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「ずいぶん立派におなりだね」
ブリジット・ゴドフリーは、ヴェルギルの姿をじっくりと眺め回した。何十年も前に、彼女との逢瀬が悲惨な結果に終わって以来、二度目の再会だ。一度目は、ミョルモル島の戦いの後だった。もっとも、その時ヴェルギルは気を失っていて、彼女の顔を見た記憶さえないのだが。
「あなたはあいかわらず美しい」
吸血鬼として身につけてきた処世術がまずいところで顔を出してしまった。ブリジットはこれでもかというほど高く眉を上げた。彼女の中に保管されている点数表に、大きな減点が記されたのがわかった。
「お黙り」彼女はゆっくりと言った。
ヴェルギルの背後に控えていた衛士たちがギョッとする。それに構わず、ブリジットは言った。
「あんたにはどうしても言っておきたいことがある。エリアナのことでね」
ヴェルギルはさりげなく周囲を見回した。クヴァルドは居ない。せめてもの救いだ。
「前に会ったときには、その件で気絶していた私の頬を強かに叩いたと聞いたのだが……」
僅かに後退ると、彼女はすかさず距離を詰めてきた。相変わらず侮れない女だ。
「気絶している間のことなんか勘定に入るものかね」魔女は鋭く言った。「あんたが誑かしてくれたおかげで、エリアナはすっかり感化されちまったんだよ」
「感化?」
「あの子の夫は、自分の息子とトラモント家の娘との婚約をとりつけたところだった。トラモントはフェリジア公家の血筋だ。これでゴドフリー家は安泰だと思ったさ。それなのに、エリアナは夫を蹴り出し、事もあろうに離縁状をたたきつけた。エレノア女王に忠誠を誓うためだと言ってね」
ヴェルギルには、返す言葉がなかった。
「いま、ベイルズで女王への忠誠を示すのがどれだけ危険なことか、あんたにもわかるだろう」
「ああ」
純粋な驚きに打たれつつ……ヴェルギルは感動していた。エリアナに対し、あなたは魔女に向いていると告げたのは遠い昔のことのようだが、彼女の強かさを象徴したような眼差しは、まだ記憶に新しい。
「ゴドフリー家は、このわたしが散々苦労して立て直した家だよ。たとえ捨てても、一族への思いは変わらない」
まあ、あの婿はどうも気に食わなかったけれどね、とブリジットは言った。
「あんたが女王を唆して、この戦争に肩入れさせたんだ。わかってるね」
ヴェルギルは頷いた。エレノア女王は、他人に唆されたくらいで戦争に加担するようなことはないだろうが、それは黙っておいた。
「孫と、可愛いひ孫を路頭に迷わせないためにも、勝ってもらわなきゃならないんだよ」
皺の刻まれた目元に、うっすらと涙がにじんでいる。
ヴェルギルはもう一度頷いた。今度は、もっと深く。
「約束を違えるつもりはない」そして、ずいぶん小さくなってしまった彼女の肩に手を置いた。「命に替えても」
ブリジットの目が、ほんの僅かに揺れる。
ヴェルギルの誓いを信じられないからか、それとも、命を懸けろと強いてしまった後悔からか──おそらくは、その両方が少しずつ、彼女の表情を少しだけ脆く見せた。
だが、すぐに〈キックリー集会〉の賢女としての威厳を取り戻した。
「それでいい」彼女は言った。「それでいいよ」
†
オロッカが会談の席を立ったとき、クヴァルドは一度だけ、彼に視線を寄越した。もしも気付かないふりをするならば、それでも良いと思っていた。だが、彼は聡い男だ。それだけでちゃんと理解した。
会談が行われた広間の隣に、中庭に面した小部屋がある。そこで、クヴァルドは彼を待った。
「陛下」
振り向くと、オロッカは深い辞儀をした。顔を上げた彼の表情をじっと見る。彼は目をそらしはしなかった。良い度胸だ。
「あなたには直接、礼を言っておきたかった」一瞬だけ視線を落とす。「エイルの王を安全に匿ってくれたこと──感謝する」
これは、かつてマルヴィナ・ムーンヴェイルがクヴァルドに対してしたのと同じやり口だった。本人に代わって礼を言うことで、相手に疎外感を味わわせる。こんな手を使って、恥じ入る気持ちはもちろんある。だが、それ以上に……彼の前で、挑戦の火口をちらつかせてみたかった。
