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一章

魔人

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 キィ、キィと揺り椅子の音が響く。

「ふむ。やはりこのひと時はたまらんな」

 声の主は40過ぎの男。恰幅が良く人相が悪い、いかにも小悪党のような男だ。
 葉巻を片手に、夕食後の一服を満喫している。
 オレはそんな男を見張っている。昼からずっとだ。しかもどのように仲間とコンタクトを取っているかわからないので、この男が見る書類や発する言葉など、注意しておかなければならない。いい加減うんざりする。


 ふと、昼前のサラちゃん達との会話を思い出す。

~~~~~~~~~~~~~


「ーー以上がドゥーク侯爵家の場所と外観です」

「分かりました。メモもバッチリです」

 羽ペンだったら上手く使える自信はなかったが、オレに渡されたのは万年筆だった。これならゴースト化してても問題なく書けそうだ。

「そうですか。では、すぐに向かわれますか?」

「はい。あ、それと一点」

「なんでしょう?」

「お話しした通り、オレはお二人以外からは認識されません。しかしそれも普通の人に限っては、です」

「そうですね。法具に選ばれたシルヴァ様やクレアさん。それに同じ魔人は例外の可能性も考えられますね」

「その通りです。更に言えば見える条件が、『魔人の存在を認識している』だった場合、下手をすればドゥーク侯爵からも発見される可能性があります」

「成程。魔人の生態は私たちには計り知れない。そのようなこともあるかもしれませんね」

 こんな荒唐無稽な話でも理解が早い。流石は公爵令嬢というべきか。

「そしてその場合、オレが捕まる可能性もあります。見ての通りオレは荒事は素人です。その辺の兵士一人にも負けます。地下室でも簡単にナイフを突き立てられてますしね」

「……そうですね。こう言ってはなんですが貴方はあまりにも隙だらけです。ゴーストとやらが無ければ素手のお嬢様にも劣るでしょう」

 フローラさんが口にした事実に内心驚く。え? そりゃあオレは素人でサラちゃんは武芸もしてるみたいだ。けど15の少女と30の男。体格も腕力も全く違うのに?
 サラちゃんそんなに強いの? それともオレがそんなに弱いの?

 アレだな。ゴースト化は常にしといた方が良さそうだ。なんかのはずみで死にかねない。

「えぇ。オレの生命線はゴーストです。しかしこれも何が例外かわかりません。最悪魔人に見つかってゴースト化も無意味で……となったらオレはお終いです。なので明日の朝、オレが戻ってこなかったら……お二人は諦めて逃げてください。拷問されたらオレは間違いなく喋ります」

 ゴーストが無かったらオレはただの一般男性。そんなオレが魔人から逃げ切ったり拷問に耐えたりなんて出来るはずもない。そしてオレが捕まるという事は、サラちゃんやフローラさんが魔人を召喚した事がバレるという事。そうなればもう打つ手はない。

「……わかりました。しかし、何故そこまでしてくださるのですか?」

「打算的な話をすると元の世界に帰れる可能性があるからです。サラちゃんは今回の冤罪を晴らす為にオレを召喚したのでしょう? なら、それが晴らせなかった時、オレは帰れなくなるかもしれない」

 オレだってこの1年、相当に苦労した。そうしてようやく大型の受注を取れたのだ。それなのに、もし帰れなかったらそれも水の泡だ。それにーー

「それにオレは元の世界でサラちゃんに感情移入していました。それこそ、サラちゃんグッズを買いまくろうと思うほどに」

「「……サラちゃんグッズ?」」

 ……余計な事を口走った。

「あぁ、いや。要はオレ、サラちゃんのこと割と好きなんですよ。だから、まぁ便利な使いっパシリが出来たとでも思ってください」

「そ……そうですか。ありがとうございます」

「じゃあ、行ってきます。一応逃げる用意はしておいてください」

「わかりました。では、お願いしますね」


~~~~~~~~~~~~~

 そうだ。うんざりなんて言っている場合じゃない。
 オレはサラちゃんの冤罪を晴らすんだ。サラちゃんの為にも、オレの為にも。


 そうしてしばらく時間がたった後、部屋にノックの音がする。
 ドゥークが返事をすると人が入ってきた。
 いや、全身真っ青な男だ。どう見ても人では無く魔人だろう。
 
 胸の鼓動が早くなる。
 地下室の時は、フローラさんに刺された事よりも透過してる事の方が衝撃だった。それにその事で、絶対に安全という保証も出来た。だから特に気にならなかった。
 けど、今は違う。
 見つかるかもしれない。ゴーストが意味を持たないかもしれない。……殺されるかもしれない。
 膝が震える。幸い汗は出ない体質のようで助かったが、それでも落ち着かない。

 クソッ! 落ち着けオレ! まだ全部仮定の話でしかないんだ!!

