クレタとカエルと騎士

富井

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迷った!

鬼退治

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「あ・・・来たよ。覚悟はいいかい!」

一人のおばさんが大声を上げた。
繭はもうほとんど糸がなくて理玖とヒロトが抱き合って眠っているのがすっかり見えた。

「おう!」

鬼は茶色で一本の角、一つの眼、一つの小さな耳、一つのたっぷりと牙が生えた大きな口。
一本の手、一本の足でぴょんぴょんと飛びながらやってくる。
大きな手で狙っているのは理玖たちだ。

太は剣を構えるとサント先生に習った通り、飛び上がって左の首から切りつけた。
鬼は剣の勢いで倒れはしたものの、まだ死んではいなかった。太が振り返ると、手をついて起き上がろうとしているところだった。もう一度大きく踏み込み、今度は右から刺し左上に向かって剣を振り上げ、鬼は、後ろに倒れた。
クレタはくるくるプス!を幾度となくやってはいたが、クレタが遅いのか鬼が思ったより動きが速いのか、プス!っと刺した時に鬼はそこにいなくて、地面ばかりを刺していた。

「もう少し何とかならないのかよ!」
「俺には俺のリズムがある。鬼に俺のリズムに合わせるよう言ってくれ。」
「自分で言えよ。」

太にそんな余裕があるわけがない。

いつもなら三人いて、わがまま放題、好き勝手やってもなんとなく〆てくれる仲間がいた。
けれど、今は、たった一人で鬼に向かわなければならない。

夢中だった。鬼だけしか見えていなかった。

けれど、ほんの一瞬、冷たい風が太の襟足の髪を噴き上げると、鬼の足元で地道にくるくるプス!を繰り返すクレタの姿がはっきりと見えた。

太はクレタのいるほうに向かって鬼が倒れるように剣を刺した。

すると、クレタはくるくるプス!のプス!の時に初めて鬼に剣を突き刺すことができた。

それも耳の穴にうまく突き刺さり、鬼はどろどろと体が熔けて土に染みて、最後は角だけが残った。

「やった!マジ。スゲー!スゲーよな俺。俺ってスゲー!」

クレタは自分に酔いしれていた。

そんなクレタには目もくれず、太は理玖とヒロトの元へ走った。

五人のおばさんは脚立に乗って果樹のように蔓下がったままの理玖とヒロトをおろしている最中だった。

「ありがとうございました。鬼も何とか退治できました。」

「二人は無事ですよ。あと少しで目覚めます。」
「なにかお礼がしたいけど・・・どうしたらいいですか?」

「この糸だけで十分です。とてもいい糸が取れました。
この子たちも目が覚めたら、今までの気持ちが嘘のように清々しく旅を続けることができるでしょう。
あなたはこのことで今後一切、二人を責めてはいけませんよ。」

「責めたりなんてしません。二人が戻ってさえ来てくれれば、俺は・・・それだけでどれほどうれしいか。」
「そうですか。それでは大丈夫ですね。では、二人が目覚める前に私たちは帰ります。」

五人のおばさんはたくさんの糸の玉をそれぞれの風呂敷に包み、背中に背負って帰り支度を始めた。
おばさんたちはお礼などいらない、糸だけで充分だと言っていたが、太はどうしても何かしらのお礼がしたいと思い、リュックの中を探った。

中には理玖にあげようと思ったけれど断られたキャラメルが1個しかなかった。

「どうしよう・・・」そして、クレタがあの日、サフルが差し出した4個のキャラメルを取り上げてお尻のポケットにしまったきりなのを思い出し、いまだに自慢話を一人でしているクレタに近寄り、お尻のポケットに手を突っ込んだ。

「テメエ、気持ち悪いな。いきなり何するんだよ。恥ずかしいな。」

「俺はそういう趣味はない。」

お尻のポケットの中の4個のキャラメルと自分が持っていた1個のキャラメルを持っておばさんのところへ走り。

「これ。ほかには何もないけれど・・・形もつぶれて変だけど・・・これ。」

おばさんの手に無理やり握らせ

「本当に。本当にありがとう。」

何度もお礼を言った。

「いいんですよ。私たちはある人に頼まれてあなたたちを助けに来たんです。
その人にたくさんのお礼を貰っているし、あなたがこんなに恩を感じる必要もありません。
けれど、そこまで言うのなら・・・・
    

