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第二章 スチュワート編(二年)
第58話 精霊と対する存在
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ガタガタガタ。
ルテアやココリナ達と楽しい旅行を楽しんだ私とアリス。
二日前に王都へ帰る皆んなを見送り、私たち二人は当初の予定どおりエンジウム公爵領にある本邸へと向かった。
本当なら従姉妹でもあるルテアも一緒に来れればよかったのだが、現在聖女である姉様が視察の旅に出られている関係で、どうしても王都での聖女の祈りが不足気味となるため、ルテアには悪いが一足先に戻ってもらった。
まぁ、夏休みも始まったばかりなので、彼女は彼女の家族と共に里帰りをするだろうし、もしかすると王女である私がいない方がゆっくり出来るかもしれない。
そして何事もなく無事に公爵領の本邸に着いた私達であったが、そこで待ち受けていたのはティア姉様から送られてきた一通の手紙。
何でもここから北にある小さな村の水源が枯れてしまい、復旧をさせるためにアリスの力を借りたいと言う内容だった。
これだけ聞けば別の井戸を掘るなり、近くの川から水を引くなりの工事を行えばいいじゃないかと思うかもしれないが、どうやら状況は思っていた以上に深刻らしく、近くを流れる川はもちろん、地下の水脈自体が異常な活動を起こしてしまっているんだという。
恐らく姉様はこの現象を母様達から聞いたあの出来事に重ねているのではないだろうか。
聖女の力が弱まり、徐々に衰退し始めた嘗てのレガリア。
あの時はセリカさんという存在が国を救ってくれたが、その効果もそろそろ限界がきているとも聞いている。
すると今回の状況を改善するためには聖女の祈りによる豊穣の儀式が必須になる。
本来は王都にある神殿で祈りを捧げる事で、国中に張り巡らされた龍脈の力で大地を活性化させてはいるが、残念な事に姉様達の力では国全体を賄える事は出来ていない。だから時折視察として各領地を巡り、異常がないかを見て回っているのだという。
「私なんかが聖女であるお義姉様のお手伝いができるのかなぁ」
隣に座るアリスが珍しく不安の声を上げる。
「大丈夫ですよ、アリスはティアラ様のおっしゃる通りにすればいいだけです。及ばずなら、私もお手伝いをさせていただきますので」
安心させるよう、メイドのエレノアがアリスに優しく声をかける。
エレノアは元々ある貴族の出身で、メイドになる前は巫女として神殿に仕えていた異例の職歴を持っている。
アリスが生まれてからはすっかり巫女の仕事からは離れてしまったが、当時は次期巫女頭として有望視されていたほどの力の持ち主だとか。
そんな彼女の運命を変えたのは言わずとしれたセリカさん。詳しくは教えてくれなかったが、なんでも生まれ育った地をセリカさんに救ってもらい、それ以来生涯をかけて仕えたいと思ってしまったらしい。
まぁ、当時はセリカさん自体がメイドだったので、それならば生まれたばかりのアリスのお世話をと、自ら母様に名乗り出たという話だ。
「ありがとうエレノアさん、私も皆んなのために頑張ってみるね」
アリスはアリスなりに不安なのだろう。
思えば今まで一度たりとも姉様の手伝いはおろか、表立っては聖女の教育は受けさせてはいない。もちろんそれとなく、本人に気づかれない様母様達が淑女教育に含ませてはいるのだが、それらはどれも基本と言うべきものだけ。
本来聖女の修行とは『祈りを捧げる』『大地に触れあう』『精霊達のために歌う』等といった、自身の力を向上させるための練習のみで、そこには聖女のみが扱える言霊などは含まれていない。
いや、そもそも言霊は修行によって覚えるものではなく、代々聖女が受け継いできた『聖痕』を継承する際に、歴代の聖女達の想いと共に引き継がれるものだと聞いている。
『聖痕』それは代々聖女に受け継がれてきた記憶の知識。
ある書物によれば聖女の力を増幅し、言霊と呼ばれる力で本来は扱えない能力を発揮する事が出来るのだという。
だが、残念な事にこのレガリアには聖痕の継承が途切れており、姉様が得ている知識はセリカさんから教わった、セリカさん自身が産み出したオリジナルの言霊のみ。
セリカさん自身は正式に聖痕を継承したわけでないのだから、代々受け継がれて来た言霊や知識の全てを求めるのは間違えであろう。
