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第六章 互いの傷痕
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真摯な眼差しを注ぎながら、ヒューゼルが人差し指でフィルロードを指してくる。
「初陣、だったんだろう? 俺が見てきた若い連中は、初陣のあとはいろいろと大変だったからな。無事ではなかったやつも、もちろんいた。だから、貴殿のことも気になっていたんだ」
「そうなんですね、ありがとうございます」
礼儀正しく頭を垂れるフィルロードに、ヒューゼルは意外そうな表情を浮かべた。
「貴殿は……、あまり変わらないように見えるな。見た目とは裏腹に、かなり豪胆な性格だったということか。で、少しは成果を残せたのか?」
「……成果かはわかりませんが、姫を襲っていた兵士を、倒しました」
淡々と、フィルロードは答える。
「そうか。大事な方を守れて敵まで撃退した、十分な成果じゃないか。よくやったな」
「……はい」
グシャグシャと頭をかき回されるのをどこか遠くに感じながら、フィルロードはうつむく。
紅の瞳がさまざまな感情に揺らめく中、もう何度目かになる杯を勧められて、フィルロードは慌てて現実に戻る。
礼と一緒に受け取ると、くすぶり始めた何かを再び封じるかのように、フィルロードは杯の中身を一気に呷った。
「これから、貴殿はどうするつもりだ?」
すっかり日も落ちて、夜のとばりが辺りを包んだ頃。
いい具合に酒が回ったのを見計らって、二人は酒場を出た。いくらか進んだところで立ち止まったヒューゼルが、フィルロードに問いかけた。
訝しげに眉を寄せながら、フィルロードも足を止める。
「どうするも何も、城に戻りますが……」
当然のように答えてくるフィルロードに、ヒューゼルは口角をニヤとつり上げた。
「城に戻っても、夜番でないのならあとはどうせ休むだけだろう? 俺は今から娼館に行くつもりだが、貴殿も一緒にどうだ? 夜は、まだまだ長いぞ」
娼館。
一度も足を運んだことはないが、騎士の仲間たちとの話の中でたまに出てくるその言葉。
「! いえ……、わたしは先約がありますので」
慌てて首を振りながら、フィルロードは目線を下に向ける。
「そうか。夜に予定とは、貴殿も隅に置けないな。ではまた、別の機会に」
手を振って去っていくヒューゼルを見送ってから、フィルロードは短く息を吐いた。
興味がないわけではないが、自分には――
前髪をかきあげると、酔いのせいかクラリとしたものが頭を廻っていく。
これからまだやらねばならないことがあるのだから、と気を引き締めなおすと、フィルロードは足早にその場を後にした。
***
「……フィルロード?」
遠慮がちな声に名前を呼ばれ、はっと我に返ったフィルロードは、慌てて声の主に目を向けた。
寝台に座り、床に両足をつけたリリーシャが、すぐ隣で不思議そうに小首を傾げてくる。
「どうかしましたか?」
リリーシャの問いかけに、フィルロードは赤い瞳を二度ほど瞬かせた。
確認しなくてもわかる、ここは彼女の寝室。最近は、毎晩彼女が眠りに落ちるまで側にいることが習慣になっていた。
始めの方こそ何度も目を覚ましていたリリーシャだったが、徐々に回数が減り、間隔もだいぶ空くようになって、フィルロードも早朝より前に自室へ戻れる日が増えていた。
「……申し訳ありません、少し考えごとをしていたようです」
ようやく自分の状況を思い出したフィルロードは、あまりの不甲斐なさに、腰を折って深々とリリーシャに謝罪した。
「大丈夫ですか? いつもの笛はもう聞かせて貰いましたし、今夜はもう休んだ方が良いのではありませんか?」
「いえ。ご心配には、及びませんので」
思考や注意力がいつもよりも散漫な気がして、フィルロードはこめかみの辺りを指でもみほぐしていく。
「そういえば」と、リリーシャは頬に人差し指を当てた。
「今日のあなたからは、珍しくお酒の匂いがしますね」
「あ……と、すみません。夕方、ヒューゼル殿に誘われて、先ほどまで街の酒場の方に……」
おそらくの要因が今さら判明して、苦笑混じりにフィルロードが答える。
納得したように、リリーシャは頷いた。
「いつもと違うような気がしたのは、お酒のせいだったのですね」
曖昧に笑ったまま、フィルロードは座っていたリリーシャの寝台から離れて椅子を持ってくると、そこに腰を落ち着けた。
「酒の匂いは、お嫌いですか?」
「嫌いというわけではないのですが………。慣れていないのかもしれません」
遠のいてしまった匂いを目で追っていたリリーシャは、あわてて違う話題を振った。
「どのような味がするものなのですか?」
「そうですね……。日によって違いますが、甘かったりほろ苦く感じたり様々です。興味がおありなら、今度、弱めのものをご用意いたしましょうか?」
「はい。試してみたいです」
「承知いたしました。就寝前にお飲みになれば、寝つきもよくなるかもしれませんね」
頷いて、フィルロードは何かしら考えこむように視線を下に向けた。
しばらくその表情を無言で見つめていたリリーシャは、こみあげてきた想いをそのまま音にする。
「……いつもありがとうございます、フィルロード」
フィルロードはリリーシャに少しだけ驚いた視線を注いでから、ふっと表情を和ませた。
「とんでもありません。これがわたしの――、職務ですから」
「そう、ですね」
