上 下
75 / 119
第二章 スチュワート編(二年)

第75話 隣国の聖女(後編)

しおりを挟む
「姉様、聖女様が力を使い切って亡くなったって、それじゃこの時に聖こ……『ミリィ!』っ!」
「ん、どうしたの?」
 危うくミリィが聖痕の名を口に出しそうになったので慌てて止めに入る。

「な、何でもないわよ」
「?」
 アリスにだけ内緒と言うのもなんだか気がひけるが、聖痕の存在を知られると、私にこの国を救えるだけの力がないと言っているようなもの。
 別に姉としての威厳や、聖女の名に固執しているわけではなく、私に力が足りないと知ると必ずアリスなら自分も手伝うと言い出すに決まっている。
 例えるなら今のアリスは聖痕を継承している聖女の状態とほぼ同じ、いやあの豊穣の儀式を成功させたセリカさんですら、幼き日のアリスの暴走を止めるのがやっとだったのだ。
 そんな力を持った状態で、体もまだ出来上がっていない今の年齢で豊穣の儀式を執り行えばどうなるか。

 あの日、セリカさんを貫いた毒のナイフは辛うじて急所が外れていたのだという。
 いくら強力な毒であったとしてもあの場には聖女であるお母様がおり、適切な処置さえ出来ればあるいは助かった命だったのかもしれない。
 だけど結果は、両親の倒れた姿を目にしたアリスが力を暴走させてしまった。

 幼きアリスが聖痕を持った聖女並みの力を暴走させる。そんな状態が数刻でも過ぎれば答えは自ずと分かるだろう。だからセリカさんは自らの傷の治療を捨て、アリスの暴走を命をかけて治めたのだ。つまり、セリカさんの死にはアリスの暴走が大きく関わっている。
 この事実を知るのは私たち家族を除けばわずか数名。ある者は巫女からメイドとなり近くで見守り、またある者はロイヤルガードとなって身辺警護に当たっている。
 私が槍を、ミリィやエリクが剣を学び出したのだって、元をたどれば全部あの日の無力さを痛感してしまったからではないだろうか。

 この真実だけは決してアリス自身には知られてはいけない。結果的にセリカさんの死に直接関係してしまったとはいえ、セリカさんも息を引き取る寸前までアリスの身を案じていたし、お母様達も誰一人としてアリスの事を恨んではない。真に憎むべき敵は他にいるのだから。


 はぁ……
「話が少し逸れてしまったわね」
「いえ、私も知らなかった話が聞けたので……」
 ミリィにとっては少々複雑な気持ちではないだろうか。
 聖痕の事、レガリアとドゥーベに関わる歴史の事、そして愛し合った聖女とドゥーベの王子の事。
 過去の歴史を知らなければドゥーベはセリカさんを殺した憎っくき敵。ミリィはその事以外は考えてこなかったのではないだろうか。

「それでその……今の聖女様と教えてもらった昔話とがどう繋がるのです? 聖女様がお仕事を放棄したのって随分前のお話なんですよね?」
 黙っているミリィはおおよその見当はついてるのだろうが、純粋な心を持ったアリスにとって聖女が自らの役割を放棄するなど考えもしないのだろう。
 私はそっと一息吐き、次の言葉を紡ぎだす。

「今、あの国の聖女はね、豊穣の儀式を執り行っていないのよ」
「……えっ?」
 豊穣の儀式は血塗られた大地を浄化するための大切な儀式。1000年前の戦争で亡くなった多くの人たちの血が、未だに大地に呪いを掛け続けている。
 それは神の使いと呼ばれている初代聖女達にもなし得ず、歴代の聖女達が時間をかけて徐々に浄化の儀式を取り行って来た。それなのに未だ呪いの力は衰える気配を見せず、一時儀式を見送ろうものなどすれば、再び飢饉が訪れるとまで言われているのだ。