一ヶ月ほど前、アリスは何気ない気持ちでフェリクスからある出来事の記憶を消してしまった。
その事自体、当然周りを大騒がせさせたのだが、それ以上に母様と姉様を驚かせたのは、この現象が聖痕を継承した聖女が使えると言われる言霊の一種だったから。
姉様の話では今までアリスに言霊を教えた事はないと言っていたので、恐らく精霊に頼んで無自覚でやってしまったのだろうが、人の記憶を操作するなど言霊の中でもより高度な技であることには違いない。
それを「えへへ、記憶消しといたよ」といつもの笑顔でサラっと言ってくるのだから、どれだけ底なしなのかと呆れてしまうばかり。
本当ならその力の片鱗に多少恐怖を感じるのかもしれないが、そこはアリスの性格からして誰一人として怯える者はいなかったのは幸いだったのだが……。
それにしても姉様がアリスの力を借りようとするのだから、状況は私が思っている以上に悪いのかもしれない。
アリスは現在15歳。来年年明け早々に誕生日を迎えたとしてもまだ16歳だ。
セリカさんとの約束で、18歳の誕生日を迎えるまでは豊穣の儀式に参加させてはならないと言われているので、今回も直接儀式を行わせるつもりはないのだろうが、それでも少なからず豊穣の儀式に関わらせてしまうことには間違いない。
誰よりもアリスを大切に思っている姉様の事だから、今回のことは相当の覚悟と自身の力の無さに嘆いていることだろう。それでも聖女という立場上、アリスの力を借りなければならないのだから、その心中は私なんかでは計れない。
もし、アリスの力が暴走すれば?
6歳の当時で中庭を壊滅させるほどの威力だ、15歳になった今では比べ物にならないだろう。
もし、暴走するアリスを止められなければ?
かつて瀕死の状態であったセリカさんが何とか止めたが、あれはセリカさんだから出来たことであって、万全の状態であっても姉様では止めることはまず不可能だろう。
もし、アリスがあの日の真実を知ってしまえば……
……いや、よそう。
これは私たちだけが知る事実であって、アリスは知るべきではない事だ。
それに今回は儀式の為にただ力を借りるだけであって、誰かが傷ついたり命を落とすような事などは起こらない。
だけどなぜだろう、妙に心の胸騒ぎが収まらない。
「……アリス、村の人々を救うために貴女の力を貸して欲しい。そしてミリィ、貴女も必ずアリスに同伴する事」
姉様がアリスの力を借りたい事は、手紙に書かれていた内容からして察しはつく。だけど最後に私に宛てた一文は何?
ワザワザ姉様がこの一文を付け加えた意味は? アリスが行くのに私だけが行かない筈がないと分かっているのに、なぜ?
「何事もなく無事に儀式が終わればいいのだけど……」
誰に聞かせるわけでもなく、愛剣に触れながら自然と声が漏れるのであった。
「遠いところをワザワザごめんなさいね。せっかくお屋敷でゆっくりしていたと言うのに」
村に到着するなり出迎えてくださったのは、姉様と見慣れた三人の護衛の騎士達。
他にも姉様を護衛する大勢の騎士達が儀式の準備や、村に不審な者が近づかないよう警護する姿が見えるが、目の前の三人は彼らとは装備も振る舞いも明らかに異なっている。
「それで状況は?」
「今、儀式の準備を進めているわ。間もなく祭壇が出来上がるからアリスもすぐに着替えて準備をしてもらえるかしら」
私達王族の間に無駄な説明は必要ない。私の問いかけに姉様が簡潔的に説明してくださる。
儀式の為の祭壇。恐らく姉様の力を増幅させる為に色々用意されているのだろう。もしこの場にセリカさんがいれば、そんな祭壇などなくとも容易に儀式を完了させてしまう筈。つまり姉様は出来るだけ自身の力で儀式を行い、アリスの力を出来るだけ最小限にとでも考えているのだろう。
「アリス、巫女服に着替えてらっしゃい。エレノア、アリスの着替えを手伝ってあげて」
「分かりました」
アリスとエレノアが着替えるために用意された家へ向かう姿を見送り、再び姉様に同じ質問を繰り返す。
「正直良くはないわ。儀式自体はアリスが精霊を集めてくれれば私一人でも行えるけど、問題は別にあるのよ」
姉様の話では本来豊穣の儀式を行うには安全を確保するために結界を張る必要があるんだそうだ。
王都にある神殿や各地に散らばる分殿ならば、そういった施設も用意されているんだそうだが、生憎こんな小さな村には分殿もなければ、結界を張る道具もすぐに用意することは出来ないとのこと。
それにしてもなぜ結界?
