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五歳のリューシス
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その夜更け、午前一時を過ぎた頃であった。
ルード・シェン山の東側を、一軍が松明の火もつけずに密かに行軍していた。
マクシムの命を受けた、七龍将のルスラン・ナビウリンが率いる三千人の夜襲部隊である。飛龍隊は連れていない。翼の音で気付かれてしまう心配があるからだ。
彼らは、一切の声を上げぬように厳命されていた。誰一人言葉を発さず、粛々とユエン河とウールン河を渡って行った。
そして彼ら夜襲部隊は、ルード・シェン山の北側まで回り込むと、断崖絶壁でも比較的傾斜があり、草や樹木が生えていて登りやすそうなところを見つけた。
ルスランは、兵士らにそこから登って行くように命じた。
夜目の効く者らを選んでいる。深夜の暗闇の中でも、皆、順調に崖を登って行く。リューシス軍の妨害は無かった。気付かれている気配も無い。作戦は成功した、と誰もが確信した。
一番先頭を行く兵士が、あとわずか五メイリ(メートル)ほどで山頂に到達する、と言うところで、用意していた鉤縄を上に投げつけた。鉤がしっかりと岩に刺さった感触を確かめると、兵士は会心の笑みを浮かべて、縄を伝って一気に駆け上がって行った。
だが、その先の崖上に、突然として十数人のリューシス軍兵士らが薄笑いの顔を出した。
登り切ろうとしていた兵士の顔に絶望の色が走った。その瞬間、大量の石が落とされた。
兵士が無念の悲鳴と共に岩肌から落ち、それに巻き込まれて後続の兵士らも落下した。また、他の登攀していた兵士らも、投石の直撃に遭って闇の底へ転げ落ちて行った。
それをウールン河の向う側から目撃したルスランは、さっと顔色を変えた。
側近の部下も青くなって叫んだ。
「しまった、気付かれていたか!」
だがルスランは、普段は明るい瞳を鋭く光らせると、
「いや、あれは、気付かれていたと言うより、見抜かれていたと言うのが正しい」
と冷静に言って、四方の夜闇を見回した後、
「そして、見抜かれていたならば、リューシス殿下のことだ。きっとそれ以上の用意があるはずだ。これ以上の作戦続行は無用! 急ぎ撤退だ! 急げ急げ!」
と、大声を響かせて、まだ崖に向かっていない兵士らをまとめて撤退しようとした。
ルスランの判断は速かった。だが皮肉にも、実に的確であった。
残っていた兵士らが口々に喚きながら駆け出した時、夜空から翼の羽ばたく音が大きく響いた。
その瞬間、咆哮と共に夜闇を斬り裂きながら左右上空から飛んで来る飛龍の一団。
「打てっ!」
右側の先頭を飛ぶ龍士が、長剣を月光に煌かせながら命令を響かせた。
闇の中でも目立つ紅衣銀甲の武将、それはリューシスであった。
リューシス率いる飛龍隊、合計約五十騎が、左右からルスランの部隊目掛けて矢の一斉射撃を行った。
少数であるが、夜闇の中での不意を突いた射撃である。十分な効果であった。
更に続いて、
「降下突撃!」
と、リューシスの命令が響き渡った。
飛龍たちが猛獣の咆哮を響かせ、左右から一斉に降下突撃を敢行した。
ルード・シェン山の飛龍たちの角が、逃げる兵士の背を突き差し、前脚が蹴り飛ばし、龍上の龍士が揮う剣と槍が止めを刺す。
夜襲をかけるつもりが、逆にこの強烈な奇襲を受け、ルスランの夜襲部隊は完全に士気を挫かれて戦意を喪失した。
夜のウールン河の岸辺に流血が舞い、阿鼻叫喚の中、兵士らは次々と倒れて行った。
「見ればわずか五十騎程度ではないか。流石は殿下だわ」
ルスランは悔しげに言ったが、顔は笑っていた。
持前の陽気さを伴った大声を暗闇に響かせた。
「皆、逃げろ逃げろ! 抗戦は無用だ! この状況で逃げても罰は無い! 皆逃げろ!」
こうして、マクシムの夜襲作戦は完全に失敗に終わった。
翌朝、首都アンラード。