 ドゥーベ王国の前聖女が亡くなってから約20年。レガリアと違い未だ聖痕が残る聖女が儀式を取り行っていたお陰か、すぐに飢饉に陥ると言う事はなかったようだが、それももう限界に近づいているのだろう。
 今すぐ現聖女を下ろし、新しい聖女に聖痕を継承させればいいのだろうが、生憎妹であるセリカさんはこの世にはおらず、アンテーゼの名を継ぐティターニア公爵家には目立った女性もいないという。
 唯一次期聖女と囁かれている王女がいるそうではあるが、あの母親の娘からして期待できる望みは限りなく薄いのではないだろうか。

「王女? そういえばあの国に私たちと同じ歳の王子と王女がいるんでしたっけ? たしか双子の……何て名前だったかなぁ。ロベビバ? ……違うわね。ロンドベル? ……じゃないわね……えーっと」
「もうミリィ、そんな事も忘れちゃったの? 前に家庭教師の先生に教えてもらったじゃない。たしかロドニア王女様だよぉー」
「……」
 はぁ、全くこの子達ったら一体何を学んできたのかしら。これはもう少し厳しく躾けないといけないわね。

「ロベリアよ、ロベリア。ドゥーベ王国の王女の名前はロベリア・マルクス・ドゥーベ。もう一人の双子の弟の方はライナス・マルクス・ドゥーベ。
 隣国の王子と王女の名前ぐらい覚えておきなさい」
「「うっ」」
 いずれ二人にとって、この双子の存在は大きな存在として立ちふさがるだろう。アリスの側にミリィが居るように、ロベリア王女の側にはライナス王子がいる。聖女と聖騎士、この二つの関係を切り離す事など出来ないのだから。





「……いるんでしょ白銀シロガネ
 姉様の話を聞き、一人になりたいからと暗くなりつつある寒空の中、テラスへと出る。すると冷たい風が室内で火照ってしまった肌を急速に冷やしていく。
 相変わらずその姿は透明化させてはいるがその気配だけはそこにあり、今も忠犬の如く私を見守っていることだろう。

『無論だ。我は主人を守る為の存在、仮初めなれど我はお主の心に導かれたのだ』
 未だになぜ私を主人と讃えるのか、なぜ姉様でもアリスでもなく私なのかも分からないが、100年に一人と囁かれている姉様ですら白銀の気配を感じられないと言うのだから、もしかするとこの私にも何か特別な力があるのではと、変な勘ぐりをしてしまう。

『そう自分を悲観するでない。お主の力は決して弱いものではないのだからな』
「えっ?」
 一瞬何について言われたのかがわからなかったが、すぐに白銀は人の心を読めるんだったと思い出す。
 すると何? 本当に私にも聖女の力が眠っているっていうこと?

「どういう事? 私にも姉様みたいに聖女の力が使えるの?」
『それは我にもわからぬ』
「あ、あなたねぇ。人を煽っておいてその落とし方はちょっと酷いわよ」
 一瞬期待を持たせるような発言をしておいてその直後にドン底へと突き落とす。私じゃなくても文句の一言ぐらい言ったって誰にも非難はされないだろう。

『力が目覚める目覚めないのは本人次第だ。努力して目覚めるものもいれば、些細なキッカケで目覚める事もある。ただ、お主の場合は少々変わった環境で育ったせいで、力をうまく外へと出せなくなってしまっているのだろう、あのアリスという娘のせいで』
「……は? なんでそこでアリスの名前がでてくるのよ」
 白銀が説明してくれる中で、突然でてきたアリスの名前に思わず変な言葉が飛び出してしまう。

 今白銀が説明してくれたのは王族や聖女に関わる者ならば誰だって知っている基本知識。今更わざわざ説明してくれなくてもわかっている事だ。それなのになぜそこにアリスの名が? しかも私が変わった環境で育ったからって……王女として生まれてはきたけれど、自分の立場を利用して悠々自適に過ごしてきたとは思われたくない。
『そうではない、お主は常にアリスと共に暮らしてきた。違うか?』
「そんなの当然でしょ? 私とアリスは家族なのよ。幼い時からずっと一緒にいるのは当たり前じゃない」
 一瞬、昔の捻くれていた頃の自分を思い出すが、それでも生まれた時から共に育ち、このお屋敷で一緒に暮らしてきたのだ。
 セリカさんの表向きの仕事は母様の専属メイド、そしてアリスの父親でもあるカリスさんは父様の護衛騎士だったのだ。昼間は私たち兄妹と共にいたし、姉様とアリスの三人でベットを共にする事も珍しくなかった。
 そしてあの日以来……私が側にいないとアリスは夜も眠れなくなり、昼間も一人にさせると寂しさのあまり泣いてしまったのだ。そんなアリスを見離すなんて当時の私には出来なかった。あの時私が姉様に作ってもらった花飾りを要らないなんて言わなければ……

