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後編
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本来はなかったはずの、休憩時間。
ミアーシャは感謝しつつ、教会前の広場に行った。
せっかく頂いたのだから、と指につけた指輪はとても綺麗だ。きらきらしている。素敵な輝きが自分の指にある、という事実が、ミアーシャの心をソワソワとさせた。
教会前の広場では、姉ライラがオルガンを弾いている。
『オルガンを弾いたらお金がいただけるの。ミアーシャにリボンを買ってあげるわね』
姉はそう言っていた。
その指が奏でる旋律は優しくてあたたかな響きだ。たまに楽譜と違うアレンジをされたメロディが聞こえて、伸びやかに音を楽しむようなところも、姉らしい。
心地よい音の波に包まれる広場には、軽食屋台が多く並んでいた。あつあつでジューシーなお肉やタレの匂いといった、食欲を刺激するいい匂いがする。
「こちらを、いただけますか」
「はいよ!」
明るい陽射しの中、ミアーシャはお菓子を買って姉に近付いた。木型で押し出された壺の形をした『オヴォス・モーレス』という名前の修道院菓子は、姉が好むのだ。
「お姉様、差し入れを持ってまいりました」
一曲終えたタイミングで声をかけると、姉ライラは明るい笑顔で振り向いた。
「ミアーシャ! わぁ、ありがとう! ちょうど交代の時間だったの」
そんな姉妹へと、声がかけられる。
「楽譜通りに一曲奏でることすらできないのか。オルガンを弾くというから来てみれば、下手で驚いたぞ。恥ずかしい」
姉の婚約者チェスターだ。しかも、堂々と浮気相手を連れている。
「チェスター様」
姉ライラはミアーシャを隠すように前に立った。
「なんだ、その生意気な眼は? 俺の家に世話してもらう立場のくせに、そんな態度が許されると思っているのか? 血統しか取り柄がないのに、プライドだけは高いのか? あ~やだやだ、貧乏臭い」
チェスターは見せつけるように浮気相手の肩を抱き寄せ、頬にキスをしてみせた。
「っ……」
ミアーシャは姉の細い肩が震えるのを見て心を痛めた。
「お、お姉様にひどいことを言わないでください……っ!」
「お? 口答えするのか? 縁談をなかったことにしてやってもいいのだが?」
チェスターは弱者をいたぶるのを楽しむように目を爛々とさせ、毒々しい赤い舌で自分の唇をぺろりと舐めた。
そこへ、第三者が声を挟んだ。
「ならば、その縁談は白紙にすればいいのでは?」
「!?」
爽やかな涼風がふわっと吹き抜けた。
あっさりとした声を発した人物は、オジお兄様だった。
弟を護衛に預け、チェスターの悪意から姉妹を守るように間に入って、オジお兄様は告げた。
「先ほどから見ていれば、随分と品がない物言い。令嬢への心ない振る舞い、目に余ります。そのように悪意をさえずるぐらいなら、婚約は解消してはいかがです?」
「ああ? 部外者は黙ってろよ。俺を誰だと思ってんだ」
「ウェザー家の次男坊、チェスター・ウェザーだと思っています。合っているでしょう?」
オジお兄様の視線が護衛に向かう。護衛は恭しく頭を下げて声を響かせた。
「チェスター・ウェザー。その無礼な態度を改めよ。こちらにおわすのは王甥公爵ルース殿下であるぞ」
「なっ……!?」
チェスターが目を見開く。顔色をサッと悪くして、滝のように汗を流して後退る。ミアーシャも、姉ライラも、周囲の人々も「えっ」と驚愕した。
オジお兄様は仮面を外し、素顔を見せた。絶世の美青年だ。仮面を外した姿は、老若男女、誰であろうと声を揃えてそう呼ぶであろう美しさだった。
「聞いたか、王甥公爵殿下だと」
「ああ」
周囲がざわざわとする。
皆が囁きを交わし、敬愛の念のこもった視線を注いでいる。威風堂々と佇む、その人物へと。
「あまり人前にはお出にならない方ではないか……!」
(ルース殿下? 国王陛下の甥殿下じゃない)
あまり不躾に見つめてはいけないだろうか。けれど、ついつい見惚れてしまう。ミアーシャはおろおろとした。