皇帝イジャスラフの寝室には、払暁の光が窓を通して注ぎ込み、部屋には青い光がまどろんでいた。
その中央、天蓋の垂れるベッドの中で眠るイジャスラフに、五歳の時のリューシスが口を尖らせて反発していた。
「私は剣術なんてやりたくありません!」
そこは、皇宮の中庭であった。イジャスラフはいつの間にかそこにおり、長椅子に座っていた。隣には、小柄な女性も共に座っている。
文句を言って来る幼いリューシスの後ろには、今まで剣術を指導していた武芸師範役のビーウェン・ワンが立っている。彼もまだ若く、顔の皺も少なければ髪も黒々としている。
その若きビーウェンが、困り切った顔でリューシスに優しく言った。
「しかしリューシス様、戦の基本はまずは剣術を身に着けることですぞ」
だがリューシスは、生意気な顔でビーウェンを振り返った。
「基本だろうが、何だよ。剣術なんてできても、所詮一人や二人しか相手にはできないじゃないか。しかも俺に才能がなかったら、稽古するだけ時間の無駄だ。違うか?」
屁理屈のように聞こえて、鋭く真実をついているようにも聞こえる。しかも使う言葉が子供らしくない。
イジャスラフは、五歳の子供がこんなことを言うのに驚きながらも、諭すように言った。
「しかしな。まずは剣術を身に着けなければ、自分の身を守ることもできんのだぞ」
「そうですよ、リューシス。お父上の言う通りです」
と、イジャスラフの隣に座っている婦人も優しい声で言った。
小柄だが、艶のある綺麗な金髪と白い肌が印象的な美女である。しかし、その慈愛に満ちた顔立ちは、美しいと言うよりも、少女のような可愛らしい感じであった。
「しかし母上」
と、リューシスは言った。その小柄な女性が、リューシスの母親のリュディナであった。
「剣で自分の身を守らないといけないような状況にならなければいいではありませんか」
リューシスの反論に、リュディナは目を丸くして言葉に詰まったが、すぐにおかしそうに笑った。
「生意気なことを言う子だ」
イジャスラフも呆れながら笑った。そこへ、小さなリューシスは木剣を投げ捨てて詰め寄った。
「父上。剣術よりも、私に戦争のやり方を教えてください」
「何だと?」
イジャスラフは眉をしかめた。
「何と言うんでしたっけ? へ、兵……」
「兵法だ。軍学や用兵術とも言う。まさか、お前は兵法を学びたいと言うのか?」
「はい。私は兵法を学びたいのです」
「ふむ。お前は本当に不思議な子だな。お前ぐらいの歳であれば、普通は剣や弓矢に興味を持つもの。しかしそれらを嫌がるどころか、兵法を学びたいとはな」
イジャスラフは、しげしげと我が子を見た後、
「しかし、何故そこまでして兵法を学びたいのだ?」
と、訊くと、リューシスは母のリュディナを見ながら答えた。
「この頃、父上はいつも戦に行ってばかりです。その度に、母上は毎日父上を心配し、しかも寂しそうです」
「まあ。これ、リューシス」
リュディナは頬を染めた。
「私も、戦に行っている時の父上が心配です。だから、私が兵法を学んで戦争ができるようになれば、父上の代わりに戦に行くことができるようになります。そうすれば父上も安全ですし、母上も寂しくありません」
その言葉を聞いて、イジャスラフは心の底から驚いてリューシスの顔を見つめた。
リューシスは真剣そのものの顔で、褐色の瞳を強く光らせていた。この時の彼の毛髪はまだ全て褐色で、後に目立つようになって来る赤毛は数本しか出ていない。
やがて、イジャスラフは感心したように頷いた。そして、微笑みながら言った。
「良くぞ言った。それでこそローヤン人の勇者だ。良かろう。兵法を学ぶことを許す。まあ、最初は全く理解できないであろうがな。但し、剣術や弓矢の稽古も続けるのだぞ。それが条件だ」
イジャスラフは、その点を念を押すように強く言った。
リューシスは、ぱっと幼い顔を輝かせた。
「ありがとうございます! 励みます!」
「うむ。ビーウェン、明日からは剣術だけじゃなく兵法も教えてやってくれ」
