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第二章 彼の決断
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「フィルロード?」
「あ……、すまない。ちょっと、手が滑ってしまった」
フィルロードが、苦笑する。
カリオスは身体の向きをフィルロードの方へ変えると、人差し指を立てた。
「おまえさ、確か幼い頃からあのお二人と一緒に育ってきたんだったよな?」
「ああ。一時期、この城にも住んでいたことがある」
杯を今度はしっかりと握り、フィルロードはそれを口元で傾けていく。
カリオスは自分のあごに手を当てると、人の悪そうな笑みを浮かべた。
「なあ、フィルロード。おまえはさ、どちらが好みとかあるのか?」
「! 不敬だぞ」
あやうく飲んでいたものを吹き出しそうになり、フィルロードはカリオスを咎める。
「ただの酒の席での戯言だよ。それに騎士団のやつらからも、そういう話題はよく出るし。別に、本気にすることはないだろ」
あっけらかんと言い放ち、大げさに肩をすくめる同僚に、フィルロードは大きく息を吐いた。
「俺は、そんな浮ついた気持ちは持っていない」
「ほんとかぁ? あんなお美しいお二人と一緒に育ったのにその気にならないなんて、まさかおまえ不能とかじゃないだろうなぁ?」
「カリオス!」
「ははははは! 冗談だよ、冗談」
責めるような眼差しのフィルロードに、カリオスは右手を軽く振った。
ひとしきり笑ったあと、カリオスは自身の杯が空になっているのを確認すると、立ち上がった。
「じゃあ、僕はそろそろ部屋に戻るとするよ」
「ああ。晩くまでつきあってくれてありがとう、カリオス。あとの片づけは、俺がしておくから」
「そうして貰えると助かるよ」
フィルロードの手が酒瓶をつかみ、新たな赤紫の液体を自身の杯に注いでいく。
その様子をあきれたように眺めていたカリオスが、小さく頬を緩めた。
「ほどほどにするんだぞ? また明日な、遅れるなよ?」
「ああ、また明日」
カリオスの靴音が遠ざかっていき、やがて消える。
それを合図に、一人残されたフィルロードは再び酒を飲み始めた。静寂の落ちた室内で黙々と杯を口元に運ぶ彼の脳裏を、夕刻の出来事がよぎっていく。
明日の準備に追われて廊下を足早に移動していた、そのとき。ふと二つの人影を視界にとらえて、彼は近くの柱に身を潜めたのだ。
この国の第二王女と、この国の宰相。どちらも、見知った人物だった。
あまり良い噂をきかない宰相との会話が気になって耳をそばだてていると、彼の耳に信じられない話が飛びこんできたのだ。
いつかはそうなると、覚悟はしていた。
実際、その前にもそんな話は聞かされていたのだから。
『あの子に……、リリーにいくつかの縁談話がきています』
『! そう、ですか。それは……、おめでとうございます。ですが、どうしてわたしにそのようなお話を?』
『幼い頃から一緒だった、あなたの意見を聞きたくて。あの子が一番幸せになるには、どなたと結ばれるのが最善だと思いますか? 私は、あの子に誰よりも幸せになって欲しいのです』
『……わたしのような者には、わかりかねます。申し訳ありませんが、もう御前を失礼してよろしいですか、女王代行殿下。やらねばならないことが、残っていますので』
『そうですか。忙しい時に呼び止めてしまって、ごめんなさい』
『いいえ。では、わたしはこれで。我が国のさらなる発展のため、妹姫様のご決断に感謝とご多幸をお祈りいたします』
『それは、あなたの本心ですか?』
『……もちろんです。わたしは、この国の――』
『私は、あなたの本心が聞きたいのです。もし仮に、私がそれを受諾したとして――それで。あなたは、どうしますか? どうしたいですか、フィル』
昼間、『彼女』に問われても答えられなかった。
なぜそれを、自分に? 『彼女』は、今さら俺にどうしろって言うんだ……!?