国王の甥、ルース殿下はミステリアスな人物だ。
公式行事にも社交の場にもあまり顔を出さないが、国王とはとても親しいらしい。
国王の耳目として正体を隠し、市井の様子を見まわっているという噂もある。美形という話もあれば、恐ろしい半魔の忌み子という話もあり、有能という話もあれば、愛すべきへたれという話もある。
要するに実際のところがわからないので、好き勝手想像を膨らませて楽しまれている人物だ。
ミアーシャが驚いていると、ルース殿下は優雅な所作でミアーシャの肩を抱き寄せた。
「こちらの令嬢は、私の恋人です」
「わ、わたくしっ?」
嘘だ。ミアーシャはびっくりした。
ルース殿下は驚きに硬直するミアーシャに一瞬だけ申し訳なさそうにしてから、言葉を続けた。
「恋人が顔を曇らせていたので、気にしていたのです。彼女を悲しませた者を、私は許しません」
ルース殿下の形のよい唇が嘘を重ねる。その大きな手は、ミアーシャの華奢な手を取った。
「あ。指輪……」
指に光る指輪を見ると、ルース殿下は嬉しさをかみしめるように睫毛を伏せた。はにかむような表情には、匂い立つような上品な色香がある。ミアーシャは状況を忘れて、その美貌に目を奪われた。
周囲の人々も同じだったようで、あちらこちらから「ほう……」という恍惚とした声が漏れる。
「私はウェザー家に関して、『偽造品の販売や詐欺まがいの高利貸しに手を染めている』という報告を受けています。不正な商取引の証拠も多数あり、元々、物品の差し押さえと関係者の捕縛を予定していたのです」
凛とした声が響く。
「水鈴祭は、もともと『昨日までの穢れを掃き清める』『次なる季節に新たな気持ちで進もう』という趣旨の神聖な儀式が元になっています。国王陛下は、この国で悪事を働く者を野放しにしたままで祭りを終える気はないのです」
チェスターは「ひっ」と引き攣った声を喉からこぼした。視線の先には、罪人を連行する『罪洗い』の馬車がある。そこには、すでにウェザー家の関係者が拘束されているようだった。
「こら、逃げるな!」
「ひ、ひええ……」
「あ、あたしも捕まるのぉ? あたしはたいしたことしてないわよぉ!」
逃げ出そうとするチェスターとその浮気相手を護衛が押さえつける。暴れる二人の足元に、あやしげな白い粉末入りの袋がどさりと落ちた。
「これは、白林檎の……連れて行け!」
国旗を掲げた騎士団が『罪洗い』の馬車に罪人をまとめて、連行する。
人々は驚いた様子で一連の出来事を見届けていたが、やがて誰かが王族への尊崇の念を唱えた。
「国王陛下の正義は成れり!」
そこから、たくさんの声が同意を示す。共感の声を響かせる。
「国王陛下、万歳!」
「王甥殿下、万歳!」
ルース殿下に連れられていた小さな男の子はそんな人々に目を輝かせ、あどけない声ではしゃいでいる。
「わぁっ、ぱぱ、いっぱい褒められてる!」
――ぱぱ。パパ?
「あ、アレクサンドル王子殿下であらせられましたか!」
国王陛下を「パパ」と呼べるのは、現在この国では一人だけ。可愛がられている第一王子のアレクサンドル王子殿下だ。おじ、おじ、と呼んでいたのは、さては「おじさん」だったのだろう。
(お忍びだろうとは思っていたけれど、思っていた以上に偉い方々ね……)
衝撃的な現実にぽかんとするミアーシャに、ルース殿下は誠実な眼差しを注いだ。
「ご安心くださいね、お姉様もあなたも、私がとびきりの良縁をお世話します。ご実家のことも心配する必要はありません――……指輪をつけてくれて、ありがとう」
ルース殿下はそう言って、ミアーシャの指に輝く指輪へとキスを落とした。
「あ……」
指輪には神経が通っていないのに、その瞬間ふわっとした感覚がミアーシャの胸に湧いた。甘やかで、気恥ずかしいような、嬉しいような、困ってしまうような、そんな不思議な未知の、特別な感覚だ。
「ご参考までに、私のことはお嫌いですか?」
「えっ」
「よろしければ、縁談相手の候補者に私をいれても構わないでしょうか?」
「で、で、殿下を、ですか?」
これは、プロポーズなのでは?
