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第二章 彼の決断
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謹慎の身になって、五日が経った。
椅子に座って書物に目を通しながら、気になる箇所を抜き出して、白紙に羽ペンを走らせていく。書きこめる部分がなくなり、フィルロードは小さく嘆息した。
これで何枚目だろう、とチラと机の端を見れば、そこには山と積まれた紙の束たち。
隣国ウィンスベル。この大陸の北半分を占める、一年を通して寒気と高い山々に囲まれた、天然の城塞のような雪国。そのため作物は実りにくく、動植物も育ちにくいため、そこに住む人々は常に食物危機による飢餓に見舞われていた。
ウィンスベル前王ローディスは、比較的温暖で資源も豊かなミルスガルズと友好的な交流を持つことで、王家の名のもと、それを大幅に解消していた。が。
時のミルスガルズ国王が何者かに暗殺されたことをきっかけに、激怒したミルスガルズの諸侯の一部がウィンスベルへ報復のために宣戦を布告。その混乱に乗じて、ウィンスベルの王弟だったヴィルフレイドが実兄を殺害し、王権を奪い取ったのが十五年ほど前のことだった。
それから武力強硬派のヴィルフレイド王のもと、友好的だった国交は途絶えて、逆にかの国からミルスガルズは何度も侵略を受けることになった――
ここにある書物に載っている最近の大きな出来事は、このくらいだった。
手にしていた羽ペンで紙の束の一番上を小突いてからその場に置くと、フィルロードは立ち上がって伸びをした。
ウィンスベル。名前だけは何度か耳にしたことがあっても、実際に見たことも足を踏み入れたこともまだない、かの地。
どんな国なんだろうか? やはり、暴君と名高いヴィルフレイド王の圧政の元、民たちは苦しみの中を生活しているのだろうか? 平時中は商人たちの行き来もそれなりにあるだろうから、まだいい方なのかもしれないが。
金色の前髪をかきあげながら、フィルロードは嘆息する。
もしそうだとしても、ミルスガルズの騎士である自分には関係のないことだ。むしろ、その地に攻めこむ日が近々来るかもしれないのに。
さて、次は何をするかと部屋の中を見わたしていると。
「……そういえば」
フィルロードは、扉の方に目を向ける。
つい昨日まで城内が騒がしかったはずが、今日はやけに静かだ。
朝方、食事を運んできてくれた侍女に今の状況を尋ねたが、特に変わりはないようなことを言っていた。なら――
「ん?」
ザワザワとした人の声と、いくつかの足音が部屋の外から響いてくる。
「なんだ……?」
――お待ちください、お気を確かに、今はこちらには用はないはずです、早く団長殿を呼んでくるんだ、等々慌てふためいたような会話の内容が徐々に近づいてきて、それらがはっきりしてきた頃、ノックや声掛けもなしに扉が勢いよく開かれた。
「フィルロード!!」
青みがかかった紫の髪が、彼女の動きに合わせて揺らめく。
淡黄色の瞳が険しさを増し、どことなく顔色が良くない。彼女にしては珍しい焦燥に駆られているような様子に、フィルロードは驚きを浮かべてから片膝を折った。
「……これは、リリセニーナ女王代行殿下。このようなところにまでご足労頂き」
「挨拶は、今は必要ありません! フィルロード、あなた、リリーシャがどこにいるかご存じありませんか!?」
一息にまくし立てるように尋ねてくるリリセニーナに、フィルロードは伏せていた顔を上げて、眉根を寄せた。
「姫、ですか。いえ……。わたしが謹慎の身になってより、お会いしていませんが」
フィルロードの脳裏に一瞬過っていく、この部屋から逃げるように去って行った彼女。あれきり、姿すら目にしていない。
謹慎に集中できるよう、なるべく考えないようにはしていた、が。
「そう……、そうですよね」
「姫が、どうかされたのですか?」
口元に手を当て黙りこんでしまったリリセニーナに、フィルロードは逆に問いかける。
リリセニーナは一つ息を吐くと、淡黄色の瞳をわずかに揺らしながら答えた。
「……城のどこにも、いないのです」
「え?」
フィルロードの動きが止まり、紅の両目だけが広がる。
「あの子の滞在しそうな場所、行きそうなところはすべて探したつもりです。もしかしてと思って、こちらにも来てみたのですが……」
力なく、リリセニーナは肩を落とす。
「あの子の顔をこの数日見ることが出来なくて、侍女たちから様子を聞くだけしか時間に余裕がなかったのです。やっと落ち着いてきたので、久しぶりにあの子の部屋を訪れたら……、そうしたら……」
胸元で両手を重ね合わせて、一つ一つ思い出すようにリリセニーナが語る。言葉が詰まったところで、彼女は自分の衣服を強くつかんだ。
「あの子が、私に何も知らせずにどこかに行ってしまうなんて、こんなこと、こんなことって……!」
紫の髪が振り乱され、リリセニーナは頭を抱える。信じられない、とばかりに何度も首を横に振る彼女に、ようやく我に返ったフィルロードが声をかけようと口を開いた、その瞬間。
「失礼する」
低い声が入口の方からかけられ、人だかりをかきわけるように一人の男が進み出てくる。黒の長髪を無造作に宙に流し、切れ長の赤い瞳がフィルロードに、そしてリリセニーナへと向けられる。
鋭く指示が飛ばされ、人だかりが一人、また一人と部屋を出て行く。人だかりが消えて、残された男が二人の方へ向き直った。腰につるされた剣鞘の留め具が、かすかな金属音を奏でる。