王都にある神殿には何か神聖な力が働いているとは聞いているが、豊穣の儀式をするのに結界が必要などとは聞いたことがない。
「通常の儀式なら結界なんて必要はないのよ、あっても只の気休め程度ね。
だけど今回ばかりは状況が違う。この地は王都から遠く離れている関係で龍脈の力が弱く、見た目は普通に見えても大地の底は思っている以上に穢れてしまっているの。
恐らくこのままこの地で儀式を行えば精霊達に……いえ、聖女の力に導かれて不浄の者が現れる可能性があるわ」
「不浄の者……それってまさか!?」
「えぇ、邪霊よ」
邪霊、よく物語などで出てくる悪しき者の一つで、魔獣と一緒に最もポピュラーなものとして知られているだろう。
今から約1000年前、7人の聖女がこの大陸に現れた時代にいたと言われている異形の存在。
聖女達が大地に祈りを込めた事によって、その姿を見ることが無くなったと伝えられてはいるが、現在に魔獣の存在が確認できているのと同じく、邪霊もまた同じように存在してる。
邪霊の正体、それは人々の負の感情の汚れに侵された嘗ての精霊達。そしてその邪霊に取り憑かれた動物が魔獣だと伝えられている。
約1000年前、大きな戦争がこの大陸全土を覆い、大勢の人々の血が大地を染めてしまった。その結果、大地が荒れ果て、作物が育たず、人間の負の感情を浴びてしまった精霊達が暴走。
国も民族も全てがゼロになった状況で、人々は神に祈りを捧げる事しか出来なかった時に、突如あらわれたのが神の加護を受けた7人の聖女だと言われている。
伝承では異世界から召喚されただとか、神の御使いだとか言われているが詳しくは不明。だけど何らかの力があった事は確かなのだろう。
現に今でも聖女の血筋には不思議な力が宿っているのだから。
「姉様はその邪霊の姿を見た事があるのですか?」
「いいえ、一度もないわ。だけどお母様が……いえ、セリカ様は邪霊は現代にも存在していると言われていた。そして今でも救いを求めて精霊達が集まる場所へとやってくると」
「救いを求めて?」
「えぇ」
姉様がセリカさんに聞いたという話では、邪霊は聖女の力によって浄化されるのだという。
王都や大きな街には豊穣の儀式を行う神殿があり、龍脈を伝って大地を浄化していく。その過程で邪霊や魔獣も浄化されていくそうなのだが、どうしても国境沿いには他国に不審をいだかせないよう、不干渉地帯が存在してしまっている。
これは国を運営していく為には仕方がない処置なのだが、その結果未だに浄化されずにいる邪霊や魔獣といった異形の存在が残っているらしい。
「つまりドゥーべ王国に近いこの村には姉様の力が完全には行き届いていないという事ですか?」
「それはまず間違いないわ。お母様の時代でも度々この付近で大地が荒れ果ててしまったという出来事はあったそうよ。
でも結局は当時の領主が報告を渋っていた為に、お母様が現地を訪れた時にはすでに手遅れ、連日祈り続けてもどうする事も出来なかったそうよ」
姉様は一瞬懐かしむような表情を浮かべながら教えてくれる。
たぶん昔のセリカさんの事でも思い出しているのだろう。姉様にとってセリカさんは憧れの存在であり、また聖女としての先生でもある。
姉様が語ってくれた話。恐らく母様の疲れ果てた惨状を見たセリカさんが、単身神殿に乗り込んで儀式を成功させたとかいう、例のあの話なのだろう。
母様が現地で儀式を成功させれなかったのを遠く離れた王都の神殿で、見事に成し遂げてしまったのだから、当時どれだけ周りが驚かされたかは想像できるだろう。
ただでさえ、立ち入りが禁止とされている神殿に単身で乗り込み、一介のメイドが聖女である母様がなし得なかった状況を、物の見事に解決させてしまったのだから。
「それじゃ私をワザワザアリスに同行する様、手紙に書いていたのは……」
「えぇ、アリスを守るためよ」
アリスを守る、私達兄妹が心に決めている共通の言葉。
聖女である姉様がなぜ槍の名手と呼ばれているのか、次期国王で、温厚な性格でもある兄様が何故今でも剣の鍛錬を欠かさないのか。
そして聖女の力が発現しなかった私が何故剣を手に取ったのか。
全ては私達の家族であるアリスを守るため。
でも私にアリスを守れるの?