イジャスラフは、にこにこと笑いながら言った。
隣のリュディナも、優しい眼差しで五歳の息子を見つめていた。
そこで、イジャスラフは目を覚ました。
天蓋の隙間から、朝の爽やかな光が漏れ入っている。
半身を起こし、下半身を回してベッドの縁に座ると、隣の小卓の上にある呼び鐘を鳴らした。
すぐに、外から侍女の声が聞こえた。
「陛下、お目覚めでしょうか?」
「ああ。入れ」
イジャスラフが答えると、「失礼いたします」と言って、侍女二人が水差しを持って入って来た。
侍女二人は、木椀に水を入れてイジャスラフに差し出す。イジャスラフは、それを一口に飲み干した。
そこへ、皇后ナターシアも入って来た。
「陛下、おはようございます。今日は顔色がようございますね。お加減はどうですか?」
「うむ。今日は悪くないぞ」
イジャスラフは痩せた顔に笑みを見せた。
「おや、確かにそのようですね。何やら楽しそうにも見えますわ」
ナターシアが微笑しながら歩いて来ると、イジャスラフは二杯目の水を侍女に促しながら言った。
「まあ、ちょっと楽しい夢を見てな」
「あら。どのような夢でございますか?」
ナターシアは、ベッドの近くにある紫檀の椅子に座った。
「ふふ、まあ、昔の思い出よ」
「昔の……」
ナターシアは真顔になり、それ以上は訊かなかった。
イジャスラフは二杯目の水を飲み干した後、立ち上がって窓に歩み寄った。
そこから、外の庭の風景をしばし眺めた後、おもむろに振り返ってナターシアに訊いた。
「マクシムらの戦況がどうなっておるか、その後の知らせなどは届いてないか?」
「変わらず、攻めあぐねておるようですよ」
ナターシアが眉根を寄せて答えた。
「ふむ」
イジャスラフは両手を後ろで組んで、何か考えながら部屋の中を歩いた。
そして、皇帝は突然言った。
「馬車と一部隊を用意せよ。朝食を取ったらすぐに出る」
「お出かけになられると? どちらへ?」
「ルード・シェン山だ」
ナターシアの顔に驚きの色が広がった。
ルード・シェン山の東側を、一軍が松明の火もつけずに密かに行軍していた。
マクシムの命を受けた、七龍将のルスラン・ナビウリンが率いる三千人の夜襲部隊である。飛龍隊は連れていない。翼の音で気付かれてしまう心配があるからだ。
彼らは、一切の声を上げぬように厳命されていた。誰一人言葉を発さず、粛々とユエン河とウールン河を渡って行った。
そして彼ら夜襲部隊は、ルード・シェン山の北側まで回り込むと、断崖絶壁でも比較的傾斜があり、草や樹木が生えていて登りやすそうなところを見つけた。
ルスランは、兵士らにそこから登って行くように命じた。
夜目の効く者らを選んでいる。深夜の暗闇の中でも、皆、順調に崖を登って行く。リューシス軍の妨害は無かった。気付かれている気配も無い。作戦は成功した、と誰もが確信した。
一番先頭を行く兵士が、あとわずか五メイリ(メートル)ほどで山頂に到達する、と言うところで、用意していた鉤縄を上に投げつけた。鉤がしっかりと岩に刺さった感触を確かめると、兵士は会心の笑みを浮かべて、縄を伝って一気に駆け上がって行った。
だが、その先の崖上に、突然として十数人のリューシス軍兵士らが薄笑いの顔を出した。
登り切ろうとしていた兵士の顔に絶望の色が走った。その瞬間、大量の石が落とされた。
兵士が無念の悲鳴と共に岩肌から落ち、それに巻き込まれて後続の兵士らも落下した。また、他の登攀していた兵士らも、投石の直撃に遭って闇の底へ転げ落ちて行った。
それをウールン河の向う側から目撃したルスランは、さっと顔色を変えた。
側近の部下も青くなって叫んだ。
「しまった、気付かれていたか!」
だがルスランは、普段は明るい瞳を鋭く光らせると、
「いや、あれは、気付かれていたと言うより、見抜かれていたと言うのが正しい」
と冷静に言って、四方の夜闇を見回した後、
