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第二章 スチュワート編(二年)
第49話 社交界に秘められた闇(3)
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「どうかなされましたか?」
沈黙を続ける兄に、追い打ちともとれる言葉をリコリス様が放つ。
「いえ、申し訳ございません。少々答えずらい内容でしたので」
それだけ言うと兄は一瞬醜悪な笑顔を私に向け、話を続ける。
「お恥ずかしい話なのですがイリアは少々甘やかせて育ててしまったため、ワガママな妹として成長してしまったのです」
えっ、何を言って……
「本当なら私と同じヴィクトリアに通う筈だったのですが、礼儀作法も身につけておらず、このままでは通われている他家のご子息方にご迷惑をかけてしまうと思い、苦肉の策でスチュワートに通わせて様子を見ようという事になりまして。
幸い妹も反省し、今はそれなりの礼儀をわきまえるようにはなってきましたが、もう一年様子を見ようと、家族会議で決まったところなんですよ」
嘘だ、なんでこうも簡単にデタラメな内容を平気な顔で言えるの?
確かにスチュワートに入学した当時はお世辞にもいい人間ではなかったが、妹をただの道具としてしか見ていない兄や姉達から、甘やかせて育てられたとは言われたくない。
反論したい、ここで反論して全て嘘だとリコリス様に伝えられれば、必ず私の言葉を信じてくれる。
私は恐怖のどん底に落とされた勇気を振り絞り声を上げる。
「……あ……あの……」
ビクッ!
凶悪ともとれる兄の一睨みで、喉まで出かけていた言葉が押しとどまる。だけどここで負けては昔のただ怯えていただけの私と何一つも変わらない。
私の一言で兄から向けられる凶悪な視線の中に暖かな気配を感じられる。リコリス様も私が何かを言おうとしている事を察してくれたのか、黙ってこちらに視線を向けている。
急かす事なく、ただじっと黙って暖かな勇気をおくりつづけてくれる。
「リ、リコリス様……」
キンッ! カシャン
「あぁ! 申し訳ございませんリコリス様! 大切なドレスを汚してしまって」
え、今何が起こったの?
私が言葉を口にすると同時に兄と、そしてリコリス様の様子が慌ただしくなる。
「なんて事をしてくれたんだイリア! リコリス様のドレスに飲み物を零すなど」
そこまで言われ、ようやく周りの状況が分かり出す。
テーブルに横たわるのは、先ほど私が置いた飲み物が入っていたグラス。そして倒れたグラスからこぼれ落ちたジュースが、運の悪い事にリコリス様の座る席にまで届き、綺麗なドレスにシミを作っている。
「も、申し訳ございませんリコリス様!」
慌てて持っていたハンカチでドレスに濡れたジュースを染みこませる。
ダメだ、こんな程度では応急処置にもならない。一瞬昨年の出来事を思い出し、アリスさんに頼むという案も浮かぶが、その事を何も知らない兄の前で言うわけにもいかないし、あの力は恐らく簡単に使って良いものではない。
本人はまるで何も分かっていないようだが、周りの反応からして隠したがっている事は明らかだ。
これでもクリスタータ家にいた時は、シャロン義姉様から聖女の理を多少なりとは教わっている。これは私の推測だが、恐らくアリスさんの力は聖女の領域を超えてしまっているんではないだろうか。
「大丈夫よイリア、そんなに心配はしないで。貴女が悪いわけではないのだから」ボソッ
後半部分は良く聞き取れなかったが、私を気遣って暖かな言葉をかけてくれるリコリス様。だけど正反対に私に向けて怒号ともとれる兄の言葉に、残っていた勇気が無残にも散ってゆく。
なんで、なんでこんな事に。
何度考えても今の状況が起こってしまった理由が分からない。私はグラスに手をかけていなければ、テーブルに触れてすらいなかったのだ。それなのに何故私のグラスだけが倒れた? これがもしテーブル上全てのグラスが倒れたのなら理由も付けられるが、私のグラスだけという事に説明の理由が見当たらない。