訓練ばかりで、実践の経験など一度もない私に。
姉様の隣に佇む男女混合の三人の騎士。
父様がアリスの父であるカリスさんを亡くして以来、自らの信念で結成させた王族護衛騎士。
人数こそ少ないが、騎士達の中では恐らく最強と呼ばれる者たちだ。
いくら顔見知りとはいえ、訓練場で彼らの強さは身に染みて理解できている。
ならば、素人同然の私がいればかえって足を引っ張ってしまうのではないか? 実践豊富な彼らに任せた方がいいのではないだろうか?
姉様の事だから、私の気持ちを察して声をかけてくれたのではないだろうか?
いろんな事がグルグルと頭の中を駆け巡る。
アリスの為に傷つく事を恐れたわけではないが、私の死はそのままアリスの暴走に繋がりかねない。だから絶対に死ぬわけにはいかないのだ。
「お待たせミリィ、お義姉様もお待たせしました」
遠くの方から巫女服に着替え終わったアリスがやってくる。
その表情はいつもと変わりなく、今の状況を忘れさせてくれる……いや、安心させてくれる笑顔で満ち溢れている。
「……」
私は一体何を恐れていたのだろう……。
私が死ぬ? 有りえない。
私がアリスを見捨てて逃げ出す? 絶対に有りえない。
私がアリスを守りきれない? それこそ絶対に有りえない事だ。
だって私がアリスを守るように、アリスもまた私を守ってくれる筈。
かつてレガリアの初代聖女、レーネス様を邪霊から守り支えぬいたとされる初代国王アーリアル様のように。そしてアーリアル様に想いを寄せ、共に苦難を支えあったレーネス様のように……。
ルテアやココリナ達と楽しい旅行を楽しんだ私とアリス。
二日前に王都へ帰る皆んなを見送り、私たち二人は当初の予定どおりエンジウム公爵領にある本邸へと向かった。
本当なら従姉妹でもあるルテアも一緒に来れればよかったのだが、現在聖女である姉様が視察の旅に出られている関係で、どうしても王都での聖女の祈りが不足気味となるため、ルテアには悪いが一足先に戻ってもらった。
まぁ、夏休みも始まったばかりなので、彼女は彼女の家族と共に里帰りをするだろうし、もしかすると王女である私がいない方がゆっくり出来るかもしれない。
そして何事もなく無事に公爵領の本邸に着いた私達であったが、そこで待ち受けていたのはティア姉様から送られてきた一通の手紙。
何でもここから北にある小さな村の水源が枯れてしまい、復旧をさせるためにアリスの力を借りたいと言う内容だった。
これだけ聞けば別の井戸を掘るなり、近くの川から水を引くなりの工事を行えばいいじゃないかと思うかもしれないが、どうやら状況は思っていた以上に深刻らしく、近くを流れる川はもちろん、地下の水脈自体が異常な活動を起こしてしまっているんだという。
恐らく姉様はこの現象を母様達から聞いたあの出来事に重ねているのではないだろうか。
聖女の力が弱まり、徐々に衰退し始めた嘗てのレガリア。
あの時はセリカさんという存在が国を救ってくれたが、その効果もそろそろ限界がきているとも聞いている。
すると今回の状況を改善するためには聖女の祈りによる豊穣の儀式が必須になる。
本来は王都にある神殿で祈りを捧げる事で、国中に張り巡らされた龍脈の力で大地を活性化させてはいるが、残念な事に姉様達の力では国全体を賄える事は出来ていない。だから時折視察として各領地を巡り、異常がないかを見て回っているのだという。
「私なんかが聖女であるお義姉様のお手伝いができるのかなぁ」
隣に座るアリスが珍しく不安の声を上げる。
「大丈夫ですよ、アリスはティアラ様のおっしゃる通りにすればいいだけです。及ばずなら、私もお手伝いをさせていただきますので」
安心させるよう、メイドのエレノアがアリスに優しく声をかける。
