1 / 8
1、声を忘れた青薔薇姫と、子猫
しおりを挟む
雨の日。
王都の大通りで、魔法の被害者である真っ白な子猫が生命の危機に瀕していた。
全身を濡らし、人間たちに蹴飛ばされないよう壁際でガタガタ震えている子猫は、昨日から何も食べていない。
首には意地悪な魔女に填められた魔力を吸う首輪がはめられている。
とても怠くて、寒くて、寂しかった。
このままじゃいけないと思っても、……もう、動けない。
そんな子猫の近くに、一台の馬車が止まる。高位貴族の家紋付きの立派な馬車だ。
降りてきたのは、気高い青薔薇のような印象の貴族令嬢だった。
長く伸ばした黒髪は手入れが行き届いていて、美しい。
長いまつげに彩られた瞳はハローブルーで、宝石のよう。
精巧につくられた人形めいて無表情で、何を考えているかがわかりにくい。
「うちにいらっしゃい」
令嬢は小声で呼びかけ、高価そうなフリル袖のドレスが汚れることを厭わず、その手で子猫を抱き上げた。
馬車に乗り込む背後からは、人々のささやき声が聞こえる。
「今、『静寂の青薔薇』がしゃべらなかったか?」
「冷血なアイリス・フェアリーグローム公爵令嬢が猫を拾っただと……」
令嬢に抱っこされた子猫は、ぱちりぱちりと瞬きした。
(アイリス・フェアリーグローム公爵令嬢? パパが言ってた『悪役令嬢』?)
子猫は、名前をララという。
その正体は半妖精で、13歳。パパと喧嘩して家出中の魔女だ。
馬車の中で令嬢の膝に抱えられて体を拭かれながら、ララはパパのお話を思い出した。
(このお姉さん、これから婚約破棄されて、断罪される予定だ)
馬車の中にはアイリスの父親であるフェアリーグローム公爵がいて、困り顔で娘と子猫を見ていた。会話に耳を傾けていると、深刻な雰囲気だ。
「王子殿下が庭園の青い花を薔薇に植え替えたため、社交界では隣国のロザリア姫への恋情をアピールしているのでは、と言われている」
ララは、耳をぴこぴこと動かした。
紅薔薇姫の二つ名を持つお姫様「ロザリア姫」も、パパのお話に出てきたからだ。
「お前はなぜ目立ってしまうのだ。今のお前は何をしても事実を悪く曲げられて伝えられてしまう立場なのだぞ」
アイリスは父親の言葉に俯くのみで、返事をしない。
いや――できないのだ。
ララは知っている。
アイリスは呪われていて、「他の人間に言葉で自分の考えを伝える」という行為ができない。
声でも、手紙でも。
なので、『静寂の青薔薇』とか、他人に一切打ち解けない冷血な令嬢とか呼ばれている。
ララはその話をパパから聞いたとき「可哀想」と思ったものだった。
「お前も呪われているし、解呪のための薬は入手困難だ。派閥争いになる前にチャリオス王子殿下との婚約の話は辞退する方向で考えるのはどうだ?」
アイリスは無言でうなずいた。
膝に抱えられたララが見上げると、泣きそうな顔をしている。
(アイリス様は、チャリオス王子殿下を慕っているんだ)
公爵家の屋敷に到着すると、アイリスはララを抱っこしたまま、自分の部屋に移動した。
アイリスの部屋には大きな檻があり、檻の中には見たことのない鳥がいた。
くちばしは大きく、二本足は長い。
じっと直立する佇まいは、彫像のよう。
後頭部に寝ぐせのような冠羽がある。感情の窺えない眼差しは、哲学者めいていた。
この鳥は、「ハシビロコウ」という珍しい鳥だ。
パパが見せてくれた「珍しい生き物図鑑」に掲載されていた気がする。
ララが見つめていると、ハシビロコウは「彫像ではありませんよ、生き物ですよ」とアピールするみたいにお辞儀をしてくれた。
貴族は珍しい動物を飼うのがステータスみたいなところがあるから、ペットなのだろう。
