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第四章 隣国ウィンスベル
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「ん……」
薄暗い室内で、淡黄色の瞳がゆっくりと開く。
ぼんやりとした焦点のまま、リリーシャはベッドの上で上半身を起こした。青みがかった紫の髪が、彼女の動きにあわせて背中を覆っていく。
ベッドが一つ、テーブルに椅子、ベッドの反対側の壁には暖炉、そして鉄格子の窓と出入り口の扉があるだけの狭いこの場所が、彼女にあてがわれた部屋。それはまるで、囚人のために用意された牢獄のようだった。
だが、その扉には施錠がされていない。直接確認したわけではないけれど、鍵をどうこうしているところを彼女は一度も目にしたことがなかった。
それはつまり、逃げられるものならば逃げてみろ。
逃げられるものなら――、な?
「っ」
頭の中で低い声が響いてくるような気がして、リリーシャは小さく息を詰まらせた。
テーブルに、盆に置かれた食事が見える。いつからそこにあるのか、いつ食事を摂ったのかすら、彼女にはもうよくわからくなっていた。
「今日も……」
悪夢のような一日が始まる。
リリーシャは唇を引き結ぶと、シーツをギュと掴んだ。
***
北方の国ウィンスベル。
一年を通して寒気に包まれた、白を基調としたような雪国。
すぐそこに城下町が広がっている手前で、中心にそびえたっているウィンスベルの王が住む居城を見あげながら、フィルロードは白い息を宙に流した。
比較的高い位置に存在する城下町の、さらに上。高い山々に囲まれたそこは、天然の城塞のようだった。
どこからか吹いてきた風に、こざっぱりとした普段着とその上からまとった毛皮のコートが揺らされる。どこか懐かしい気がする風景に赤い両目を細めながら、フィルロードはただじっとその場で見あげていた。
「フィルロード」
呼ぶ声に振り返れば、騎士団の同僚で今は捜索隊の仲間であるカリオスが近づいてくる。
「そろそろ出発の時間だぞ」
「ああ、わかった」
フィルロードは首肯すると、もう一度ウィンスベルの城を一瞥してから、カリオスの横に並んで移動を始める。歩きながら、カリオスが口を開いた。
「ウィンスベル、か。ここまでは、特に何事もなく無事に来れたな」
「ああ。商人に扮装して来たのが、よかったのかもしれない」
「商人の一団というだけで、国境もだいぶ緩く通してくれたしな。まあ、それだけ食料や物資の類に困っているのかもしれないけど。あっちだ」
カリオスの指示通りに進むと、もう既に幌つきの馬車に乗りこみ、こちらを待っていてくれている仲間たち。彼らに手で合図をしてから、フィルロードとカリオスも幌の中に飛びこんだ。
ゆっくりと、馬車が動き始める。
「とりあえず街に着いたら、まずは露天商にまぎれて商売でもしながら情報集めをしよう」
「そうだな」
カリオスの提案にフィルロードが頷くと、周りも倣うように肯定を示した。
「さあ、いらっしゃいいらっしゃい。南方の商品はいかがですか? この辺りではなかなか手に入らない、珍しいものばかりだよ」
商店の並ぶ空いた一角に馬車を止めて、天幕を張る。積んできた荷物をその前に並べて、仲間の一人が声を張りあげ始めた。
それを手伝っていたフィルロードは、人だかりが少しずつ増えてきたところで、幌の中にいるカリオスに目を向けた。
「少し、抜けてもいいか?」
「ああ、街の住民の注意をこちらに引きつける、予定通りだな。気をつけろよ、フィルロード」
「わかっている。その辺を、探索してくるよ」
「ここでの情報集めは任せてくれ」
「あとを頼む」
フィルロードは腰の剣を背後に回すと、毛皮のコートに付属しているフードをかぶって天幕をあとにした。
明かりの灯った家々を滑るように、通行人に混じって雪道を進んでいく。
雪を見るのは、初めてだった。
ミルスガルズは南方に位置しており、比較的温暖な気候が続く。白く冷たい氷の結晶を最初に目にしたとき、はしゃぎ始めた騎士団の仲間たちとはうって変わって、フィルロードはただどんよりとした灰色の空を凝視していた。
こんな光景、前にもどこかで――と感じたものの、そんなわけがないと、そのときは一蹴して終わったが。
「もし、姫が……」
口に出しかけて、フィルロードは唇を引き結んだ。
いくつもいくつも降り注いでくる雪にフードを目深にかぶり、足早に移動していく。
もし、姫がヴィルフレイドの居城にいるのが本当なら、どうやって侵入するか。おそらく、正面から入るのは難しいに違いない。
やはり、情報が欲しい。あの城の、詳細な情報が。
まずは、城の付近まで移動してみることにする。城下町から続く長い階段のような先には、遠目からもよくわかる荘厳な城。高い山々に囲まれたそこにつながっているのは、その階段だけのように見えた。
「姫……」
徐々に大きさを増していく城を見あげながら、フィルロードからポツリとつぶやきが漏れ落ちていく。
「あなたは、今頃……」
苦しくなってきた胸元を強く握りしめていると、視界の先に黒い影をいくつもとらえて、フィルロードは傍の木に身を滑りこませた。
薄暗い室内で、淡黄色の瞳がゆっくりと開く。
ぼんやりとした焦点のまま、リリーシャはベッドの上で上半身を起こした。青みがかった紫の髪が、彼女の動きにあわせて背中を覆っていく。
ベッドが一つ、テーブルに椅子、ベッドの反対側の壁には暖炉、そして鉄格子の窓と出入り口の扉があるだけの狭いこの場所が、彼女にあてがわれた部屋。それはまるで、囚人のために用意された牢獄のようだった。
だが、その扉には施錠がされていない。直接確認したわけではないけれど、鍵をどうこうしているところを彼女は一度も目にしたことがなかった。
それはつまり、逃げられるものならば逃げてみろ。
逃げられるものなら――、な?