エレノアは元々ある貴族の出身で、メイドになる前は巫女として神殿に仕えていた異例の職歴を持っている。
アリスが生まれてからはすっかり巫女の仕事からは離れてしまったが、当時は次期巫女頭として有望視されていたほどの力の持ち主だとか。
そんな彼女の運命を変えたのは言わずとしれたセリカさん。詳しくは教えてくれなかったが、なんでも生まれ育った地をセリカさんに救ってもらい、それ以来生涯をかけて仕えたいと思ってしまったらしい。
まぁ、当時はセリカさん自体がメイドだったので、それならば生まれたばかりのアリスのお世話をと、自ら母様に名乗り出たという話だ。
「ありがとうエレノアさん、私も皆んなのために頑張ってみるね」
アリスはアリスなりに不安なのだろう。
思えば今まで一度たりとも姉様の手伝いはおろか、表立っては聖女の教育は受けさせてはいない。もちろんそれとなく、本人に気づかれない様母様達が淑女教育に含ませてはいるのだが、それらはどれも基本と言うべきものだけ。
本来聖女の修行とは『祈りを捧げる』『大地に触れあう』『精霊達のために歌う』等といった、自身の力を向上させるための練習のみで、そこには聖女のみが扱える言霊などは含まれていない。
いや、そもそも言霊は修行によって覚えるものではなく、代々聖女が受け継いできた『聖痕』を継承する際に、歴代の聖女達の想いと共に引き継がれるものだと聞いている。
『聖痕』それは代々聖女に受け継がれてきた記憶の知識。
ある書物によれば聖女の力を増幅し、言霊と呼ばれる力で本来は扱えない能力を発揮する事が出来るのだという。
だが、残念な事にこのレガリアには聖痕の継承が途切れており、姉様が得ている知識はセリカさんから教わった、セリカさん自身が産み出したオリジナルの言霊のみ。
セリカさん自身は正式に聖痕を継承したわけでないのだから、代々受け継がれて来た言霊や知識の全てを求めるのは間違えであろう。
一ヶ月ほど前、アリスは何気ない気持ちでフェリクスからある出来事の記憶を消してしまった。
その事自体、当然周りを大騒がせさせたのだが、それ以上に母様と姉様を驚かせたのは、この現象が聖痕を継承した聖女が使えると言われる言霊の一種だったから。
姉様の話では今までアリスに言霊を教えた事はないと言っていたので、恐らく精霊に頼んで無自覚でやってしまったのだろうが、人の記憶を操作するなど言霊の中でもより高度な技であることには違いない。
それを「えへへ、記憶消しといたよ」といつもの笑顔でサラっと言ってくるのだから、どれだけ底なしなのかと呆れてしまうばかり。
本当ならその力の片鱗に多少恐怖を感じるのかもしれないが、そこはアリスの性格からして誰一人として怯える者はいなかったのは幸いだったのだが……。
それにしても姉様がアリスの力を借りようとするのだから、状況は私が思っている以上に悪いのかもしれない。
アリスは現在15歳。来年年明け早々に誕生日を迎えたとしてもまだ16歳だ。
セリカさんとの約束で、18歳の誕生日を迎えるまでは豊穣の儀式に参加させてはならないと言われているので、今回も直接儀式を行わせるつもりはないのだろうが、それでも少なからず豊穣の儀式に関わらせてしまうことには間違いない。
誰よりもアリスを大切に思っている姉様の事だから、今回のことは相当の覚悟と自身の力の無さに嘆いていることだろう。それでも聖女という立場上、アリスの力を借りなければならないのだから、その心中は私なんかでは計れない。
もし、アリスの力が暴走すれば?
6歳の当時で中庭を壊滅させるほどの威力だ、15歳になった今では比べ物にならないだろう。
もし、暴走するアリスを止められなければ?