「お風呂より先にミルクを与えたほうがいい? 猫さんは、熱い飲み物は苦手だったかな……?」
アイリスは独り言を言いながら自ら厨房に行き、お皿に入れたミルクを持って戻ってくる。
普通の貴族令嬢ならば使用人を呼んで「ミルクを持ってきてね」と言えばいいのに、呪いのせいでそんな簡単な頼み事もできないのだ。
ふんふんと鼻を近づけて温度をはかり、飲めそうだと判断していただいてみると、与えられたミルクはほんのり温かった。一度温めてから、飲みごろの温度に冷ましてくれたのだろう。
味は滑らかな甘さがあり、不思議な安心感を感じさせる美味しさだった。
「猫さん、我が家にようこそ。ここはフェアリーグローム公爵家。わたくしはアイリスです」
猫相手だというのに、アイリスは礼儀正しく挨拶をした。
ララは「わたしはララです」と挨拶をしたいけど、猫だったので「にゃーあ」という鳴き声しか返せない。けれど。
「にゃーあ」
「まあ。わたくしの挨拶に、挨拶を返してくださったのですね? ありがとう存じます」
アイリスは喜んでくれた。
パパの話によれば、彼女が呪われたのは五年前だ。
ララはアイリスが可哀想だと思った。
王都の大通りで、魔法の被害者である真っ白な子猫が生命の危機に瀕していた。
全身を濡らし、人間たちに蹴飛ばされないよう壁際でガタガタ震えている子猫は、昨日から何も食べていない。
首には意地悪な魔女に填められた魔力を吸う首輪がはめられている。
とても怠くて、寒くて、寂しかった。
このままじゃいけないと思っても、……もう、動けない。
そんな子猫の近くに、一台の馬車が止まる。高位貴族の家紋付きの立派な馬車だ。
降りてきたのは、気高い青薔薇のような印象の貴族令嬢だった。
長く伸ばした黒髪は手入れが行き届いていて、美しい。
長いまつげに彩られた瞳はハローブルーで、宝石のよう。
精巧につくられた人形めいて無表情で、何を考えているかがわかりにくい。
「うちにいらっしゃい」
令嬢は小声で呼びかけ、高価そうなフリル袖のドレスが汚れることを厭わず、その手で子猫を抱き上げた。
馬車に乗り込む背後からは、人々のささやき声が聞こえる。
「今、『静寂の青薔薇』がしゃべらなかったか?」
「冷血なアイリス・フェアリーグローム公爵令嬢が猫を拾っただと……」
令嬢に抱っこされた子猫は、ぱちりぱちりと瞬きした。
(アイリス・フェアリーグローム公爵令嬢? パパが言ってた『悪役令嬢』?)
子猫は、名前をララという。
その正体は半妖精で、13歳。パパと喧嘩して家出中の魔女だ。
馬車の中で令嬢の膝に抱えられて体を拭かれながら、ララはパパのお話を思い出した。
(このお姉さん、これから婚約破棄されて、断罪される予定だ)
馬車の中にはアイリスの父親であるフェアリーグローム公爵がいて、困り顔で娘と子猫を見ていた。会話に耳を傾けていると、深刻な雰囲気だ。
「王子殿下が庭園の青い花を薔薇に植え替えたため、社交界では隣国のロザリア姫への恋情をアピールしているのでは、と言われている」
ララは、耳をぴこぴこと動かした。
紅薔薇姫の二つ名を持つお姫様「ロザリア姫」も、パパのお話に出てきたからだ。
「お前はなぜ目立ってしまうのだ。今のお前は何をしても事実を悪く曲げられて伝えられてしまう立場なのだぞ」
アイリスは父親の言葉に俯くのみで、返事をしない。
いや――できないのだ。
ララは知っている。
アイリスは呪われていて、「他の人間に言葉で自分の考えを伝える」という行為ができない。
声でも、手紙でも。
なので、『静寂の青薔薇』とか、他人に一切打ち解けない冷血な令嬢とか呼ばれている。