小さく笑ってから、リリーシャは伏せ気味になっていた淡黄色の瞳を、真っすぐにフィルロードに向けた。
「初陣、だったんだろう? 俺が見てきた若い連中は、初陣のあとはいろいろと大変だったからな。無事ではなかったやつも、もちろんいた。だから、貴殿のことも気になっていたんだ」
「そうなんですね、ありがとうございます」
礼儀正しく頭を垂れるフィルロードに、ヒューゼルは意外そうな表情を浮かべた。
「貴殿は……、あまり変わらないように見えるな。見た目とは裏腹に、かなり豪胆な性格だったということか。で、少しは成果を残せたのか?」
「……成果かはわかりませんが、姫を襲っていた兵士を、倒しました」
淡々と、フィルロードは答える。
「そうか。大事な方を守れて敵まで撃退した、十分な成果じゃないか。よくやったな」
「……はい」
グシャグシャと頭をかき回されるのをどこか遠くに感じながら、フィルロードはうつむく。
紅の瞳がさまざまな感情に揺らめく中、もう何度目かになる杯を勧められて、フィルロードは慌てて現実に戻る。
礼と一緒に受け取ると、くすぶり始めた何かを再び封じるかのように、フィルロードは杯の中身を一気に呷った。
「これから、貴殿はどうするつもりだ?」
すっかり日も落ちて、夜のとばりが辺りを包んだ頃。
いい具合に酒が回ったのを見計らって、二人は酒場を出た。いくらか進んだところで立ち止まったヒューゼルが、フィルロードに問いかけた。
訝しげに眉を寄せながら、フィルロードも足を止める。
「どうするも何も、城に戻りますが……」
当然のように答えてくるフィルロードに、ヒューゼルは口角をニヤとつり上げた。
「城に戻っても、夜番でないのならあとはどうせ休むだけだろう? 俺は今から娼館に行くつもりだが、貴殿も一緒にどうだ? 夜は、まだまだ長いぞ」
娼館。
一度も足を運んだことはないが、騎士の仲間たちとの話の中でたまに出てくるその言葉。
「! いえ……、わたしは先約がありますので」
慌てて首を振りながら、フィルロードは目線を下に向ける。
「そうか。夜に予定とは、貴殿も隅に置けないな。ではまた、別の機会に」
手を振って去っていくヒューゼルを見送ってから、フィルロードは短く息を吐いた。
興味がないわけではないが、自分には――
前髪をかきあげると、酔いのせいかクラリとしたものが頭を廻っていく。
これからまだやらねばならないことがあるのだから、と気を引き締めなおすと、フィルロードは足早にその場を後にした。
***
「……フィルロード?」
遠慮がちな声に名前を呼ばれ、はっと我に返ったフィルロードは、慌てて声の主に目を向けた。
寝台に座り、床に両足をつけたリリーシャが、すぐ隣で不思議そうに小首を傾げてくる。
「どうかしましたか?」
リリーシャの問いかけに、フィルロードは赤い瞳を二度ほど瞬かせた。
確認しなくてもわかる、ここは彼女の寝室。最近は、毎晩彼女が眠りに落ちるまで側にいることが習慣になっていた。
始めの方こそ何度も目を覚ましていたリリーシャだったが、徐々に回数が減り、間隔もだいぶ空くようになって、フィルロードも早朝より前に自室へ戻れる日が増えていた。
「……申し訳ありません、少し考えごとをしていたようです」
ようやく自分の状況を思い出したフィルロードは、あまりの不甲斐なさに、腰を折って深々とリリーシャに謝罪した。
「大丈夫ですか? いつもの笛はもう聞かせて貰いましたし、今夜はもう休んだ方が良いのではありませんか?」
「いえ。ご心配には、及びませんので」
思考や注意力がいつもよりも散漫な気がして、フィルロードはこめかみの辺りを指でもみほぐしていく。
「そういえば」と、リリーシャは頬に人差し指を当てた。
「今日のあなたからは、珍しくお酒の匂いがしますね」
「あ……と、すみません。夕方、ヒューゼル殿に誘われて、先ほどまで街の酒場の方に……」
おそらくの要因が今さら判明して、苦笑混じりにフィルロードが答える。
納得したように、リリーシャは頷いた。
「いつもと違うような気がしたのは、お酒のせいだったのですね」
曖昧に笑ったまま、フィルロードは座っていたリリーシャの寝台から離れて椅子を持ってくると、そこに腰を落ち着けた。
「酒の匂いは、お嫌いですか?」
「嫌いというわけではないのですが………。慣れていないのかもしれません」
遠のいてしまった匂いを目で追っていたリリーシャは、あわてて違う話題を振った。
「どのような味がするものなのですか?」
「そうですね……。日によって違いますが、甘かったりほろ苦く感じたり様々です。興味がおありなら、今度、弱めのものをご用意いたしましょうか?」
「はい。試してみたいです」
「承知いたしました。就寝前にお飲みになれば、寝つきもよくなるかもしれませんね」
頷いて、フィルロードは何かしら考えこむように視線を下に向けた。
しばらくその表情を無言で見つめていたリリーシャは、こみあげてきた想いをそのまま音にする。
「……いつもありがとうございます、フィルロード」
フィルロードはリリーシャに少しだけ驚いた視線を注いでから、ふっと表情を和ませた。
「とんでもありません。これがわたしの――、職務ですから」
「そう、ですね」
小さく笑ってから、リリーシャは伏せ気味になっていた淡黄色の瞳を、真っすぐにフィルロードに向けた。
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