かつて瀕死の状態であったセリカさんが何とか止めたが、あれはセリカさんだから出来たことであって、万全の状態であっても姉様では止めることはまず不可能だろう。
もし、アリスがあの日の真実を知ってしまえば……
……いや、よそう。
これは私たちだけが知る事実であって、アリスは知るべきではない事だ。
それに今回は儀式の為にただ力を借りるだけであって、誰かが傷ついたり命を落とすような事などは起こらない。
だけどなぜだろう、妙に心の胸騒ぎが収まらない。
「……アリス、村の人々を救うために貴女の力を貸して欲しい。そしてミリィ、貴女も必ずアリスに同伴する事」
姉様がアリスの力を借りたい事は、手紙に書かれていた内容からして察しはつく。だけど最後に私に宛てた一文は何?
ワザワザ姉様がこの一文を付け加えた意味は? アリスが行くのに私だけが行かない筈がないと分かっているのに、なぜ?
「何事もなく無事に儀式が終わればいいのだけど……」
誰に聞かせるわけでもなく、愛剣に触れながら自然と声が漏れるのであった。
「遠いところをワザワザごめんなさいね。せっかくお屋敷でゆっくりしていたと言うのに」
村に到着するなり出迎えてくださったのは、姉様と見慣れた三人の護衛の騎士達。
他にも姉様を護衛する大勢の騎士達が儀式の準備や、村に不審な者が近づかないよう警護する姿が見えるが、目の前の三人は彼らとは装備も振る舞いも明らかに異なっている。
「それで状況は?」
「今、儀式の準備を進めているわ。間もなく祭壇が出来上がるからアリスもすぐに着替えて準備をしてもらえるかしら」
私達王族の間に無駄な説明は必要ない。私の問いかけに姉様が簡潔的に説明してくださる。
儀式の為の祭壇。恐らく姉様の力を増幅させる為に色々用意されているのだろう。もしこの場にセリカさんがいれば、そんな祭壇などなくとも容易に儀式を完了させてしまう筈。つまり姉様は出来るだけ自身の力で儀式を行い、アリスの力を出来るだけ最小限にとでも考えているのだろう。
「アリス、巫女服に着替えてらっしゃい。エレノア、アリスの着替えを手伝ってあげて」
「分かりました」
アリスとエレノアが着替えるために用意された家へ向かう姿を見送り、再び姉様に同じ質問を繰り返す。
「正直良くはないわ。儀式自体はアリスが精霊を集めてくれれば私一人でも行えるけど、問題は別にあるのよ」
姉様の話では本来豊穣の儀式を行うには安全を確保するために結界を張る必要があるんだそうだ。
王都にある神殿や各地に散らばる分殿ならば、そういった施設も用意されているんだそうだが、生憎こんな小さな村には分殿もなければ、結界を張る道具もすぐに用意することは出来ないとのこと。
それにしてもなぜ結界?
王都にある神殿には何か神聖な力が働いているとは聞いているが、豊穣の儀式をするのに結界が必要などとは聞いたことがない。
「通常の儀式なら結界なんて必要はないのよ、あっても只の気休め程度ね。
だけど今回ばかりは状況が違う。この地は王都から遠く離れている関係で龍脈の力が弱く、見た目は普通に見えても大地の底は思っている以上に穢れてしまっているの。
恐らくこのままこの地で儀式を行えば精霊達に……いえ、聖女の力に導かれて不浄の者が現れる可能性があるわ」
「不浄の者……それってまさか!?」
「えぇ、邪霊よ」
邪霊、よく物語などで出てくる悪しき者の一つで、魔獣と一緒に最もポピュラーなものとして知られているだろう。
今から約1000年前、7人の聖女がこの大陸に現れた時代にいたと言われている異形の存在。
聖女達が大地に祈りを込めた事によって、その姿を見ることが無くなったと伝えられてはいるが、現在に魔獣の存在が確認できているのと同じく、邪霊もまた同じように存在してる。
邪霊の正体、それは人々の負の感情の汚れに侵された嘗ての精霊達。そしてその邪霊に取り憑かれた動物が魔獣だと伝えられている。
約1000年前、大きな戦争がこの大陸全土を覆い、大勢の人々の血が大地を染めてしまった。その結果、大地が荒れ果て、作物が育たず、人間の負の感情を浴びてしまった精霊達が暴走。
国も民族も全てがゼロになった状況で、人々は神に祈りを捧げる事しか出来なかった時に、突如あらわれたのが神の加護を受けた7人の聖女だと言われている。