ミアーシャは真っ赤になった。姉ライラが「まあ、あらあら」と目をギラリとさせている。
「おじ、お兄様。前から狙ってた! お部屋に、お姉様がつくった編みぐるみがいっぱいあるの。ぱぱは『すとーかー』『話しかけられないへたれ』って言ってた! ぼく、お話しやすいように手伝ってあげたの」
「こ、こら。イメージが悪くなるだろう!」
店に通いつめて編みぐるみを納品する姿を物陰から見ていたとか、画家を同伴させて姿絵を描かせたとか、棚に並ぶと同時に新作を我が物にして編みぐるみと姿絵をセットで並べているとか。手紙を書いては捨ててを繰り返して、しかも捨てた全部が回収されて国王に「今日は何を書いたんだ。どれどれ」とチェックされているとか。
「ええと……最初は、編みぐるみが可愛らしいなと思ったのです」
「おじ、兄上。編みぐるみを抱っこして『よしよし』ってしてるお姉様が可愛いっていってた」
「くっ……!」
気付けば気になっていた。姿を見たくなって、店に通ってしまった。
ストーカーしてみると没落した家のために仕事をしているようで、健気な姿に胸を打たれた。手を差し伸べたいがへたれゆえに機会がつかめないまま、とりあえず編みぐるみと姿絵をコレクションしてしまったのだとか。
アレクサンドル殿下にばらされて、ルース殿下は気まずそうな顔をした。
「す、すとーかー。へたれ」
「……このような私ですが、その……、よろしくご検討ください。他の候補者もリストアップして、選べるようにいたしますので」
「え、選ぶのですか……」
「押しが弱いわね……なるほど、へたれ……」
姉ライラが小声でぼそっと言うのが聞こえる。
後日、姉妹は両親と一緒にお互いの縁談を検討した結果、それぞれの選んだ相手と婚約した。姉の選んだ人は、国王の直属騎士だった。無骨で口下手だが、人柄が良い。
季節の花が満開に咲き誇る中、姉妹は合同で結婚式を挙げた。
* * *
「私を選んでくださってありがとうございます……病めるときも健やかなときも一途に愛して幸せにします」
ルース殿下のことは、まだあまり詳しくは知らない。
けれど、少し不器用で奥手で、ひたむきに好意を寄せる眼差しは、安心できた。そもそも、好意がなくても有難い、光栄で身に余るような縁談なのだ。それが、好意を寄せてくれているのだという。とても恵まれた結婚ではないか。
陽光が降り注ぎ、身に着けた宝飾品がきらきらとしている。
青空の下、爽やかな暑気の中、花の香りを含んだ涼風が優しく翔けぬけて、花嫁のヴェールを揺らす。
同時に式を挙げる姉も幸せそうに新郎と手をつないでいる。
一緒に、幸せになるのだ。
こみ上げる想いが眦を熱くする。
ミアーシャは心からの感謝を言葉にした。
「わたくしを好きになってくださって、ありがとうございます」
あなたのことが好き、と、まだ情熱と確信を抱いて告げることができない。
神聖な式の場で「この言葉を言えば喜ぶから」という下心で安っぽい嘘をつくのは嫌だった。だから、ミアーシャは正直に言った。嘘ではない、ありのままの誠実な気持ちを。
「あなたと、よい家族になりたいです。あなたから好意をいただくのに、ふさわしい妻になります。わたくしは、そう誓います」
優しく神聖に誓いのキスがされると、祝福の声と拍手が湧く。
二人はこのようにして、初々しい夫婦になったのだった。
――Happy End.
