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悲嘆の空
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ある昼下がり、一人の少年が言いました。
「なあ、試してみようぜ」
「『試す』って……何をだよ?」ともう一人の少年が答えます。
「本当にアイツを泣かせると雨が降るのかどうかだよ」
嬉々としてそう答える少年を尻目に、もう一人の少年は、懶そうな目をしておりました。彼は正直のところ、あまり乗り気ではありませんでした。先日の一件以来、ルサールカの力を信じきっていたからです。〈彼女を刺激すると何が起きるかわからない〉と、内心、恐れ慄いていたのです。
ですが、彼の性格上、少年の提案を断ることはついぞできませんでした。彼は、自分の意見を表に出すことを、他の何よりも恐れていたからです。〈相手はどう思うだろうか。自分の意見をよく思わないのではないか。自分の意見を口に出すことで、いたずらに自分の評価が下がるのではないか〉心の底よりふつふつと湧き上がってくるその莫大な、無尽蔵な恐怖に比べれば、その他のことなど、実に瑣末なものでした。そうしていつまでも逡巡し、いつも口を噤むのです。これは、彼の優しさでもあり、また、彼の臆病さでもありました。
そのころ、ルサールカは一人、花を愛でておりました。村外れのことでした。
激しい風雨に曝され、実もつけず散る花。厳しい冬の寒さに耐え抜き、小さな花弁を懸命に咲き誇らせる名も知らぬ花。路傍で人々に踏みしめられている雑草でさえも、そのどれもが、ルサールカの優しい心にはたまらなく愛おしく思えたのです。
ルサールカは何よりも、物言わぬ草花を愛しておりました。それは、少なからず、村人からの酷い仕打ちのせい、というのもあったのかもしれません。
と、そこへ、少年たちがやってきました。ルサールカは内心、〈今度は何を言われるだろう。何をされるだろう〉とびくびくしておりました。心優しいルサールカは、卑劣な暴力も、意地汚い罵倒の言葉も、好きではありませんでした。――いえ、間違いなく嫌いだったのです。ですから、なおのこと物言わぬ草花を好きになったのでしょう。花を愛でるということは、ルサールカにとってある種、悲しい現実逃避でもありました。
そんなルサールカに、目を逸らしていた冷酷な現実が、その牙を剥いたのです。少年が、ルサールカの愛した一輪の花を、ルサールカの目の前で、踏み躙りました。足で踏みつけ、ぐりぐりと地面に押し擦るように動かしました。泣きじゃくったルサールカが止めに入っても、少年は足蹴にするのを止めませんでした。そのとき、少年の顔は歪に愉悦に満ちておりました。
その花は、ルサールカのお気に入りの花でした。自分の瞳と同じ、蒼色の花でした。村外れにひっそりと一輪だけ咲く蒼い花。その花に、ルサールカは自己投影のような感情を抱いていたのです。その花を、無情にも自身の目の前で踏み躙られたのです。それも、あろうことか、“意図的に”です。ルサールカはどんなに辛かったでしょう。踏み躙られた花は、どれだけ苦しかったでしょう。ルサールカはいたく悲しみ、いたく傷つきました。彼女の悲哀が、彼女の張り裂けそうな心が、声を上げて泣きました。
そんな彼女の哀慟が、村に悲劇をもたらしたのです。それは、想像を絶する豪雨でした。ど、ど、ど、ど、ど。その雨は、バケツをひっくり返したなんて甘いものではありません。家屋を破壊し、大地をも穿つ。まるで、突如として、何もない中空に滝が出現したかのようでした。
村中がたちまち水浸しになったかと思うと、どんどんとその水位を上げていきます。逃げ場のなくなった少年たちは、必死の形相で、その場にあった木へ急いでよじ登りました。てっぺんまで登りました。文字通り、死に物狂いでした。ほっと安心したのも束の間、増していく水嵩が、その勢いを止めることはありません。みるみるうちに、少年たちの足元へ迫っていきます。自身の死を悟ったとき、少年たちは、えも言われぬ相好をしておりました。
やがて、深い海のような水たまりができました。村が、村だけが、海底に沈んでしまったようでした。どんぶらこっこ、どんぶらこ。家も人も関係ありません。無惨にも破壊された家屋ごと、ゆらゆらと漂い、流されていきます。緩やかな傾斜に沿うように、高いほうから低いほうへ。
この村――いえ、この世界にとって、未曾有の大災害でした。為す術もなく、数刻のうちに村は滅びました。それは、紛れもなくルサールカの慟哭によるものだったのです。
ルサールカの涙が地上を掠ったあと、跡に残ったものは、大地に深く根づいていた草木だけでした。そこに、ルサールカの愛した花々の姿はありませんでした。