 入ってきた魔人はこちらを気にした様子はない。
 そのままドゥークの前に立つ。何をしているんだ?
 するとドゥークが急に驚いたように飛び上がる。……どうしたんだ?

「……まったく。姿を見せるならせめてドアの前にしてくれ。いきなり目の前に現れるのはわかっていても驚く」

「人間はやはり小心者だな。こんな事で驚くとは」

「お主らのように個性豊かでないからな。ところで何のようだ? 今後の打ち合わせなら朝に済ませたろう」
 
 なんだと? もう打ち合わせは終わっていたのか……。危なかった。というかいきなり目の前に現れた? オレの目にはずっと映っていたが……ひょっとしてこいつ、さっきまで姿を消してたのか?

「いや、一言警告をしておこうと思ってな」

「警告?」

「あぁ。こちらの予定ではサラとかいう娘は今日、追い詰められたことで、最後の手段に出るはずだったのだ」

「最後の手段? 武力行使か?」

「まぁ力を使う、という意味ではそうだな。……それが魔人召喚だ」

「魔人召喚?」

 なに!? サラちゃんの魔人召喚もこいつらの計画のうち? まさかこいつ魔人召喚してたところを……! ……いや、大丈夫だ。オレは能力検証の為に屋敷の周りを飛び回っていた。こいつが姿を消せたとしてもどうやらオレには見えるらしい。近くにいればこれだけ目立つ男、すぐにわかる筈だ。

「そうだ。そして召喚された我らの仲間が娘を騙しつつ、懐で暗躍する手はずだった」

「魔人召喚が何かは知らんが……お主らそこまで念入りにあの娘を潰すつもりだったのか? 確かに才能を感じるがまだ小娘だぞ?」

「貴様が考える必要はない。ともかく今回、こちらの予測が初めて外れたのだ。警戒はしておけ」

「ふむ……。分かった。部下にも注意させよう」

「ほう? やけに素直だな」

「当然だ。マルタ公爵がお主らの事を相当に恐れておるからな。お主らの全容は知らんが、そもそも公爵とワシでは役者が違う。口惜しいがな。その公爵が恐れる相手だ。逆らう気も起きんよ」

「クク……貴様はまだまだ長生きしそうだな」

「あぁ。お主らの役に立ち、甘い汁を吸わせてもらおう」

 その時、オレの背後から「チュッ」という音がしたかと思いきや、刃物が飛んできた。
 幸いオレはゴースト化しており、そのまま背後の何かに突き刺さる音がした。
 恐る恐る振り返る。予想通りネズミが壁にくし刺しになっている。

 その様に肝を冷やしながら、もう一度正面を向く。すると、魔人と目が合った。
 オレの事を見えているかどうか。もし、見えているのならここでオレが動けば目線が動くはず。少し動くだけでいい筈だ。だが、動けない。いや、体が動かない。

「文字通りネズミか。屋敷を汚して悪かったな」

「いやいや、寧ろお手を煩わせて申し訳ない。しかし見事な腕前ですな」

「どうも。さて、用も済んだので今日はこれで失礼する」


 そう言って扉に向かう魔人。
 どうする? 恐らくこのままここにいてもこれ以上情報はない。ならばあの魔人の後をつけた方が良いんじゃないか? だが、やつが向かうであろう場所にはゲームのラスボスがいる筈。そいつにオレの姿が見えない保証はどこにもない。その上、さっきの話じゃオレの存在は明らかにイレギュラー。見つかれば間違いなく始末される。


 ……いや、頭では分かっている。ここは明らかにやつの後をつけて情報を集めるべきだ。ラスボスがオレの存在を察知出来るなら、ここで見つからなくともいずれ気づかれる。ならば、少しでも生き残る可能性を上げるために、せめて遠目からでも見るべきだ。

 だが、体が言う事を聞かない。さっきのネズミの姿が頭をよぎる。あいつがどうやって刃物を投げたかも見えなかったのだ。部下でこれならラスボスはもっと理不尽に強いのだろう。
 いっそサラちゃんの冤罪を晴らしたら、そのままどこかに逃げるか? しかしどこへ? 元の世界に帰れればいい。でも、もし帰れなければオレは一生誰とも会話出来ない。誰にも認識されないまま生きるのか? それはもう、生きているとは言わないんじゃないか?


 魔人が扉を開けて部屋を出ていく。
 今、見逃したらもう追えない。動け! 動け!

 動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け


 …………



 そうしてようやく動けたときにはもう……あの魔人の姿は無かった。
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