紅き龍棲の玉座

五月雨輝

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月下の脱走

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 ダルコによる斬首刑の告知から二時間ほどが経った。

 ――どうする? どうすればいい? 朝が来れば俺が斬首だ。

 リューシスは思考を巡らす。
 だが、天法術ティエンファーも使えぬ地下深い牢の中にたった一人。何も考えは出ず、絶望と焦りのみが思考を支配して行く。

「おい、そろそろ交替だろ」

 鉄格子の向こう、衛兵の一人が、もう一人に言った。

「ああ、そうだな。じゃあ、上に行って来る」
「おう」

 一人が廊下の奥へと歩いて行った。
 だが、すぐにもう一人がその背へ声をかけた。

「あ、ちょっと待て。ついでに俺も小便して来る」
「それじゃ、ここに誰もいなくなっちまうだろうが」
「小便だ。すぐに戻ってくるから大丈夫だ。それに鍵はかけてあるんだ」
「仕方ねえな。早くしろよ」

 そして、二人そろって廊下の奥へ消え、階段を上がって行った。

 ――いい機会だが……この鉄格子を開けられなければ意味が無い。

 リューシスは溜息をついた。
 だが、鉄格子の外を見て、目を瞠った。
 70セーツ(cm)ほど先に、きらりと光る物がある――鍵であった。

 ――まさか、この牢の鍵か? あいつらがうっかり落として行ったのか?

 リューシスは、格子の隙間から手を伸ばした。
 だが、70セーツ(cm)ではやはり届かない。
 リューシスは革のベルトを解いた。
 そして、格子の間からベルトをしならせた。戻って来るベルトと共に、鍵がこちらに転がって来た。
 急いでその鍵を掴む。

「よし」

 リューシスは思わず声を上げた。
 格子の隙間から手を出し、手首を思いっきり捻る。何とかぎりぎりで鍵穴に届いた。そのまま少し震わせながら鍵を鍵穴に差した。鍵はぴたりと合った。右に回すと音と共に開いた。

「いいぞ!」

 リューシスは会心の声を上げ、左拳を握って振った。
 扉を開いて外に出る。
 暗い廊下を走り、階段を駆け上がって行く。
 と、ちょうど小便から戻って来た衛兵と、交代した新しい衛兵の二人に出くわした。

「で、殿下だ!」
「脱走したぞ」

 二人は目を丸くし、驚きの声を上げた。
 リューシスは舌打ちして、

「今は情けはかけられねえ」

 と言うや、手前の一人に飛鳥の如く飛びかかり、組み伏せてその横面を二度殴るや、空いた左手で腰の剣を抜いて奪った。
 そして返す手でさっと振り下ろし、一刀の下に斬り沈めた。
 石壁にこだまする絶叫と共に、血飛沫が床に飛び散った。

 文字通り、もう一人が、

「あっ……」

 と言う間の早業であった。
 リューシスはそのまま階段を駆け上がると、もう一人に対して上段から斬りかかった。
 相手の衛兵はそれを正面から受け止めたが、反撃に出ることなく階段を駆け上がって逃走した。

 リューシスは、幼少の頃から一通りの武技を修めており、腕前もそこそこのものであるが、特に達人と言えるほどのものでもなく、また身長体格腕力も並で、バーレンやネイマンのような一騎当千の豪傑タイプではない。
 だが、今のリューシスには対する者を圧する凄まじい気迫と殺気が全身に漲っていた。
 衛兵はその剣圧に耐え切れずに逃げ出したのである。

「大変だ! 殿下が脱走したぞ!」

 衛兵は大声で悲鳴を上げながら階段を駆け上がる。
 しかし、リューシスの方が速かった。

「騒ぐなよ」

 リューシスは言うと、飛ぶように階段を駆け上がり、背後から斜めに斬りつけた。
 その斬撃は剣の切っ先が甲冑の青銅の背をわずかに斬り裂いただけであったが、勢いは十分で、衛兵は前のめりに倒れた。
 そこへリューシスは更に襲いかかり、背に剣を突き刺してとどめを刺した。

 絶鳴を後ろに聞いて、リューシスはそのまま階段を駆け上がる。
 何段も上って行き、ついに地上に出た。

 そこは宮城内の外れである。
 少し離れたところに、篝火に照らされて政庁の建物が見える。

 リューシスは夜空を見上げた。
 雲の無い星空に、白い満月が煌々と輝いている。

 ――よし、今夜は満月か。

 リューシスが無言で頷いた時、数人の驚く声が聞こえた。

「リュ、リューシスパール殿下だ!」
「大変だ、脱走したぞ!」

 その方を見れば、三人の衛兵がいてリューシスを見ていた。
 リューシスは三人を睨み回した。三人は一瞬、気圧されて狼狽えたような表情を見せたが、

「逃がすわけにはいかん」
「捕らえるんだ」

 と、すぐにそれぞれを剣を抜いて構えた。

「悪いがこっちとしても邪魔されるわけにはいかねえ」

 リューシスは右手で剣を正面に突き出して構え、肘を曲げて左手を開いた。左手の平にパチパチと音を立てながら金色の光の粒が集まって行く。

「かかれっ!」

 衛兵の一人が言うのを合図に、夜闇の中で三本の剣光が閃いた。

 リューシスはまず飛び退いてそれを避けた。
 続いての斬撃も躱し、更に数段飛び退いた。
 その時、左の掌には直径10セーツほどの雷気を纏った光の塊ができている。
 リューシスは左手を振ってそれを放った。光の塊が衛兵たちに飛んで行く。
 一人に命中し、焦げた煙を発しながら吹っ飛んだ。

