怪奇短編集

木村 忠司

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赤い部屋〜前編|

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 ある晴れた日の午後、私は窓の外の車の往来と雑踏の風景を眺めていた。そして机の上の電話が鳴った。私は吸っていたタバコもみ消し受話器をとった。

 電話かけてきた相手は、それなりに有名なミステリー作家の浅沼十三だった。文学に疎い私も、その名前を知っていた。長年つちかったたくさんの固定ファンがついており、新作を出せば本屋の目立つところに置かれる売れっ子作家だ。

 私は本当にこの受話器から聞こえてくる男が売れっ子作家なのか怪しく思ったが、彼は単刀直入に「新作の原稿が盗まれた」と言った。彼は未だに紙にペンで書いており、その大切な原稿がなくなったらしい。
 

 その原稿は単行本描きおろし長編で、締め切りが近くもうほぼ完成した手書きの原稿ということだった。かれはPCのデジタルデータではなく、未だに、原文の脇の余白に書いて推敲する古いタイプの作家らしかった。

 手書きの原稿を丁寧に金庫に入れて保管していたはずが、誰かにこじ開けられて持っていかれてしまったという。部屋の窓を割られており、犯人の姿は見ていないと言った。犯人をどうか見つけて欲しいとの依頼の電話だった。

 私は自分の探偵事務所を出ると、彼の家に向かった。山手の郊外にある豪邸だった。高い塀に囲まれた邸宅にはたくさんの監視カメラが光っていた。にもかかわらずどうやらそれらは役に立たなかったようだ。

 私は豪勢な玄関に付けられたインターフォンを押おすと、主人である浅沼十三自身が現れた。その邸宅は二三人召使がいてもおかしくないところだとおもうほどの、私には縁のない感じの贅沢な作りだった。

 彼は挨拶早々に、早速私を書斎に案内した。

 それは昭和、いや大正を思わせる前時代的なデザインの赤を主調にした十帖ほどの落ち着いた部屋だった。まず目を引く重厚な書斎机があり、二メートルを超す背の高いアンティーク風の本棚には、本がぎっしりと整頓されれ隙間なく鎮座していた。

 奥に暖房設備として大きな暖炉が備え付けられていて、その前には都度休息にもってこいの、筋肉を緩緩めゆったりと座れそうな高級なカウチが置かれていた。

 そのあとに私の目に入ったのは、盗まれた原稿の入っていた金庫だった。それは壁に埋め込まれる形で収納されていて、鍵穴とダイアルの二重構造となっていた。しかしわりと単純でこじんまりとしており無機質な金庫だったが、原稿を入れるためだけならばこれで事足りるのだろう。それの扉は少し開いたままになっている。

 私は膝をついてその金庫をチェックしてみたが、とくにこじ開けられた痕跡はなく、遺留物などなにも見当たらなかった。

 次に窓を見せてもらった。書斎の中で金庫の反対側の天井近くについていた。ガラスは割れていて、破片が床に散らばっていた。それ以外窓についても手がかりはなかった。


「ところでその失われた新作の原稿とは、どんな内容だったのですか?」

「僕の代表作『赤い部屋』の続編なんです」彼は答えた。

「『赤い部屋』の続編?『赤い部屋』といえば私も知っているベストセラーです。学生時代ミステリーファンだった私も読ませてもらいましたが、たしかあなたは取材かなにかで『赤い部屋』の続編は書かないと言ってませんでしたか?」

「そう言ってましたね。でも、ファンからの要望が多くて、気が変わったんです」彼は苦笑した。

「あなたは『赤い部屋』で一躍有名になりましたが、その後も他の作品で評価されています。あなたにとって『赤い部屋』の続編を書くことはリスクではありませんか?」私は何かその苦笑に違和感を持ち尋ねた。

「たしかにリスクはあるけど、それを乗り越える自信があります。機が熟したと言ったところでしょうか。『赤い部屋』の続編は僕の最高傑作になると思っていました」

「なるほど満を持しての力作だったのですね。それをあろうことか、あともう少しで完成の寸前で盗まれてしまったと‥‥」

「はい」

「原稿が盗まれたことについて、何か思い当たることはありませんか?」

彼はそこですこし思いあぐねて考え込んだ。そして答えた。
「思い当たることはありません。しかし私の家に出入りする人間は何人かいます。家政婦や出版会社の編集、清掃会社の作業員など何人かいます。私は原稿を三日前に原稿に手入れした後、誰にも見せずに金庫に入れました。金庫の鍵も僕だけが持っています。そして今日の午前中開けてみるとなくなっていたのです。彼らが無関係だと信じたいのですが、内部の人間という線もありえますが、すぐ警察に頼ることで事を大きくしたくなかった。それでひとまずあなたに依頼することにしたのです」

「なるほど金庫の鍵はどこに保管していますか?」私は質問した。

「僕の机の引き出しに入れています」

「その引き出しは施錠がされていませんね。それは安全上問題ではありませんか?どこかないかと探す際に一番最初に開けられかねない場所です。またはちょっとした好きに、何者かが拝借してコピーしたりする可能性がありますよ」私は少し驚きながらも更に質問した。

「心配しないでください。私の家には防犯カメラがありますから、侵入者がいればすぐに分かります。それにナンバー式のダイアルもついています」彼は笑いながら答えた。

「なるほど、鍵があっても番号がわからなければ開かないわけだ。その番号をどこかに控えていたりはしていないのですか?」

「その番号は私の頭の中にしかありません」

「ということは、現実的にはあなたしか開けられない・・・・と」

「その通りです」

「しかし現に金庫は解錠されてしまって、中の原稿は消えてしまっている・・・・」


そこで私はしばらく黙ってその他の細かい状況と情報を精査してみた。

そしてもう一度浅沼十三に向き直った。
「それでは、防犯カメラの映像を見せてください。犯人の姿が映っているかもしれません」

「分かりました。では、こちらに来てください。防犯カメラの映像はこのモニターで見ることができます」


次に私は彼の案内で、書斎から別室の専用のセキュリティルームへと移った。

そこで私は四方の塀の上についているカメラの録画をチェックした。複数のカメラはそれぞれ様々なアングルで死角がないようにうまく設置されていて、彼の家の周囲をを一周見渡せることができた。

私はいっこいっこ映像を確認していき、犯行当日の夜に何か怪しい動きがないか探した。しかし犯行当日の夜に何者かが侵入した様子は映ってはいなかった。猫一匹この家に侵入してはいなかった。

私は首をひねった。

(犯人はどうやって入って、どうやって金庫を開けて、どうやって出て行ったんだ?そして、何故原稿だけを盗んだんだ?)

続いて室内のビデオ動画をチェックしようと考えた。書斎の面した廊下に防犯カメラがあり、その録画を再生することにした。

見るべき内容は三日分もあった。もう既に数個分のカメラの長い録画動画を見ていたので、私はさすがに疲れが出て来た。私はあくびしながらぼんやりしながら都度早送りを繰り返し、室内の様子に目を通した。

そのうち依頼者である浅沼十三も飽きたのか、モニタールームを出ていって他に行ってしまっていた。

 睡魔に襲われあぶなく眠りそうになったそのとき、私は驚くべき光景を目にすることになった。昨日の午前二時十四分の映像だ。

 浅沼十三が暗い廊下をのそのそと歩いている。すると迷わず書斎にはいり、どこかでガラスが割れた音がする。しばらくすると原稿と思われる書類を手にした浅沼が書斎を出て行く様子が映っていたのだ。

 私の眠気は完全に吹き飛んだ。

つづく


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