伝承では異世界から召喚されただとか、神の御使いだとか言われているが詳しくは不明。だけど何らかの力があった事は確かなのだろう。
現に今でも聖女の血筋には不思議な力が宿っているのだから。
「姉様はその邪霊の姿を見た事があるのですか?」
「いいえ、一度もないわ。だけどお母様が……いえ、セリカ様は邪霊は現代にも存在していると言われていた。そして今でも救いを求めて精霊達が集まる場所へとやってくると」
「救いを求めて?」
「えぇ」
姉様がセリカさんに聞いたという話では、邪霊は聖女の力によって浄化されるのだという。
王都や大きな街には豊穣の儀式を行う神殿があり、龍脈を伝って大地を浄化していく。その過程で邪霊や魔獣も浄化されていくそうなのだが、どうしても国境沿いには他国に不審をいだかせないよう、不干渉地帯が存在してしまっている。
これは国を運営していく為には仕方がない処置なのだが、その結果未だに浄化されずにいる邪霊や魔獣といった異形の存在が残っているらしい。
「つまりドゥーべ王国に近いこの村には姉様の力が完全には行き届いていないという事ですか?」
「それはまず間違いないわ。お母様の時代でも度々この付近で大地が荒れ果ててしまったという出来事はあったそうよ。
でも結局は当時の領主が報告を渋っていた為に、お母様が現地を訪れた時にはすでに手遅れ、連日祈り続けてもどうする事も出来なかったそうよ」
姉様は一瞬懐かしむような表情を浮かべながら教えてくれる。
たぶん昔のセリカさんの事でも思い出しているのだろう。姉様にとってセリカさんは憧れの存在であり、また聖女としての先生でもある。
姉様が語ってくれた話。恐らく母様の疲れ果てた惨状を見たセリカさんが、単身神殿に乗り込んで儀式を成功させたとかいう、例のあの話なのだろう。
母様が現地で儀式を成功させれなかったのを遠く離れた王都の神殿で、見事に成し遂げてしまったのだから、当時どれだけ周りが驚かされたかは想像できるだろう。
ただでさえ、立ち入りが禁止とされている神殿に単身で乗り込み、一介のメイドが聖女である母様がなし得なかった状況を、物の見事に解決させてしまったのだから。
「それじゃ私をワザワザアリスに同行する様、手紙に書いていたのは……」
「えぇ、アリスを守るためよ」
アリスを守る、私達兄妹が心に決めている共通の言葉。
聖女である姉様がなぜ槍の名手と呼ばれているのか、次期国王で、温厚な性格でもある兄様が何故今でも剣の鍛錬を欠かさないのか。
そして聖女の力が発現しなかった私が何故剣を手に取ったのか。
全ては私達の家族であるアリスを守るため。
でも私にアリスを守れるの?
訓練ばかりで、実践の経験など一度もない私に。
姉様の隣に佇む男女混合の三人の騎士。
父様がアリスの父であるカリスさんを亡くして以来、自らの信念で結成させた王族護衛騎士。
人数こそ少ないが、騎士達の中では恐らく最強と呼ばれる者たちだ。
いくら顔見知りとはいえ、訓練場で彼らの強さは身に染みて理解できている。
ならば、素人同然の私がいればかえって足を引っ張ってしまうのではないか? 実践豊富な彼らに任せた方がいいのではないだろうか?
姉様の事だから、私の気持ちを察して声をかけてくれたのではないだろうか?
いろんな事がグルグルと頭の中を駆け巡る。
アリスの為に傷つく事を恐れたわけではないが、私の死はそのままアリスの暴走に繋がりかねない。だから絶対に死ぬわけにはいかないのだ。
「お待たせミリィ、お義姉様もお待たせしました」
遠くの方から巫女服に着替え終わったアリスがやってくる。
その表情はいつもと変わりなく、今の状況を忘れさせてくれる……いや、安心させてくれる笑顔で満ち溢れている。
「……」
私は一体何を恐れていたのだろう……。
私が死ぬ? 有りえない。
私がアリスを見捨てて逃げ出す? 絶対に有りえない。
私がアリスを守りきれない? それこそ絶対に有りえない事だ。
だって私がアリスを守るように、アリスもまた私を守ってくれる筈。
かつてレガリアの初代聖女、レーネス様を邪霊から守り支えぬいたとされる初代国王アーリアル様のように。そしてアーリアル様に想いを寄せ、共に苦難を支えあったレーネス様のように……。
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