ミアーシャは感謝しつつ、教会前の広場に行った。
せっかく頂いたのだから、と指につけた指輪はとても綺麗だ。きらきらしている。素敵な輝きが自分の指にある、という事実が、ミアーシャの心をソワソワとさせた。
教会前の広場では、姉ライラがオルガンを弾いている。
『オルガンを弾いたらお金がいただけるの。ミアーシャにリボンを買ってあげるわね』
姉はそう言っていた。
その指が奏でる旋律は優しくてあたたかな響きだ。たまに楽譜と違うアレンジをされたメロディが聞こえて、伸びやかに音を楽しむようなところも、姉らしい。
心地よい音の波に包まれる広場には、軽食屋台が多く並んでいた。あつあつでジューシーなお肉やタレの匂いといった、食欲を刺激するいい匂いがする。
「こちらを、いただけますか」
「はいよ!」
明るい陽射しの中、ミアーシャはお菓子を買って姉に近付いた。木型で押し出された壺の形をした『オヴォス・モーレス』という名前の修道院菓子は、姉が好むのだ。
「お姉様、差し入れを持ってまいりました」
一曲終えたタイミングで声をかけると、姉ライラは明るい笑顔で振り向いた。
「ミアーシャ! わぁ、ありがとう! ちょうど交代の時間だったの」
そんな姉妹へと、声がかけられる。
「楽譜通りに一曲奏でることすらできないのか。オルガンを弾くというから来てみれば、下手で驚いたぞ。恥ずかしい」
姉の婚約者チェスターだ。しかも、堂々と浮気相手を連れている。
「チェスター様」
姉ライラはミアーシャを隠すように前に立った。
「なんだ、その生意気な眼は? 俺の家に世話してもらう立場のくせに、そんな態度が許されると思っているのか? 血統しか取り柄がないのに、プライドだけは高いのか? あ~やだやだ、貧乏臭い」
チェスターは見せつけるように浮気相手の肩を抱き寄せ、頬にキスをしてみせた。
「っ……」
ミアーシャは姉の細い肩が震えるのを見て心を痛めた。
「お、お姉様にひどいことを言わないでください……っ!」
「お? 口答えするのか? 縁談をなかったことにしてやってもいいのだが?」
チェスターは弱者をいたぶるのを楽しむように目を爛々とさせ、毒々しい赤い舌で自分の唇をぺろりと舐めた。
そこへ、第三者が声を挟んだ。
「ならば、その縁談は白紙にすればいいのでは?」
「!?」
爽やかな涼風がふわっと吹き抜けた。
あっさりとした声を発した人物は、オジお兄様だった。
弟を護衛に預け、チェスターの悪意から姉妹を守るように間に入って、オジお兄様は告げた。
「先ほどから見ていれば、随分と品がない物言い。令嬢への心ない振る舞い、目に余ります。そのように悪意をさえずるぐらいなら、婚約は解消してはいかがです?」
「ああ? 部外者は黙ってろよ。俺を誰だと思ってんだ」
「ウェザー家の次男坊、チェスター・ウェザーだと思っています。合っているでしょう?」
オジお兄様の視線が護衛に向かう。護衛は恭しく頭を下げて声を響かせた。
「チェスター・ウェザー。その無礼な態度を改めよ。こちらにおわすのは王甥公爵ルース殿下であるぞ」
「なっ……!?」
チェスターが目を見開く。顔色をサッと悪くして、滝のように汗を流して後退る。ミアーシャも、姉ライラも、周囲の人々も「えっ」と驚愕した。
オジお兄様は仮面を外し、素顔を見せた。絶世の美青年だ。仮面を外した姿は、老若男女、誰であろうと声を揃えてそう呼ぶであろう美しさだった。
「聞いたか、王甥公爵殿下だと」
「ああ」
周囲がざわざわとする。
皆が囁きを交わし、敬愛の念のこもった視線を注いでいる。威風堂々と佇む、その人物へと。
「あまり人前にはお出にならない方ではないか……!」
(ルース殿下? 国王陛下の甥殿下じゃない)
あまり不躾に見つめてはいけないだろうか。けれど、ついつい見惚れてしまう。ミアーシャはおろおろとした。
国王の甥、ルース殿下はミステリアスな人物だ。
公式行事にも社交の場にもあまり顔を出さないが、国王とはとても親しいらしい。
