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前編
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りん、りんと鈴が王都のいたるところで鳴る。
寒色の幟や旗やたくさんの鈴を飾る『水鈴祭』は、この国の伝統的なお祭りだ。
その祭りの賑わいの中で、子爵令嬢ミアーシャは姉の婚約者が浮気相手といるのを見た。
(あの方、また女性と遊んでいる。お姉様の婚約者なのに)
姉の婚約者は女好きで、遊び人だ。
ミアーシャは「嫌なものを見てしまった」と思いながら、笑顔を崩さぬよう努めた。今の自分は出店の売り子で、目の前にはお客様がいるのだ。目元を覆うタイプの仮面をした青年と、弟らしき可愛い男の子が。
「おじ、お兄様の言ってたお店、あったぁ。お店のお姉様、綺麗だねえ!」
「可愛いのがいっぱいあるだろう?」
「お店のお姉様、可愛いねえ」
「……欲しいのを選びなさい、アレク。余計なお喋りはほどほどにね。お姉様を困らせてはいけないよ」
見るからにお忍びの貴族だ。青年は『オジお兄様』と呼ばれている。『オジ』という名前なのかもしれない。
少し離れた場所では、護衛の人たちが油断なく眼を光らせている。祭りの浮かれた空気に乗じて悪事を働く者も多いのだ。スリなどはまだ可愛らしい方で、最近は『白林檎の粉』と呼ばれる麻薬の売人などもいるらしい。
「おじ、お兄様。ぼく、ウサギさんの編みぐるみがいい!」
「では、ウサギさんをいただこうか」
青年は、所作が美しい。とても優雅で隙がない。凛とした佇まいの中に繊細でたおやかな独特の浮世離れした空気がある。高貴な人だ。顔を隠していても「素敵」と思わせて周囲の目を自然と惹き付けるような、特別な魅力がある人物だ。
弟くんはというと無邪気な様子で、商品棚からウサギさんを選んでぎゅうっと抱きしめている。
「このウサギさん、くださぁい!」
「お買い上げありがとうございます」
編みぐるみ作りは趣味と実益を兼ねていて、もう何年も続けている。ミアーシャの家は、血統は良いが没落していて、貧乏なのだ。店主も「貴族のお嬢さんが作ったっていうのが商品の付加価値を上げてくれるから、売れ行きもいいんだよ」と喜んでくれていた。
「お店のお姉様、これ、あげるの。指につけるんだよ」
弟くんがあどけなく言って、綺麗な指輪をミアーシャの手のひらに置く。
「お店のお姉様、それつけて、おじ、お兄様と結婚してあげてね」
「こ、こらこら、アレク」
オジお兄様は焦っているが、弟くんの笑顔は可愛い。ミアーシャは自分の弟を思い出した。最近「やだー」が多くなり、姉たちにイタズラしたりするようになった弟も、可愛いのだ。
「こちらの指輪はお返ししますわ」
「いえ、差し上げます。つけてくださると嬉しいです」
弟に言われたからか、オジお兄様が律儀に握手を求めてくる。くすくす笑いながらミアーシャが握手に応じると、オジお兄様はちょっと恥ずかしがるように頬を染めた。
「お祭り、楽しんでください」
「ありがとうございます……あ、飴は、お好きですね」
『お好きですか?』ではなく『お好きですね』だ。
ミアーシャが戸惑いつつ頷くと、オジお兄様は果実飴を差し出した。
「そこのお店で売ってたので。もしよろしければ、お召し上がりください」
真っ赤な果実飴は、見た目も可愛らしい。
生活に余裕があるからこそ出来る、気紛れな施しだ。ミアーシャは有難く受け取り、感謝した。
ミアーシャは、店に背を向ける兄弟を笑顔で見送った。
「この飴は、弟へのお土産にしましょう」
ミアーシャはそう考えた。
「それはそうとして、お姉様の婚約者の件はどうしましょう。浮気なんて……」
姉ライラの婚約者チェスターは、ウェザー家という幅広い事業を展開する有名商家の次男坊だ。