「礼など」オロッカは微笑んだ。「今にも私の喉笛に噛みつきたいと思ってらっしゃるようにみえますが」
彼が挑発に乗ってきたことに、クヴァルドは一瞬だけ驚き──笑った。
王として、深謀遠慮にどっぷり浸かった話し方に慣れようと努力してきた。だが話をするなら、遠回しな言い方よりも、こうして率直に意見を交換する方がずっといい。
「彼を利用したあなたに、怒りを抱くまいとしている」クヴァルドは言った。「あなたの言葉を借りれば、『大いなる助力』か」
「シルリク陛下との間での取り決めです」オロッカは静かに言った。「彼も私を利用した。わたしの陣幕で傷を癒やし、わたしを話し相手とすることで正気を取り戻した。なにより、わたしが敵を与えたからこそ、彼はあの姿を取り戻すことができたのです」
背中の毛が逆立つ。
だが、オロッカの言葉はすべて真実だ。
クヴァルドは、唸り声を上げないようにゆっくりと息をした。
「その話は、聞いた。それ以上のことも」吸って、吐く。「アルバ総督になろうというあなたが、飢えた吸血鬼に血を与えようと申し出るとは……危ない橋を渡ったものだ」
「ただの吸血鬼ではない。そうでしょう?」オロッカの目がきらりと光る。「あなたと同じように、私も──彼に血を捧げる価値は十分にあると思った」
こんなにもあからさまな感情をほのめかされて、狼狽えたら良いのか、怒ったらいいのか、ほんの一瞬だけ躊躇してしまう。
「礼を言う。エイルの民を代表して」
胸の内に渦巻く想いをなだめて、改めて言った。そう難しいことではなかった。王として──ヴェルギルの連れ合いとしてのクヴァルドは、心の底から彼に感謝していた。
だが、内心で吼えている嫉妬深い狼が、こう付け加えた。
「俺が生きているうちは、あいつに君の血は飲ませない」
オロッカは驚いたように目を丸くして、それから小さく笑い声を上げた。
本音を吐き出したことで、張り詰めた空気が少しばかり緩む。
続く沈黙の間、オロッカは中庭の景色を見つめていた。そして、言った。
「死ぬ予定はおありですか?」
「ない」クヴァルドは答えた。「君が生きているうちはな」
二人は顔を見合わせて、笑った。
「ずいぶん立派におなりだね」
ブリジット・ゴドフリーは、ヴェルギルの姿をじっくりと眺め回した。何十年も前に、彼女との逢瀬が悲惨な結果に終わって以来、二度目の再会だ。一度目は、ミョルモル島の戦いの後だった。もっとも、その時ヴェルギルは気を失っていて、彼女の顔を見た記憶さえないのだが。
「あなたはあいかわらず美しい」
吸血鬼として身につけてきた処世術がまずいところで顔を出してしまった。ブリジットはこれでもかというほど高く眉を上げた。彼女の中に保管されている点数表に、大きな減点が記されたのがわかった。
「お黙り」彼女はゆっくりと言った。
ヴェルギルの背後に控えていた衛士たちがギョッとする。それに構わず、ブリジットは言った。
「あんたにはどうしても言っておきたいことがある。エリアナのことでね」
ヴェルギルはさりげなく周囲を見回した。クヴァルドは居ない。せめてもの救いだ。
「前に会ったときには、その件で気絶していた私の頬を強かに叩いたと聞いたのだが……」
僅かに後退ると、彼女はすかさず距離を詰めてきた。相変わらず侮れない女だ。
「気絶している間のことなんか勘定に入るものかね」魔女は鋭く言った。「あんたが誑かしてくれたおかげで、エリアナはすっかり感化されちまったんだよ」
「感化?」
「あの子の夫は、自分の息子とトラモント家の娘との婚約をとりつけたところだった。トラモントはフェリジア公家の血筋だ。これでゴドフリー家は安泰だと思ったさ。それなのに、エリアナは夫を蹴り出し、事もあろうに離縁状をたたきつけた。エレノア女王に忠誠を誓うためだと言ってね」
ヴェルギルには、返す言葉がなかった。
「いま、ベイルズで女王への忠誠を示すのがどれだけ危険なことか、あんたにもわかるだろう」
「ああ」
純粋な驚きに打たれつつ……ヴェルギルは感動していた。エリアナに対し、あなたは魔女に向いていると告げたのは遠い昔のことのようだが、彼女の強かさを象徴したような眼差しは、まだ記憶に新しい。
「ゴドフリー家は、このわたしが散々苦労して立て直した家だよ。たとえ捨てても、一族への思いは変わらない」