『……なるほど。だがそのせいでお主の力は押さえつけられた』
「どういう事よ、なんでアリスが近くにいただけで私の力が押さえつけられるのよ。同じ意味で言えば姉様だって同じ環境にいたのよ、それがなんで私だけのよ」
『それはただ、お主の方がより近くにいた。ただそれだけだ。よく考えてみろ、聖女の力には精霊達の数や力が大きく関わる。そしてアリスは異常と言っても良いほどに精霊達に愛されておる。本来ならお主に力を貸すであろう精霊達までアリスの元へと集まり、目覚めるはずであった力の若葉も、養分となるべき精霊がいなければ育つどころか芽も咲かない』
「ちょっ、じゃ何? 私に力を貸そうしていた精霊達まで全部アリスの元へと行っちゃったってわけ?」
 確かに白銀の言っている意味も理解できる。姉様はある次期を境にセリカさんから教えを受ける為に離れていったが、私はずっとアリスの側から離れなかった。まぁ、当時はアリスが常に私の後ろをついて来ていただけではあるのだが。

『ようやく理解出来たか。だがそう悲観するばかりではないぞ。巨大な力を常に近くで触れていたのだ。それが負の力ならまだしも、受け続けていたのは神聖なる聖女の力。
 今はまだ放出する術が見出せないではいるが、一度キッカケさえ出来ればお主は姉にも負けない力を手にするだろう。それに今も』
「今? 今がどうしたのよ」
 結局今のままではどうしようもないって事だけは理解出来た。それにしても今って何よ。アリスは今頃湯浴みでもしているだろうから近くにいないし、別段おかしな事なんて何一つない。

『感じぬか? 先ほどまで寒さを感じていた風が止んでいる事を。思い出してみろ、何時しかの戦いの最中に風がお主の傷を癒した事を』
「風? そういえば全然寒くないわね」
 先ほどまで感じていた冷たい風は何時しか止み……いや違う。テラスから見下ろす庭園の草木は今もその風で揺れ続けている。じゃなに? 私の周りだけ風が止んでいるっていう事?
 それにあの戦いって……
 あの時、邪霊との戦いはアリスを守るのに必死だった。自らの剣を自身の血で染めた時だって痛みを感じなかった。
 思い返せば暖かい風が手の平の傷口を癒してくれた気がするけど、でもそれってアリスが精霊に干渉して治してくれてたんでしょ? あの子が本気で力を使えば精霊達の見ている風景が脳裏に浮かんだり、ただ意識するだけで精霊達はその意図を汲み取って動いてくれると言っていた。だからあの時も。

『それは違うぞ我が主人』
 突然白銀の口調が変わり一瞬驚きの表情をしてしまう。
『あの時主人あるじの傷を癒したのは風の精霊、個々の判断だ。今も主人の事を気遣って冷たい風を肌に触れさせないよう精霊達の意図が動いておる』
「えっ、風の精霊?」
 精霊と言われている彼らにも幾つのかの分類に分かれるんだと聞いた事がある。精霊達を彼らと呼ぶのが正しいかどうかは分からないが、火には火の精霊、水には水の精霊が、大地には大地の精霊がいいるように、風にも風の精霊達がいると言われている。
 これは聖女に関わる者にとっても、普段ではあまり意識されることの無い事柄。なぜなら癒しの奇跡を施す場合、特にこの精霊でないといけないという事もなく。また一見大地の精霊が大きく関わりそうである豊穣の儀式に関しても、特段この精霊の力がいると言うわけでもない。
 だから風の精霊達が私に力を貸してくれているなんて言われても、正直ピンとこないのが本音と言うわけ。

