33 / 45
第二章 ミッドランドに帰らなきゃ編
33、女王、父の死を知る。
しおりを挟むあの平和喪失令からどれぐらい経ったのだろうか?
目の前にいる男は本当にあのジークフリードと同一人物かと疑うほどに酷くやせ細り、目がくぼみ、そして何より汚い身なりをしていた。
その姿はどこからどう見てもただの乞食で、目の前の男がかつてミッドランド上流社会で“貴公子”と呼ばれたなど、テテルテンの人々は思いもよらぬことであったろう。
そして、その恰好から見ても分かるように、たぶん彼は本物の乞食に成り下がってしまったのだ。それは、ミッドランドの諸侯のうち誰一人としてこの男を支援しなかったのだ、という事実を如実にあらわしていた。
「いやぁ、本当に痛快というのはこのことだ」とジークフリードは唇をつり上げる。
「なにがよ」
「なにがって、ぼくをこんな目にあわせたドンスター家が音をたて壊れてゆくのを見るのはすさまじく気分が良いものだ、と思ってね」
「言っておくけど」とキャロラインはジークフリードを睨みつけた。「わたくしはミッドランドへ帰るわよ。今は影武者がその座を守ってくれているけど、すぐにミッドランドへ帰り、そして、すぐにミッドランド中を従えてみせるわ」
「盗人猛々しいとはこのことだな。ぼくのミッドランドを奪っておいてそんなことを言うとはな」
「あのねジーク、あなたのミッドランドじゃないのよ、もう。わたくしのミッドランドなの。このキャロライン=ドンスター1世の国なのよ、あそこは」
そう言うと、ジークフリードは笑った。
「はーっはっはっはっはっはっは! おめでたい奴だ。国家の基本となる軍事が貧弱であれば、誰もその国に従わない。それを教えてくれたのは君だぞ?」
軍事?
キャロラインはジークフリードが何を言っているのかよく分からなかった。そもそも暗殺者を誰かに送り込まれ肉体がどこかに飛んだだけであるのに、いやに大袈裟にいう、と思った。
キャロラインがジークフリードの言葉の意味が分からずに眉をひそめていると、いよいよジークフリードの顔が喜悦に歪む。
「きゃは、きゃーっはっはっはっはっは! その顔は知らないな? 知らないんだな?」
「なにがよ」
「我愛しのマイワイフは新聞を読んでないのか?」
「ここの言葉なんてわたくしには分からない。だから当然文字も読めるわけがないでしょう?」
「そりゃあいい! そりゃあ傑作だ! きゃははははーーっはっはっはっはっは」
「……」
あまりにも奇怪な笑い声を発するジークフリードを道行く人が気味悪がって遠巻きに眺めていた。熱い唾液が喉を通り抜ける。なんだろう、この感じ……。変な胸騒ぎがした。
ジークフリードの顔は、如何にも、楽しくてたまらない、というような表情だった。そして、なんといえばいいのか、それはまるで勝利を確信したような笑みだった。
「わたくしは何を知らないのかしら? ジーク。教えてくれてもよろしいんじゃなくて?」
「ああ、もちろんだよマイハニー。実はね、普段はすばらしい情報を教えてあげるのに金をとる商売をしているわけだが……、今回ばかりは君の勝ちだよキャロライン。だってね、今のぼくは、この情報を君に教えたくて教えたくて仕方がないんだ。きひひひひ。こんなに君の顔が見たいと思ったことなどない。しかも、まだ何一つミッドランドが変わっておらず、ドンスター家が安泰と思い込んでいる君の顔がどのように変化してゆくのか見たいんだ」
「なら、教えるのね。わたくしは何を知らないの? ドンスター家が音をたて壊れてゆく、というのはどういう意味?」
「そのまんまの意味さ」とジークフリードは言った。「今、この瞬間にもドンスター領はどんどんと侵食されていっているのだよ。もうすぐドンスターは無くなる」
「はぁ? 意味が分かりませんけど」
「マリアンヌ=フェレイラ公爵が東から、ジミー=スパロウ公爵が北からドンスター公爵領を軍事侵攻しているんだよ。知らなかっただろ?」
は?
「いやいや、そんなことあるわけないわ」とキャロラインは否定する。「両公爵が動くだなんてありえない。しかもミッドランドの中央には王都があるのよ。お父様がそんな状況をお許しになるわけがないわ。もしも両公爵が動いたとしても、王家の軍隊とドンスター領の軍隊を合わせれば簡単に両公爵など退けることができるはず!」
「そうだね。アルバトーレ=ドンスターが存命なら、きっとそうしたのだろうね」
何か頭の中に突如雑音が鳴り響いたような感じがして、言葉が上手く頭の中に入ってこなかった。
この男は今、一体何を言ったのだろう?