「ああっ」

 驚く残りの二人。だがその眼前に、すでにリューシスの剣が迫っていた。
 右斜め上から稲妻の如く落ちる斬撃。一人の首筋を断った。
 噴いた血飛沫がリューシスの絹の服を赤く染めた。
 リューシスは返す手で剣を右に一閃。残る一人の胴の隙間を斬り裂いた。
 最後の一人は血を噴きながらうめき声と共に真後ろに倒れた。

 リューシスは、血だまりの中に沈んでいる二人と、少し離れたところに倒れて気絶している一人を、息を乱しながら見下ろしていたが、その表情に複雑そうな色が浮いた。
 だが、小さく首を横に振ると、

「早くここから逃げないと」

 と、剣をを手にしたまま宮城内の世闇へ駆け出した。



 その頃、リューシスの宮殿では、侍女のワンティンが不安そうな顔で宮殿中の部屋を行ったり来たりしていた。

 ワンティンはまだ十四歳。少女の年齢であるが、年の割りにとてもしっかりしていて賢い。リューシスが毒入りの梨で皇帝を暗殺しようして牢に入れられたと聞いた時、全てを悟った。

(明日裁判だって言うけど、きっと大丈夫だよね。殿下は父君である陛下を毒殺したりなんかしない。殿下は罠にかけられただけ。明日になれば、きっと殿下の無実が晴れて、またここに戻って来るよね……)

 しっかりしていて聡明であっても、心はまだ少女である。ワンティンは不安で心配でたまらない。意味も無く厨房に行って鍋の蓋を持ち上げたり、居間の絨毯をめくってみたりと、とにかく落ち着かなかった。

(うん、大丈夫。殿下はきっとまた戻って来るよ。そうしたら、ちょっと高いけど私のお小遣いで殿下の好きな烏魚子ウーユーズを買おう。 ランカイフォン産の葡萄酒プータージュも買うんだ、うん)

 ワンティンは無理矢理自分に言い聞かせ、一人頷くと、不安を吹き飛ばそうと、鏡の前に立って笑顔を作った。
 その時、自分の顔見てふと気付いた。

「あ、そうだ。私が裁判に行って証人になればいいんじゃない。あの梨は皇后陛下の侍女のシンイー様から差し入れでもらったものだって。何だ、それで解決だわ」

 そう思うと、急に安心が戻って来た。そして早速、裁判に行くにはどうすれば良いか、すぐにでも政庁に行った方がいいかな、などと考えていると、シャオミンがどこか慌てた様子で飛びながら入って来た。

「ワンティン、大変だよ」

 豹柄模様の神猫シンマーオンは、猫の顔でも青ざめているのがわかる顔だった。

「殿下の斬首刑が決まったって。明日の朝だって」
「ええ?」

 ワンティンは仰天した。

「まだ裁判してないのに何で? 明日裁判なんでしょう? どうして?」
「わからないけど、皇帝陛下がそう決めたんだって。見回りの衛兵たちが話してた」
「そんな、そんな……」

 ワンティンは泣き出しそうな顔になった。

「ねえ。今からでも、皇宮に行って皇帝陛下に殿下の無実を訴えられないかな」
「陛下に会えるわけないよ。特に今は病気だし」

 シャオミンは力なく言う。

「そんな……だって……」
「でも、ワンティン。それどころか、僕たちもここから逃げた方がいいと思うんだ」
「何で……あ、そうか」

 聡明なワンティンはすぐに気付いた。

「あの毒入りの梨が皇后陛下から差し入れされたことを知っているのは私たちだけ。外で証言されるとまずい……」
「うん、絶対口封じに来るよ」
「そうね。こうしていられない。すぐに逃げよう。まずは私たちが生きていなきゃ、殿下の無罪を証明できない」

 ワンティンの決断は早かった。
 すぐに自室に駆け込んで身支度をした。きっとすぐに戻って来れると信じ、簡単に整えた。
 だが、こつこつと溜めていたお金は全額携帯した。

 そして黒髪のハンウェイ人少女と神猫シンマーオンは、こっそりと目立たぬように、荷物や食材などを搬入する裏口から外に出た。
 その時、正門の方から人の声が聞こえた。

「侍女のワンティン殿はおられるか? ワルーエフ丞相の使いの者である」

 ワンティンの顔色が変わった。きっとマクシムの命を受け、身柄拘束か、暗殺の為に来た兵士であろう。
 まさに間一髪であった。ぐずぐずしてはいられない、と、一人と一匹は急いだ。
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