流れゆく水たまりの底、ルサールカは一人、虚ろに揺蕩いながら泣きつづけるのでした。
「なあ、試してみようぜ」
「『試す』って……何をだよ?」ともう一人の少年が答えます。
「本当にアイツを泣かせると雨が降るのかどうかだよ」
嬉々としてそう答える少年を尻目に、もう一人の少年は、懶そうな目をしておりました。彼は正直のところ、あまり乗り気ではありませんでした。先日の一件以来、ルサールカの力を信じきっていたからです。〈彼女を刺激すると何が起きるかわからない〉と、内心、恐れ慄いていたのです。
ですが、彼の性格上、少年の提案を断ることはついぞできませんでした。彼は、自分の意見を表に出すことを、他の何よりも恐れていたからです。〈相手はどう思うだろうか。自分の意見をよく思わないのではないか。自分の意見を口に出すことで、いたずらに自分の評価が下がるのではないか〉心の底よりふつふつと湧き上がってくるその莫大な、無尽蔵な恐怖に比べれば、その他のことなど、実に瑣末なものでした。そうしていつまでも逡巡し、いつも口を噤むのです。これは、彼の優しさでもあり、また、彼の臆病さでもありました。
そのころ、ルサールカは一人、花を愛でておりました。村外れのことでした。
激しい風雨に曝され、実もつけず散る花。厳しい冬の寒さに耐え抜き、小さな花弁を懸命に咲き誇らせる名も知らぬ花。路傍で人々に踏みしめられている雑草でさえも、そのどれもが、ルサールカの優しい心にはたまらなく愛おしく思えたのです。
ルサールカは何よりも、物言わぬ草花を愛しておりました。それは、少なからず、村人からの酷い仕打ちのせい、というのもあったのかもしれません。
と、そこへ、少年たちがやってきました。ルサールカは内心、〈今度は何を言われるだろう。何をされるだろう〉とびくびくしておりました。心優しいルサールカは、卑劣な暴力も、意地汚い罵倒の言葉も、好きではありませんでした。――いえ、間違いなく嫌いだったのです。ですから、なおのこと物言わぬ草花を好きになったのでしょう。花を愛でるということは、ルサールカにとってある種、悲しい現実逃避でもありました。
そんなルサールカに、目を逸らしていた冷酷な現実が、その牙を剥いたのです。少年が、ルサールカの愛した一輪の花を、ルサールカの目の前で、踏み躙りました。足で踏みつけ、ぐりぐりと地面に押し擦るように動かしました。泣きじゃくったルサールカが止めに入っても、少年は足蹴にするのを止めませんでした。そのとき、少年の顔は歪に愉悦に満ちておりました。
その花は、ルサールカのお気に入りの花でした。自分の瞳と同じ、蒼色の花でした。村外れにひっそりと一輪だけ咲く蒼い花。その花に、ルサールカは自己投影のような感情を抱いていたのです。その花を、無情にも自身の目の前で踏み躙られたのです。それも、あろうことか、“意図的に”です。ルサールカはどんなに辛かったでしょう。踏み躙られた花は、どれだけ苦しかったでしょう。ルサールカはいたく悲しみ、いたく傷つきました。彼女の悲哀が、彼女の張り裂けそうな心が、声を上げて泣きました。
そんな彼女の哀慟が、村に悲劇をもたらしたのです。それは、想像を絶する豪雨でした。ど、ど、ど、ど、ど。その雨は、バケツをひっくり返したなんて甘いものではありません。家屋を破壊し、大地をも穿つ。まるで、突如として、何もない中空に滝が出現したかのようでした。
村中がたちまち水浸しになったかと思うと、どんどんとその水位を上げていきます。逃げ場のなくなった少年たちは、必死の形相で、その場にあった木へ急いでよじ登りました。てっぺんまで登りました。文字通り、死に物狂いでした。ほっと安心したのも束の間、増していく水嵩が、その勢いを止めることはありません。みるみるうちに、少年たちの足元へ迫っていきます。自身の死を悟ったとき、少年たちは、えも言われぬ相好をしておりました。
やがて、深い海のような水たまりができました。村が、村だけが、海底に沈んでしまったようでした。どんぶらこっこ、どんぶらこ。家も人も関係ありません。無惨にも破壊された家屋ごと、ゆらゆらと漂い、流されていきます。緩やかな傾斜に沿うように、高いほうから低いほうへ。
この村――いえ、この世界にとって、未曾有の大災害でした。為す術もなく、数刻のうちに村は滅びました。それは、紛れもなくルサールカの慟哭によるものだったのです。
ルサールカの涙が地上を掠ったあと、跡に残ったものは、大地に深く根づいていた草木だけでした。そこに、ルサールカの愛した花々の姿はありませんでした。
流れゆく水たまりの底、ルサールカは一人、虚ろに揺蕩いながら泣きつづけるのでした。
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