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第二章 彼の決断
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伸びてきた手が、困惑の表情を浮かべる彼の胸倉をグイとつかんだ。
引き寄せられた先で、美しく輝く淡黄色の瞳が真っすぐに射貫いてくる。
「――それで。あなたは、どうしますか? どうしたいですか、フィル。フィルロード・ルクト・W・テューラー」
声を押し殺したささやくような彼女の問いかけに、彼は紅の瞳を困惑に揺らした。
どうする? どう、したい?
そんな、こと……
「私は、すべてを知っているつもりです」
「!」
言葉通りに見透かされていそうな気がして、彼は小さく息を飲んだ。目を逸らしたいのに、元々の気質もあって彼女の前では下手な動きはとれそうにない。
その代わりに彼女と話を始めてから、頭の中がどんどんグチャグチャになっていく。一気に沸きだしてきた黒い靄たちが、思考を、胸中を、心の内を包んで、すぐには晴れそうにもない。
――ずっと、自身の奥へと封じこめてきた想い。
それが表へあふれ出してくる恐怖を感じて、彼は唇を強く強くかみしめた。
第二章 彼の決断
『騎士として、この国を、そして王族の方々を守る。それは、当然のことだ』
今は亡き、父の声がする。
父が生前、何度も言い聞かせてきたその言葉。幼い頃父が在りし日は、『はい』ととりあえず頷いてはいたもののどことなく理解は出来ていなかった。
騎士にはなりたかったものの、守る? いまいち、よくわからなかった。
でも、父が亡くなったあの日――理解できた気がする。だから、誓った。
立派な騎士になって、この国を、そして王族の方々を守ると。
父のように。
いつか、王族の方々は手の届かないところに行ってしまう。それが、王族の責務なのだから。
なら、そのときまででもいい、なるべく近くで守り続けたい。
そう。生涯を誰とも添い遂げず、独り身で貫き通した父のように――
「――おい」
声が、どこか遠くにきこえる。
「――おい、フィルロード! おいってば!」
肩が揺すられ、呼びかけが大きくなったところで、彼は緩々と瞳を開けた。紅のそれが、一度二度と瞬かれ、テーブルに横向きに突っ伏していた顔を上げる。
隣に腰かけていた見慣れた同僚が、怪訝そうにのぞき込んできた。
「どうしたんだよ、フィルロード。騎士としてこの国に何が出来るかを語っていたと思ったら、急に反応がなくなったけど」
「……ああ。すまない、少し意識が飛んでいたようだ」
自嘲めいた微笑を浮かべて、彼――フィルロードはこめかみに指先を当てながら、小さく首を振った。
「はあ?」と、あきれた声がかけられる。
「そんな状態で、明日大丈夫なのかよ。疲れているんじゃないのか? こんな忙しいときにおまえの方から誘っておいて、先に寝ちまうとかありえないだろ」
「そうだったな。ちょっと……、飲みたい気分だったんだ。つきあわせて悪かった、カリオス」
「まあ、別にいいけど。僕も、ちょうど息抜きがしたかったところだし」
カリオスと呼ばれたフィルロードの同僚は、ふうと嘆息しながら頬杖をついた。
既に仲間たちは自室で休んでいるのだろう、誰もいない騎士団の詰所。その隅に長いテーブルを移動し、そこに二つの椅子を並べてひっそりと酒を酌み交わし始めたのが、つい先刻のことだった。
「それにしても、あのリリセニーナ様と団長がご結婚かぁ」
「ああ、そうだな」
「なんだよ、フィルロード。なんか他人事みたいじゃないか」
「そうか?」
「そうだよ。ジュシルス団長は、おまえの兄上だろう? ということは、リリセニーナ様がおまえの義理の姉上になるってことじゃないか」
「……そうだな」
頷いて、フィルロードは手にしていた酒杯を飲み干していく。
「おまえ、さっきから淡々としすぎだろ。飲みすぎじゃないのか?」
「そうか? これくらい、普通だ」
テーブルに並んだ空の酒瓶を眺めてから、フィルロードはまだ残っている酒をカリオスの杯と自分の杯に注いでいく。
礼を言ってから受け取ると、カリオスは少しだけそれに口をつけた。
「おまえにしては珍しく、結構飲んでいると思うけどな。いつもなら、せいぜい一本を空にするくらいが関の山なのに」
チラ、とテーブルを一瞥したカリオスがボソと漏らす。
「ん、そうだったか? ……よく覚えていない」
首を左右に振りながら、フィルロードは再び木の杯の中身をグイと喉に流しこんでいった。
「ほら、覚えていないくらい飲んでるんだよ、おまえは。まったく。明日は、この国にとっての最高にめでたい日なのに。おまえは、全然嬉しそうじゃないんだな」
「まさか。我らが女王代行殿下と騎士団団長殿の婚姻、素直に喜ばしいことだと思っているよ」
杯を掲げてから、フィルロードは再度唇を寄せた。
「どうだかなあ?」
疑わしそうに目を細めるカリオスに、フィルロードは曖昧に笑った。
お互いに軽くなった杯に新しい酒をついでから、「それにしても」とカリオスが切り出した。
「僕は、リリセニーナ様より妹のリリーシャ様の方が先にご結婚されるんだと思っていたよ」
「っ」
カタ、とフィルロードの杯を取ろうとした手が小さな物音を立てる。
引き寄せられた先で、美しく輝く淡黄色の瞳が真っすぐに射貫いてくる。
「――それで。あなたは、どうしますか? どうしたいですか、フィル。フィルロード・ルクト・W・テューラー」
声を押し殺したささやくような彼女の問いかけに、彼は紅の瞳を困惑に揺らした。
どうする? どう、したい?