「そして、見抜かれていたならば、リューシス殿下のことだ。きっとそれ以上の用意があるはずだ。これ以上の作戦続行は無用! 急ぎ撤退だ! 急げ急げ!」
と、大声を響かせて、まだ崖に向かっていない兵士らをまとめて撤退しようとした。
ルスランの判断は速かった。だが皮肉にも、実に的確であった。
残っていた兵士らが口々に喚きながら駆け出した時、夜空から翼の羽ばたく音が大きく響いた。
その瞬間、咆哮と共に夜闇を斬り裂きながら左右上空から飛んで来る飛龍の一団。
「打てっ!」
右側の先頭を飛ぶ龍士が、長剣を月光に煌かせながら命令を響かせた。
闇の中でも目立つ紅衣銀甲の武将、それはリューシスであった。
リューシス率いる飛龍隊、合計約五十騎が、左右からルスランの部隊目掛けて矢の一斉射撃を行った。
少数であるが、夜闇の中での不意を突いた射撃である。十分な効果であった。
更に続いて、
「降下突撃!」
と、リューシスの命令が響き渡った。
飛龍たちが猛獣の咆哮を響かせ、左右から一斉に降下突撃を敢行した。
ルード・シェン山の飛龍たちの角が、逃げる兵士の背を突き差し、前脚が蹴り飛ばし、龍上の龍士が揮う剣と槍が止めを刺す。
夜襲をかけるつもりが、逆にこの強烈な奇襲を受け、ルスランの夜襲部隊は完全に士気を挫かれて戦意を喪失した。
夜のウールン河の岸辺に流血が舞い、阿鼻叫喚の中、兵士らは次々と倒れて行った。
「見ればわずか五十騎程度ではないか。流石は殿下だわ」
ルスランは悔しげに言ったが、顔は笑っていた。
持前の陽気さを伴った大声を暗闇に響かせた。
「皆、逃げろ逃げろ! 抗戦は無用だ! この状況で逃げても罰は無い! 皆逃げろ!」
こうして、マクシムの夜襲作戦は完全に失敗に終わった。
翌朝、首都アンラード。
皇帝イジャスラフの寝室には、払暁の光が窓を通して注ぎ込み、部屋には青い光がまどろんでいた。
その中央、天蓋の垂れるベッドの中で眠るイジャスラフに、五歳の時のリューシスが口を尖らせて反発していた。
「私は剣術なんてやりたくありません!」
そこは、皇宮の中庭であった。イジャスラフはいつの間にかそこにおり、長椅子に座っていた。隣には、小柄な女性も共に座っている。
文句を言って来る幼いリューシスの後ろには、今まで剣術を指導していた武芸師範役のビーウェン・ワンが立っている。彼もまだ若く、顔の皺も少なければ髪も黒々としている。
その若きビーウェンが、困り切った顔でリューシスに優しく言った。
「しかしリューシス様、戦の基本はまずは剣術を身に着けることですぞ」
だがリューシスは、生意気な顔でビーウェンを振り返った。
「基本だろうが、何だよ。剣術なんてできても、所詮一人や二人しか相手にはできないじゃないか。しかも俺に才能がなかったら、稽古するだけ時間の無駄だ。違うか?」
屁理屈のように聞こえて、鋭く真実をついているようにも聞こえる。しかも使う言葉が子供らしくない。
イジャスラフは、五歳の子供がこんなことを言うのに驚きながらも、諭すように言った。
「しかしな。まずは剣術を身に着けなければ、自分の身を守ることもできんのだぞ」
「そうですよ、リューシス。お父上の言う通りです」
と、イジャスラフの隣に座っている婦人も優しい声で言った。
小柄だが、艶のある綺麗な金髪と白い肌が印象的な美女である。しかし、その慈愛に満ちた顔立ちは、美しいと言うよりも、少女のような可愛らしい感じであった。
「しかし母上」
と、リューシスは言った。その小柄な女性が、リューシスの母親のリュディナであった。
「剣で自分の身を守らないといけないような状況にならなければいいではありませんか」
リューシスの反論に、リュディナは目を丸くして言葉に詰まったが、すぐにおかしそうに笑った。
「生意気なことを言う子だ」
イジャスラフも呆れながら笑った。そこへ、小さなリューシスは木剣を投げ捨てて詰め寄った。
「父上。剣術よりも、私に戦争のやり方を教えてください」
「何だと?」
イジャスラフは眉をしかめた。