椅子に座って書物に目を通しながら、気になる箇所を抜き出して、白紙に羽ペンを走らせていく。書きこめる部分がなくなり、フィルロードは小さく嘆息した。
これで何枚目だろう、とチラと机の端を見れば、そこには山と積まれた紙の束たち。
隣国ウィンスベル。この大陸の北半分を占める、一年を通して寒気と高い山々に囲まれた、天然の城塞のような雪国。そのため作物は実りにくく、動植物も育ちにくいため、そこに住む人々は常に食物危機による飢餓に見舞われていた。
ウィンスベル前王ローディスは、比較的温暖で資源も豊かなミルスガルズと友好的な交流を持つことで、王家の名のもと、それを大幅に解消していた。が。
時のミルスガルズ国王が何者かに暗殺されたことをきっかけに、激怒したミルスガルズの諸侯の一部がウィンスベルへ報復のために宣戦を布告。その混乱に乗じて、ウィンスベルの王弟だったヴィルフレイドが実兄を殺害し、王権を奪い取ったのが十五年ほど前のことだった。
それから武力強硬派のヴィルフレイド王のもと、友好的だった国交は途絶えて、逆にかの国からミルスガルズは何度も侵略を受けることになった――
ここにある書物に載っている最近の大きな出来事は、このくらいだった。
手にしていた羽ペンで紙の束の一番上を小突いてからその場に置くと、フィルロードは立ち上がって伸びをした。
ウィンスベル。名前だけは何度か耳にしたことがあっても、実際に見たことも足を踏み入れたこともまだない、かの地。
どんな国なんだろうか? やはり、暴君と名高いヴィルフレイド王の圧政の元、民たちは苦しみの中を生活しているのだろうか? 平時中は商人たちの行き来もそれなりにあるだろうから、まだいい方なのかもしれないが。
金色の前髪をかきあげながら、フィルロードは嘆息する。
もしそうだとしても、ミルスガルズの騎士である自分には関係のないことだ。むしろ、その地に攻めこむ日が近々来るかもしれないのに。
さて、次は何をするかと部屋の中を見わたしていると。
「……そういえば」
フィルロードは、扉の方に目を向ける。
つい昨日まで城内が騒がしかったはずが、今日はやけに静かだ。
朝方、食事を運んできてくれた侍女に今の状況を尋ねたが、特に変わりはないようなことを言っていた。なら――
「ん?」
ザワザワとした人の声と、いくつかの足音が部屋の外から響いてくる。
「なんだ……?」
――お待ちください、お気を確かに、今はこちらには用はないはずです、早く団長殿を呼んでくるんだ、等々慌てふためいたような会話の内容が徐々に近づいてきて、それらがはっきりしてきた頃、ノックや声掛けもなしに扉が勢いよく開かれた。
「フィルロード!!」
青みがかかった紫の髪が、彼女の動きに合わせて揺らめく。
淡黄色の瞳が険しさを増し、どことなく顔色が良くない。彼女にしては珍しい焦燥に駆られているような様子に、フィルロードは驚きを浮かべてから片膝を折った。
「……これは、リリセニーナ女王代行殿下。このようなところにまでご足労頂き」
「挨拶は、今は必要ありません! フィルロード、あなた、リリーシャがどこにいるかご存じありませんか!?」
一息にまくし立てるように尋ねてくるリリセニーナに、フィルロードは伏せていた顔を上げて、眉根を寄せた。
「姫、ですか。いえ……。わたしが謹慎の身になってより、お会いしていませんが」
フィルロードの脳裏に一瞬過っていく、この部屋から逃げるように去って行った彼女。あれきり、姿すら目にしていない。
謹慎に集中できるよう、なるべく考えないようにはしていた、が。
「そう……、そうですよね」
「姫が、どうかされたのですか?」
口元に手を当て黙りこんでしまったリリセニーナに、フィルロードは逆に問いかける。
リリセニーナは一つ息を吐くと、淡黄色の瞳をわずかに揺らしながら答えた。
「……城のどこにも、いないのです」
「え?」
フィルロードの動きが止まり、紅の両目だけが広がる。
「あの子の滞在しそうな場所、行きそうなところはすべて探したつもりです。もしかしてと思って、こちらにも来てみたのですが……」
力なく、リリセニーナは肩を落とす。
「あの子の顔をこの数日見ることが出来なくて、侍女たちから様子を聞くだけしか時間に余裕がなかったのです。やっと落ち着いてきたので、久しぶりにあの子の部屋を訪れたら……、そうしたら……」
胸元で両手を重ね合わせて、一つ一つ思い出すようにリリセニーナが語る。言葉が詰まったところで、彼女は自分の衣服を強くつかんだ。
「あの子が、私に何も知らせずにどこかに行ってしまうなんて、こんなこと、こんなことって……!」
紫の髪が振り乱され、リリセニーナは頭を抱える。信じられない、とばかりに何度も首を横に振る彼女に、ようやく我に返ったフィルロードが声をかけようと口を開いた、その瞬間。
「失礼する」
低い声が入口の方からかけられ、人だかりをかきわけるように一人の男が進み出てくる。黒の長髪を無造作に宙に流し、切れ長の赤い瞳がフィルロードに、そしてリリセニーナへと向けられる。
鋭く指示が飛ばされ、人だかりが一人、また一人と部屋を出て行く。人だかりが消えて、残された男が二人の方へ向き直った。腰につるされた剣鞘の留め具が、かすかな金属音を奏でる。
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