ウェザー家は貴族の家との濃いつながりを望んでいる。そこで、没落した子爵家に目を付けたのだ。資金援助をする代わりに、と縁談が打診されると、両親は反発した。しかし、姉は家のためにその話を受けた。
『政略結婚は、貴族社会では珍しくないわ』
姉は、そう言った。
「政略結婚でもお姉様には、幸せになってほしい……」
ミアーシャは姉が好きだ。
たまに喧嘩もするけれど、苦しい生活の中でなんだかんだ助け合って生きてきた。
令嬢教育も一緒に受けて、お互いにカーテシーをしあって「姿勢がいまいちね。育ちの悪さが出ちゃってるわよ」と評価しあったり、挨拶や聖句を唱え合って「その発音は訛っているわ。田舎者だと笑われてしまいそう」と指摘しあったりした。
「わたくしたち、のほほんとお嬢様をしている場合じゃないかもしれないわ。うちは貧乏なのよ、優雅にしている時間でお金を産む努力をするべきではなくて?」
と気づいてからは「どうやってお金を産むの?」と話し合って、内職だって一緒にした。
華麗なドレスや煌びやかな社交活動に憧れつつ「でも、わたくしたちには無理ね」と笑い合った仲だ。
おんぼろ屋敷の中で、他愛もない言葉を当たり前の距離感で交わす日常を積み重ねてきた家族なのだ。
「大丈夫ですか? お困りなのですね?」
「あっ」
ミアーシャはハッとした。気付けば、店に背を向けて離れていくと思っていたオジお兄様が足を止めて心配そうにしている。
そんなつもりはなかったけれど、声に出ていたようだ。
「失礼いたしました。独り言です」
疲れているのかしら。ミアーシャはあたふたと頭を下げた。
「店主さん、この売り子のお嬢さんの休憩時間を買いたいな」
オジお兄様は笑って店主にお金を払い、ミアーシャに休憩時間をプレゼントしてくれた。
しかも、ついでのようにミアーシャの手にお金を渡して「このお金でお祭りを楽しんでください」と言うではないか。
「え、いえいえいえっ、そこまでしていただくわけには……っ」
「楽しんでください」
ミアーシャが遠慮する中、オジお兄様は弟の手を引き、さっさと何処かに行ってしまった。
寒色の幟や旗やたくさんの鈴を飾る『水鈴祭』は、この国の伝統的なお祭りだ。
その祭りの賑わいの中で、子爵令嬢ミアーシャは姉の婚約者が浮気相手といるのを見た。
(あの方、また女性と遊んでいる。お姉様の婚約者なのに)
姉の婚約者は女好きで、遊び人だ。
ミアーシャは「嫌なものを見てしまった」と思いながら、笑顔を崩さぬよう努めた。今の自分は出店の売り子で、目の前にはお客様がいるのだ。目元を覆うタイプの仮面をした青年と、弟らしき可愛い男の子が。
「おじ、お兄様の言ってたお店、あったぁ。お店のお姉様、綺麗だねえ!」
「可愛いのがいっぱいあるだろう?」
「お店のお姉様、可愛いねえ」
「……欲しいのを選びなさい、アレク。余計なお喋りはほどほどにね。お姉様を困らせてはいけないよ」
見るからにお忍びの貴族だ。青年は『オジお兄様』と呼ばれている。『オジ』という名前なのかもしれない。
少し離れた場所では、護衛の人たちが油断なく眼を光らせている。祭りの浮かれた空気に乗じて悪事を働く者も多いのだ。スリなどはまだ可愛らしい方で、最近は『白林檎の粉』と呼ばれる麻薬の売人などもいるらしい。
「おじ、お兄様。ぼく、ウサギさんの編みぐるみがいい!」
「では、ウサギさんをいただこうか」
青年は、所作が美しい。とても優雅で隙がない。凛とした佇まいの中に繊細でたおやかな独特の浮世離れした空気がある。高貴な人だ。顔を隠していても「素敵」と思わせて周囲の目を自然と惹き付けるような、特別な魅力がある人物だ。
弟くんはというと無邪気な様子で、商品棚からウサギさんを選んでぎゅうっと抱きしめている。
「このウサギさん、くださぁい!」
「お買い上げありがとうございます」
編みぐるみ作りは趣味と実益を兼ねていて、もう何年も続けている。ミアーシャの家は、血統は良いが没落していて、貧乏なのだ。店主も「貴族のお嬢さんが作ったっていうのが商品の付加価値を上げてくれるから、売れ行きもいいんだよ」と喜んでくれていた。