「っ」
頭の中で低い声が響いてくるような気がして、リリーシャは小さく息を詰まらせた。
テーブルに、盆に置かれた食事が見える。いつからそこにあるのか、いつ食事を摂ったのかすら、彼女にはもうよくわからくなっていた。
「今日も……」
悪夢のような一日が始まる。
リリーシャは唇を引き結ぶと、シーツをギュと掴んだ。
***
北方の国ウィンスベル。
一年を通して寒気に包まれた、白を基調としたような雪国。
すぐそこに城下町が広がっている手前で、中心にそびえたっているウィンスベルの王が住む居城を見あげながら、フィルロードは白い息を宙に流した。
比較的高い位置に存在する城下町の、さらに上。高い山々に囲まれたそこは、天然の城塞のようだった。
どこからか吹いてきた風に、こざっぱりとした普段着とその上からまとった毛皮のコートが揺らされる。どこか懐かしい気がする風景に赤い両目を細めながら、フィルロードはただじっとその場で見あげていた。
「フィルロード」
呼ぶ声に振り返れば、騎士団の同僚で今は捜索隊の仲間であるカリオスが近づいてくる。
「そろそろ出発の時間だぞ」
「ああ、わかった」
フィルロードは首肯すると、もう一度ウィンスベルの城を一瞥してから、カリオスの横に並んで移動を始める。歩きながら、カリオスが口を開いた。
「ウィンスベル、か。ここまでは、特に何事もなく無事に来れたな」
「ああ。商人に扮装して来たのが、よかったのかもしれない」
「商人の一団というだけで、国境もだいぶ緩く通してくれたしな。まあ、それだけ食料や物資の類に困っているのかもしれないけど。あっちだ」
カリオスの指示通りに進むと、もう既に幌つきの馬車に乗りこみ、こちらを待っていてくれている仲間たち。彼らに手で合図をしてから、フィルロードとカリオスも幌の中に飛びこんだ。
ゆっくりと、馬車が動き始める。
「とりあえず街に着いたら、まずは露天商にまぎれて商売でもしながら情報集めをしよう」
「そうだな」
カリオスの提案にフィルロードが頷くと、周りも倣うように肯定を示した。
「さあ、いらっしゃいいらっしゃい。南方の商品はいかがですか? この辺りではなかなか手に入らない、珍しいものばかりだよ」
商店の並ぶ空いた一角に馬車を止めて、天幕を張る。積んできた荷物をその前に並べて、仲間の一人が声を張りあげ始めた。
それを手伝っていたフィルロードは、人だかりが少しずつ増えてきたところで、幌の中にいるカリオスに目を向けた。
「少し、抜けてもいいか?」
「ああ、街の住民の注意をこちらに引きつける、予定通りだな。気をつけろよ、フィルロード」
「わかっている。その辺を、探索してくるよ」
「ここでの情報集めは任せてくれ」
「あとを頼む」
フィルロードは腰の剣を背後に回すと、毛皮のコートに付属しているフードをかぶって天幕をあとにした。
明かりの灯った家々を滑るように、通行人に混じって雪道を進んでいく。
雪を見るのは、初めてだった。
ミルスガルズは南方に位置しており、比較的温暖な気候が続く。白く冷たい氷の結晶を最初に目にしたとき、はしゃぎ始めた騎士団の仲間たちとはうって変わって、フィルロードはただどんよりとした灰色の空を凝視していた。
こんな光景、前にもどこかで――と感じたものの、そんなわけがないと、そのときは一蹴して終わったが。
「もし、姫が……」
口に出しかけて、フィルロードは唇を引き結んだ。
いくつもいくつも降り注いでくる雪にフードを目深にかぶり、足早に移動していく。
もし、姫がヴィルフレイドの居城にいるのが本当なら、どうやって侵入するか。おそらく、正面から入るのは難しいに違いない。
やはり、情報が欲しい。あの城の、詳細な情報が。
まずは、城の付近まで移動してみることにする。城下町から続く長い階段のような先には、遠目からもよくわかる荘厳な城。高い山々に囲まれたそこにつながっているのは、その階段だけのように見えた。
「姫……」
徐々に大きさを増していく城を見あげながら、フィルロードからポツリとつぶやきが漏れ落ちていく。
「あなたは、今頃……」
苦しくなってきた胸元を強く握りしめていると、視界の先に黒い影をいくつもとらえて、フィルロードは傍の木に身を滑りこませた。
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