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1章
34、しゃかしゃか、しゃかしゃか
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翌日。
紺紺の熱は、すっかり引いた。
よかった、よかった!
今日からお仕事をまた頑張るぞ!
まず、妖狐の可能性濃厚な胡月妃の身辺を探りたい。
悪いことを企んでいるなら、阻止しなきゃ。妃になりすましているなら、本物の妃はどうなったんだろう。そちらも調べたい……!
意気込んでいると、知らせが届いた。
「今宵は皇帝陛下が咸白宮にお渡りになります」
今夜は彰鈴妃と過ごしますよ、という意味だ。妃として夜の相手に選ばれたのは、おめでたいことである。
「門も庭も徹底して綺麗にして! 埃ひとつ見逃しちゃだめよ」
「料理を追加するから手が空いてる子は手伝ってちょうだい」
紺紺は食欲を刺激する匂いでいっぱいの厨房に入った。
「あなたはコレ!」
「はいっ! 全力でがんばります!」
渡されたのは、卵だ。
激辛の麺料理に使われるらしい。コンコン、と器の縁にぶつけて、パカッと割る。
綺麗に割れると、ちょっと嬉しい。
しゃかしゃかと無心で卵を混ぜていると、明るいオレンジ色の卵が泡立ってきて、楽しくなってくる。
「しゃかしゃか、しゃかしゃか……♪」
卵係は楽しいお仕事だ。紺紺は夢中になった。
「あの子、楽しそうね」
「病み上がりなんだから座らせてあげなさいな」
やがて、卵は鍋へと嫁いでいった。
ジュワァーッと焼かれて、食欲を刺激するいい匂いがする。おいしそう。
* * *
夕暮れ時になると、全員で整列して皇帝をお迎えした。
皇帝は冕冠の上に白猫を乗せ、羊のめえこを連れてやってきた。
夕食を共にして、その後は泊まりだ。
しかし、皇帝は彰鈴妃の食事に紺紺を同席させた。
給仕役や毒見ではなく「食事を共にせよ」というのだから驚きである。
「私が同席していいのですか?」
「彰鈴妃がそなたに癒しを見出していると聞いてな。その癒しを朕も所望する」
「癒しとおっしゃられても……」
皇帝と妃の食卓に侍女が座っているのはどう考えても変だろう、と首をかしげて、礼をする。
席に座るようにと言われて、ちょこんと座る。
そして、「あっ、彰鈴妃が首に巻いてる白布、私が刺繍したやつだ!」と嬉しくなった。
「えへへ……」
喜びに緩む口元を袖で隠しているうちに、ふと紺紺は異常に気づいた。
彰鈴妃は黙々と箸を進めていて、魂が抜けた操り人形みたい。
それに、壁際に控えている侍女たちも虚ろな表情だ。みんな、ぼんやりしている。
「玄武の珠を使っておるので、気にすることはない。というのも、朕の九術師に任務の話をしたいのだ」
「お仕事でしたか」
皇帝は頷き、激辛麺を「うまい」と褒めた。
その麺を彩る卵は、私が溶いたんですよ!
口にはしないが、嬉しい。
「傾城ちゃんも食べるがよい」
「はっ、いただきます」
「うむ、うむ。苦しゅうない」
紺紺はお言葉に甘えて、鴨肉の麻婆緑菜包みを口に運んだ。
外側が緑野菜の葉で包まれているお包をはむっと齧ると、中からジュワッと温かい麻婆が溢れてくる。
これは西領料理だ。
白家の領地である西領は、盆地で湿度が高いので、「発汗を促す香辛料を使い、健康でいようね!」という目的で、辛味料理が好まれる土地柄なのである。
「はふ、はふ。主上、美味しいです」
「よし、よし。美味い料理を食べると元気が出る。笑顔になる。健康になる。とてもよろしい」
ところで、ずっと冕冠の上に居座って寛いでいる白猫が気になる。
よく落ちないものだ。
たまに皇帝が「ほいっ」と料理を上に放り投げて、冕冠の上の白猫に分けている。器用だ。
「あのう。玄武の珠で誤魔化せるのなら、先見の公子様も人間姿になられては」
「椅子が足りないので」
「持ってきますよ!」
紺紺は椅子を運び、お皿と箸を置いた。
「すでに満腹です」
「準備する前に言ってください」
白猫はふいっと顔を背けて、冠の上で丸くなった。皇帝の頭の動きに合わせて冠がぐらぐら揺れるのに、よく落ちないものだ。
皇帝は酸辣湯をすすり、「まあまあ」と言葉を挟む。
「朕が『その翡翠の首飾りは朕が傾城にあげたものだな。傾城から没収したのか? まさか欲しかったのか? 朕にくびったけという意味か?』と揶揄ったら猫の姿から元に戻ってくれなくなったのだ。はっはっは、話を変えよう」