あのとき、あの二つに分かれた道で、私は森を選ぶように勧めました。
もしも、あの後、あなた方が谷へ行く道を選択していたら、どうなったと思いますか?」

「さあ・・・俺は何も考えてはいなかったから・・・」

「あの谷は怒りの谷です。草も木も生えずただ心をかき乱す切り立った岩と心も凍らせる凍てついた水しかなく、どんな穏やかな人も狂気させる恐ろしい谷なのです。
私たちも入る事はできません。
もしもあちらに行っていたら、あなた方三人はその持っている剣で互いを傷つけあうほど怒り狂い、坂を登る頃には、友を傷つけた後悔で自分自信を傷つけることになったでしょう。
ですから、絶妙なタイミングで私が現れてあなたたちに森の道を進める事ができ、あなたの命を救った、そのお礼としてこのキャラメルをいただきます。」

「あっちに進んでいたら俺は死んでいたのか?」
「さあ、もしもの話です。あくまでも仮定の話です。
起きなかったことを悩むより、起きなかった事を喜びましょう。それでは・・・」


おばさんは深々と頭を下げると、森の奥へあっというまに帰っていった。
太は理玖とヒロトのそばに寄り添い、目覚めるのを待った。
クレタは退治した快感が忘れられず、鬼が残したツノでくるくるプスを何度も繰り返していた。

「ふぁ・・・」

理玖は勢いよく息を吐き目を開けた。そのあとすぐにヒロトも目を覚ましゆっくりと上半身を起こした。

「あれ、どうなったんだっけ・・・」

理玖たちを覗き込んでいた太は安心して、やっと笑みがこぼれた。
「イヤ。どうもなってねえよ。」
太は、何事もなかったかのように立ち上がり誰よりも先に乗り物の荷台に座りカバンを抱き抱えて座った。
理玖もヒロトも、今起きた出来事がはっきりとは、思い出せない様子だった。
目に見える景色もあのとき理玖が見ていた鬱蒼とした森ではなく、幅が広い道が出口まで続く穏やかな森の景色になった。
理玖は乗り物に乗るとエンジンをかけてゆっくりと走り出した。

「おいちょっと待てよ!俺を忘れるな!」

クレタが走って乗り物に飛び乗った。

「おまえら今わざとだろ。うっかりしたふりをしておいて行こうとしただろ。」
「してないよ。」
「イヤ。した。絶対した。」
「乗ったんだからもういいだろ。」
「まあな。今日の俺は機嫌がいいんだ。
なぜか聞けよ。なあヒロト、何があったか聞けよ。」

「何があったのクレタ教えて。」

ヒロトは頭がぼんやりしていて、言葉にまるで感情がはいってなかったが、クレタは機嫌よくそれに答えた。

「さっき、鬼と戦ってやっつけてやったんだ。俺が!
おまえらが無事こうやっていられるのは俺のおかげなんだ。俺がくるくるプスで鬼の耳にプス!ってしたら、鬼がドロドロってなったんだ。スゲーだろう。ありがとうって言えよ。」

理玖は太の方を振り返り、

「何があったか教えてくれ。」

と言った。

「おい、無視するな。俺が鬼をやっつけた話しに反応しろよ。」

「凄いじゃないか!その鬼はどうして来たんだ。」
理玖はクレタのほうに向きを変えて大げさに聞いてみた。
「おまえらが繭の中から出てくるのを食べに来た。
だから俺は闘ったんだぜ。スゲーでっかい片目の鬼を、勇気を出してくるくるプス!をおみまいしてやったんだ。見たかっただろ。俺、かっこよかったんだぜ。」
「俺とヒロトは、繭になっていたのか・・・」
「そうだ・・・思い出した・・・
理玖が道に迷ったって言って、乗り物を降りたとたん、なんだか僕も悲しくなって、道が見えなくなって・・・」
「そうだ・・・あの人にとにかく信じて真っすぐ行けって言われたのに、エンジンを切って、乗り物から降りたんだ。」
理玖もヒロトも、自分が繭に入っていたときの記憶は全くないが、その少し前に起きたことは、おぼろげながら記憶がよみがえって来た。