アルバトーレ=ドンスターが……存命? 何を言っているのかしら……お父様は生きているのに……
「だから」とキャロラインは言い直す。「王家の軍隊とドンスター領の軍隊を合わせれば簡単に両公爵など退けることができるはずよ! なのに……」
「頭が悪い奴だなぁ」とジークフリードは笑った。「だから、アルバトーレは死んだと言っているだろう? お前の父親は殺されたんだってさ。きゃーーっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっは! いい気味だぜぇえええええ! きゃーっはっはっはっはっはっは!」
は?
殺された?
お父様が?
あの、お父様が?
「嘘よ!」とキャロラインは反射的に叫んだ。「そんな馬鹿な事あるわけがないわ!」
「ならば、今なぜドンスター公爵領が攻められているんだい? どうしてそれを王家は黙認してるんだい?」
「それは……」と言ったままキャロラインはその場に立ち尽くし、先ほどの自分の言葉が頭の中を反芻する。
『お父様がそんな状況をお許しになるわけがないわ』
そう、たしかにドンスター公爵領が軍事侵攻されている、という言葉が事実なら、お父様はそれを放っておくような人じゃない。それはつまり……
また頭の中で言葉が反芻される。
『お父様がそんな状況をお許しになるわけがないわ』
何度も頭の中で反芻される。何度も……、何度も……、そしてやがてそれは一つの実感をもってキャロラインの体に降り注いできた。
だからこそ、この男はこんなにも笑顔なのだ。
だからこそ、この男はこんなにも幸せそうなのだ。
だからこそ、この男はこんなにもわたくしの顔を見たかったのだ。
「嘘よ……、そんな馬鹿な事あるわけ……」
ただの真っ平らな道なのに、そこが奇妙に歪んでゆく感じがした。視界の何もかもが歪む。心臓の鼓動が激しくなってゆく。
思わずふらついて地面に膝をついた。
隣のチルリンがジークフリードに向かって叫んだ。
「おめー、キャロラインに何を言ったんだよ! おい! 大丈夫かキャル! しっかりしろ! しっかりしろおおお!」
キャロラインはついに道端に倒れ込み、そして、その意識は暗黒の中に溶けていった。
0
あなたにおすすめの小説
婚約破棄された翌日、兄が王太子を廃嫡させました
由香
ファンタジー
婚約破棄の場で「悪役令嬢」と断罪された伯爵令嬢エミリア。
彼女は何も言わずにその場を去った。
――それが、王太子の終わりだった。
翌日、王国を揺るがす不正が次々と暴かれる。
裏で糸を引いていたのは、エミリアの兄。
王国最強の権力者であり、妹至上主義の男だった。
「妹を泣かせた代償は、すべて払ってもらう」
ざまぁは、静かに、そして確実に進んでいく。
【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます
腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった!
私が死ぬまでには完結させます。
追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。
追記2:ひとまず完結しました!
どうやらお前、死んだらしいぞ? ~変わり者令嬢は父親に報復する~
野菜ばたけ@既刊5冊📚好評発売中!
ファンタジー
「ビクティー・シークランドは、どうやら死んでしまったらしいぞ?」
「はぁ? 殿下、アンタついに頭沸いた?」
私は思わずそう言った。
だって仕方がないじゃない、普通にビックリしたんだから。
***
私、ビクティー・シークランドは少し変わった令嬢だ。
お世辞にも淑女然としているとは言えず、男が好む政治事に興味を持ってる。
だから父からも煙たがられているのは自覚があった。
しかしある日、殺されそうになった事で彼女は決める。
「必ず仕返ししてやろう」って。
そんな令嬢の人望と理性に支えられた大勝負をご覧あれ。
悪役令嬢は断罪の舞台で笑う
由香
恋愛
婚約破棄の夜、「悪女」と断罪された侯爵令嬢セレーナ。
しかし涙を流す代わりに、彼女は微笑んだ――「舞台は整いましたわ」と。
聖女と呼ばれる平民の少女ミリア。
だがその奇跡は偽りに満ち、王国全体が虚構に踊らされていた。
追放されたセレーナは、裏社会を動かす商会と密偵網を解放。
冷徹な頭脳で王国を裏から掌握し、真実の舞台へと誘う。
そして戴冠式の夜、黒衣の令嬢が玉座の前に現れる――。
暴かれる真実。崩壊する虚構。
“悪女”の微笑が、すべての終幕を告げる。
婚約破棄されましたが、帝国皇女なので元婚約者は投獄します
けんゆう
ファンタジー
「お前のような下級貴族の養女など、もう不要だ!」
婚約者として五年間尽くしたフィリップに、冷たく告げられたソフィア。
他の貴族たちからも嘲笑と罵倒を浴び、社交界から追放されかける。
だが、彼らは知らなかった――。
ソフィアは、ただの下級貴族の養女ではない。
そんな彼女の元に届いたのは、隣国からお兄様が、貿易利権を手土産にやってくる知らせ。
「フィリップ様、あなたが何を捨てたのかーー思い知らせて差し上げますわ!」
逆襲を決意し、華麗に着飾ってパーティーに乗り込んだソフィア。
「妹を侮辱しただと? 極刑にすべきはお前たちだ!」
ブチギレるお兄様。
貴族たちは青ざめ、王国は崩壊寸前!?