皇帝は言った後で「また失言してしまったな!」と言い、話を変えた。
「もうすぐ清明節がある。朕が剣舞を奉納する予定の一大行事だ。その宴に、北方の騎馬国家の王と克斯国の王が我が国に訪問する。騎馬国家は気紛れな連中でいまいち信用できぬし、克斯国の王は侵略の邪魔をしたのを根に持っていると思われる」
「外交的に、ちょっと心配のある国々、ということですね」
「その通り。わかってくれて朕は嬉しいぞ。さて、二国は宴の際に何か仕掛けてくるかもしれぬ……彼らの野心が、朕は心配である」
「克斯国は成り立ち自体が将軍の下克上でしたからね……どうして野心を抱いたりするのでしょう」
ついつい、不満が滲みかける。不審に思われないかと心配したが、皇帝は気にする様子もなく、腕を組んだ。
「王様をしていると『この王様、すげえことをしたぞ』と歴史に名を残したい欲が出るのだな、うむうむ。気持ちはわかるぞ」
皇帝は話を進めた。
「そこで、九術師を宴会場の警備につかせる、その術も見せて『どうだ、我が国は異才だらけなんだぞ。攻め込もうと思うなよ。仲良くしようではないか?』とわからせてやろうと思うのだ」
宴の当日は、会場の警備をしたり、術を披露したりするらしい。
紺紺は予定を頭に入れて「かしこまりました」と返事した。
「なお、本来は宴に四夫人が出席するはずだったが、黒貴妃と紅淑妃は欠席だ。朕の花園で趣味の悪い遊びに興じたことに対するお仕置きの一環である」
「そういえば、お仕置きをしてくださったのですね」
「ふっ。いろいろしている」
「いろいろ?」
皇帝はそう言って箸を置き、両手をわきわきさせた。
「朕がお仕置きした話をしてやろう。ぜひ聞いてくれ」
皇帝はそう言って、「朕が妃にお仕置きした話」をうっとりと語った。
紺紺の熱は、すっかり引いた。
よかった、よかった!
今日からお仕事をまた頑張るぞ!
まず、妖狐の可能性濃厚な胡月妃の身辺を探りたい。
悪いことを企んでいるなら、阻止しなきゃ。妃になりすましているなら、本物の妃はどうなったんだろう。そちらも調べたい……!
意気込んでいると、知らせが届いた。
「今宵は皇帝陛下が咸白宮にお渡りになります」
今夜は彰鈴妃と過ごしますよ、という意味だ。妃として夜の相手に選ばれたのは、おめでたいことである。
「門も庭も徹底して綺麗にして! 埃ひとつ見逃しちゃだめよ」
「料理を追加するから手が空いてる子は手伝ってちょうだい」
紺紺は食欲を刺激する匂いでいっぱいの厨房に入った。
「あなたはコレ!」
「はいっ! 全力でがんばります!」
渡されたのは、卵だ。
激辛の麺料理に使われるらしい。コンコン、と器の縁にぶつけて、パカッと割る。
綺麗に割れると、ちょっと嬉しい。
しゃかしゃかと無心で卵を混ぜていると、明るいオレンジ色の卵が泡立ってきて、楽しくなってくる。
「しゃかしゃか、しゃかしゃか……♪」
卵係は楽しいお仕事だ。紺紺は夢中になった。
「あの子、楽しそうね」
「病み上がりなんだから座らせてあげなさいな」
やがて、卵は鍋へと嫁いでいった。
ジュワァーッと焼かれて、食欲を刺激するいい匂いがする。おいしそう。
* * *
夕暮れ時になると、全員で整列して皇帝をお迎えした。
皇帝は冕冠の上に白猫を乗せ、羊のめえこを連れてやってきた。
夕食を共にして、その後は泊まりだ。
しかし、皇帝は彰鈴妃の食事に紺紺を同席させた。
給仕役や毒見ではなく「食事を共にせよ」というのだから驚きである。
「私が同席していいのですか?」
「彰鈴妃がそなたに癒しを見出していると聞いてな。その癒しを朕も所望する」
「癒しとおっしゃられても……」
皇帝と妃の食卓に侍女が座っているのはどう考えても変だろう、と首をかしげて、礼をする。
席に座るようにと言われて、ちょこんと座る。
そして、「あっ、彰鈴妃が首に巻いてる白布、私が刺繍したやつだ!」と嬉しくなった。
「えへへ……」
喜びに緩む口元を袖で隠しているうちに、ふと紺紺は異常に気づいた。
彰鈴妃は黙々と箸を進めていて、魂が抜けた操り人形みたい。
それに、壁際に控えている侍女たちも虚ろな表情だ。みんな、ぼんやりしている。
「玄武の珠を使っておるので、気にすることはない。というのも、朕の九術師に任務の話をしたいのだ」
「お仕事でしたか」
皇帝は頷き、激辛麺を「うまい」と褒めた。
その麺を彩る卵は、私が溶いたんですよ!