『いずれ、お主にも分かる時がやってくるだろう。それまで己の剣を鍛えておく事だな』
 再び何時もの口調に戻った白銀であったが、それ以降何かを教えてくれる事はなかった。

「ねぇ、最後にもう一つだけ聞かせて」
『……なんだ?』
 一瞬の間の後、白銀の返事を待ってから思っていた疑問を口にする。

「なんで貴方は天界に戻ったの? この前聞いた話じゃアルタイル王国の聖獣は今もずっと現役の聖女に付き添っているのよね?
 仮に何らかの事情で天界に戻る事になったとしても、なぜ今になって私の元へとやってきたのよ」
『……』
 白銀は私の問いかけには答えようとしなかった。
 だけど白銀が過去に経験したであろう映像が一瞬頭の中に浮かび上がる。

「っ! これって……」
『……』
 白銀は答えなかったが、恐らくそういう意味だったのであろう。
 レガリアの初代聖女レーネス。白銀はそんな彼女のことを大切に想っていたのだ。だけど人と聖獣とは生きる時間が違いすぎる。だからレーネス様が息を引き取った際、自身の悲しみから遠ざかるよう天界に戻ってしまったのだ。
 それに最後に浮かんだ若かりし頃のレーネス様のお顔は……

『勘違いするな、レーネスとお主とは似ても似つかぬ存在。顔が似ているのもお主がレーネスの血を継いでいるからに他ならぬだけだ。我が今この場にいる事とは何の関係もないわ』
「……ぷっ、あはは、ごめんごめん。うん、分かったわ。ありがとう白銀」
 何も聞いてない内容を慌てて否定してくるところをみると、つまりはそういう意味なんだろう。
 私が初代レーネス様に似ているなんてちょっと恐縮してしまうが、私は私、それは変えようのない事実なのだから。

「幸せだったのかなぁ、レーネス様。それにあの命を落としてしまった聖女様も」
 レーネス様は一介の騎士だったアーリアル様と結ばれ子を授かり、想い人が旅立った世界で必死に国を守った聖女様は、結局無念の死を遂げてしまった。
 後の時代で聖痕を継承せずに亡くなった事実を非難されると分かっていても、必死にこの国を守り抜いた聖女様。もしかすると愛した人の元へと行きたかったのかと考えてしまうと、胸が張り裂けるように苦しくなる。

『そんなの決まっておろう、あのお転婆で、人の話を聞こうとしないジャジャ馬娘とその子孫達だ。己の命が尽きるその時まで、笑顔を浮かべて旅立っていったに決まっておろう』
「そっか、そうだよね。そうでなくちゃ悲しすぎるものね」
 きっと白銀は天界に戻った後も私たちレーネス様の子孫を見守り続けていたのだろう。聖獣は人間界の戦争には干渉できないと聞いた事があるので、白銀はさぞ己の存在を恨み続けていたに違いない。

「それじゃしっかりと見届けなさい、私もアリスも絶対に幸せになってやるんだから」
 雪が降り止み晴れ渡った夜空には、輝くばかりの星々がレガリアの街を照らし出し、優しき風はいつまでも私を包みこむ。

 そして時は進み、季節は間もなく春を迎えようとしていた。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

やり直せるなら、貴方達とは関わらない。

BL / 連載中 24h.ポイント:5,206pt お気に入り:2,717

【完結】半魔神の聖女は今日も反省する

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:49pt お気に入り:281

お役御免の召喚巫女、失恋続きののち、年下旦那様と領地改革

恋愛 / 完結 24h.ポイント:127pt お気に入り:2,089

役目を終えて現代に戻ってきた聖女の同窓会

恋愛 / 完結 24h.ポイント:3,755pt お気に入り:77

待ち遠しかった卒業パーティー

恋愛 / 完結 24h.ポイント:4,075pt お気に入り:1,292

双子の姉は令嬢で、妹の私は使用人だけれど、特に問題は無い。

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:14pt お気に入り:762

処理中です...