前髪をかきあげ、そのまま強く握りしめる。
答えられるはずが、ない。たかが一介の騎士である、自分に。
兄のように、王家に釣り合うような爵位や騎士団長としての栄誉があるわけでもない。
騎士団長の弟? 女王代行殿下の義弟? そんなものは、ただの肩書でしかない。むしろ、父に拾われたからこそ、この国の騎士になることは出来た。肩書も一緒についてきた。それだけの自分なのに。
大きな勲功でも手に出来たのなら、少しは希望があったかもしれない。が、騎士としてようやく慣れてきた現状で、それも難しそうだ。
どうしようもないやるせなさを抱えて、割り当てられた今日の仕事を済ませると、彼は気の知った同僚を酒に誘ったのだった。
「浮ついた気持ち、か……」
酒瓶から新たに注いだ杯を、ジッと見つめる。
中の赤紫の液体がユラリと揺れて、いろいろな形に変わっていく。この、酒のように――
「浮つけるくらいの軽いものだったら、まだよかったのかもしれないな」
自嘲のように、つぶやく。
フィルロードは、杯に残っていた酒をしばらく揺らしてから一気に呷った。
「あ……、すまない。ちょっと、手が滑ってしまった」
フィルロードが、苦笑する。
カリオスは身体の向きをフィルロードの方へ変えると、人差し指を立てた。
「おまえさ、確か幼い頃からあのお二人と一緒に育ってきたんだったよな?」
「ああ。一時期、この城にも住んでいたことがある」
杯を今度はしっかりと握り、フィルロードはそれを口元で傾けていく。
カリオスは自分のあごに手を当てると、人の悪そうな笑みを浮かべた。
「なあ、フィルロード。おまえはさ、どちらが好みとかあるのか?」
「! 不敬だぞ」
あやうく飲んでいたものを吹き出しそうになり、フィルロードはカリオスを咎める。
「ただの酒の席での戯言だよ。それに騎士団のやつらからも、そういう話題はよく出るし。別に、本気にすることはないだろ」
あっけらかんと言い放ち、大げさに肩をすくめる同僚に、フィルロードは大きく息を吐いた。
「俺は、そんな浮ついた気持ちは持っていない」
「ほんとかぁ? あんなお美しいお二人と一緒に育ったのにその気にならないなんて、まさかおまえ不能とかじゃないだろうなぁ?」
「カリオス!」
「ははははは! 冗談だよ、冗談」
責めるような眼差しのフィルロードに、カリオスは右手を軽く振った。
ひとしきり笑ったあと、カリオスは自身の杯が空になっているのを確認すると、立ち上がった。
「じゃあ、僕はそろそろ部屋に戻るとするよ」
「ああ。晩くまでつきあってくれてありがとう、カリオス。あとの片づけは、俺がしておくから」
「そうして貰えると助かるよ」
フィルロードの手が酒瓶をつかみ、新たな赤紫の液体を自身の杯に注いでいく。
その様子をあきれたように眺めていたカリオスが、小さく頬を緩めた。
「ほどほどにするんだぞ? また明日な、遅れるなよ?」
「ああ、また明日」
カリオスの靴音が遠ざかっていき、やがて消える。
それを合図に、一人残されたフィルロードは再び酒を飲み始めた。静寂の落ちた室内で黙々と杯を口元に運ぶ彼の脳裏を、夕刻の出来事がよぎっていく。
明日の準備に追われて廊下を足早に移動していた、そのとき。ふと二つの人影を視界にとらえて、彼は近くの柱に身を潜めたのだ。
この国の第二王女と、この国の宰相。どちらも、見知った人物だった。
あまり良い噂をきかない宰相との会話が気になって耳をそばだてていると、彼の耳に信じられない話が飛びこんできたのだ。
いつかはそうなると、覚悟はしていた。
実際、その前にもそんな話は聞かされていたのだから。
『あの子に……、リリーにいくつかの縁談話がきています』
『! そう、ですか。それは……、おめでとうございます。ですが、どうしてわたしにそのようなお話を?』
『幼い頃から一緒だった、あなたの意見を聞きたくて。あの子が一番幸せになるには、どなたと結ばれるのが最善だと思いますか? 私は、あの子に誰よりも幸せになって欲しいのです』
『……わたしのような者には、わかりかねます。申し訳ありませんが、もう御前を失礼してよろしいですか、女王代行殿下。やらねばならないことが、残っていますので』
『そうですか。忙しい時に呼び止めてしまって、ごめんなさい』
『いいえ。では、わたしはこれで。我が国のさらなる発展のため、妹姫様のご決断に感謝とご多幸をお祈りいたします』
『それは、あなたの本心ですか?』
『……もちろんです。わたしは、この国の――』
『私は、あなたの本心が聞きたいのです。もし仮に、私がそれを受諾したとして――それで。あなたは、どうしますか? どうしたいですか、フィル』
昼間、『彼女』に問われても答えられなかった。
なぜそれを、自分に? 『彼女』は、今さら俺にどうしろって言うんだ……!?
前髪をかきあげ、そのまま強く握りしめる。
答えられるはずが、ない。たかが一介の騎士である、自分に。
兄のように、王家に釣り合うような爵位や騎士団長としての栄誉があるわけでもない。
騎士団長の弟? 女王代行殿下の義弟? そんなものは、ただの肩書でしかない。むしろ、父に拾われたからこそ、この国の騎士になることは出来た。肩書も一緒についてきた。それだけの自分なのに。
大きな勲功でも手に出来たのなら、少しは希望があったかもしれない。が、騎士としてようやく慣れてきた現状で、それも難しそうだ。
どうしようもないやるせなさを抱えて、割り当てられた今日の仕事を済ませると、彼は気の知った同僚を酒に誘ったのだった。
「浮ついた気持ち、か……」
酒瓶から新たに注いだ杯を、ジッと見つめる。
中の赤紫の液体がユラリと揺れて、いろいろな形に変わっていく。この、酒のように――
「浮つけるくらいの軽いものだったら、まだよかったのかもしれないな」
自嘲のように、つぶやく。
フィルロードは、杯に残っていた酒をしばらく揺らしてから一気に呷った。
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