったわけじゃない」フーヴァルが言う。「だが、ほぼ決まりだろうな」 
「とすれば、カルタニアでのエヴラールの台頭と、ハミシュの行動には関連があるのだろう」クヴァルドは言った。「共謀しているのか、それとも相対あいたいする目標を掲げているのかは定かではないが」 
 ゲラードは眉を顰めた。「彼の足取りがわかったのですか?」 
「辛うじて、足取りだけはな。ハミシュのことは〈クラン〉が探しているが……難航している」クヴァルドは言った。「数が減ったとは言え、人狼が何年もの歳月をかけても追いつけないのだから、おそらく──」 
「リコヴの仕業であろうな」 
 どんなに重たい話題でも軽口を駆使して笑いに変えることができるヴェルギルさえ、ただそう呟くばかりだった。 
 額を付き合わせ、不思議と似通った表情で考え込む二人を見て、フーヴァルが感慨深げにため息をついた。 
「なんというか……懐かしい眺めだ」 
 一同が、彼を見る。 
「この部屋で、よくこうしてああでもないこうでもないって話し合いをしたよな。あの時は……七面倒くせえと思ったこともあったが」 
 クヴァルドはフンと鼻を鳴らした。「懐かしがって居られるのも今のうちだ」 
「だから、今のうちに懐かしがっておくんだよ」 
 そのやりとりに、ヴェルギルは小さく笑った。「不在の間、苦労をかけた」 
「苦労というか、気苦労というか」フーヴァルはこれ見よがしに首を鳴らした。「俺たちはいい報せを持ってこられなかったが、あなたが復活したんなら……酒の味が少しはマシになるってもんです」 
「酒場に繰り出すにはまだ早いぞ」クヴァルドは言った。「とにかく、リコヴがなにかを企んでいるのは確かだ」 
 執務室の机には、エイルとダイラ、そして東方大陸の西岸諸国を網羅した地図が拡げられていた。 
「いままでにリコヴが干渉したのは、ここと、ここ」エイルとアシュモールを指さす。「さらに〈クラン〉の調査でわかったところによれば、彼はヴァスタリアのピトゥークにも出没し、人狼の集落で剣神スヴァールクの宝剣を目覚めさせたらしい。さらにはマイデンで海神マルドーホの神通力を用いて、アルバ総督軍を壊滅させている」 
「あれも、あの坊主がやったのか」フーヴァルは口笛を吹いた。「すげぇ活躍ぶりだが、何ともうさんくせえな」 
「目的は何だ?」クヴァルドは、半ば自分に問いかけるように言った。「古の神々の霊験を宣伝するような真似をして、何がしたい? 彼らの復権か?」 
「困ってる連中を救うため……ってのは、あり得ないのか。あんたがたを助けて、エイルを取り戻した時みたいにさ」 
 クヴァルドとヴェルギルは顔を見合わせた。 
「神の為すことを、我々の目線で理解しようとするのは難しい」ヴェルギルの瞳の色が翳る。「おそらく、彼の行動の過程で誰かが救われたとしても、それは単なる……成り行き上の結果でしかない」 
「初めに我々に接触したときに、すでにこの企みは動いていたのだろうか」クヴァルドは言った。 
「何故、そう思う?」 
 ヴェルギルに尋ねられたクヴァルドは、俯いた。「わからない。そんな気がする」 
「あの神ならば、やりかねないな」 
 ゲラードは、自分の記憶を覗き込んだ。 
 船の上で耳にしたこと、その一つ一つを思い起こして、考える。すると、浮かび上がってくる言葉があった。 
の神の生まれ変わり』 
 エヴラルドと謎の声の主が、の神の生まれ変わりを画策している── 
「彼は……神々に力を与えているのではないかと思うんです」 
 ゲラードが言った。 
 ヴェルギルとクヴァルドが、机の上に身を乗り出す。「つまり?」 
「リコヴは、このエイルでは嵐神ユルン、アシュモールでは曙神アシュタハを、ピトゥークで剣神スヴァールクへの信仰を再び高めました。そしてマイデンでは海神マルドーホの名を、人びとの記憶の中に呼び起こした」ゲラードは言った。「神々は名前を得ることで唯一無二の柱となり、力を得ます。リコヴはおそらく──人びとに古い神の存在を思い出させ、力を与えようとしているのではないかと」 
「エヴラールの『新しい神』ってのに対抗するためか?」フーヴァルが言った。「圧倒的な力を持った新しい神が生まれちまったら、大昔に陽神デイナがやったのと同じ事が起こるはずだ。陽神デイナに追放されても細々と存えてきた神々にとっちゃ、ありがたくねえ話だろうな。リコヴはそれを防ぐために、仲間をたたき起こしてるんじゃねえのか」 
「そう……であって欲しい」ゲラードは言った。 
 確かに、そんな風に考えられたら、幾分か勇気づけられる心地がする。 
「しかしそもそも、なぜハミシュにあんなことができる?」クヴァルドが言った。「彼は依り代だ。依り代は神の代弁者であり、手の役割を担うこともあるが、神の力そのものを操ることはできないはずだ」 
「おそらく、ですが……」 
 ゲラードは全員の顔を見た。確信を抱いているものなど、誰もいない。そこに自分の推測を加えたところで、毒になるか薬になるかもわからない。 
 それでも、思い付いたことを口にした。 
「神々の領域と、こちらを隔てる膜が薄くなってきているせいではないかという気がします」 
 クヴァルドたちは、息を吸い込んだ。 
「膜が、薄く?」 
 ゲラードは頷いた。 
「僕たちははたてうみに行って、戻った」 
 フーヴァルと目を見交わす。彼も、あの時の不思議な体験を思い出しているのがわかった。 
「かつては、そんなことは起こりえなかった。陽神デイナが、貴銀しろがねうからの血を封印していたころには」 
「つまり、陽神デイナが死んだせいで、それまであった秩序が崩れかけていると?」 
 クヴァルドの言葉に、ゲラードは頷いた。「僕は、そう思います」 
「最高神の死と再生が、いままさに起ころうとしている」ヴェルギルが言った。「それと秩序の崩壊が関連していると考えるのは、さほど難しくはないな」 
「ああ」フーヴァルは組んだ足に肘をついて、顎の無精髭をぼりぼりと掻いた。「パルヴァのあたりは、まるで神話の様相だったぜ。空はおかしな色になっちまうわ、地震は起こるわ、火山は煙を噴くわ、極光オーロラは出るわ」 
「オルノアが海中に没する前にも、同じ事が起こっています。の地の境界を守る門に、その物語が刻まれていた」ゲラードは言った。 
「ならば、地震や極光だけでは終わらぬ、ということだな」ヴェルギルは言った。 
 良い報せがないのは理解していたつもりだったが、それでも、話し合いが続くほどに絶望的な気分に襲われる。これ以上気が滅入ってしまうまえに、いますぐ話し合いを切り上げてしまいたいとさえ思った。 
 だが、クヴァルドは言った。 
「カルタニアで新しい神が生まれようとしている時に、リコヴは古い神々に力を貸している──ならば、リコヴとエヴラルドは敵対関係にあるのか」 
「そう願いたいね」フーヴァルが唸るように言った。「でなきゃ、どうしたって敵いっこない。エイルを滅ぼし、お前の神に奉じろ、だぜ?」 
 エイルへ戻る航海の間ずっと考えていたが、ゲラードには、カルタニアがエイルを目の敵にする理由がわからずにいた。確かにエイルは力をつけつつあるが、並み居る大国を味方につけたカルタニアには遠く及ばない。わざわざ大軍を指揮してエイルを滅ぼしても、カルタニアに利点はないだろうと思っていた。だがここに来て──数ヶ月ぶりに帰ったエイルの至る所に設置された巨大な弩砲バルカンを見て、合点がいった。天の矛スローデ──雷を放つ強大な兵器の配備。計画だけはゲラードも知っていた。しかし……実現はもう少し先だと思っていた。 
 クヴァルドの眉間には、深い皺が刻まれていた。 
 苦渋の決断だったのは想像に難くない。敵を引き寄せるかがり火を灯してしまったのを後悔しているであろうことも。 
「教会は貴金を失った。炎薬が世界中に広まり、国と国との戦力は拮抗しつつある。彼らは新たな力を求めている。新しい神の元に全世界を屈服させる力を」クヴァルドは静かに言った。「エイルは邪悪なナドカの巣窟だ。すでに大義があるところに俺は……天の矛スローデを──脅威を見せつけるような真似をしてしまったんだな」 
「その脅威は、我らにとっての盾であることもまた、確かだ」 
 ヴェルギルが言い、そっとクヴァルドの背中に手を置いた。 
「遅かれ早かれ、カルタニアはエイルに兵を差し向けた。これ以上軍備が整う前に叩こうとしたはずだ。君の決断は間違っていない。未来は常に、過去の決断をどう生かすかにかかっているのだから」 
 その言葉に、ゲラードの背筋が伸びた。 
 そう、彼の言うとおりだ。未来は過去の──いま、この瞬間の決断にかかっている。 
「もしも……」ゲラードが、ゆっくりと口を開いた。「これが大昔に起こったことの繰り返しだというのなら、真実を知る手立てもあるのではないでしょうか」 
 全員が、ゲラードを見つめた。 
「心当たりが?」ヴェルギルが言った。 
 ゲラードは頷いた。 
 クヴァルドがエイルに対して下した決断はひとつではなかった。彼は、矛を持つのとは反対の手に盾を掲げたのだ。人びとを守るための盾を。 
「僕に、導者たちと話をさせては頂けないでしょうか」 
「導者と?」 
「彼らほど、古い知識に通じている者はいないはずです」 
 クヴァルドは口元に手を当ててふむ、と呟いた。 
「感情を脇に置いて考えた結果が、実を結ぶかも知れないな」 
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