「ざまぁ」どころか 国家存亡の危機 に!?
果たしてソフィアはお兄様の暴走を止め、自由な未来を手に入れられるか?
「私の未来は、私が決めます!」
皇女の誇りをかけた逆転劇、ここに開幕!
婚約者を奪った妹と縁を切ったので、家から離れ“辺境領”を継ぎました。 すると勇者一行までついてきたので、領地が最強になったようです
藤原遊
ファンタジー
婚約発表の場で、妹に婚約者を奪われた。
家族にも教会にも見放され、聖女である私・エリシアは “不要” と切り捨てられる。
その“褒賞”として押しつけられたのは――
魔物と瘴気に覆われた、滅びかけの辺境領だった。
けれど私は、絶望しなかった。
むしろ、生まれて初めて「自由」になれたのだ。
そして、予想外の出来事が起きる。
――かつて共に魔王を倒した“勇者一行”が、次々と押しかけてきた。
「君をひとりで行かせるわけがない」
そう言って微笑む勇者レオン。
村を守るため剣を抜く騎士。
魔導具を抱えて駆けつける天才魔法使い。
物陰から見守る斥候は、相変わらず不器用で優しい。
彼らと力を合わせ、私は土地を浄化し、村を癒し、辺境の地に息を吹き返す。
気づけば、魔物巣窟は制圧され、泉は澄み渡り、鉱山もダンジョンも豊かに開き――
いつの間にか領地は、“どの国よりも最強の地”になっていた。
もう、誰にも振り回されない。
ここが私の新しい居場所。
そして、隣には――かつての仲間たちがいる。
捨てられた聖女が、仲間と共に辺境を立て直す。
これは、そんな私の第二の人生の物語。
地味令嬢を見下した元婚約者へ──あなたの国、今日滅びますわよ
タマ マコト
ファンタジー
王都の片隅にある古びた礼拝堂で、静かに祈りと針仕事を続ける地味な令嬢イザベラ・レーン。
灰色の瞳、色褪せたドレス、目立たない声――誰もが彼女を“無害な聖女気取り”と笑った。
だが彼女の指先は、ただ布を縫っていたのではない。祈りの糸に、前世の記憶と古代詠唱を縫い込んでいた。
ある夜、王都の大広間で開かれた舞踏会。
婚約者アルトゥールは、人々の前で冷たく告げる――「君には何の価値もない」。
嘲笑の中で、イザベラはただ微笑んでいた。
その瞳の奥で、何かが静かに目覚めたことを、誰も気づかないまま。
翌朝、追放の命が下る。
砂埃舞う道を進みながら、彼女は古びた巻物の一節を指でなぞる。
――“真実を映す者、偽りを滅ぼす”
彼女は祈る。けれど、その祈りはもう神へのものではなかった。
地味令嬢と呼ばれた女が、国そのものに裁きを下す最初の一歩を踏み出す。
私はもう必要ないらしいので、国を護る秘術を解くことにした〜気づいた頃には、もう遅いですよ?〜
AK
ファンタジー
ランドロール公爵家は、数百年前に王国を大地震の脅威から護った『要の巫女』の子孫として王国に名を残している。
そして15歳になったリシア・ランドロールも一族の慣しに従って『要の巫女』の座を受け継ぐこととなる。
さらに王太子がリシアを婚約者に選んだことで二人は婚約を結ぶことが決定した。
しかし本物の巫女としての力を持っていたのは初代のみで、それ以降はただ形式上の祈りを捧げる名ばかりの巫女ばかりであった。
それ故に時代とともにランドロール公爵家を敬う者は減っていき、遂に王太子アストラはリシアとの婚約破棄を宣言すると共にランドロール家の爵位を剥奪する事を決定してしまう。
だが彼らは知らなかった。リシアこそが初代『要の巫女』の生まれ変わりであり、これから王国で発生する大地震を予兆し鎮めていたと言う事実を。
そして「もう私は必要ないんですよね?」と、そっと術を解き、リシアは国を後にする決意をするのだった。
※小説家になろう・カクヨムにも同タイトルで投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる