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4、奪還のベリル

265、悪逆の奸臣カーリズ公爵を討て/ 悪は、アルメイダ侯爵ですよ

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 大陸北方、ク・シャール紅国で、十四歳のシューエンは内乱の最中に身を置いていた。

 紅城クリムゾンフォートを守るように布陣した国軍と、反女王派の軍がにらみ合っている。

 シューエンが所属する隊の旗色は、反女王派だ。
 周囲の兵が掲げるのは、紅国の王弟エリオットと反女王派アルメイダ侯爵の旗。加えて、大陸外の異国の旗もまざっている。
 
『悪逆の奸臣カーリズ公爵は、女王陛下に毒を盛って国政を意のままにしようとしている。真実を知る王弟エリオット殿下は、忠臣アルメイダ侯爵と共に奸臣を討とうと立ち上がった』
 ――アルメイダ侯爵派は、そう主張している。

 騎馬隊が整然と隊列を組み、飛翔する魔法生物が地上に影を落とす。
 派閥貴族の領地から徴兵された者、もしくは志願して参加した者たちは支給された武器を手に、影の中に身を寄せ合っていた。
 表情はさまざまで、やる気に漲っている者もいれば、不安で仕方ないという者もいる。
 
 アルメイダ派の不足がちな武器は、他国からの支援を受けている。
 一方、対抗陣営であるカーリズ派は暗黒郷と呼ばれる南の二国、青国と空国から支援を受けている。
 
「我が君、エリオット殿下。国を憂う者が集まっております。お声をかけてあげてくださいまし」
 
 アルメイダ侯爵は幼き主君である王弟エリオットに拡声魔導具を向け、主君のあどけない声を敵味方両軍が聞こえるように響かせた。

「みなの者、よく集まってくれた。ぼくはエリオットである」

 ちょっと頼りない風情の子どもの声は、殺伐とした武装兵たちの表情をやわらげた。
 
 エリオット殿下に、なにが言えるというのか。
 泣きだしてしまったりしないだろうか。
 そんな風に、心配そうにする兵までいる。

 微妙な空気の中、エリオットは言葉を続けた。
 
「ぼくは、紅城クリムゾンフォートの外で生まれ育った。孤児院で、誰の子かもわからない孤児として育った。孤児院はおんぼろで、荒れていて、ごはんは少なく、服は擦り切れて継ぎはぎだらけで、孤児の仲間からもいじめられていた」

 堂々と出自を語るエリオットに、兵たちはぎょっとして「そんなことを言って大丈夫か」とどきどきした。
 アルメイダ侯爵は片眉をあげつつ、主君を止める様子はなかった。
 
「孤児であったぼくは、ある日、王弟だと言われた。ぼくはその一言で、孤児から王弟になった。ごはんは豪華で、服はあたたかで立派で、誰もぼくをいじめることがない」

 ――いったい、自分たちは何を聞かされているのだ。

「ぼくは、それがおかしいとおもう」
 
 兵たちは呆然と主君の声を聞き続けた。

「孤児だったぼくが王弟だといわれて王弟になったように、誰かが悪人だといわれて悪人になる。ぼくは、それがおかしくて、悲しいとおもう」

 エリオットの深紅の瞳は、その瞬間、意外なほど理知的な色を閃かせた。

 その美しさに、兵は見惚れた。

「国を憂う者たちよ。正義を掲げたい大人たちよ。ぼくは、問いたい」

 幼い主君は、白い指先をあちらとこちらに順に向けた。
 毛皮付きの赤いマントがその所作によって揺れる。高貴な装いをした王弟の振る舞いには、人の目を惹き付ける魅力があった。
 
「ふたつの旗がある。ふたりの臣下がいる。二者は、悪と正義でなければならぬのだろうか」

 ざわり、と戦場に動揺が満ちる。

 この演説は、「自分たちが正義で、相手は悪だ。悪を討て」という士気高揚のための演説ではない。
 どちらかといえば、「戦いをやめよ」と求めているのではないか。

 ――ああ、エリオットという幼き王弟は、優しいのだ。争うのをやめて、正義だ悪だと揉めるのをやめて、仲良くしてほしいのだ。

 その場に居合わせた全員がそう感じたとき、アルメイダ侯爵派の一角から悲鳴があがった。
 
「……死霊だ!」

「コルテ神殿――」

 悲鳴とどよめきが溢れる中、シューエンは眉を寄せた。

 自分たちの隊の真後ろから、死の神を崇めるコルテ神殿の神聖旗をなびかせ、神殿の兵団が迫ってきている。なにより――その兵団は、灰色の死霊を多数、ふわふわと連れているのだ。
 
 元が青国人であるシューエンには理解しがたい現実であるが、コルテ神の奇跡とやらは死霊をしもべのように扱うことができるらしい。


「神師伯だ」
「女王の騎士……」

 ざわめきの中に、その人物の名が多数呼ばれるようになる。


 漆黒の騎士鎧に、ゆったりとしたマントをひるがえし、黒馬に騎乗した褐色肌の男は、シューエンもよく知っている男だった。

 いつも不遜な黒い瞳はどこか超然としていて、片手には緑柱石ベリルに似た石を握っている。

 ――『元・黒の英雄』。

 シューエンは、複雑な心境でその名を呟いた。
 
「……サイラス」
 
 朗々としたサイラスの声が響き渡る。

「紅国女王の騎士にして死の神コルテの神師ノイエスタルが、この戦いに介入しましょう」

 声は、自信にあふれていた。
 誰もが「ああ、彼が正しいのだ」と頭を下げて従いたくなるような、絶対の方位磁針に似た雰囲気があった。
 
「神の名のもとに、王弟殿下には明確な回答を差し上げます。――悪は、アルメイダ侯爵ですよ」
 
 はっきりと告げられて、エリオットは、幼き瞳に悲嘆ひたんの色を濃く浮かべた。

「英雄。英雄。そのようなことを言うでない。いやだ。いやだ。やめよ」

 子どもの声は、嫌がった。

「殿下。現実は覆りません」

 ――大人の声は、冷たかった。
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