ララはその話をパパから聞いたとき「可哀想」と思ったものだった。
「お前も呪われているし、解呪のための薬は入手困難だ。派閥争いになる前にチャリオス王子殿下との婚約の話は辞退する方向で考えるのはどうだ?」
アイリスは無言でうなずいた。
膝に抱えられたララが見上げると、泣きそうな顔をしている。
(アイリス様は、チャリオス王子殿下を慕っているんだ)
公爵家の屋敷に到着すると、アイリスはララを抱っこしたまま、自分の部屋に移動した。
アイリスの部屋には大きな檻があり、檻の中には見たことのない鳥がいた。
くちばしは大きく、二本足は長い。
じっと直立する佇まいは、彫像のよう。
後頭部に寝ぐせのような冠羽がある。感情の窺えない眼差しは、哲学者めいていた。
この鳥は、「ハシビロコウ」という珍しい鳥だ。
パパが見せてくれた「珍しい生き物図鑑」に掲載されていた気がする。
ララが見つめていると、ハシビロコウは「彫像ではありませんよ、生き物ですよ」とアピールするみたいにお辞儀をしてくれた。
貴族は珍しい動物を飼うのがステータスみたいなところがあるから、ペットなのだろう。
「お風呂より先にミルクを与えたほうがいい? 猫さんは、熱い飲み物は苦手だったかな……?」
アイリスは独り言を言いながら自ら厨房に行き、お皿に入れたミルクを持って戻ってくる。
普通の貴族令嬢ならば使用人を呼んで「ミルクを持ってきてね」と言えばいいのに、呪いのせいでそんな簡単な頼み事もできないのだ。
ふんふんと鼻を近づけて温度をはかり、飲めそうだと判断していただいてみると、与えられたミルクはほんのり温かった。一度温めてから、飲みごろの温度に冷ましてくれたのだろう。
味は滑らかな甘さがあり、不思議な安心感を感じさせる美味しさだった。
「猫さん、我が家にようこそ。ここはフェアリーグローム公爵家。わたくしはアイリスです」
猫相手だというのに、アイリスは礼儀正しく挨拶をした。
ララは「わたしはララです」と挨拶をしたいけど、猫だったので「にゃーあ」という鳴き声しか返せない。けれど。
「にゃーあ」
「まあ。わたくしの挨拶に、挨拶を返してくださったのですね? ありがとう存じます」
アイリスは喜んでくれた。
パパの話によれば、彼女が呪われたのは五年前だ。
ララはアイリスが可哀想だと思った。
35
あなたにおすすめの小説
魔力ゼロと捨てられた私を、王子がなぜか離してくれません ――無自覚聖女の王宮生活――
ムラサメ
恋愛
伯爵家で使用人同然に扱われてきた少女、エリナ。
魔力も才能もないとされ、義妹アリシアの影で静かに生きていた。
ある日、王国第一王子カイルの視察で運命が動き出す。
誰も気づかなかった“違和感”に、彼だけが目を留めて――。
悪役令嬢は婚約破棄されてからが本番です~次期宰相殿下の溺愛が重すぎて困っています~
usako
恋愛
侯爵令嬢リリアナは、王太子から公衆の面前で婚約破棄を告げられる。
「あなたのような冷酷な女と結婚できない!」
そう断罪された瞬間――リリアナの人生は終わりを迎えるはずだった。
だが彼女は知っている。この展開が“破滅フラグ”だと。
生まれ変わりの記憶を持つ彼女は、今度こそ幸せを掴むと誓う。
ところが、彼女を拾ったのは冷徹と名高い次期宰相殿下シオン。
「君は俺の庇護下に入る。もう誰にも傷つけさせない」
傲慢な王太子にざまぁされ、愛しすぎる殿下から逃げられない――
運命に抗う令嬢と、彼女を手放せない男の甘く激しい恋の再生譚。
【完結】ハメられて追放された悪役令嬢ですが、爬虫類好きな私はドラゴンだってサイコーです。