口にはしないが、嬉しい。
「傾城ちゃんも食べるがよい」
「はっ、いただきます」
「うむ、うむ。苦しゅうない」
紺紺はお言葉に甘えて、鴨肉の麻婆緑菜包みを口に運んだ。
外側が緑野菜の葉で包まれているお包をはむっと齧ると、中からジュワッと温かい麻婆が溢れてくる。
これは西領料理だ。
白家の領地である西領は、盆地で湿度が高いので、「発汗を促す香辛料を使い、健康でいようね!」という目的で、辛味料理が好まれる土地柄なのである。
「はふ、はふ。主上、美味しいです」
「よし、よし。美味い料理を食べると元気が出る。笑顔になる。健康になる。とてもよろしい」
ところで、ずっと冕冠の上に居座って寛いでいる白猫が気になる。
よく落ちないものだ。
たまに皇帝が「ほいっ」と料理を上に放り投げて、冕冠の上の白猫に分けている。器用だ。
「あのう。玄武の珠で誤魔化せるのなら、先見の公子様も人間姿になられては」
「椅子が足りないので」
「持ってきますよ!」
紺紺は椅子を運び、お皿と箸を置いた。
「すでに満腹です」
「準備する前に言ってください」
白猫はふいっと顔を背けて、冠の上で丸くなった。皇帝の頭の動きに合わせて冠がぐらぐら揺れるのに、よく落ちないものだ。
皇帝は酸辣湯をすすり、「まあまあ」と言葉を挟む。
「朕が『その翡翠の首飾りは朕が傾城にあげたものだな。傾城から没収したのか? まさか欲しかったのか? 朕にくびったけという意味か?』と揶揄ったら猫の姿から元に戻ってくれなくなったのだ。はっはっは、話を変えよう」
皇帝は言った後で「また失言してしまったな!」と言い、話を変えた。
「もうすぐ清明節がある。朕が剣舞を奉納する予定の一大行事だ。その宴に、北方の騎馬国家の王と克斯国の王が我が国に訪問する。騎馬国家は気紛れな連中でいまいち信用できぬし、克斯国の王は侵略の邪魔をしたのを根に持っていると思われる」
「外交的に、ちょっと心配のある国々、ということですね」
「その通り。わかってくれて朕は嬉しいぞ。さて、二国は宴の際に何か仕掛けてくるかもしれぬ……彼らの野心が、朕は心配である」
「克斯国は成り立ち自体が将軍の下克上でしたからね……どうして野心を抱いたりするのでしょう」
ついつい、不満が滲みかける。不審に思われないかと心配したが、皇帝は気にする様子もなく、腕を組んだ。
「王様をしていると『この王様、すげえことをしたぞ』と歴史に名を残したい欲が出るのだな、うむうむ。気持ちはわかるぞ」
皇帝は話を進めた。
「そこで、九術師を宴会場の警備につかせる、その術も見せて『どうだ、我が国は異才だらけなんだぞ。攻め込もうと思うなよ。仲良くしようではないか?』とわからせてやろうと思うのだ」
宴の当日は、会場の警備をしたり、術を披露したりするらしい。
紺紺は予定を頭に入れて「かしこまりました」と返事した。
「なお、本来は宴に四夫人が出席するはずだったが、黒貴妃と紅淑妃は欠席だ。朕の花園で趣味の悪い遊びに興じたことに対するお仕置きの一環である」
「そういえば、お仕置きをしてくださったのですね」
「ふっ。いろいろしている」
「いろいろ?」
皇帝はそう言って箸を置き、両手をわきわきさせた。
「朕がお仕置きした話をしてやろう。ぜひ聞いてくれ」
皇帝はそう言って、「朕が妃にお仕置きした話」をうっとりと語った。
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