国王の耳目として正体を隠し、市井の様子を見まわっているという噂もある。美形という話もあれば、恐ろしい半魔の忌み子という話もあり、有能という話もあれば、愛すべきへたれという話もある。
要するに実際のところがわからないので、好き勝手想像を膨らませて楽しまれている人物だ。
ミアーシャが驚いていると、ルース殿下は優雅な所作でミアーシャの肩を抱き寄せた。
「こちらの令嬢は、私の恋人です」
「わ、わたくしっ?」
嘘だ。ミアーシャはびっくりした。
ルース殿下は驚きに硬直するミアーシャに一瞬だけ申し訳なさそうにしてから、言葉を続けた。
「恋人が顔を曇らせていたので、気にしていたのです。彼女を悲しませた者を、私は許しません」
ルース殿下の形のよい唇が嘘を重ねる。その大きな手は、ミアーシャの華奢な手を取った。
「あ。指輪……」
指に光る指輪を見ると、ルース殿下は嬉しさをかみしめるように睫毛を伏せた。はにかむような表情には、匂い立つような上品な色香がある。ミアーシャは状況を忘れて、その美貌に目を奪われた。
周囲の人々も同じだったようで、あちらこちらから「ほう……」という恍惚とした声が漏れる。
「私はウェザー家に関して、『偽造品の販売や詐欺まがいの高利貸しに手を染めている』という報告を受けています。不正な商取引の証拠も多数あり、元々、物品の差し押さえと関係者の捕縛を予定していたのです」
凛とした声が響く。
「水鈴祭は、もともと『昨日までの穢れを掃き清める』『次なる季節に新たな気持ちで進もう』という趣旨の神聖な儀式が元になっています。国王陛下は、この国で悪事を働く者を野放しにしたままで祭りを終える気はないのです」
チェスターは「ひっ」と引き攣った声を喉からこぼした。視線の先には、罪人を連行する『罪洗い』の馬車がある。そこには、すでにウェザー家の関係者が拘束されているようだった。
「こら、逃げるな!」
「ひ、ひええ……」
「あ、あたしも捕まるのぉ? あたしはたいしたことしてないわよぉ!」
逃げ出そうとするチェスターとその浮気相手を護衛が押さえつける。暴れる二人の足元に、あやしげな白い粉末入りの袋がどさりと落ちた。
「これは、白林檎の……連れて行け!」
国旗を掲げた騎士団が『罪洗い』の馬車に罪人をまとめて、連行する。
人々は驚いた様子で一連の出来事を見届けていたが、やがて誰かが王族への尊崇の念を唱えた。
「国王陛下の正義は成れり!」
そこから、たくさんの声が同意を示す。共感の声を響かせる。
「国王陛下、万歳!」
「王甥殿下、万歳!」
ルース殿下に連れられていた小さな男の子はそんな人々に目を輝かせ、あどけない声ではしゃいでいる。
「わぁっ、ぱぱ、いっぱい褒められてる!」
――ぱぱ。パパ?
「あ、アレクサンドル王子殿下であらせられましたか!」
国王陛下を「パパ」と呼べるのは、現在この国では一人だけ。可愛がられている第一王子のアレクサンドル王子殿下だ。おじ、おじ、と呼んでいたのは、さては「おじさん」だったのだろう。
(お忍びだろうとは思っていたけれど、思っていた以上に偉い方々ね……)
衝撃的な現実にぽかんとするミアーシャに、ルース殿下は誠実な眼差しを注いだ。
「ご安心くださいね、お姉様もあなたも、私がとびきりの良縁をお世話します。ご実家のことも心配する必要はありません――……指輪をつけてくれて、ありがとう」
ルース殿下はそう言って、ミアーシャの指に輝く指輪へとキスを落とした。
「あ……」
指輪には神経が通っていないのに、その瞬間ふわっとした感覚がミアーシャの胸に湧いた。甘やかで、気恥ずかしいような、嬉しいような、困ってしまうような、そんな不思議な未知の、特別な感覚だ。
「ご参考までに、私のことはお嫌いですか?」
「えっ」
「よろしければ、縁談相手の候補者に私をいれても構わないでしょうか?」
「で、で、殿下を、ですか?」
これは、プロポーズなのでは?