美杉日和。(旧美杉。)
恋愛
やってもいない罪を被せられ、公爵令嬢だったルナティアは断罪される。
王太子であった婚約者も親友であったサーシャに盗られ、家族からも見捨てられてしまった。
教会に生涯幽閉となる手前で、幼馴染である宰相の手腕により獣人の王であるドラゴンの元へ嫁がされることに。
惨めだとあざ笑うサーシャたちを無視し、悲嘆にくれるように見えたルナティアだが、実は大の爬虫類好きだった。
簡単に裏切る人になんてもう未練はない。
むしろ自分の好きなモノたちに囲まれている方が幸せデス。
落ちこぼれで婚約破棄されて周りから醜いと言われる令嬢は学園で王子に溺愛される
つちのこうや
恋愛
貴族の中で身分が低く、落ちこぼれで婚約破棄されて周りから醜いと言われる令嬢の私。
そんな私の趣味は裁縫だった。そんな私が、ある日、宮殿の中の学園でぬいぐるみを拾った。
どうやら、近くの国から留学に来ているイケメン王子のもののようだけど…
婚約破棄された侯爵令嬢、帝国最強騎士に拾われて溺愛される
夜桜
恋愛
婚約者である元老院議員ディアベルに裏切られ、夜会で婚約破棄を宣言された侯爵令嬢ルイン。
さらにバルコニーから突き落とされ、命を落としかけた彼女を救ったのは、帝国自由騎士であるジョイアだった。
目を覚ましたルインは、落下のショックで記憶を失っていた。
優しく寄り添い守ってくれるジョイアのもとで、失われた過去と本当の自分を探し始める。
一方、ルインが生きていると知ったディアベルと愛人セリエは、再び彼女を排除しようと暗躍する。
しかし、ルインの中に眠っていた錬金術師としての才能が覚醒し、ジョイアや父の助けを得て、裏切った元婚約者に立ち向かう力を取り戻していく。
殿下に寵愛されてませんが別にかまいません!!!!!
さら
恋愛
王太子アルベルト殿下の婚約者であった令嬢リリアナ。けれど、ある日突然「裏切り者」の汚名を着せられ、殿下の寵愛を失い、婚約を破棄されてしまう。
――でも、リリアナは泣き崩れなかった。
「殿下に愛されなくても、私には花と薬草がある。健気? 別に演じてないですけど?」
庶民の村で暮らし始めた彼女は、花畑を育て、子どもたちに薬草茶を振る舞い、村人から慕われていく。だが、そんな彼女を放っておけないのが、執着心に囚われた殿下。噂を流し、畑を焼き払い、ついには刺客を放ち……。
「どこまで私を追い詰めたいのですか、殿下」
絶望の淵に立たされたリリアナを守ろうとするのは、騎士団長セドリック。冷徹で寡黙な男は、彼女の誠実さに心を動かされ、やがて命を懸けて庇う。
「俺は、君を守るために剣を振るう」
寵愛などなくても構わない。けれど、守ってくれる人がいる――。
灰の大地に芽吹く新しい絆が、彼女を強く、美しく咲かせていく。
貧乏人とでも結婚すれば?と言われたので、隣国の英雄と結婚しました
ゆっこ
恋愛
――あの日、私は確かに笑われた。
「貧乏人とでも結婚すれば? 君にはそれくらいがお似合いだ」
王太子であるエドワード殿下の冷たい言葉が、まるで氷の刃のように胸に突き刺さった。
その場には取り巻きの貴族令嬢たちがいて、皆そろって私を見下ろし、くすくすと笑っていた。
――婚約破棄。
精霊姫の追放
あんど もあ
ファンタジー
栄華を極める国の国王が亡くなり、国王が溺愛していた幼い少女の姿の精霊姫を離宮から追放する事に。だが、その精霊姫の正体は……。
「優しい世界」と「ざまあ」の2バージョン。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる