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 青年は目覚めると、見慣れない天井を見ることとなった。彼は困惑しながら、自分の記憶をあさる。そして、あの一件を思い出して、自分は病院にいるのではないか、と予測する。

 そして、青年は体を動かそうとする。だが、その瞬間体に痛みを感じる。痛みに耐えながら、何とか体を起き上がらせ、周囲を見る。

 ここは病院の一室で間違いないようだった。青年は周りに人がいないかも確認するが誰もいない。

「誰か、いませんか」

 青年は問いかける。だが、青年の声に反応するものは誰もいない。青年は誰か探しに行こうか、迷ったがやめる。体に痛みもあり、場所も状況もよくわからず、動くのはよくないと判断したのであった。しばらくすれば、看護師か誰かが来るだろうと思ったからである。

 そして、誰かが来るのを待っている間に、青年はあの時のことを考える。

(あの化け物は何だったんだ、それにあの男の人は何者なんだろうか?)

 そんなことを考えていると、扉が開く音がする。青年はそちらを向く。そこには看護師がいた。看護師は青年が起き上がっている姿を見て、少し驚く。

「少し待っててください、先生を呼んできます」

 青年はうなずく。看護師は背を向け、どこかへと向かう。しばらくして、看護師は白衣を着た男の人、おそらく医師とともに、部屋に入ってくる。

「お目覚めのようだね、体の調子はどうかな?」
「体を動かすと痛みが」

 医師はうなずくと、看護師からカルテを受けとる。

「私の名前は泉、君の治療を担当した医師だ。君の名前は加崎純也かざきじゅんや。第十区にある学校の三年生で、年は十七。これで問題ないね」

 加崎純也とよばれた青年は頷く。

「とりあえず、君の現在の状況を説明しよう。ここは、第五区中央病院だ、そして、今日の日付は七月十日。君がここに運び込まれてから三日は経っている」

 加崎は自分が倒れてから、三日もたっていることに驚き、困惑する。泉は加崎に落ち着くように言う。

「学校や保護者のほうには連絡してあるから、心配しないでくれ」

 加崎はそれを聞いて、少し安心する。そして、いつ頃退院できるのかを聞く。その瞬間に泉の顔は少し暗くなる。

「申し訳ないが、私はそれを判断することができない。安心してほしいが、君のけがの状況には問題ない」

 加崎は疑問に思う。なら何が問題だと、言うのだろうか。加崎が聞こうとすると、泉が先に話し始める。

「君の疑問はわかる、だがこれは一介の医師ではどうにもならないんだ、明朝に説明を行う人が来る。それまで待ってくれ」

 加崎は泉が困った表情をしていることに気づく。加崎は泉に何かを言っても無駄だと判断し、また明朝まで待つことにする。

「わかりました、待ちます」

 泉はすまない、とだけ言うと、背を向けて、部屋から出ようと歩き出す。そして、加崎はこの病院のことを看護師から聞く。聞き終わって、加崎が理解したのを確認すると看護師は部屋から出ていく。
 加崎は今後どうなるのか、を不安に思うものの、考えても仕方がないか、と判断して、明朝まで待つことを決意する。


 加崎は、昨日は今日のことや今後のことで、不安になって寝れないと思ったが、意外とぐっすり寝れて、次に目覚めると朝になっていた。疲れていたのだろうし、薬の影響もあるのだろうかと考える。しばらくすると、看護師がやってくる。

「お目覚めですね、食事を持ってきます。それと、あと一時間ほどで、執行局の局員が来ます。その人が今後のことを説明してくれるそうです」

 執行局という単語に加崎は驚く。なんで執行局が自分なんかのところに来るんだ、とも考える。そして、加崎は執行局がどんな組織なのかの知識を再度確認する。

『執行局』それは、加崎が暮らすこの旧都の治安維持を担当する組織であり、かつての軍と警察組織が合流することで新設された組織であった。

 加崎は執行局の局員に仲の良い人物はおらず、ほとんど、関わりのない組織である。ゆえに、加崎は執行局の人間が会いにくるという事実に困惑する。

 そして、加崎が朝食をとってから一時間ほど経つと、ノックの音が聞こえる。加崎はどうぞ、と答える。そして、一人の男が入ってくる。その男は加崎を救ったあの時の男であった。

「遅れてすまんな、坊主、少し道に迷った」

 加崎はしばらく驚きのあまり、何も言うことができなかった。だが、男が大丈夫か、と声をかけることで、正気に戻る。

「すみません、大丈夫です。あの時はありがとうございました」

 感謝の言葉を伝えながら、加崎は頭を下げる。

「職務だから、気にすんな。つか遅れてすまなかったな」
「いえ、あの時、来てくれなければ、自分は死んでました」

 まあ、そうかもな、と男はつぶやく。そして、男は先ほどまで軽い雰囲気であったが、突如真剣な顔持ちになる。

「さて、坊主、重要な話がある。お前にとっては突飛な話かもしえねえが、真面目に聞け、すべて真実だ」

 加崎は先ほどまでとは打って変わった有川の真剣な態度に気おされながら、ゆっくりと頷く。

「とりあえず、自己紹介だ、俺の名前は有川源一ありかわげんいち。執行局で働いている」

 加崎は執行局という単語に再度反応する。

「なんで執行局の人間が自分みたいな一般人に会いに来てるのか、考えてるだろう」

 加崎は有川に自分の考えを当てられ、少し動揺しながら、頷く。

「お前が一般人ではなくなったからだ」

 有川はただ一言そう告げる。加崎は困惑する。この人は何を言っているんだ、と考える。そして、反射的に大声で言う。

「自分はただの学生です、それ以上でもそれ以外でもありません」
「それは過去の話だ、お前は特別な人間になった」

 有川はたんたんと告げる。加崎はそれを聞いて、悪い予感を感じていた。また、わけのわからない不安を。そして、何をいっているんですか、と困惑しながら言う。

「とりあえず、落ち着け。段階を踏んで説明してやる。疑問に思ったことは俺の話を遮ってでもいいから質問しろ。お前の将来に関わることだし、俺は説明がそんなに上手じゃない、いいか」

 加崎はゆっくりと頷く。そして、有川は話し始める。

「まず、あの時、お前を襲った巨大な黒猫のような化け物、覚えてるか」

 加崎は、あの時の化け物を頭に思い浮かべながら、頷く。

「あれは『穢れ』と言う存在で、人を食らう化け物だ。そして、世界中で昔から確認されている存在なんだ」

 穢れ、と加崎はつぶやく。加崎はそこで疑問を感じる。加崎はその存在を知らなかった。誰にも聞いたことはない存在だったからである。加崎はそのことについて有川に尋ねる。

「穢れの存在は秘匿されている。混乱を防ぐためにな。だが、そこでこう思うはずだ。一度も聞いたことがないというのはおかしい、とな。噂ぐらいで聞いたことがあってもいいはずだ、とな」

 加崎は有川の言っていることを自分も考えていて、頷く。

「そこには大きく二つの理由が存在する。まず、一つ目は、穢れに接触した人間はそれが記憶から消える。執行局の大半の局員はその記憶の消失に関する対策はしてるがな。二つ目は、穢れから食われた人間は、存在が消える」

 加崎は大きく驚く。そして、有川の話の一部に大きな引っかかりを感じる。

「あの、存在が消える、というのはどういうことでしょうか」
「それはだな、穢れに食われた人間は、個人差はあるが、かかわった人間の記憶から消えていくからだ。また、戸籍などからもいつのまにか消える、まるでそんな人物など存在しなかったかのようにな」

 加崎はあまりの驚きに、何も言えなかった。

「これが穢れの概要だ。執行局はこの化け物を裏で処理している。そして、その時、『浄化師』という存在が鍵となる」

 『浄化師』、加崎にとって、これも初めて聞く単語であった。

「あの時、化け物は俺が触れてから、絶叫をあげ暴れ回った後に消えたのを見たな」

 加崎はあの時のことを思い出しながら、頷く。そして、推測であるが、有川が浄化師と呼ばれる存在ではないか、と思う。

「穢れを触れるだけでこの世から完全消去する、これが浄化の力だ。原理は不明だがな。そして、この力を持つものを浄化師と呼ぶ、俺がそうだ」

 有川は一度、そこで話を切り上げると、加崎に目を合わせる。そして、たった一つの事実を告げる。加崎にとって、重大な事実を。

「お前にもその力がある。お前は浄化師だ」

 加崎は驚く。先程の話ですら驚くことはたくさんあった。だが、その時の驚きがかすむほどの驚きだった。

「嘘ですよね、僕にそんな力があるなんて」

 加崎は驚きで声を震わせながら、有川に聞く。それを聞いて、すぐに有川は首を振る。

「残念ながら、お前にはその力があることが確認された。そのため、お前は執行局で働くことになる。拒否権はない」

 有川は後半、苦渋に満ちた表情で加崎に告げる。加崎は嘘だ、と小さくつぶやく。

「俺も執行局のこのやり方は気に食わないんだがな、選択ぐらいはさせるべきなんだ。だけどな、浄化師の数は少ないんだ。それに穢れの数は増えるばかりでな、執行局としては頭数が欲しい。だから、お前のような一般人でも必要としている。これは決定事項だ」