「どうして道に迷ったんだろう・・・こんなに広いきれいな一本道なのに・・・」

「もういい。またこうして旅ができているんだから・・・・忘れろよ。
ありがとうな。理玖、ヒロト。戻って来てくれて。」

太は相変わらずカバンに顔を押し付けたまま、少し鼻をずるずるさせながら言った。

「ありがとうは俺達から言う言葉だよ。頑張ったな太。」
「俺、今まで理玖なんかいなくなっちぇとか、平気で言ってたけど、いざ一人になったら怖くて怖くて・・・
もう無理すんなよ。たまには俺のことも頼れよ・・・」
太はカバンを猶更、力を入れて顔に押し付けた。
「太・・・そうする。」
理玖は太の顔を見ることなく、そう答えた。道は真っすぐと出口に続いている。
「太、ありがとう。」
「まて、ヒロト。太の前に俺にありがとう、だろ。俺がやっつけたんだ。」
「クレタもありがとう。」
ヒロトはクレタの肩をぎゅっと抱きしめた。
でもそれほど思い出しても、ビッグバーグのミートソースをベロベロ舐めていたクレタのほうが印象深くて、戦っている場面を想像すらできなかった。
「クレタ・・・ありがとう。」
鼻をずるずるさせながら太もお礼を言った。
「お前がいなかったら、俺は戦えなかった。お前すごいよ。自分がスゲー!弱くても果敢に挑んでいく無謀ぶりは圧巻だよ。」
「ちょっとまて。それ褒めてる?」
「褒めてるよ。」

「ならいい。ところで、あの人たち誰?ここどこ?」

「知らないよ。地図見ろよ。」

「お前、道間違えたんじゃね。」
「いや、間違えようがないくらい真っすぐ来たぞ。この道しかなかったはず。
迷ったのはあの二股のところだけだ。」
「二股ねぇ・・・」
クレタはポケットから地図を取り出して広げ、それをヒロトと太が覗き込んだ。
「クレタ・・・ミートソースで汚れてなんも見えねえ。」
「二股がどうこうじゃねえじゃん。これじゃあ、道だかシミだかわかんねえよ。」
クレタはふとヒロトのビッグバーグの取り合いのシーンを思い出した。びよっとはみ出たミートソースが自分のパンツに飛んで、何か拭くものを探して、適当にポケットから紙切れを出して、それを拭きとったことを・・・・
「あ・・・・。でも、一生懸命見れば見える。」
クレタは指先でミートソースをぬぐい、つばをつけて拭いてみたが、シミは広がるばかりで消えない。
「やばい。どうしよう!」
「とりあえず森を出て川を渡ってそれから考えよう。そこまでは一歩道だって言ってたし。」
「知らねえよ、俺は川渡るとか聞いてねえし。」
「予習しとけよ。」

「うっかり開いてビリって破れたらどうするんだよ。」

「シミ作ってたら同じじゃん・・・・」

「う・・・うるさい・・・助けてやったのに、なんだその言いかたは!」
「で、どうするの?川を渡るの?渡らないの?」
「ど・・・どうしよう・・・どうしたらいい・・・」
クレタはミートソースで汚れた地図を一生懸命見ながらおたおたしていると、足元から噴き出した糸がしゅうしゅうと音を立ててクレタの体を包んでいく。
「あ・・・繭。」
「なんだこれ、気持ち悪い、ぐるぐるしてる・・・」
「クレタも繭になるんだな。ここでどうしようはだめだって、今話していたところなのに。」
「ヒロト・・・理玖の時みたいに俺をぎゅっとしろ。」
「カエルの手だけどいいの?」

「それは・・・ヤダ・・・」
「じゃあ、一人で頑張れ!」

「太・・・さっきのおばさんに頼めよ。巻き巻きしてくれるように頼んでくれよ・・・」

「もう。森は出口だ。あのおばさんは森が住み家らしいから・・・残念だったな。」

「太!!!!!!!助けろォォォォォォォォ!!!!!!!」
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