「とにかく今は汚れたドレスを何とかしなければ。リコリス様に何時までもこのようなお姿をさせるわけにはまいりません」
「お気遣いは無用ですフェリクス様」
「そう言う訳にはまいりません。アルフレート家のご令嬢をこのような姿で帰したとあれば、私の名誉にも傷が付きます。ここは私の顔を立てるという事で、どうか挽回のチャンスをお与えください」
断るリコリス様に対し、あくまで紳士の礼を取る兄の姿。
男性にここまで言わせて断れる女性などそうはいないだろう。リコリス様も本意ではないだろうが礼儀を誰よりも重んじられる方だから、仕方がないといった感じで兄の礼を受け取り、着替えるためか兄のエスコートの下で校舎に向かって歩みだす。
その様子を見て慌てて二人の後を追おうとするが。
「イリア、お前はもう来なくていい。これ以上兄の前で醜態をさらすな!」
非情とも言える言葉を投げられ、歩み出した足が完全に止まってしまう。
「大丈夫よイリア、貴女は皆んなのところに行って頂戴。多分今頃は休憩に入ったアリスもいる筈だから。
あぁ、私が『心配しなくていい』とも言っていたと、そう伝えてくれるかしら」
「……えっ」
リコリス様が振り向き、それだけを告げると兄と共に校舎の方へと消えて行く。
なんで、なんでこんな事になってしまったの?
せっかく勇気を出して止めようとしていたのに、結局私自身がリコリス様を追い詰めてしまった。
これも私に与えられた罰なのだろか。アリスさんに喧嘩を売り、本意ではないとは言えカトレアさんに怪我を負わせてしまったツケが、今になって返ってきたと言うのだろうか。
神様、いえ聖女様。私は一体どうすればよかったと言うのでしょうか? 天に祈ればいい? それとも私自身を犠牲にすればいい?
だけど私の問いかけに答えてくれる者は誰もおらず、ただ呆然と二人が消えた方を眺め、やがて力なくその場に崩れ落ちるのだった。
沈黙を続ける兄に、追い打ちともとれる言葉をリコリス様が放つ。
「いえ、申し訳ございません。少々答えずらい内容でしたので」
それだけ言うと兄は一瞬醜悪な笑顔を私に向け、話を続ける。
「お恥ずかしい話なのですがイリアは少々甘やかせて育ててしまったため、ワガママな妹として成長してしまったのです」
えっ、何を言って……
「本当なら私と同じヴィクトリアに通う筈だったのですが、礼儀作法も身につけておらず、このままでは通われている他家のご子息方にご迷惑をかけてしまうと思い、苦肉の策でスチュワートに通わせて様子を見ようという事になりまして。
幸い妹も反省し、今はそれなりの礼儀をわきまえるようにはなってきましたが、もう一年様子を見ようと、家族会議で決まったところなんですよ」
嘘だ、なんでこうも簡単にデタラメな内容を平気な顔で言えるの?
確かにスチュワートに入学した当時はお世辞にもいい人間ではなかったが、妹をただの道具としてしか見ていない兄や姉達から、甘やかせて育てられたとは言われたくない。
反論したい、ここで反論して全て嘘だとリコリス様に伝えられれば、必ず私の言葉を信じてくれる。
私は恐怖のどん底に落とされた勇気を振り絞り声を上げる。
「……あ……あの……」
ビクッ!
凶悪ともとれる兄の一睨みで、喉まで出かけていた言葉が押しとどまる。だけどここで負けては昔のただ怯えていただけの私と何一つも変わらない。
私の一言で兄から向けられる凶悪な視線の中に暖かな気配を感じられる。リコリス様も私が何かを言おうとしている事を察してくれたのか、黙ってこちらに視線を向けている。
急かす事なく、ただじっと黙って暖かな勇気をおくりつづけてくれる。
「リ、リコリス様……」
キンッ! カシャン
「あぁ! 申し訳ございませんリコリス様! 大切なドレスを汚してしまって」
え、今何が起こったの?