「何と言うんでしたっけ? へ、兵……」
「兵法だ。軍学や用兵術とも言う。まさか、お前は兵法を学びたいと言うのか?」
「はい。私は兵法を学びたいのです」
「ふむ。お前は本当に不思議な子だな。お前ぐらいの歳であれば、普通は剣や弓矢に興味を持つもの。しかしそれらを嫌がるどころか、兵法を学びたいとはな」
イジャスラフは、しげしげと我が子を見た後、
「しかし、何故そこまでして兵法を学びたいのだ?」
と、訊くと、リューシスは母のリュディナを見ながら答えた。
「この頃、父上はいつも戦に行ってばかりです。その度に、母上は毎日父上を心配し、しかも寂しそうです」
「まあ。これ、リューシス」
リュディナは頬を染めた。
「私も、戦に行っている時の父上が心配です。だから、私が兵法を学んで戦争ができるようになれば、父上の代わりに戦に行くことができるようになります。そうすれば父上も安全ですし、母上も寂しくありません」
その言葉を聞いて、イジャスラフは心の底から驚いてリューシスの顔を見つめた。
リューシスは真剣そのものの顔で、褐色の瞳を強く光らせていた。この時の彼の毛髪はまだ全て褐色で、後に目立つようになって来る赤毛は数本しか出ていない。
やがて、イジャスラフは感心したように頷いた。そして、微笑みながら言った。
「良くぞ言った。それでこそローヤン人の勇者だ。良かろう。兵法を学ぶことを許す。まあ、最初は全く理解できないであろうがな。但し、剣術や弓矢の稽古も続けるのだぞ。それが条件だ」
イジャスラフは、その点を念を押すように強く言った。
リューシスは、ぱっと幼い顔を輝かせた。
「ありがとうございます! 励みます!」
「うむ。ビーウェン、明日からは剣術だけじゃなく兵法も教えてやってくれ」
イジャスラフは、にこにこと笑いながら言った。
隣のリュディナも、優しい眼差しで五歳の息子を見つめていた。
そこで、イジャスラフは目を覚ました。
天蓋の隙間から、朝の爽やかな光が漏れ入っている。
半身を起こし、下半身を回してベッドの縁に座ると、隣の小卓の上にある呼び鐘を鳴らした。
すぐに、外から侍女の声が聞こえた。
「陛下、お目覚めでしょうか?」
「ああ。入れ」
イジャスラフが答えると、「失礼いたします」と言って、侍女二人が水差しを持って入って来た。
侍女二人は、木椀に水を入れてイジャスラフに差し出す。イジャスラフは、それを一口に飲み干した。
そこへ、皇后ナターシアも入って来た。
「陛下、おはようございます。今日は顔色がようございますね。お加減はどうですか?」
「うむ。今日は悪くないぞ」
イジャスラフは痩せた顔に笑みを見せた。
「おや、確かにそのようですね。何やら楽しそうにも見えますわ」
ナターシアが微笑しながら歩いて来ると、イジャスラフは二杯目の水を侍女に促しながら言った。
「まあ、ちょっと楽しい夢を見てな」
「あら。どのような夢でございますか?」
ナターシアは、ベッドの近くにある紫檀の椅子に座った。
「ふふ、まあ、昔の思い出よ」
「昔の……」
ナターシアは真顔になり、それ以上は訊かなかった。
イジャスラフは二杯目の水を飲み干した後、立ち上がって窓に歩み寄った。
そこから、外の庭の風景をしばし眺めた後、おもむろに振り返ってナターシアに訊いた。
「マクシムらの戦況がどうなっておるか、その後の知らせなどは届いてないか?」
「変わらず、攻めあぐねておるようですよ」
ナターシアが眉根を寄せて答えた。
「ふむ」
イジャスラフは両手を後ろで組んで、何か考えながら部屋の中を歩いた。
そして、皇帝は突然言った。
「馬車と一部隊を用意せよ。朝食を取ったらすぐに出る」
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「ルード・シェン山だ」
ナターシアの顔に驚きの色が広がった。
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