放課後はファンタジー

リエ馨

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第39話 ありがとう・後編

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「……それから、もう一つ」

 そう言うと、ローザはベッドの上の毛布にそっと触れた。
 視線は自然と自分の指先に留まり、以前異世界の友人が、この爪を綺麗に塗ってくれたことを思い出した。目の前の彼の髪の色に。
 今まで言おうと思っていても言えなかったことを、とうとう言い出そうとしている。
 だが、それは自分の独りよがりな考えだ。彼は恐らくいい顔をしないだろう。
 その確信は、今までの彼の態度で窺えた。女性として自分を見ていないことや、以前扉越しではあったが、そうするつもりがないことをインティスと話しているのを聞いてしまったからだ。文献調査が終わればそれまでの関係だと言っていた。
 彼を困惑させるだろうことは申し訳ないと思いながらも、どうしても彼に言いたいことがある。
 意を決して顔を上げた。

「聞くだけでいいから聞いてちょうだい。私、貴方の側にいたいの」
「ローザ……」

 フェレナードが思わず言葉に詰まった。それは彼にとって、王子の呪いが一段落した今、改めて考えようとしていたことだった。

「私ね、コトミから彼女のお祖母さまが亡くなった時の話を聞いたことがあるの。身近な人が亡くなるって、私は今まで考えたことがなくて……。貴方がダグラスの魔法で大怪我した時、頭が真っ白で何も考えられなかった」

 それを聞いて、後ろのインティスは目を細めた。フェレナードを慕っている割に泣き叫びもせず冷静な判断をしていると思っていたが、実際は感情が完全に切り離されてしまっていたのだ。

「ずっと貴方を陰ながら追っていたいと思ってたけど、それでは駄目なんだと思い知らされたわ。何かあった時にすぐに助けられないって、だからーー」
「君のお父上がいい顔をしないと思うけど」
「父は関係ないわ。私が側にいたいのよ」

 冷たい言い方に遮られ、反射的に言い返したローザは、言葉とは裏腹に見下ろしてくる眼差しの温かさに気付いた。
 これまで、温度を感じさせるようなことを彼がしてきた記憶はない。
 何かがいつもと違うような気がした。
 目が合って、フェレナードが観念したような溜息をつく。

「……そのことは、気持ちを整理した上で俺から言おうと思ってたよ」
「え……」

 ぱちぱちと瞬きする彼女の、ベッドに置かれた指先に触れた。
 彼女から寄せられる思いと同じ、陽だまりの感触がした。

「城に務める以外は、学院で魔法の研究に協力することになってるんだ。君の研究にも役に立てるかもしれない」
「そ、そう……」
「そのためにも、近々家を見つけて引っ越そうと思うんだ。城と学院両方に通えて、魔法の研究ができて、将来君と一緒に住めるように」
「一緒に……? え?」

 真っ直ぐな言葉の意味が一瞬わからず、ローザがぽかんとするので、フェレナードが改める。

「俺と一緒にいてくれる人なんて、君しかいないと思ってるよ」

 違う? とフェレナードが尋ねると、ローザは思い切り首を横に振り、彼の手を両手で握った。

「ち、違わないわ。違わない」

 そのまま俯いてしまった彼女からは、蒸気が吹き出しているように見えた。握ったままの指先は綺麗に整えられていて、様々な魔法で仲間を守り抜いたようには見えない。
 魔法学院に在籍していた頃から今に至るまで、彼女は自分に頻繁に声をかけて来た。それがどういう意味なのか、答えは一つしかないし、そこまでされて意識が動かない訳がない。今までは王子の呪いを解くという抑止力があったが、それももうなくなった。これでようやく、彼女の気持ちに向き合うことができる。
 俯いたままの彼女がきゅっと手に力を込めた。

「……さっき、ここに来るまでにインティスから貴方が助かる直前の話を聞いたのよ。源石から糸を通してって……」

 彼にはわからないだろう。命を繋ぐものに繋がれ、意識のない様子は、異世界の友人から聞いた人間の死に際にとてもよく似ていた。賢者がいなければ、この手は二度と握ることができなかったのだ。

 生きていてくれて良かった、本当に。

「……今度は、今度は私が守るから」
「…………ありがとう」

 彼女が両手で握る自分の手の甲に、温かい雫が一つ落ちた。


    ◇


 いよいよ存在自体が場違いなので、インティスは二人を残してそっと部屋から出た。

「どう? うまくいった?」
「わっ……」

 廊下では完全に気配を消した高校生たちと王子が耳をそばだてていて、さすがに驚いた。

「……おかげさまで」

 苦笑混じりのその言葉に、四人は各々静かにガッツポーズを決める。
 抜き足差し足で三階へ戻っていくので、杖の調整を諦めたインティスもついて行くことにした。
 ラウンジの扉を開け、ことみが思い切り伸びをする。

「良かった~! これで駄目だったら抗議にいくところよ!」
「ことみは知ってたの?」
「あたしは何回も話聞いてたからね。でも暁も知ってるわよ」
「え!? 暁も!?」
「わかんだろ。見てりゃ嫌でも」
「えぇ……」
「僕は全然わかんなかったな~。今度詳しく問い詰めちゃおう」

 ローザの恋心に気付いていなかったことにショックを受ける優貴だったが、王子は知らなかったなりに楽しそうで、次の講義の時間の話題はこれになりそうだなとインティスは思った。
 そんなやりとりが微笑ましく見えるのも、全てがうまくいったからだ。
 高校生たちが王子とわいわい言いながらそれぞれ席につき始める。たった数ヶ月なのに、出会った頃と比べて随分頼もしく見えるようになった。

「俺が出かけてる間、フェレの側にいてくれてありがとう。三人がいてくれて助かった」

 インティスが改めて礼を言うと、優貴とことみは照れ隠しに笑い、暁は頷いた。

「緊張したけどね」

 ことみが笑う。

「そういや、ブルーハワイって何の果物だ?」
「やばい! 調べてなかった!」

 思い出した暁の一言に慌てた優貴が、忘れないようにスマホにメモる。

「みんなでこそこそするっていいな~秘密の計画って感じがする」

 王子がその会話を聞いて頬を膨らませた。見かけはもう子供ではないのだが、わざとらしく見えないのが不思議だ。

「ねえインティス、これからも僕がここに遊びに来られるように、近衛師団の再編成に協力してよ。次の師団長ってば見るからに頭固そうなんだもん」
「それはあいつらに直接言ってくれないと……」

 俺には何の権限もないし、とインティスが困った顔でかわす。今回の一連のことがきっかけで王子は公の場に姿を現すようになり、警備や護衛の在り方も見直されるということだった。

「……ねえ」

 二人のやりとりを聞きながら、ことみが優貴に声をかけた。

「あんた、まだおばあちゃんち行けてないの?」
「ま、まあ……そんなには……」

 言われて思い出したが、しつけに厳しいあの空気が苦手で、足はすっかり遠のいていた。画家である祖父の遺品整理は進んだのだろうか。

「今は元気でも、死んじゃったら何もできないんだから。後悔しないようにした方がいいわよ」
「う、うん……」

 その言葉は押しつけではなく、重みのあるものだった。
 彼女からはそのことについて何か聞いたわけではないが、たったそれだけの言葉なのに胸が苦しくなる気がした。
 だから思い直して行動しようとしたのに、家に帰ってから聞いてみると肝心の祖母は本格的に遺品の片付けを始めたらしく、散らかりすぎてて足の踏み場がないから今は来るなと言われてしまったのだった。



 そうして、夏休みもあと少しになった八月下旬の日曜日。
 とうとう王子との約束を果たす時が来た。
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