私が言葉を口にすると同時に兄と、そしてリコリス様の様子が慌ただしくなる。
「なんて事をしてくれたんだイリア! リコリス様のドレスに飲み物を零すなど」
そこまで言われ、ようやく周りの状況が分かり出す。
テーブルに横たわるのは、先ほど私が置いた飲み物が入っていたグラス。そして倒れたグラスからこぼれ落ちたジュースが、運の悪い事にリコリス様の座る席にまで届き、綺麗なドレスにシミを作っている。
「も、申し訳ございませんリコリス様!」
慌てて持っていたハンカチでドレスに濡れたジュースを染みこませる。
ダメだ、こんな程度では応急処置にもならない。一瞬昨年の出来事を思い出し、アリスさんに頼むという案も浮かぶが、その事を何も知らない兄の前で言うわけにもいかないし、あの力は恐らく簡単に使って良いものではない。
本人はまるで何も分かっていないようだが、周りの反応からして隠したがっている事は明らかだ。
これでもクリスタータ家にいた時は、シャロン義姉様から聖女の理を多少なりとは教わっている。これは私の推測だが、恐らくアリスさんの力は聖女の領域を超えてしまっているんではないだろうか。
「大丈夫よイリア、そんなに心配はしないで。貴女が悪いわけではないのだから」ボソッ
後半部分は良く聞き取れなかったが、私を気遣って暖かな言葉をかけてくれるリコリス様。だけど正反対に私に向けて怒号ともとれる兄の言葉に、残っていた勇気が無残にも散ってゆく。
なんで、なんでこんな事に。
何度考えても今の状況が起こってしまった理由が分からない。私はグラスに手をかけていなければ、テーブルに触れてすらいなかったのだ。それなのに何故私のグラスだけが倒れた? これがもしテーブル上全てのグラスが倒れたのなら理由も付けられるが、私のグラスだけという事に説明の理由が見当たらない。
「とにかく今は汚れたドレスを何とかしなければ。リコリス様に何時までもこのようなお姿をさせるわけにはまいりません」
「お気遣いは無用ですフェリクス様」
「そう言う訳にはまいりません。アルフレート家のご令嬢をこのような姿で帰したとあれば、私の名誉にも傷が付きます。ここは私の顔を立てるという事で、どうか挽回のチャンスをお与えください」
断るリコリス様に対し、あくまで紳士の礼を取る兄の姿。
男性にここまで言わせて断れる女性などそうはいないだろう。リコリス様も本意ではないだろうが礼儀を誰よりも重んじられる方だから、仕方がないといった感じで兄の礼を受け取り、着替えるためか兄のエスコートの下で校舎に向かって歩みだす。
その様子を見て慌てて二人の後を追おうとするが。
「イリア、お前はもう来なくていい。これ以上兄の前で醜態をさらすな!」
非情とも言える言葉を投げられ、歩み出した足が完全に止まってしまう。
「大丈夫よイリア、貴女は皆んなのところに行って頂戴。多分今頃は休憩に入ったアリスもいる筈だから。
あぁ、私が『心配しなくていい』とも言っていたと、そう伝えてくれるかしら」
「……えっ」
リコリス様が振り向き、それだけを告げると兄と共に校舎の方へと消えて行く。
なんで、なんでこんな事になってしまったの?
せっかく勇気を出して止めようとしていたのに、結局私自身がリコリス様を追い詰めてしまった。
これも私に与えられた罰なのだろか。アリスさんに喧嘩を売り、本意ではないとは言えカトレアさんに怪我を負わせてしまったツケが、今になって返ってきたと言うのだろうか。
神様、いえ聖女様。私は一体どうすればよかったと言うのでしょうか? 天に祈ればいい? それとも私自身を犠牲にすればいい?
だけど私の問いかけに答えてくれる者は誰もおらず、ただ呆然と二人が消えた方を眺め、やがて力なくその場に崩れ落ちるのだった。
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