ミアーシャは真っ赤になった。姉ライラが「まあ、あらあら」と目をギラリとさせている。
「おじ、お兄様。前から狙ってた! お部屋に、お姉様がつくった編みぐるみがいっぱいあるの。ぱぱは『すとーかー』『話しかけられないへたれ』って言ってた! ぼく、お話しやすいように手伝ってあげたの」
「こ、こら。イメージが悪くなるだろう!」
店に通いつめて編みぐるみを納品する姿を物陰から見ていたとか、画家を同伴させて姿絵を描かせたとか、棚に並ぶと同時に新作を我が物にして編みぐるみと姿絵をセットで並べているとか。手紙を書いては捨ててを繰り返して、しかも捨てた全部が回収されて国王に「今日は何を書いたんだ。どれどれ」とチェックされているとか。
「ええと……最初は、編みぐるみが可愛らしいなと思ったのです」
「おじ、兄上。編みぐるみを抱っこして『よしよし』ってしてるお姉様が可愛いっていってた」
「くっ……!」
気付けば気になっていた。姿を見たくなって、店に通ってしまった。
ストーカーしてみると没落した家のために仕事をしているようで、健気な姿に胸を打たれた。手を差し伸べたいがへたれゆえに機会がつかめないまま、とりあえず編みぐるみと姿絵をコレクションしてしまったのだとか。
アレクサンドル殿下にばらされて、ルース殿下は気まずそうな顔をした。
「す、すとーかー。へたれ」
「……このような私ですが、その……、よろしくご検討ください。他の候補者もリストアップして、選べるようにいたしますので」
「え、選ぶのですか……」
「押しが弱いわね……なるほど、へたれ……」
姉ライラが小声でぼそっと言うのが聞こえる。
後日、姉妹は両親と一緒にお互いの縁談を検討した結果、それぞれの選んだ相手と婚約した。姉の選んだ人は、国王の直属騎士だった。無骨で口下手だが、人柄が良い。
季節の花が満開に咲き誇る中、姉妹は合同で結婚式を挙げた。
* * *
「私を選んでくださってありがとうございます……病めるときも健やかなときも一途に愛して幸せにします」
ルース殿下のことは、まだあまり詳しくは知らない。
けれど、少し不器用で奥手で、ひたむきに好意を寄せる眼差しは、安心できた。そもそも、好意がなくても有難い、光栄で身に余るような縁談なのだ。それが、好意を寄せてくれているのだという。とても恵まれた結婚ではないか。
陽光が降り注ぎ、身に着けた宝飾品がきらきらとしている。
青空の下、爽やかな暑気の中、花の香りを含んだ涼風が優しく翔けぬけて、花嫁のヴェールを揺らす。
同時に式を挙げる姉も幸せそうに新郎と手をつないでいる。
一緒に、幸せになるのだ。
こみ上げる想いが眦を熱くする。
ミアーシャは心からの感謝を言葉にした。
「わたくしを好きになってくださって、ありがとうございます」
あなたのことが好き、と、まだ情熱と確信を抱いて告げることができない。
神聖な式の場で「この言葉を言えば喜ぶから」という下心で安っぽい嘘をつくのは嫌だった。だから、ミアーシャは正直に言った。嘘ではない、ありのままの誠実な気持ちを。
「あなたと、よい家族になりたいです。あなたから好意をいただくのに、ふさわしい妻になります。わたくしは、そう誓います」
優しく神聖に誓いのキスがされると、祝福の声と拍手が湧く。
二人はこのようにして、初々しい夫婦になったのだった。
――Happy End.
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