そんな、こと……
「私は、すべてを知っているつもりです」
「!」
言葉通りに見透かされていそうな気がして、彼は小さく息を飲んだ。目を逸らしたいのに、元々の気質もあって彼女の前では下手な動きはとれそうにない。
その代わりに彼女と話を始めてから、頭の中がどんどんグチャグチャになっていく。一気に沸きだしてきた黒い靄たちが、思考を、胸中を、心の内を包んで、すぐには晴れそうにもない。
――ずっと、自身の奥へと封じこめてきた想い。
それが表へあふれ出してくる恐怖を感じて、彼は唇を強く強くかみしめた。
第二章 彼の決断
『騎士として、この国を、そして王族の方々を守る。それは、当然のことだ』
今は亡き、父の声がする。
父が生前、何度も言い聞かせてきたその言葉。幼い頃父が在りし日は、『はい』ととりあえず頷いてはいたもののどことなく理解は出来ていなかった。
騎士にはなりたかったものの、守る? いまいち、よくわからなかった。
でも、父が亡くなったあの日――理解できた気がする。だから、誓った。
立派な騎士になって、この国を、そして王族の方々を守ると。
父のように。
いつか、王族の方々は手の届かないところに行ってしまう。それが、王族の責務なのだから。
なら、そのときまででもいい、なるべく近くで守り続けたい。
そう。生涯を誰とも添い遂げず、独り身で貫き通した父のように――
「――おい」
声が、どこか遠くにきこえる。
「――おい、フィルロード! おいってば!」
肩が揺すられ、呼びかけが大きくなったところで、彼は緩々と瞳を開けた。紅のそれが、一度二度と瞬かれ、テーブルに横向きに突っ伏していた顔を上げる。
隣に腰かけていた見慣れた同僚が、怪訝そうにのぞき込んできた。
「どうしたんだよ、フィルロード。騎士としてこの国に何が出来るかを語っていたと思ったら、急に反応がなくなったけど」
「……ああ。すまない、少し意識が飛んでいたようだ」
自嘲めいた微笑を浮かべて、彼――フィルロードはこめかみに指先を当てながら、小さく首を振った。
「はあ?」と、あきれた声がかけられる。
「そんな状態で、明日大丈夫なのかよ。疲れているんじゃないのか? こんな忙しいときにおまえの方から誘っておいて、先に寝ちまうとかありえないだろ」
「そうだったな。ちょっと……、飲みたい気分だったんだ。つきあわせて悪かった、カリオス」
「まあ、別にいいけど。僕も、ちょうど息抜きがしたかったところだし」
カリオスと呼ばれたフィルロードの同僚は、ふうと嘆息しながら頬杖をついた。
既に仲間たちは自室で休んでいるのだろう、誰もいない騎士団の詰所。その隅に長いテーブルを移動し、そこに二つの椅子を並べてひっそりと酒を酌み交わし始めたのが、つい先刻のことだった。
「それにしても、あのリリセニーナ様と団長がご結婚かぁ」
「ああ、そうだな」
「なんだよ、フィルロード。なんか他人事みたいじゃないか」
「そうか?」
「そうだよ。ジュシルス団長は、おまえの兄上だろう? ということは、リリセニーナ様がおまえの義理の姉上になるってことじゃないか」
「……そうだな」
頷いて、フィルロードは手にしていた酒杯を飲み干していく。
「おまえ、さっきから淡々としすぎだろ。飲みすぎじゃないのか?」
「そうか? これくらい、普通だ」
テーブルに並んだ空の酒瓶を眺めてから、フィルロードはまだ残っている酒をカリオスの杯と自分の杯に注いでいく。
礼を言ってから受け取ると、カリオスは少しだけそれに口をつけた。
「おまえにしては珍しく、結構飲んでいると思うけどな。いつもなら、せいぜい一本を空にするくらいが関の山なのに」
チラ、とテーブルを一瞥したカリオスがボソと漏らす。
「ん、そうだったか? ……よく覚えていない」
首を左右に振りながら、フィルロードは再び木の杯の中身をグイと喉に流しこんでいった。
「ほら、覚えていないくらい飲んでるんだよ、おまえは。まったく。明日は、この国にとっての最高にめでたい日なのに。おまえは、全然嬉しそうじゃないんだな」
「まさか。我らが女王代行殿下と騎士団団長殿の婚姻、素直に喜ばしいことだと思っているよ」
杯を掲げてから、フィルロードは再度唇を寄せた。
「どうだかなあ?」
疑わしそうに目を細めるカリオスに、フィルロードは曖昧に笑った。
お互いに軽くなった杯に新しい酒をついでから、「それにしても」とカリオスが切り出した。
「僕は、リリセニーナ様より妹のリリーシャ様の方が先にご結婚されるんだと思っていたよ」
「っ」
カタ、とフィルロードの杯を取ろうとした手が小さな物音を立てる。
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