悪辣王の二人の娘 ~真実を知った聖女は悪を討つ~

朱音ゆうひ@11/5受賞作が発売されます

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3、変革のシトリン

173、2つ目の聖印と人魚の包囲

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 夜の展望露天風呂に足を踏み入れると、まるで別世界への扉が開かれるかのような幻想的な光景が広がっていた。

 船が発する光が海面を煌びやかに照らしている。頭上では星空が無数の輝きを放ち、月の光が船のライトと合わさって海面の揺らめき模様を見せている。光がなければ真っ黒で得体の知れない塊に見える海は、そうしているととても美しかった。

「……光ってる。あちらも、こちらも――とても綺麗よ! サイラス、あなたも一緒に入ります?」
 フィロシュネーは衝立の向こうで護衛と称して待機するサイラスにはしゃいだ声をかけた。
「姫? 本気で仰っているのですか?」
 返ってきたのは、低く唸るような声だった。ちょっと怖い声だ。フィロシュネーは慌てて返事をした。
「もちろん、冗談ですわ。だって、あなたがいつも子供扱いするから……どきどきしました?」 
 専属侍女のジーナが「子供扱いが目立つので、異性として意識させてみたいですよね」と提案してくれたのだ。
「……あまり不用意な発言はなさいませんように。困ります」
 ジーナが「これは失敗でしたでしょうか、すみません」と申し訳なさそうにささやいてくる。フィロシュネーは首を横に振り、「怒ってはいないと思うの」とささやき返して安心させた。
 
 空国の魔導具装置が作動して、浴槽の底が淡く発光している。光はライトブルーで、揺らめく湯に足先から順に浸かると、光に抱かれているような心地になった。潮の香りを含む風が優しく肌を撫でて、お湯の表面に揺らめきを生み出している。
 
「ねえ、それでどきどきはしましたの?」
「あまり揶揄からかうと、俺が姫の心臓に悪いことをしますよ」
「まあ……何をされるのかしら……」
「そこで嬉しそうに反応されても困ります」
 
 よく困る男だこと――専属侍女のジーナに世話されながら、フィロシュネーは上機嫌で湯を楽しんだ。
 
「そういえば、姫。人魚の本を見ていたところ、死霊が興味深いことを教えてきましたよ」
「……なあに」
 わたくしは、あなたと死霊の関係性に興味津々なのですが? という言葉を呑み込んで続きを促せば、サイラスは淡々と情報をもたらした。
「近くの島に、人魚と恋愛した男の死霊がいるというのです」
「!!」
「姫好みのお話ですね?」
「ええ、ええ。とても!」

 お兄様にお話して、その島に行ってみてはどうかしら。
 サイラスが死霊とお話できるなら、詳しく当事者に人魚との恋愛談を聞けるじゃない。人魚のことも、詳しくわかるわ。
 
「素晴らしいわサイラス。死霊くんにもお礼を伝えてちょうだい」
「伝えておきます」
 お湯をぱしゃりと跳ねて笑えば、衝立の向こうから優しいお兄さんな気配をしたサイラスの声が返ってくる。その安心感とお湯のあたたかさに、フィロシュネーはニコニコした。
 

 * * *
  
「とても良いお風呂でしたわ。あなたも入るとよいと思うの」
「では、姫をお部屋にお送りしたあとにでも」
 
 入浴を終えて部屋に戻ろうとして、フィロシュネーはぴたりと足を止めた。
 
「また落ちてる……これで2つ目?」
 部屋へ向かう通路に見覚えのあるものが落ちていた。知識神の聖印だ。

「知識神の聖印ですね。2つ目、とは何です?」
 サイラスが問いかけるので、フィロシュネーは説明した。
「知識神の聖印が落ちていて拾うのは、これが2つ目なの。最初のは、たまたまお話する用事があったのでハルシオン様に渡しましたのよ」
「ほう」
 サイラスは聖印を手に取り、珍しそうに眺めた。

「他の信徒の聖印は、あまり触れる機会がないのです」
「珍しいのね」
「そうですね……」
 
 通路で話し込んでいると、ばたばたという足音がして、空国の警備兵が走っていくのが見えた。何があったのかしら、と思っていると、紅国の騎士がサイラスを見つけて駆け寄り、報告してくる。
「人魚が再び出現して、船を囲んでいたようです。ただ、もう姿を消したようなのですが……画家の油絵具や残飯が何者かの手により海に捨てられたという声もあります」
 
 サイラスは厳しい顔をしてフィロシュネーを部屋に押し込んだ。
「船内でよからぬことが起きているようです。護衛を増やして、身の安全を第一になさってください」
「わかりましたわ」
 
 おやすみの挨拶をして扉が閉まる。サイラスは配下の騎士を連れて船の安全のために空国の警備兵に協力を申し出るようだった。

(ふうむ。ふうむ……?)
 フィロシュネーは部屋のテーブルに知識神の聖印を置き、ベッドに潜り込んだ。
 展望風呂でぽかぽかにあたたまった身体をふかふかのベッドに沈める感覚がとても気持ちいい。

 ぼんやりしていると、天蓋の内側にふわふわした死霊が見えた気がして、フィロシュネーは瞬きをした。きょろきょろと周囲を視線だけで探る――身を起こすのが、もう億劫おっくうだった。見える範囲に、死霊はいない。
(あら? 青国で見かけた、ダーウッドのお部屋の前にいた死霊じゃない? ……待ってシュネー、どうして死霊の見分けがつきますの。そもそも死霊はいますの? わたくし、夢を見ているのでは? 青国にいた死霊がどうして船にいますの? ついてきちゃった?)
 思考がふわふわして、まとまらない。眠気だ。眠気がゆらゆらと全身を心地よく包んでいるのだ。
 
「……船の中は、人が頻繁に行き来していますのよ。空国の警備兵だって、巡回していますわ。……違和感があるような……まるで、だれかが……」

 ――誰かがわざとフィロシュネーの行く先に置いているみたい。
 ほんわか、ぼんやりと違和感を口にして、フィロシュネーは眠りに落ちていった。
 
 そして、目覚めると『ラクーン・プリンセス』は物々しい雰囲気になっていた。
「船の周りがぐるりと人魚に包囲されているんです」
 朝の身支度を手伝ってくれる侍女ジーナは状況を教えてくれて、「船が沈んでしまったら、どうしましょう」と心配そうに言う。フィロシュネーは驚きつつ、バルコニーから海を見た。

「姫様、何が起きるかわかりませんから、あまり海に寄らないほうが」
「気を付けますわ――わあ、本当にいる……いっぱい」
 
 海には、人魚がいた。
 いずれも女性の上半身をしていて、胸元には布が巻かれたり貝に似た装飾品が纏われていて、髪は長い者が多く……手に槍を持っている。

「ジーナ。人魚って……槍を使いますの……?」
 御伽噺おとぎばなしにはなかった人魚の生態が明らかになった瞬間だった。
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