まあ、あの婿はどうも気に食わなかったけれどね、とブリジットは言った。
「あんたが女王を唆して、この戦争に肩入れさせたんだ。わかってるね」
ヴェルギルは頷いた。エレノア女王は、他人に唆されたくらいで戦争に加担するようなことはないだろうが、それは黙っておいた。
「孫と、可愛いひ孫を路頭に迷わせないためにも、勝ってもらわなきゃならないんだよ」
皺の刻まれた目元に、うっすらと涙がにじんでいる。
ヴェルギルはもう一度頷いた。今度は、もっと深く。
「約束を違えるつもりはない」そして、ずいぶん小さくなってしまった彼女の肩に手を置いた。「命に替えても」
ブリジットの目が、ほんの僅かに揺れる。
ヴェルギルの誓いを信じられないからか、それとも、命を懸けろと強いてしまった後悔からか──おそらくは、その両方が少しずつ、彼女の表情を少しだけ脆く見せた。
だが、すぐに〈キックリー集会〉の賢女としての威厳を取り戻した。
「それでいい」彼女は言った。「それでいいよ」
†
オロッカが会談の席を立ったとき、クヴァルドは一度だけ、彼に視線を寄越した。もしも気付かないふりをするならば、それでも良いと思っていた。だが、彼は聡い男だ。それだけでちゃんと理解した。
会談が行われた広間の隣に、中庭に面した小部屋がある。そこで、クヴァルドは彼を待った。
「陛下」
振り向くと、オロッカは深い辞儀をした。顔を上げた彼の表情をじっと見る。彼は目をそらしはしなかった。良い度胸だ。
「あなたには直接、礼を言っておきたかった」一瞬だけ視線を落とす。「エイルの王を安全に匿ってくれたこと──感謝する」
これは、かつてマルヴィナ・ムーンヴェイルがクヴァルドに対してしたのと同じやり口だった。本人に代わって礼を言うことで、相手に疎外感を味わわせる。こんな手を使って、恥じ入る気持ちはもちろんある。だが、それ以上に……彼の前で、挑戦の火口をちらつかせてみたかった。
「礼など」オロッカは微笑んだ。「今にも私の喉笛に噛みつきたいと思ってらっしゃるようにみえますが」
彼が挑発に乗ってきたことに、クヴァルドは一瞬だけ驚き──笑った。
王として、深謀遠慮にどっぷり浸かった話し方に慣れようと努力してきた。だが話をするなら、遠回しな言い方よりも、こうして率直に意見を交換する方がずっといい。
「彼を利用したあなたに、怒りを抱くまいとしている」クヴァルドは言った。「あなたの言葉を借りれば、『大いなる助力』か」
「シルリク陛下との間での取り決めです」オロッカは静かに言った。「彼も私を利用した。わたしの陣幕で傷を癒やし、わたしを話し相手とすることで正気を取り戻した。なにより、わたしが敵を与えたからこそ、彼はあの姿を取り戻すことができたのです」
背中の毛が逆立つ。
だが、オロッカの言葉はすべて真実だ。
クヴァルドは、唸り声を上げないようにゆっくりと息をした。
「その話は、聞いた。それ以上のことも」吸って、吐く。「アルバ総督になろうというあなたが、飢えた吸血鬼に血を与えようと申し出るとは……危ない橋を渡ったものだ」
「ただの吸血鬼ではない。そうでしょう?」オロッカの目がきらりと光る。「あなたと同じように、私も──彼に血を捧げる価値は十分にあると思った」
こんなにもあからさまな感情をほのめかされて、狼狽えたら良いのか、怒ったらいいのか、ほんの一瞬だけ躊躇してしまう。
「礼を言う。エイルの民を代表して」
胸の内に渦巻く想いをなだめて、改めて言った。そう難しいことではなかった。王として──ヴェルギルの連れ合いとしてのクヴァルドは、心の底から彼に感謝していた。
だが、内心で吼えている嫉妬深い狼が、こう付け加えた。
「俺が生きているうちは、あいつに君の血は飲ませない」
オロッカは驚いたように目を丸くして、それから小さく笑い声を上げた。
本音を吐き出したことで、張り詰めた空気が少しばかり緩む。
続く沈黙の間、オロッカは中庭の景色を見つめていた。そして、言った。
「死ぬ予定はおありですか?」
「ない」クヴァルドは答えた。「君が生きているうちはな」
二人は顔を見合わせて、笑った。
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