「お店のお姉様、これ、あげるの。指につけるんだよ」
弟くんがあどけなく言って、綺麗な指輪をミアーシャの手のひらに置く。
「お店のお姉様、それつけて、おじ、お兄様と結婚してあげてね」
「こ、こらこら、アレク」
オジお兄様は焦っているが、弟くんの笑顔は可愛い。ミアーシャは自分の弟を思い出した。最近「やだー」が多くなり、姉たちにイタズラしたりするようになった弟も、可愛いのだ。
「こちらの指輪はお返ししますわ」
「いえ、差し上げます。つけてくださると嬉しいです」
弟に言われたからか、オジお兄様が律儀に握手を求めてくる。くすくす笑いながらミアーシャが握手に応じると、オジお兄様はちょっと恥ずかしがるように頬を染めた。
「お祭り、楽しんでください」
「ありがとうございます……あ、飴は、お好きですね」
『お好きですか?』ではなく『お好きですね』だ。
ミアーシャが戸惑いつつ頷くと、オジお兄様は果実飴を差し出した。
「そこのお店で売ってたので。もしよろしければ、お召し上がりください」
真っ赤な果実飴は、見た目も可愛らしい。
生活に余裕があるからこそ出来る、気紛れな施しだ。ミアーシャは有難く受け取り、感謝した。
ミアーシャは、店に背を向ける兄弟を笑顔で見送った。
「この飴は、弟へのお土産にしましょう」
ミアーシャはそう考えた。
「それはそうとして、お姉様の婚約者の件はどうしましょう。浮気なんて……」
姉ライラの婚約者チェスターは、ウェザー家という幅広い事業を展開する有名商家の次男坊だ。
ウェザー家は貴族の家との濃いつながりを望んでいる。そこで、没落した子爵家に目を付けたのだ。資金援助をする代わりに、と縁談が打診されると、両親は反発した。しかし、姉は家のためにその話を受けた。
『政略結婚は、貴族社会では珍しくないわ』
姉は、そう言った。
「政略結婚でもお姉様には、幸せになってほしい……」
ミアーシャは姉が好きだ。
たまに喧嘩もするけれど、苦しい生活の中でなんだかんだ助け合って生きてきた。
令嬢教育も一緒に受けて、お互いにカーテシーをしあって「姿勢がいまいちね。育ちの悪さが出ちゃってるわよ」と評価しあったり、挨拶や聖句を唱え合って「その発音は訛っているわ。田舎者だと笑われてしまいそう」と指摘しあったりした。
「わたくしたち、のほほんとお嬢様をしている場合じゃないかもしれないわ。うちは貧乏なのよ、優雅にしている時間でお金を産む努力をするべきではなくて?」
と気づいてからは「どうやってお金を産むの?」と話し合って、内職だって一緒にした。
華麗なドレスや煌びやかな社交活動に憧れつつ「でも、わたくしたちには無理ね」と笑い合った仲だ。
おんぼろ屋敷の中で、他愛もない言葉を当たり前の距離感で交わす日常を積み重ねてきた家族なのだ。
「大丈夫ですか? お困りなのですね?」
「あっ」
ミアーシャはハッとした。気付けば、店に背を向けて離れていくと思っていたオジお兄様が足を止めて心配そうにしている。
そんなつもりはなかったけれど、声に出ていたようだ。
「失礼いたしました。独り言です」
疲れているのかしら。ミアーシャはあたふたと頭を下げた。
「店主さん、この売り子のお嬢さんの休憩時間を買いたいな」
オジお兄様は笑って店主にお金を払い、ミアーシャに休憩時間をプレゼントしてくれた。
しかも、ついでのようにミアーシャの手にお金を渡して「このお金でお祭りを楽しんでください」と言うではないか。
「え、いえいえいえっ、そこまでしていただくわけには……っ」
「楽しんでください」
ミアーシャが遠慮する中、オジお兄様は弟の手を引き、さっさと何処かに行ってしまった。
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