 有川は加崎の頭に手を置く。声色は柔らかなものだった。

「保護者と学校のほうにはこのことは先に連絡してある」

 加崎はうつむいて、下を向く。加崎はか細い声で言う。

「じいちゃんはなんて言ってましたか」
「俺が話に行ってないから詳細は知らないんだ、すまんな。でも頑固に反対していたらしいな」
 そうですか、と加崎はつぶやく。加崎は両親を四年前に事故で失った。その後は、祖父と二人で暮らしていた。
「これから僕はどうなるんですか」

 加崎は下をむいたまま有川に問いかける。

「とりあえず、浄化師として最低限の訓練と勉強をしてもらう。おそらく二年ほどだ。そのあとはどっかの部隊に配属される」

 加崎はそうですか、と言う。そして、有川はさらに一つの残酷な事実を告げる。

「最後に一つだけ言うぞ。お前にはもう普通の人のような日常はなくなった。そう考えてくれて構わない。お前が死ぬまでだ」

 加崎はそれを聞いて乾いた笑いをする。そして、拳を握りしめる。だが、加崎は絶望も感じていたが、気分も高揚していた。なぜならそれは。

 自分に価値がなかったというわけではなかったからと発覚したからであった。ずっと悩んでいた。
 自分には何もなせない、と。自分には何もできない、と思っていた。でも、そんなことはなかったのだった。

 だから、加崎は顔をあげる。有川はその加崎の表情を見て、驚く。なぜなら、それは自分の生きる意味を見いだした人間の顔だった。有川はこの加崎の顔を見て一つの疑問を抱く。

「お前は、浄化師になれてうれしいのか?」

 有川はこの疑問を聞くつもりはなかった。だが、言葉として発してしまった。加崎は少し悩んだ素振りをする。有川は聞いてはいけないと感じ、その質問を取り消そうとするが、その前に加崎が話し始める。

「そうかもしれませんね、だって自分は何もできなくて、何もなせない、価値のない人間だと思っていたんです。でもそんなことなかったかもしれないって思えましたから」

 有川はそう言う風に言っている加崎の表情を見て、大きないらだちを覚える。そして、加崎の言うことを否定する。

「坊主、自分を価値のない人間だと否定するな。お前は、あの時、赤の他人を救ったんだ。自分の命を犠牲になっても構わないとな。そんなことができるやつはそうはいない」

 だから、と有川は続けようとする。だが、加崎はゆっくりと首を振る。

「僕のあの行動は勇気があったからとかじゃありませんよ。だって価値のない僕の命の一つで救えるんだから上々です」

 有川はそれを聞いて、大きく声を荒げる。

「ふざけるな、坊主」

 加崎はそれに大きく驚く。有川はしまった、と顔をすると、深呼吸をする。

「坊主、いいか自分を卑下するなよ。お前はすごいやつだ、それは俺が認める。それにお前のことを認めてくれるやつが他にもいるはずだ。お前が自分を卑下することはその人たちを裏切ることだ、わかるな?」

 有川の声は荒げながら、優しく諭すようなものだった。加崎はゆっくりと頷く。加崎はそうかもしれない、と思った。だがそれでも自分に自信を持つことは無理だった。

「とりあえず、話がそれた。お前の準備ができたら、先生に言え。先生が執行局に連絡して、お前に迎えが来て、浄化師の訓練が始まることになる」

 加崎はそれを聞いて頷く。そして、有川に問う。

「すぐにでも来てもらえることはできますか」
「別に大丈夫だと思うが、いいのか?」

 有川は加崎に本当に覚悟ができたのか、を問う。加崎は大きく頷く。

「はい、問題ありません」
「そうか、わかった」

 有川はそう言うと、手続きとかしてくると言って、部屋を出る。加崎は有川が部屋を出るのを確認すると、外を眺める。

「浄化師か」

 加崎はつぶやく。正直言って、今後どうなるのか、と思う。でも、それ以上に自分が役にたつことができると考えると、恐怖は若干薄まる。

 ――本当にお前にできるのかな。お前みたいな価値のない人間に。

 頭の中に声が響く。加崎は思う。昔からずっと聞こえるものだ。加崎はその声に押しつぶされそうになる。でも、先程の有川の言葉を思い出す。

「僕は裏切りたくない。自分を認めてくれた人たちを」

 加崎はそうつぶやくと、頬をたたく。
 加崎はきっと今後も自分に自信を持つことは難しいだろう。でも、それでも僕のできることをやろうと考える。きっと、それが誰かのためになり、自分自身のためになると思って…
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